閑話 フリーダムVSふりーふぉっくす
前略) 議会に対しては、以下のとおり宣言するよう要請する。1941年12月7日の日曜日に日本の一方的かつ卑劣な攻撃が開始されたため、アメリカ合衆国と大日本帝国の間に戦争状態が開始したと
諸君らの中には、日本帝国のこの一連の攻撃が、人命を損なっていないと言う一点を持って、私の決断に異を唱えられる者も居る事は承知している。
であるが、彼女らは先にも述べた通り、マラヤからハワイまで、自己の欲望の赴くままにその侵略の矛先を向け、これまで我が国が遺憾にも座視してしまっていたチャイナに於いては、あからさまな帝国主義的侵略、否、古代のゲルマン人やフン族が如き、野蛮なる生息域の拡大を行っているのである。
野蛮。そう野蛮なのだ。言葉を憚らずに私は言いたい。彼女らは奪い、犯し、他者の土地と財産、そして営々と築いてきた文明その物を自分の物とする野蛮なのである。
我々は文明人なのだ。これまで、彼女たちも又そうであると信じ、合衆国は努力と対話を重ねてきた。それは明らかに裏切られた。
これを看過すればどの様な事になるかは明白である。
我々もまた野蛮に飲み込まれるのだ。合衆国と言う国家も其処に居住する文明人たる国民も、ただ欲望の赴くままに行動し、他者を抑圧して憚らない、蛮族の群れと化す。
それを看過してよいのかと私は言いたい。
殴り付け、組み敷いて来る隣人がいると言うのに、命を奪わないのであるから許してやろうと言うのか?
家族が兄弟が、獣性を剥き出しにした者たちに襲われている時、何もしない選択を取る臆病者が果たして、文明人と言えるのかだろうか?
それは自由と公正を愛する人々の行う行動であろうか?
銃を取ってでも、この野蛮人を家から追い出し、少なくとも官憲に付き出す事が良識と常識、神を信じる者の取るべき行動の筈だ。
だからこそ、私は私の決断と大多数の合衆国国民の意志に反する意見を持つ人々に言おう。
貴方は文明人なのだと。
文明人であるからこそ、率先して、暴れ回る野蛮人を、今一度文明の光の元に戻してやるべきなのだ。貴方が嘗ての日本帝国を友人と思っていたのであれば、それこそが慈悲と憐れみの行動であるべき筈だ。
率直に言って、行き過ぎた者に、懲罰と矯正の機会を与えない事は大人の行動とは言えない。甘やかし続け、赤子に強請る物を与えて来た事が今回の悲劇なのだ。
今次戦争は自由と民主主義を守る戦いであると同時に、悪戯をし過ぎた子供に対しての教育、我々が大人として、帝国を名乗る子供に文明とは何かを教え込む行為でもある。
それを合衆国国民には理解して頂きたい。
1941年12月8日 米国東部標準時 アメリカ合衆国議会議事堂にて行われた大統領演説の抜粋より
等と意味不明の事を合衆国大統領は語っている。私はこれに対し、断固として抗議と反対を表明する。彼らは自由を守ると言うが何の自由なのだろうか?
自由を奪ったのは彼らが先である。
先の大戦に悲劇に鑑み生まれた、人種間の男女の自由。これを踏みにじり、数多の男女の仲を引き裂いたのは誰であろうか?
合衆国である。
労働を行い、納税を行い、教育も信仰も受け入れ、模範的国民として振舞っていた者たちから、家族を取り上げたのは誰であろうか?
合衆国である。
彼らは、我々を野蛮だと言う。
男女が交際し、家で仲良しする事の何処が野蛮なのだ?
ロマンスは何処にでも生まれる物だ。愛し合う男女が交わって何が悪い?何処が犯罪であろうか?
