表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/83

閑話 将校配布用冊子 汝の敵を知れ

前略 この様に、欧米社会は、日本帝国の思想をファシズム、ないしその亜種として理解しているのであるが、それは大きな間違いである。


 そもそも論として、日本帝国は国家の意志としてファシズムを遂行できる状態ではない。その欧米社会から見て異常としか言いようの無い結束は、唯、君主への妄執とも形容できる愛着と執着によって成り立っており、それはファシズムの目指す国家への盲目的な忠誠を形成できる物ではない。


日本帝国の政治的思想は、一つのまとまった考えではなく、前近代的な家父長制、過激な女性解放主義、サンディカリズム、トロツキー主義、帝国主義と言う、水と油としか言いようのない思想が同居し、その全てが軍国主義の皮を被って発露されているのである。


この様な思想的混乱を結合しているのは、前述した君主のへ執着であり、文字通り、日本国に支配者は国家と国民を接着している唯一の存在である。


 もしもの話であるが、日本帝国からその主権者が消えたとすれば、欧米諸国に取っては幸運な事に、一晩にして帝国は瓦解する事は間違いなく、そして欧米諸国に取り不幸な事に、紐帯の鎖を失った無軌道な思想と、無数の人々の個々勝手な暴走と膨張に、向き合う事になるであろう事は間違いない。


 筆者は、であるから、日本帝国の、近代国会として許されない行為を受け入れろと言っている訳ではない。空く迄これを、日本帝国の置かれた状況を理解する為に必要な知識として念頭に置いて欲しいだけであると理解して頂きたい。


さて、日本帝国に思想の混乱を表す際、一番に例として挙げられるのはその占領統治手法である。


帝国主義的サディズムを発揮し、片方の手で土地の収奪と占領地への植民を行い、もう片方の手で征服地の男性に対して甲斐甲斐しく仕え、その生活を保障し通婚を行い、言語・文化を習熟した上で自ら同化を図る相反した行為は既に知られている事である。


その一方で、過激な女性解放を志向し、女尊男卑を声高に唱え、女性の優位性と男は女に隷属すべきであり、女は生活全般の屋台骨になるべきであると唱える、反転した家父長制、日本帝国の運動家の言葉を借りるのであれば、家夫長制を行い占領地に反感を産んでいる。


また甚だしきは、性の解放と男子の共有、女子の集産により国家に縛られない性的自由区を設置して、男子を経済活動から締め出し、これも日本帝国の造語であるが「性産活動」に特化させると言う、過激な社会主義運動を実践する事を占領軍自体が行う事すらあるとされている。


これらの例を見れば、日本帝国が如何に混乱した政治思想を持つかお分かりになるであろうし、この混乱を統制を図るべき国家が黙認し、ともすればその全てに別々に同調すると言う節操の無さを知れば、帝国と名乗るこの国が、果たして国家であるのかさえ疑問に思えて来るのは当然であろう。


であるが、この思想的混乱の中にあっても、二つの事は徹底されている。これこそが日本帝国の思想を理解する上で必要な事なのだ。その一つは既に上げた君主への異常な執着であり、もう一つが徹底した女性の優位性の誇示である。


君主への執着は、日本帝国の思想の全てに見られるのであるが、本来であれば、天敵とすら言える思想であっても、日本帝国に於いては、君主権いや君主個人への忠誠と執着を持ち合わせている。日本帝国の社会主義運動は、君主制への批判は行う物の、その打倒の暁には今までの君主を「国民の共有的象徴」として残す事を明言しており、サンディカリズム的主張を行う一派に置いても打倒された君主は「全労働組合の権力への勝利の証」として管理するとされている。


次いで女性の優位性の誇示である。これは日本帝国が、人類史でも例を見ない未曾有の疫病災害により、男性人口の殆どを消失し、今も尚、その出生率の低さ苦しんでいる事を見れば、社会維持の観点から、致し方ないと言う側面は考えられるのであるが、その思想的過激さは既に狂気の段階に達していると言わざるを得ない。


その思想の代表者であるのが、日本帝国が疫病災害に襲わるまで、女性解放運動家であった平塚であり、彼女が全国紙に寄稿した宣言文に、現在、日本帝国の女性優位思想の全てが現れていると言っても過言ではないだろう。


「原始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。過去、女性は月であった。他に寄って生き、他の光によって輝く存在に堕していた。だが、再び女性は燦然と帝国の空に輝いている。これを天の采配と言わずして何というのだろうか。これは意志である。これは運命である。立場は逆転した。であるが、誤解してはならない。同じ失敗を繰り替えしてはならない。自らの立場に驕り他者を月の側に追いやってはならない。寧ろ我々は一体にならなければいけない」


