前〇倭寇の来襲〜帝国海軍先祖返りの巻〜
海軍の夢想した未来は直ぐに訪れた。例によって時系列は前後する事をお許し願いたい。
第一次上海事変、1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて、中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突の発生である。この裏で満州で好き放題にやっていたのだから狙われるのは仕方がないとしか言いようがない。
中華デスマッチはルール無用なのだ。隙を見せた(現場の暴走だとしても)方が悪い。
史実に置いては先の大戦に於ける青島攻撃異常の死傷者を出した大事件であるが、この原因は言わずもがな列強の中で一番に切り崩し安く、一番に恨まれている日本を狙った抗日運動の結果である。
ではこの世界での原因とはなにか?それはメスブタのヤりすぎだったと後世では考えられている。1930年代、中国各地の租界や都市部にはメスブタ仲良し施設(東洋鬼からとって単純に鬼窟、鬼楼と呼称された)が阿片窟に並ぶ社会問題とされブタ娼婦(倭姫、鬼奴、等と呼称される)もまた問題となっていた。
妻子がありながらのめり込み逐電する馬鹿、結婚式の前夜に高跳びした親不孝者、父子揃ってドはまりアへ顔家財散逸日本へ出荷、数えればきりがない悲劇が中華の地に出現していた。
それを非難しようにも女衒の親玉が日本政府であり、下手に手を出せば猛烈な報復(関東軍は阿片に代わる新たな財源として本国からの遠征を支援していた)が待っているのでおいそれと手を突っ込めなかった。この時期日本政府は満州に掛かりっきりで明らかに上海に目を向けていなかった。
この世界の第一次上海事変は、その日本政府が満州でのゴタゴタに振り回されている隙を狙った、押し込み強盗的な側面があった事は確かである。上海に迫った十九路軍の一部(第78師)を率いる蔡廷鍇の誤算は、乗り込んだ先が淫乱仲良鬼の屋敷だったと言う事だ。
1月18日午後4時頃、托鉢寒行(に名を借りた邪教のサバト)中で楊樹浦を回っていた真言宗系(淫獄カルト)の僧侶1名と信徒50名(を含むそこで乱仲良ししていた地元の名士たち)を切れた名士の奥方連が地元の荒いのを引き連れて襲撃した日本人尼さん襲撃事件が発生。
結果的に都合300人に及ぶ地元参加者を息も絶え絶えもう出ません許して状態にし、「やりすぎました、私も修行が足りませんね」と述べた首謀者の尼さんの好意により、租界内の外国人経営病院に収容された。
19日、この襲撃に関与した暴徒の一部が所属している会社であり、抗日運動の拠点として知られていた三友實業社を日本青年同志会の32人と日本人暴徒多数が報復の名目で襲撃、社員を公開逆仲良し止めようとした中国人警察をも交番まで追跡しカラカラになるまで絞る事件が発生。
この事件に際し、上海に展開する日本海軍陸戦隊の人員が多数参加していたという報道がなされ、現地では遂に日本が見境の無い仲良し行為に走り始めたと緊張、男児を持つ家庭が多数上海市外に非難し始めるなどパニックが発生する。
この事態を受け日本総領事は軍の関与は事実無根として鎮静化を図り、中国側に対し謝罪と賠償を申しでるが、「軍は関係しなくてもやる事はやってんじゃん」と上海世論は興奮(期待3不安7)、一部の市民(恋人、夫、子息を持つ女性の皆さん)が上海市外で活動する第78師に保護を求めた事で軍事衝突が発生する。
この衝突は夜間に発生した為、詳細を不明だが、市内警備の為増強された日本帝国陸戦隊が朝方になって多数の藻掻く麻袋を艦内に運び込んでいた事から、後年では明らかに日本による先制攻撃(我慢しきれなくなった水兵の暴走)と考えられている。
この事態に日本帝国海軍省は、「我が方からの先制攻撃の事実なし、そも支那十九路軍は南京政府の統制を受けない、言わば賊徒であるから、国際都市たる上海に於て挑戦し租界の安寧を脅かして居ることは、実に世界の公敵と云うべきであって、第十九路軍の様な公敵に対して自衛手段を採って居るに過ぎない、それと賊徒だから国際法上の保護の対象では無い!無いったら無い!無いからその俘虜は日本帝国が責任を持って取り扱う!、、、じゅるり」と自身の正当性と欲望を駄々洩れにしている。
