牟田口蓮と言う(幼)女
ここで牟田口蓮と言う女の人生について語ろう。一言で言えば、彼女の人生は不幸なものであった。
その不幸は彼が彼女に変わった事に起因している。彼女が彼であった頃、つまりまだ廉也だった頃の彼の人生は全てが順風満帆とは言い難かったが、それでも陸軍幼年学校、士官学校、陸大とエリートコースに乗れるほどには恵まれており、帝国の下層で、蠢くことしか出来ない人々よりは幸運であった。
陸大在学時の1916年には結婚もした。妻は東京府立第三高等女学校出身のお嬢さまで、家柄も良く実家は太いと最高で結婚早々に長子にも恵まれていた。
そんな幸せな彼が不幸になるのはシベリア出兵の時からだ。1920年に発生した「この世界の尼港事件」略奪!拉致!fox!を「日本軍」が赤軍パルチザンより先に敢行した阿鼻叫喚の事件に彼は巻き込まれたのだ。
史実で尼港救援部隊船団に参謀として乗船した彼が見たのは、虐殺された尼港の痛ましい姿であったが、この世界で見たのは逃げ惑う男を雌型怪異が性的捕食するパニックホラーであった。
そしてその様なホラー物のお決まりとして、彼は抵抗空しく彼女へと変わってしまった。立て籠もった船内の隔壁をぶち破る怪異に男牟田口廉也は散った。最後に上げた叫びは妻への者かまだ五歳にならない息子への者か、彼の不幸はここから始まったのだ。
その不幸はTSした際、廉也三十一歳から蓮さんじゅういっさいになってしまった事に集約される。廉也は特殊性癖向けになってしまったのだ。有体に言ってロリコン向きに。
ロリだった。蓮ちゃんはロリだった。あのむさ苦しい禿頭(この時分は剃っていた)がペターンとしてストーンとした体と儚さを感じるフェイスを湛える長髪ロリになっていた。
以前にも語ったが帝国のメスブタに置いて、ロリは少数派である。帝国のトレンドは長い乳の女であり、最低でもB83が人権だった。いや乳が無くても良い尻でアピールできるならそれはそれで需要はある。だが悲しいかなロリにはそれがない。そこにあるのは寒風吹きすさぶアイガー絶壁であり、場末の街中華で出るチャーシュー並みの尻の肉であり、酷過ぎる者にはイカ腹があった。
これの何処に希少価値があろう?これがもしも飽食の時代であればロリにも一定に需要はあったであろうが、いまは世界各国にパンを求める人々がいる貧窮の時代なのだ、貧の時代に貧(乳)は同居はできない。人々は貧乳に仲良しアピールより貧しさと困窮を見てしまうのだ。
蓮はその様な存在になってしまった。
這う這うの体で帰った彼女を見た妻の顔は今までとは違っていた。その目には憐れみがあったのだ!彼女の不在の間にメスブタ変化をしていた蓮の妻(法的)はバインとしており、ショックを受けた蓮が見た息子(元)の胸は既に薄く膨らんでいた(一緒にお風呂入って確認した、妻は何故か鼻血をだしていた)
それ以来牟田口の肩身は家では狭かった。本来、ニッポニアニクショクモンキーの生態では、TSした元夫婦はその後もパートナー関係を維持し、仲良くソウショクギセイミルクウシの捕食行動に百合百合しながら励むものであるが、相方がロリでは大きくその生態を変えるからだ。
妻(法的)は蓮を弄んでいた(着せ替え人形、食事は膝の上で、自宅では毎日添い寝、風呂・便所にも付いてくる)し、日々成長する息子(元)の憐れみの(胸への)視線は痛かった(後陸軍幼年学校に進んでくれなかった)。
仕舞いには妻(一緒に買いものに出てお母さんですか?と言われた)は「貴方にはまだ早いわ!」と指一本連れ込んだ獲物に手を出させてくれないし、獲物の方も同衾しようとしたら「すいません、子供は趣味じゃないんで」といってくる屈辱の極みである(覚えてろよ藤原!)。
この様な結果、牟田口蓮は帝国陸軍のメスブタの中に珍しく軍務に励み、男を顧みる事の少ないブタであった。それゆえ支那駐屯歩兵旅団支那駐屯歩兵第1連隊の連隊長に任じられてかの仕事は大変な物で、連隊内の人員を大いにかわいがり、連隊内の人気は良好であったとされている。
事実これまで何度かあった駐屯地での日中間の揉め事’(押しかけてくるNTRされた中国人の嫁・恋人問題)は美味く対処し、出来うる限り馬鹿を出さない事に奔走していた。
その牟田口が、今回の本格的な衝突に発展し兼ねない日本側のやらかしを担当するのだ。電話報告した一木の方も「大事にはならないだろう」と考えていたのも当然であろう。
一木は知らなかったのだ。牟田口の中には欲求の炎が渦巻いて居る事を、見た目はロリでもメスブタはメスブタで、既に牟田口の性欲&生殖欲は閾値をぶっちぎっている事を、そして何より禁断の性癖を持つ者は意外と近くにいる事を。