一見すれば上記の言葉は納得できる様に感じられる。突然に起こった立場の逆転に色めき立つ人々を窘め、弱者に堕ちた男性を慮っている様に見える。だがそれが曲者なのだ。平塚は自分達に起こった事象を「運命」と断じており、その傲慢さは今までの自分達の立場が「失敗」により生じた物で、「一体」により望まぬ者を隷属状態に置こうとしているのだ。それは、以下に述べる彼女の発言に良く現れている。。


「前略 私のこれまでの発言に対するご質問にお答えいたしますれば、「一体」とは、保護を通しての男性の管理と運営でございます。どの様に強く申しましても、私共は男性無くして生き得ませんが、男性の皆さまは、ともすれば逃亡すると言う選択肢、海外の阿婆擦れ共と一緒になると言う、私共には断じて許せない選択を選ぶ事もできるのです。ですので、私どもは切先を制して男性を保護して差し上げる必要があり、邪な思いを抱く事なきよう適切な教育を行い、男性は、私共と日常的にパコる事が、常識だと考える社会を作って行くと言う意味でございます。狩猟・監禁・改変と言い換えても良いかとも考えるしだいです。後略」


以上を見れば、彼女の思想の異常性は明らかである。であるが、この発言が日本帝国に於ける全国紙に堂々と掲載され、何ら批判を浴びる事がなかったばかりか、熱烈な支持者がおり、この思想に感化された政治家が存在し、日本帝国議会に一定数の議席を確保している事を考えれば、平塚の思想は既に日本帝国その物を改変しているのだ。


そして、そこから彼女たちが出した結論が今次大戦に他有らない。我が国の大統領は開戦劈頭の議会演説に於いて、日本帝国を野蛮と表現された。現在も行われる、占領地への破廉恥極まりない倒錯した占領政策を見れば一見してそれは正しい様に思われる。


だがそうではない。彼女たちは確かに奪う為に来たのであるが、それは彼女達の視点から見て保護行為なのである。私たちは彼女らを野蛮と見るが、彼女たちからすれば私たちが野蛮で野卑な「原住民」に捕らわれた者なのである。


「原住民」とは何か?それは、我々が愛し守るべき存在である、妻であり、母であり、娘たちだ。日本帝国の倒錯した視線と混乱した思考に於いて、保護を必要としない男性は天皇とその一族の極少数であり、それら例外を除く男性は、適切な伴侶を持たない未熟でか弱い保護対象で狩猟対象となる。


繰り返すが、彼女らからすれば我々が「野蛮」なのである。正確を記すならば日本帝国の管理化にない女性全てが、教化を待つ「野蛮人」であり、男性はその野蛮に捕らわれた愛玩動物なのだ。


これををファシズムと形容する出来ないだろう。彼女たちは全くの善意で戦争を行っている。だからこそ彼女らは殺さず、出来うる限り傷付けず、男性を彼女たちの価値観に基づき「保護」しようとしている。


そして彼女たちは、その「保護」が我々に取って、如何に下劣で不道徳であるかは考慮に入れてはいないのだ。これを考えるに、我々が彼女たちに感じる「野蛮」の正体が分かる。彼女たちは嘗ての我々の鏡移しなのだ。我々が彼女達を作ったと言っても過言ではない。我々が、かの国の封建社会を打ち崩して70年、それは経済的、軍事的な理由が多分にあった帝国主義的な善意であった。


彼女たちは、忠実にそれを実行しようとしている。我々を善意で教化し、自分達に都合の良い社会を世界に打ち立てようとしている。我々はその現実を受け入れなければいけない。「野蛮」だと切って捨て過去の自分達から目を逸らしてはならない。


今次大戦は過去との決別なのである。我々が作り上げた怪物を打倒し「野蛮」であった自分達に別れを告げなければいけない。如何なる善意であろうと暴力を持っての現状の「改変」は許される事ではない。


そうである故に、我々は日本帝国を理解する必要がある。彼女らの思想を理解し、彼女らの間違いを正しく指摘する為には、先ず知らなければいけないのだ。


合衆国海軍語学将校 ド〇〇〇・〇ーン 



注1 氏は将校配布用に掛かれた、この冊子を執筆後、キスカ島攻略作戦に従軍し行方不明となった。


 注2 この文章は氏の著作「日本文学思想史」に含まれた物です。掲載に当たり、ご夫人である、鬼怒〇〇・幸子氏に掲載の許可を頂きました。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