第10話:あたしの道具になってほしい
ぐらり――僕を握り潰していたミノスの腕が、ふいに揺れた。
電柱みたいに太い前腕に、一本の“線”が走っている。
次の瞬間、ぷしゅっと裂け目から赤黒い血が噴き出した。
……斬られた。
握りしめられていたはずの腕が、肘から先ごと、重力に引かれて落ちていく。
僕を掴んでいた指の圧がほどけ、視界がぐるりと反転した。
落ちる。
全身の骨がどこかで折れている。痛みが遅れて一気に押し寄せ、息が詰まる。
再生が追いつかない。間に合わない。地面が迫ってくる。
――終わる。
覚悟を決めて目を閉じた、その瞬間だった。
地面を蹴る衝撃音。
次いで、ふわりと浮く感覚。
凛さんが空中で僕を抱えたまま、まるで羽があるみたいに着地した。
着地の衝撃すら、ほとんどない。……いや、凛さんが全部“殺してくれた”のだ。
そして僕の視界の端。
地面に突き刺さったままの、巨大な黒い斧。
《ジャイロ・クリーヴァー》。
一刀両断した勢いのまま、刃が床を抉り、クレーターみたいな穴を作っている。
白い蒸気が、ぷしゅう、と抜けた。
「《ジャイロ・クリーヴァー》……エネルギー残量0%……活動限界……機能停止……」
ジンバルンの無機質な声。
黒い煙を吐きながら、機械は沈黙する。
目が合う。――ミノスの目前だというのに、凛さんの呼吸は乱れていない。
堂々と立ったまま、腕の中の僕へ声を落とす。
「……配信。見たよ」
その一言で、全部理解してしまう。
僕が「凛さんは来ない」と決めつけて、勝手に死にに行ったこと。
それが、全部バレている。
「……ごめんなさい」
絞り出すように言うと、凛さんは首を振った。
「……いや。君の判断は、間違ってない。
あたしは自己中だし、場合によっては人を見捨てる」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
でもそれは、恐怖じゃない。安堵でもない。
……ショックだ。
「君があたしに好意を持ってくれてるの、最初から分かってた。
だから利用しようとした。相棒だの、耳障りのいいこと言ってさ」
言葉が胸に突き刺さる。
嘘でもいいから、あの時の「必要だ」は本当だと思いたかった。
僕の目から、涙が落ちた。
情けなさで、息が震える。
凛さんは一度だけ、目を伏せた。
「だから……改めて、言う。
あたしの本当の願い。……本音」
たいまつの火が、ぱち、と鳴った。
ミノスでさえ動かない。いや、動けない。
世界が、音を失ったみたいに静かだった。
「あたしの……道具になってほしい。
あたしの夢を叶えるための、道具に」
「……」
真っすぐな瞳だった。
嘘じゃない。逃げ道もない。凛さんの“本当”。
涙が、さらに止まらなくなる。
「……う、っく……ひっく……」
「……これが本音だ。分かっただろ。だからもう、君は手伝わなくて――」
「ちが、違うんです……!」
やっと声が出た。
言いたいことが多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……僕、学校で虐められて。誰からも必要とされなくて……
でも、本当は……人に必要とされるの、大好きで……!」
言葉が詰まる。
凛さんは急かさない。ただ真剣な顔で、待ってくれる。
「僕……凛さんの本当の気持ちを知って……嬉しかったんです。
道具でも……道具としてでも……僕を“必要”としてくれるんだって……!」
凛さんの顔が固まった。
鳩が豆鉄砲を食ったみたいに。
「……僕、凛さんの道具になります」
「い、いや待て。待ちなさい。
あたしは本気で言ってるんだぞ? 人を利用価値でしか見ない――」
「なら、道具だったら。……それ以外でも、見てくれるんですよね」
「……っ」
凛さんの言葉が、そこで止まった。
「……本当にいいのか。
今日だって、昨日だって……これからも君は地獄を見る。
あたしは、君の能力が目当てだから」
「いいですよ! それくらい! ばんばん使ってください!
