閑話 田舎の種馬、都会の種馬
さて、マ~オ!と鳴いておいて申し訳ないがここで話を少し脱線させようと思う。
読者諸氏の中には、帝国にドナドナされていった男たち、彼に待ち受ける運命を気にしておられる方々も多くおられる事であろうと考えての処置であるので許されたい。
では始めよう。これは日本帝国に正規のルート若しくは密輸された男たちの物語である。
田舎の種馬の場合
「疲れた、、、、」
海の彼方の土地遠く、幸い住むと人の言う所に亡命した男、ロコフスキー氏は心底から湧き出て来る言葉を口にだした後、ラム酒をグイと飲み干した。見れば周りには貴重休みにグロックをやり過ぎたと見える連中が文字の通りグロッキーしていた。
あばら家と言って差しつけない風通しだけは良い酒場、(地球の自転も公転も無視して)年中暑い気候、昼間から酒に酔う男たちがゴロゴロしているこの場所は正に南国といった風情であるが、ここはユカタン半島でもカリブの島々でもない。
ここは本来であれば真反対な場所で、夏は短く冬は流氷流れ付く土地であった。場所の名は宗谷岬、遠く樺太を望む北の大地である。そう北の大地であった、ホンの20と数年前まではである。
(今はどうだろう)5杯目の、これで本日は最後になる貴重なラムをなみなみとコップに注ぎながら酔いの回った頭でロコフスキー氏は考える。酔いが回るとつい、自分が亡命したこの国を覆う事象を考えてしまう。
そうだろう。露日戦争で玉無しのツァーが負けなければ、自分達の物だったこの大地、いや勝者になった日本帝国の土地全てが訳の分からない事になっているのだ。
自分はこの北海道と呼ばれる島はウラジオストクと同程度には寒い場所だと聞いていた。それがどうだ?海岸線にはヤシの木、畑にサトウキビとリュウゼツラン、人里に現れる熊やキツネは金にならない禿ちょろけた毛皮で丸々としている。
海もそうだ。荒々しい日本海とオホーツクは日本帝国領では小舟で漕ぎ出せる程穏やかで。流氷は帝国にたどり着く前に消えてしまい、海底は恐ろしい程に青々とした昆布(新聞では昆布モドキと書いてあったが)に覆われ、そこには見た事もない程に膨れた魚やそれを食って巨大化した海獣が溢れている。
(あの時勝っていればこの島は自分達の物だったのに)
亡命した今となっては詮の無い事だが、元ロシア人としては些か悔しいことである。
(そう元だ。元でしかない)
日本帝国が作り出した傀儡の帝国である満州帝国、その国境警備に配備された自分は日本帝国にプロパガンダにホイホイと乗って亡命したのだ。
「ニホン、ニ~ホン、ニッホッン!やりまくり!勝ちまくり!此処に注目(手ブラグラビアの胸元に亡命要領)」
いくら学の無い自分でもあの様な宣伝は如何かとは思うのだが、国境線の曖昧な地域で政治将校まで抱き込んでのお楽しみが極東軍管区では密かに行われているとしってしまっては、不都合が出る前の亡命は致し方ない。
(それに、ありゃ何時か粛清される。粛清で死ぬよりは亡命した方が何ぼかましだ)
自分の様な軍歴が長いだけで下士官になった下っ端に話が漏れる様じゃ先はないだろう。自分たちを始末しようとした連中の最後を思うと、母なるロシアを捨てた事は正解だったのだろうと自分を納得させる。