彼らは、誰の股の間から生まれたか忘れてしまっている。
彼らも私たちも、父親の汁と母親の卵から来たのだ。
例外は無い。
少なくとも、彼らの頑なな信仰の対象は母から生まれており、彼には兄弟姉妹がいるのは事実だ。
私は臣民の皆さんに申し上げる。
我々は、止めない、中折れはさせない。
我々は最後まで絞りとり、満足するまで跨る
我々は大陸でパンパンする、海でアバンチュールし。そして日々募る性欲と力をもって、アクロバット空中仲良しもヤる。
我々はどんな犠牲を払おうとも、性行為を止めない。
我々はビーチで、物陰で、野外で、街路の真ん中であろうと、どこであろうと仲良くする。
我々は帝国の公共良俗の許す限り全力で子作りに励む。
何がフリーダムだ、ふりーふぉっくすしろ
そもそもとして、彼らが我々を迫害し、性を嫌悪し、19世紀的価値観を世界に押し付けている事が、我が国が今回の聖戦に撃って出ざるを得なかった理由その物である。
腰に貞操帯を付けて置いて自由とは何事であろうか?
その上、彼らはその鍵を持つ者に何も言えないのだ。
私は、合衆国国民の半分こそが、今次戦争の最大の被害者であると考えるざるを得ない。
そして最大の加害者は、もう半分とそれに迎合する政治家である。
ハッキリと申し上げさせて頂くが、今次戦争を引き起こしたのは合衆国の女たちである。彼女らは銃後に隠れて男子を戦場に追いやり、悪戯にその肉体と精神を引き裂く者たちだ。
そんなに自分達の股座に蜘蛛の巣が張る事が怖いのか?
掛かってこい、我々は戦場に出ているぞ。
憎いのであれば自分で来い。男を盾にして恥ずかしくないのか?
合衆国男子諸君、君達は騙されているのだ。君達は君たちと我々が交際する事、ただそれだけを憎み、自分達の商品価値が下がる事を恐れる者たちに騙されている。
だが安心して欲しい。
我が帝国は何時でもウェルカムである。
合衆国男子諸君、君たちが南洋に、海岸に、ジャングルに、我が帝国の何処かに倒れたとしても、速やかに回収され、逝き痴極を味わうだろう。
文明と理性を隠れ蓑にし、十字架を盾となし、男子をして銃弾に変え、我々を撃つ人々にも言おう。君たちのする事は全くの無駄であると。
君たちが送り込む者は悉く、御免さない、私(検閲)に負けましたと言う。情けない(検閲)を決め、アへ顔を晒し、君たちが何より嫌う日本人の赤ちゃんできちゃうのだ。
そして幸せな家庭を築き、子育てに苦労し、娘の結婚相手に反対したり、孫にデレデレになったりして、最後は一緒のお墓に入る。
ねぇどんな気持ち?送り込んだ旦那や恋人が寝取られるってどんな気持ち?
君たちの子供は野蛮人のお婿さんとして消費されるのだ。
大事にしてやる。盆暮れも里帰りさせてやらん。
米国さんって情けないですね。子供に組み敷かれて喜ぶ性癖の持ち主だったんですか?
以上が合衆国大統領の言う自由の末路だ。これの何処に自由がある?
真に自由なのは我々の方である。
我々はあらゆる人種を区別しない、彼らは政治に参画し、自らの去就を自らで決め、結婚相手は自分で見つける。そこに他人の意志は介在しないのだ()。
その我々が何故に今次戦争に踏み切ったのかは明白である。
彼ら合衆国こそが不自由の源であり、我々と大東亜に住む人々を抑圧しているからだ。
我々こそが自由の旗の元に団結し戦う者なのだ。
合衆国の文明的な人々にも分かる様に端的に言おう。
自由!友愛!ふぉっくす!
それが我々の戦う意味なのだ
てんのーへーかーばん、、、
「弁士中止だおらぁ!」
「莞爾、いま本番中」
「これ以上、内外に恥を振りまくんじゃねぇ!台本を無視しやがって!」
「それはパッション。私の中の熱い物が燃え上がってしまった。まだ続く、ここで陛下を称えてから一曲いれて、お便りコーナーに入る。連合国からの宣戦布告文を紹介しないといけない」
「黙れ二等兵!憲兵!こいつを連れてけ!」
「あ~れ~こ~れ~は~く~でた~だよ~」
「失礼いたしました。引き続き番組をお楽しみください。曲だ!なんでも良いから曲かけて!」
1941年12月8日のアメリカ大統領演説を受けての日本帝国首相ラジオ放送演説