僕は――被虐の女神ですから!」
涙がやっと乾いて、瞼が少し痛い。
それでも僕は、凛さんを見上げて言い切った。
「……いいんだな」
「はい!」
僕が笑うと、凛さんは諦めたように息を吐いて――最後には、少しだけ笑った。
二人だけの時間が、永遠みたいに伸びた、その瞬間。
「なにえげつない話してんのよ!!」
爆発音。
風を切る音が、上から降ってくる。
見上げた先――闇の天井から降りてきたのは、ピンクの地雷系ファッション。
黒いハーフツインが揺れ、赤い眼光がこちらを射抜く。
そしてその腕の中には――
「鏑木さん!?」
鏑木さんを抱えたまま、彼女は足元で小さな爆発を連打し、風圧でゆっくり降下してくる。
「らいこさん!? なんで!?」
「貴方が“配信で”叫んでたからよ」
らいこさんが唇を吊り上げる。
「……っ! 危ない!!」
空気を蹴り、爆破。
一瞬で加速したらいこさんが、僕らの頭上を通過――
ミノスの顔面に、蹴りを叩き込んだ。
武器みたいに分厚い黒い靴底が、巨体の顔を踏み潰す。
そして。
ドガァァン!!
爆発。衝撃波。
ミノスが数歩、よろめく。踏みしめるたび床が地震みたいに揺れた。
「なにモンスターの前でいちゃついてんのよ! 危ないでしょうが!!」
「いちゃついてない……大事な話をしてたんだ」
凛さんの発言にらいこさんは「はいはい」と言いたげに肩をすくめ、
ボンッ、ボンッ……と爆破で落下を殺しながら、僕らの前に着地した。
その拍子に、鏑木さんが凛さんの胸の中で揺れる。
目が合った。こんな状況なのに、彼女は小さく手をふりふりしてくる。
「鏑木さん……え、じゃあジンバルンは!?」
「ココニ……オリ……マス……」
ふらふら、ふわり。
黒い煙を吐きながら、墜落寸前のジンバルンが降りてきた。今にも落ちそうだ。
「でも……どうして、らいこさんが」
「これでもトップ配信者よ。コメントひとつ見落とすわけないでしょ」
まるで当然みたいに、らいこさんは微笑む。
「で、ちょっとトイレ~って言って、急いで飛んできた。……大変だったのよ?」
僕は改めて、彼女の足元を見る。
爆発の余熱が、靴底から蜃気楼みたいに揺れていた。
「その脚……」
「これが私のギフト。《地雷》――足から爆発を生み出す力。かっこいいでしょ!」
「は、はい……!」
本当にかっこよかった。
闇から降ってくる姿は、正義のヒーローみたいで。
僕がきらきらした目で見てしまった、その瞬間。
「……君、中々に浮気性だよな」
上から鋭い視線。凛さんだ。
「え!? 浮気って、いきなり何言って――」
「無駄話あと! 来るわよ!!」
らいこさんの声で、全員の視線が前方へ揃う。
ミノスと目が合う。
巨体がこちらへ走り出した。
ゆっくりした早歩きにしか見えないのに、距離が一瞬で詰まる。
圧で空気が潰れる。
「らいこ! その子、貸して!!」
「任せたわよ!!」
鏑木さんが投げ渡される。
凛さんは僕を軽く上へ放り、抱え直し――空いた腕で鏑木さんをキャッチ。
そしてミノスに背を向けて走った。
逆に、らいこさんは膝を曲げ、腰を落とし――爆発。
ドンッ、と地面が沈むほどの加速。
さっきとは桁違いの速度で、ミノスへ突っ込んでいく。
「ジンバルン! この状況での勝率は!?」
凛さんの胸の中。並走するジンバルンへ問いかける。
「マスター……ライコサマ……イノリサマ……サンニンデノショウリツ……200%」
「ふひっ……限界突破してるじゃん」
冗談みたいな数値に、思わず笑いが漏れた。
……でもその笑いは、すぐ痛みに掻き消される。
凛さんが柱の陰で止まり、僕と鏑木さんをそっと床に下ろした。
僕の目を見て、凛さんが言う。
「あたしと、あいつに――被虐の女神の加護。お願い。
一気にケリつける」