そんな訳で自分は元ロシア人で現在は白系日本人で、この亡命に疲れはあっても後悔はあまりないのだが、今周りでグデングデンになっている連中はどうだろうか? 酔いの回った頭は更にツラツラと余計な事を考え出していく。確かに人様の事で関係ないのだが、一応は隣近所の間柄で肩身を寄せ合って暮らす「男同士」で「同志(被害者)」であるから気にもなる。
ハッキリと言えば自分はこの生活に満足している。辛い仕事はない、腹が減る事も無い、酒も飲める(命の危険に気を付ければ)カミさんは美人だ。
だがこいつ等はどうだろう。酔い潰れている男たちを無視してコップを磨いている元ドイツ人だという店主は例外だろうが、種々様々な人種が小樽や函館から「連行」されて来ているのだ。
仕事があると言われて流れてきたイタリア系にフランス系、カミさん腹まして責任とれと迫られたアメリカ系、寄港した海軍の船から脱走してきたチャイナ、チリ、ブラジル等の元日系南米移民の伝手できた連中。どいつも此奴も美味い話に騙されて、若しくは美味い話すら無く「連行」されて来ている。
(完全な嘘と言う訳でな無い所が悪辣な所だよなぁ)
彼らは、こんな状況で果ての果てとしか思えない土地に連れて来られたのだから、脱走を試みそうなものであるが、そうでもない。(脱走を試みてもエライ目に会う事は、目の下に深い隈の出来たチャイナをみれば明らかだが)
先ず嫁は美人で積極的だ(この地の果てに到着した者は、漏れなく妻帯者以外はその日に襲われ捕食と分からせを受けている)
次に住居や食事の心配はない(捕食された日に強制的に婚姻からの国籍と住所取得、合って一日目の嫁の扶養に入れられている)
仕事の心配もない(というか働かなくとも良い。嫁が自分たちでは到底敵わない馬力で全てやってくれる)
自分たちに課せられた役割は嫁を満足させる事だけである(それが試練だが)。自分達は奴隷と言うか人身御供として暴れる野獣の生贄のされた訳であるが、日々の労働や臣民の義務から解放されたある意味ブルジョワになっている(ある意味である、夜に(時に朝だろうと昼だろうと)搾取されているから完全ではない)。
故に、自分の様な既に人生を半ば諦めたような亡命者は、ここの生活を受け入れているのだが、まだ若い者や望郷の念が在る物は、我慢がし兼ねるのではないだろうか?とロコフスキー氏は考えるのだ。
自分達が飲んだくれている酒場も、子供時分に日本に移民したドイツ系が細々とやっていたのを暇を持て余す自分達が押しかけて集会場代わりに拡張した物で、他にも自分達の文化を忘れないよう、また、財布を嫁に握られている関係上小銭を貯めようと、同じ文化圏の者たちは固まって飯屋や雑貨を拵える涙ぐましい努力をしている。
(だが何れそれも何れは消えてしまうだろう。薄れて交じって徐々に徐々に分からなくなっていく。皆気づいていないのだろうか?自分達が何語で考え何語で会話しているのか、あそこで知らんぷりしているドイツ人はもうドイツ語なんぞ殆どしゃべれないと言うし自分も同じくだ)
そう思い、アンドレイ・ロコフスキー氏、日本名、安藤礼氏は、気づけば残り少なくなったラムを飲み干した。それは、これ以上飲めば今日の夜戦に差し支えるからという懸命な判断からであった。
都会の種馬の場合
男、王英は逃げていた。
逃げているのは全てからだ。忌々しい国からも妻を名乗る妖怪から、遂に出来てしまった、己の子供から、そして狂いそうになる現実から。そも自分が何故この様な責め苦を受けねばならないのであろうか?
