授乳街道
「暑い、、、」
太陽に焼かれ、熱帯の空気に蒸し揚げられ、肩を落として歩く男たちの列。その中の一人であるクリスチャン一等兵はそう乾いた唇から漏らすことしかできなかった。
彼もそうであるが、男たちの顔には疲労が色濃く、中には今にも倒れそうな表情で足を引きずっているも者さえいる。
道を行く男たちは、バターン半島に籠った守備隊のなれの果てであり、降伏を行ったマリベルスから、鉄道駅のあるサンフェルナンドまで続く道を、長い列を作って歩いていた。
そしてその道は史実で「死の行進」と呼ばれる悲劇の起こった悪名高き地でもある。
史実に付いて少し語ろう。
「死の行進」
それは1942年4月9日 日本軍の総攻撃を前にして、降伏を余儀なくされた米比守備隊、その大量に出た捕虜に対し、日本軍は自力で収容所に移動することを強制し、その道すがら精魂尽き果てた捕虜を、疲労と病気に晒して大量死に追いやった事件である
この事件は後に戦争犯罪とされ、史実に置いては、日本軍の残虐性を示す行為として禍根を残し続けている行為であった。
日本側を擁護するならば、彼らは、出来うる限りの救護と食糧配布、最低限度の休憩は取らせており、何より、捕虜管理の為、重装備の日本兵が一緒に歩いているので、日本側の認識としては、そこまで辛いと思っていなかったと言う所であろうか。
何と言うべきであろうか言葉に困るが、日本軍そして大日本帝国は、敵味方平等に酷薄だったとしか言いようがあるまい。否、軍組織、そして戦争を遂行する国家とはそも酷薄なのだ。酷薄でなければ人をいとも簡単に死に追いやったりはしない。
赤痢、マラリア、デング熱、飢えと渇きに悶え苦しませて自国兵士を殺すのと、国家が自由と平等の名の元に若者を鉄火の嵐の中に送り出し、腸を抉り出され数時間続く苦悶の中で死なせる事の何処に差があるのだろうか?
勝利の栄光があったとして、死者は帰ってこず、彼らは永遠に自己の苦しみと絶望を語ったりはしない。究極的に言えば、人は自分が同じ目に会わない限り酷薄で居られるのだろう。
だからと言って全てが免責される訳ではないのも事実であり、ましてそれが敗戦国ならば訴追されるのも仕方がない。我々は二度と、、は無理であろうが、出来うる限り繰り返す愚を犯さない様に心する努力を続けるだけである。
さて、その様な「死」へと続く行進がこの世界でも行われている。
た・だ・し・その「死」は「生命」の終わりを意味しない。
意味するのは「社会的な死」である。
クリスチャン一等兵や、彼と同じ境遇に置かれた兵卒たちが必死に歩いているのも、その「死」を避けようとしているからなのだ。
暑い、足が重い、そして臭い。それがクリスチャン一等兵の脳内を占有する事象であった。
同時に、クリスチャン一等兵事、クリスチャン・サントス(24歳独身、両親健在、妹と弟が一名ずつ)は、脳内で不甲斐ない宗主国と自分達に襲い掛かって来た侵略者への呪いの言葉を有らん限りの語彙で喚いていた。
彼はバターン半島に立て籠り最後まで抵抗した兵士の一人であるから、それ位の事は思っても差支えはないだろう。なにせ、戦闘の終盤は本当に酷い物だったのだ。
それを示す証拠として、頭上に燦々と照り付ける太陽が真っ黄色に見える事が上げられる。
最後の最後まで奮闘した彼らは、検閲事象 を繰り返し、その度、けだるくなる体を押して戦闘を繰り返さざるを得なかった者だちなのだ。その顔には明らかに極度のタンパク質不足を示す兆候が表れていた。
バターン半島が早期に陥落した理由の一つがそこだ。笑い事ではない。マジにそうなのだ。