「で、でも凛さん! 武器が……!」
《ジャイロ・クリーヴァー》は、地面に刺さったまま。
今の凛さんには、まともな武器がない。
「らいこさんに任せちゃえば……」
「……大丈夫!」
凛さんはそう言うと、装備を外し始めた。
グローブ、プロテクター、邪魔な重さを次々捨てる。
そして最後に――セーラー服“っぽいコス”すら脱ぎ捨てた。
残ったのは、ぴったりした青のスポーツウェアと軍靴。
割れた腹筋。浮き出る筋。歴戦の傷。
『魔王様の貴重なお色気シーン!!』
『筋肉と傷の数えぐいなあ』
配信コメントが流れる。……今それどころじゃないのに。
凛さんは床に置かれた一本の短刀を拾い上げる。
少し古風な拵え。鞘を払うと、ぬらりと白銀の刃が姿を現した。
青い灯りに照らされ、不気味に光る。
「祈里……一発勝負。あたしに賭けて」
「……はい!!」
凛さんが走り出す。
装備の重りが消えた分、動きが“軽い”。速い。
その間にも、らいこさんは戦っていた。
爆発で縦横無尽。目に追えない速度で飛び回り、ミノスの両刃斧の隙間をすり抜ける。
狙うのは装甲の薄そうな腹――
突っ込み蹴り。
ぐにゃりと腹がへこみ、ミノスの顔が歪む。
追い打ち。
バチバチ……バゴォォン!!
靴底から爆発。反動でらいこさんは後退し、くるりと回って猫みたいに着地した。
――だが。
着地のタイミングを狙って、横から柱みたいな両刃斧が迫る。
避けきれない。
らいこさんは足を上げて受けたが――
吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、クレーターが開く。
「うぐ……くああああ!」
同時に、僕の腕と足がベキリと折れる。
「だ、大丈夫ですか!? 女神ちゃん様!」
鏑木さんが怯えた声で僕の背中をさする。
「だ、だいじょ……ぶ……」
(らいこさんも……凛さんも、命を張ってる。
この戦いが終わるまで……耐えろ、僕)
クレーターの煙が晴れる。
らいこさんは壁に張り付いたまま――無傷だった。
「な、なにこれ……」
「祈里のギフトだ! ダメージは全部無効って考えていい!」
「は!? 強すぎない!?」
“強い”のは、僕が痛いからだ。
でも今は――その痛みが盾になる。
らいこさんは即座に復帰。
両刃斧が振られる。けれど、もう“怖がらない”。
爆破で急停止し、空中で前転。
連続爆発で縦回転しながら突っ込む。
燃え上がるコマみたいに――斧へ、かかと落とし。
ドゴォン!!
接触の瞬間、さらに爆発で勢いを上乗せ。
反動は、僕が受ける。
足が潰れ、血が噴き、視界が白くなる。
歯を食いしばって耐える。
――ひび。
両刃斧に、確かにひびが入った。
「いい加減ぶっ壊れなさい!!」
逆噴射。
後ろ向きに爆発し、膝蹴り。
ドンッ!!
ひびが走った箇所から、両刃斧が叩き割れた。
衝撃でミノスの手から武器が離れる。
そこへ最後の一撃。
逆さになり、斧の柄を蹴って爆破――壁まで吹き飛ばす。
「最高……! ギフトの反動を気にしなくていい!
さいっこうに気分がいいわ!!」
汗と瓦礫で汚れた顔なのに、らいこさんは笑っていた。
ミノスの顔に、焦りが浮かぶ。
巨体が、らいこさんを掴みにいく。
そして――掴めた。
……いや、違う。
それは、スズメバチを素手で掴んだみたいな“自滅”だった。
バン、バン、バン――!
至近距離の連続爆発。
空気が裂け、轟音が腹の底に響く。
その反動が、僕の体に全部来る。
皮膚が裂ける。骨が砕ける。内臓が揺れる。
意識が、遠のきかける。
「やっば……きつい……かもぉ……」
鏑木さんが必死に背中をさすってくれる。
でも――その甲斐はあった。
ミノスの片手が、ばらばらに砕け散った。これで両手を潰せた。
グォォォォォ!!