自分は真面目な男で愛国者だった。上海で苦労してやっと成り上がった父とそれを支えて来た老母を目にして育った自分には、巷の同年代が鬼窟に通って身を持ち崩すのは信じられない所業であった。
なぜ侵略者を金を払ってまで抱きたいのであろうか?どうして親兄弟を見捨てて侵略者の島に渡っていくのだろうか?王にはそれが疑問だった。
その疑問は最悪の形で払拭された。先ず父が消えた、日本人に入れあげ英租界での銀行職員の地位を投げ捨てたのだ。英国への留学を目指していた自分は余りの事に寝込む母を抱え、二人いる弟たちの面倒を見る為働く事になってしまった。
幸いにして学はあったので自分の稼ぎで家族を食えて行けたが、父のいない家庭が荒れて行く事は避けられなかった。父の次に14と12になる弟たちが悪い、悪すぎる遊びを覚えたのだ。
そう鬼窟の娼婦どもだ。あいつ等は分別の付かない歳の弟まで手に掛けた、それも態々大した金もとらずにだ。父の時の様に大金を巻き上げるのであれば弟たちの乱行にも早く気づけたが、子供の小遣で自分を買わせる等予想だにしていなかったのだ。
家に依り付かなくなくなる弟たち、父ばかりか息子まで東洋鬼に奪われ狂乱する母、自分は弟たちを引き止める事も出来ず、母を慰める事も美味くいかず消沈するしかなかった。
そして最後に日本軍が全てを滅茶苦茶にした。逃げ惑う人々に容赦なく発砲する日本軍、降り注ぐ砲弾と撒き散らされる甘い香り、何で撃たれた人間が恍惚の顔をしていたかは分からないが、それは悪夢の光景であり、自分は母を背に必死に逃げた。
故郷での最後の記憶は自分達に銃口を向ける日本兵、組み敷かれ、母の目の前で酷い目に会わされた自分、引かれる引き金、そして猛烈な快感と共に意識は闇に落ちた。
そして気付いたのは船の上で母とは離れ離れになっていた。そして知った自分は戦利品として持ち帰られたのだと。
そんな馬鹿な事があってたまるか!殺すなら分かるあいつ等は市内で交戦する野蛮人だからだ、だが日本人は自分を同じ船に積まれていた同胞を戦利品にすると言うのだ。
あいつ等は国際法をしらないのか?この時代に堂々を奴隷を、それも他国から略取した市民を所有しようと言うのだ。狂気の沙汰としか言い様がない。
だがそれも横浜に着いて分かった。この国では奴隷が受け入れられその奴隷を平然と「自分の夫です」と言う事がまかり通っているのだ。
おかしいのは私なのか?戦利品として上海に攻めてきた海軍軍人の物とされた自分、おめでとうなどと言い交わす近所住人、毎夜の交わり、グズグズと崩れていく私の精神。
父もこうだったのか?弟たちも?母は?そう恐らくは一緒に連れて行かれた母の安否は?
私は狂いそうになる事を母の事を考えて耐えた。耐えて耐えて、日本語を覚え、毎夜頑張り、いくばくかの金銭を預けられる様になるとその金で逃げたのだ。
もう耐え難かった。私の妻を名乗る者から子供が出来たと言われた時、一瞬嬉しくなった自分が恐ろしかった。幸いにして母の居場所は直ぐに分かった、妙な所で律儀な蛮夷は捉えた奴隷を完全に管理して戸籍まで与えていたのだ。
そして再開した母、その母が自分を狂気に追いやる最後の欠片だった。母は中華街としられる土地の一軒の店で働いていた。あの寝たきりだった母が嘘の様に、、、看板男(の娘)として!男(の娘)として!
嗚呼嘘だ!嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ!あの少年は確かに母だった!あの母が父の裏切りに怒りよりも悲しみを見せた貞淑な母が!一緒に逃げようと言った自分にあんな事を!
「御免んなさいね英、、、お母さん、、もうダメなの、、もう戻れないの、、」
そう言って母は旗袍をまくり上げた!そこにあったのは、、、、私よりデッカいのとエッグいレベルの男の宝!鼠なの妈妈!鼠なの大きさ!
私の正気はそこで消し飛んだ。
だからこそ王は逃げていた。僅かに残された正気の部分が、この呪われた島から逃げ出す為に只管に港を目指していた。密航しても良い、恥などもう知らぬ体を売ってでもこの島から逃げ出したい。
この話の結末を語ろう。
王は横浜港に辿り付いた。
身一つで。
それがどんなに危険か彼は理解できていなかった。
「離せ!離してくれ!出せ!出して!いやだ!もうここはいやだ!」
ずた袋から声がする。その声に答えて水兵たちは舌なめずりをした。
「へへへへっ、中国語か?なにいってっかわかんねぇよ、どうせ逃げてきた口だろぉ!鑑札も付けずにうろついてんのが悪いんだぜお兄ちゃんよぉ」
「そうですわよぉ、ここはわねぇ!私様たち海兵団の縄張り!奥様から逃げる様な子わぁ!お家に帰る前にぃ、た~ぷりかわいがってあげますわ!」
ここは日本帝国。この島にか弱き男子の逃げる場所は存在しない。