読者諸氏よ、諸氏は一日に何回過酷な行為を致した事があるであろうか?その限界を極めた事はあるのか?五回を超えて右手の恋人か嬢に出した猛者は少ない筈だ。筆者も男であるから実感がある。
その限界をオルゴナイト兵器は易々と超えて来る。
「「なんだよ!さっき 検閲したばかりだろ?なんで検閲んだ?あっ!あっ!あっ!あひぃ!止まらいの~!検閲止まらない~!じぬぅ!じんじゃうぅ~!!」」
鍛え上げた男共が塹壕の中、胸壁の裏、トーチカの内側でくそ汚く喚く事になる。メスブタに捕まった場合も同上だ。
故に戦闘中、兵士は極度のタンパク質と下履きの不足に悩まされていた。これにより、バターン半島は猛烈な量の物資の消費に見舞われたたのだ。
男たちは乾燥卵を粉のままコンデンスミルクで流し込み、ジャーキーとパンツを奪い合い、備蓄されていた被服はズボンだけ枯渇し、最後はガビガビの物を履くか、上衣を腰に巻いていた程なのだ。
クリスチャン一等兵もその一人であった。彼もまたガビたズボンを履いており、それは周りにいる男たちもまた同じ、だからひじょーに臭い。イカの集団天日干しである。
そして太陽が黄色い。
クリスチャン一等兵の落ちくぼんだ目に写るのは、慣れ親しんだ故郷の太陽ではなく、もう真っ黄黄の呪われた物であり、その呪いの黄色は、かっさかさになった肌を容赦なく焼いていた。
これは現地民でも耐えられる物ではなく、それが白人である米兵になれば猶の事であった。それでも男たちは耐えている。耐えて、耐えて、その末に地に伏して行く。
理由は簡単であり、それこそが彼らが恐れる「社会的な死」の正体である。
バタリとクリスチャン一等兵の隣に居た米兵が前のめりに倒れた。疲労の限界に達したのであろう。だがそれを助ける者は居ない。
助けたら巻き込まれてナニされるか分からないからだ。
クリスチャン一等兵もそうであった。憐れみの視線を倒れた米兵に送るが、手は差し伸べない。差し伸べられない。
だって
次の瞬間、倒れていた米兵が消えた。正確には消えた訳ではない。
猛烈な速さで引きずられていったのだ。
クリスチャン一等兵の耳には消えゆく米兵の
「NOーーーーーーーーーーーー!!」
の叫び
「救護ーーーーーーーーーーーーー!」
叫び彼を連れ去って行く、日本兵の声が聞こえた。
この事態の理由は日本軍の捕虜移送の問題にある。コレヒドール要塞が放棄された事もあり、ある程度は史実と違い輸送に余裕がある日本軍であったが、十万を超える捕虜の輸送には頭を抱える他はなく、史実と同じく、歩かせて移送する選択を取らざるを得なかった。
史実との違いは、日本軍は自分たちの使う特殊な兵器を良く理解しているので、捕虜たちが疲労の極みにいると理解していた事だ。
「いや、死んじゃうでしょ、これで仲良くしたら。なんですかその眼は!それ位の事は吾輩が理解して無いと言うのですか!なんで皆さん意外そうな顔するんでありますか!」
捕虜移送計画を立案した某参謀の言葉である。戦勝祝い捕虜一斉乱交とか言い出しそうなデコ眼鏡の言葉に司令部要員は驚いたと言われている。
兎も角、体力的に問題のある捕虜を襲わないだけの理性は(驚いたことに)日本軍には存在し、歩かせるには歩かせるが極力捕虜の安全に留意し、監視の兵は速やかに救助を行う旨の通達がでたのだ。
だがこの通達が捕虜に社会的な死を与える事になってしまう。
メスブタの考える救助とは一般的な意味を遥かに超えていた物であったからだ。
捕虜移送が始まって数時間で悲劇は起きた。倒れた捕虜をとある監視に付いていた日本兵が一種独特な方法で救助したのだ、