このれに際し、海軍は直ちに艦隊を派遣。これが悪名高き「日式強制徴募」の初の適用辞令となる。この時派遣された帝国海軍第3艦隊は「火急だから!緊急だから!」とまず日本の寄港地で徴募(海賊行為)を敢行し、警察、陸軍、民衆の合同部隊にタコ殴りに合い追い出される形で上海に到着、その勢いのまま全力出撃した陸戦隊を上陸させ戦闘を開始したのだ。この狼藉に対して中国国民党も本気で反応している。
何故に此処まで海軍は焦っていたのであろうか?理由は早くしないと陸軍に取られるからである。海軍は中華男子を一人たりと陸軍に渡したくはなかった。それ程までに彼女らはカピカピな干アワビであったのだ。
そんな男日照りの乾き物であるから狼藉の度合いも酷かった。一連の戦闘で国民党側は戦傷約2千、行方不明約1万5千を出しているのに対し、上海中国側住民の死者は上海市社会局が3月6日に負傷2,000人、行方不明1万8千人と発表している。この半数は陸軍到着前の数字なのだ。
因みに日本側の死者はもゼロで行方不明は788名である。注目すべきは民間人の行方不明者の方が多い事だろう。海賊豚は目につく男全てをムシャムシャした事は疑いようもない。
さて、当然の疑問が湧いている事であろう事は良く分かる。ツッコミを入れたいのも良く分かる。読者諸氏はこうおっしゃりたいのであろう?
「なんで死人が出てないんだよ!それに幾ら攫って行ったとしても一人残らず行方不明はおかしいだろ!3万を超える人間をどうやって誰にも見つからず全部運んだんだよ!」
いや分かる。ご懸念は当方も重々承知している。だが手品と言う物は種が分かると如何にも面白味がなくなる物なので、まだ開示は待って貰いたい。小出しにはしよう。
今回の大戦果、一方的勝利と言っても過言ではない勝利の裏には新兵器の存在がある。
それは1930年に発生した霧社事件(現地総督府による台湾現地部族への男子強制分から仲良しへの暴動)で大々的に投入され、緑深い山岳を縦横に動き回る現地民を一方的に蹂躙して一名の死者も出さず、男も女も老いも若きも仲良し中毒へと変えた悪魔の武器であり、5・15事件では無断持ち出しした海軍将校により犬養首相に仕様され、襲撃側が全員妊娠させられると言う悲劇が起こっている(責任を取って首相は退陣した)悪魔の発明である。勿論それだけではこの異常事態は説明できない。だが信じて欲しい説明は絶対に付けよう。
だが今はその時ではない。今は覚えて欲しい事は帝国海軍の事である。帝国海軍はこの度の事件で大変に良い思いをしたと言う事だ。これはこの世界の日本帝国全般に言える事なのだが、基本的にこの世界の帝国の問題児たちは英米と事を構える必要は無い。陸・海・官・民全ての既得権益を持つ団体が欲するのは男である!肉体的、精神的に番となる愛しい存在が狂おしい程に欲しいだけだ。
その男が手に入るならば英米と事を構える必要は無い。まして現在、資源は如何にかなるのである。だがその邪魔をすると言うならば?この度海軍は戦争に戦争によって滅多に手に張らない大量の資源を獲得しその美味さをしってしまった。適度な紛争状態は海軍に取ってプラスなのだと学習した。珍しく陸軍と意見が合ったのだ。
中華の支配、メイドインチャイナの大量確保、陸海の意見は一致できる。それは官にしても民にしても同じである。史実の様な、なし崩しのズルズルとした戦争ではなく、明確に支配いや収穫を目的とした侵略戦争、その甘美な味わいを海軍はそして帝国は知ったのである。
だがそれを許す英米であろうか?そんな訳はない。史実と同じく彼らは帝国に立ち塞がり痴女を刑務所にぶち込もうとしてくるだろう。であるならば帝国海軍は彼らと戦う必要が出てくる。我、欲する故に戦争に備えん!徐々にきな臭くなる世界の中、帝国海軍もまた狂乱に身を投じようとしていた。
おまけ 515事件首相襲撃顛末
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