絶叫が空気を震わせる。
「らいこ! ジャンプ!!」
良く通る声。凛さんだ。
「っ!」
らいこさんが反射で跳ぶ。
回転しながら、ミノスの顎下を蹴り上げる。
巨体が仰け反った、その“口”が開く。
――今だ。
らいこさんが地面に手をつき、逆立ちの姿勢で踏ん張る。
腕が引きちぎれそうな痛みが僕に走るが、誤差だ。
その足裏へ――凛さんが飛び乗った。
二人の足裏が、ぴたりと合わさる。
ボンッ!!
一度の爆発。
凛さんが、弾丸みたいに跳ね上がった。
ミノスの“上”を取る。
ふわりと落下――
着地先は、顔面。
凛さんとミノスの視線が、噛み合う。にらみ合う。
一瞬の静寂。
それを切り裂いたのは、凛さんの低い声だった。
「……死ね」
凛さんが飛び込んだ。
開いたままの口の中へ。
「凛さん!?」
こくり、とミノスの喉仏が大きく動く。
飲み込んだ。
数秒の沈黙のあと――
ミノスが暴れ出した。腹が跳ね、内部から何かが突き上げてくる。
時折、腹の裂け目から短刀の刃先が覗く。
中で、切り裂いている。臓器ごと、ずたずたに。
ミノスが吐き出そうとした、その瞬間。
ドガン!!
下から、らいこさんの蹴り上げ。
顎がひしゃげ、口が塞がる。
閉じた口の中から、轟音が響いた。
グゴゴ……グオオオオオ……!!
それでも凛さんは止まらない。
吐き出されそうになれば、喉へ食い込み、肺を裂き、心臓へ刃を届かせる。
最後に。
コヒャ……ゴゴ……と、情けない断末魔が漏れ――
ミノスは、倒れた。
巨体が崩れ落ち、迷宮の床が震える。
そして。
口が内側からこじ開けられ――凛さんが、血と体液にまみれて出てきた。
「凛さん!! 凛さん!! 凛さあああん!!」
走り寄りたいのに、立てない。足が折れている。
でも察したのか、凛さんとらいこさんが並んで歩いてきてくれた。
「……勝ったぞ。祈里」
「り、りんさああああん……!」
僕は地面を這うように近づこうとして――凛さんに止められる。
凛さんが片膝をつき、ぎゅっと僕を抱きしめた。
やっと、安堵の涙が溢れてくる。情けないほど、ぼたぼたと。
「……ごめんなさい。祈里君のギフト……それ……」
らいこさんが、僕の折れた腕や足を見て顔色を変え、眉をひそめた。
「僕のギフトは、ダメージの肩代わりです。
でも大丈夫ですよ。ちゃんと……すぐ回復するので」
泣きながら、できるだけ笑顔を作って言う。
罪悪感は、持たせたくなかった。
凛さんの腕が、少しだけ緩む。
そして僕の顔を真正面から見つめて言った。
「祈里。……約束」
「は、はへ?」
「君はあたしの道具だ。
あたしは自分の道具が壊れるのが好きじゃない。ジンバルンもそう。だから――」
凛さんは、もう一度ぎゅっと抱きしめた。
さっきより強い。痛いくらい。
「あたしのために……自分を大事にしろ」
「……分かりました」
その言葉に、凛さんの呼吸が少しだけ柔らかくなる。
ジンバルンも限界で、ここに長居はできない。
僕たちは、らいこさんにまとめて運ばれることになった。
どうやら第三層から地上へ直通する“隠しルート”があるらしい。
そこを通れば、外はすぐだった。
そして僕たちが向かった場所は――
病院? 救護所?
……違う。
暖簾の揺れる、見慣れた看板。
居酒屋だった。
そして店先でこちらに手を振る、小さな影。
揺れる水色のツインテール。
まきまきだ。