その日本兵、枯れ果てた捕虜を見た彼女(経産婦B100オーバー)は迷うことなく上衣を開けると、己の乳房を咥えさせたのである。
この行為はメスブタに珍しく、性的な思いがあった訳ではない。悪い部分で史実大日本帝国軍より個人装備を軽視し、メスブタのフィジカル任せの日本帝国軍は軽装であり、捕虜に分け与える程の糧食も水も持ち合わせていなかった。
メスブタは消費も少なく、ラクダよろしく体に蓄える事ができる不思議生物だからだ(尻とか乳とか血中とか肝臓に)
であるので、彼女が栄養不足(主にタンパク質)の捕虜を救助する方法は一つである。
それは「授乳」であった。
乳を飲ませる事であった。
一部のオジサン大喜びの行為であった。
この行為は見事に衰えた体を引きずる捕虜を助けた。その光景は古の昔、無実の罪で獄中に捕らわれた父親を助ける為、己の乳を吸わせた聖人の行いの様であり、一種神々しさを放っていた様に感じられた。
だが不味い事に、この行為を捕虜移送取材中の報道班が目撃しており、バッチリ、カメラに収めた上
「嗚呼、倒れたる敵に示す慈悲 皇軍兵士乳を分ける 本誌記者 赤子の如く乳を吸う米兵を激写す」
のキャプションで後に報道される事になり、この授乳行為の報告を受けた某参謀も
「その手があったか!偉いぞ!こうしてはおられん吾輩も参加して来る!」
等と言って正式に許可を出した為、成人男子ベイビー化趣味の日本兵や、ちょっと興味ある勢、男の人が私のお乳を夢中で吸うのなんか可愛い勢が捕虜を爛々とした目で狙う様になったのである。
皆、出来るなら仲良くしたいが、それが叶わないのであれば、別方面から快楽を満たそうとし、報道の方も
「おお!美談続出!シャッターチャーンス!はい捕虜くんこっち向いて~」
とバシャバシャする。これを見た捕虜たちの慄く事夥しい。
既に彼らは日本軍が如何に敵軍を辱めるかこれまでの経験でしっており、司令官が公開生本番を強いられた現場を見た者もいるのだ。これが報道されれば故郷の家族に合わせる顔がない。
またベイビーにされた仲間の顔も恐ろしかった、彼らは薬でもやってんのかと言う程に、緩みきっていた。一度ママを味わえば別の意味で帰れなくなるかもしれない。
(だから絶対に倒れる訳にはいかない。嫌だ!衆人環視の中であんな!あんな顔!)
必死に両の足を動かすクリスチャン一等兵の脳裏に、苦痛や罵倒の他に、乳を含まされ安心しきった顔を晒す、良い歳した中佐の顔が過る。日本兵の中には皆の目がある所での授乳行為に興奮する奴もいる。
(確かにあの女は興奮していた!俺は、、絶対にベイビーにはされない!)
周りの戦友たちも同じ思いだ。もう良いやと思った哀れな者は自ら日本兵に近寄り
「あらあら坊やは甘えん坊さんねぇ~」
的な顔をされてベイビーにされてしまった。
「正直、ちょっと羨ましく思くおもうが、、、、あっ!」
ベイビーを抱く日本兵の慈母の笑み、その裏に確かにある夫に先立たれた感のある、男を惑わす未亡人エロスを思い出してしまったクリスチャン一等兵は思わずそれを口に出してしまい、気が緩んだのであろう、足を縺れさせ転んでしまう。
(不味い!早く、早く立たないと)
そうは思うが、疲れ切った体は言う事を聞かない。藻掻けば藻掻く程、体は休息を求めて悲鳴をあげる。
「あら~どうしちゃったんでちゅか~?転んじゃったのぉ~」
その背中に穏やかで間延びしたママの声が掛けられる。日本兵が彼を目敏く見つけたのだ。
クリスチャン・サントス(24歳独身)に(社会的)死が迫ろうとしていた。
「痴の行進」
後にこう呼ばれる痴劇の中でどれだけの男たちが(社会的)死を迎えたのかは、正確に分かっていない。