押しの(皇太)子
続きの時間である。
花の都で吸った揉んだ(誤字ではない)が行われている最中、大戦主要参加国で最初に(内部から)崩れた国は地獄に陥っていた。
親熊の死体の上で争う二匹の子熊、白熊と赤熊(蛇かもしれないが)の争いはソヴィエト有利に傾いたており、自国政治経済に赤い思想がスッ~と効く事を危惧した各国が取り残されたチェコ軍団の救援を理由に干渉戦争に打って出ているのだ。
1922迄続くシベリア出兵である。
史実に置いてのこの行動。1920年には撤兵した参加各国は兎も角、日帝君は「熊が弱ったから叩けばいいねん」な場当たり的行動に始終し、貴重な国費と人命を無駄に乱費、奮って参加した筈の陸軍からも大不評にして士気低調、挙句「シベリアは無理!」と言うトラウマを残し惨憺たる結果になってしまう。
だが世界ではやる気が違う!
第一目標男!第二目標男!第三第四も男で第五も男だ!おまけで女も攫う(NTR大好き!間に挟まるのもっと好き!)
これである。
史実では領土的野心を剥き出しにした為、参加各国は元より国内国外から批判を受け、後々にボディーブローが利いてくる訳であるが、ここでは明らかに人道的に不味いあからさまな人攫いで日本帝国は国外に批判されている。
国内は喝采を上げた。その姿、正に蛮族。
その証左と言えるのが1920年に発生した尼港事件である。
これは同年、黒竜江の河口にあるニコライエフスク港を共産パルチザン約四千名が、日本守備隊他、現地邦人、現地居留民七千余名を虐殺した痛ましい事件であり、これにより、日本世論は陸軍批判と撤兵論に傾く要因となった事件である。
と一般的には理解されているし、日本側も発表している。
だが日本軍撤兵後、ソヴィエト側の調査ににより真実は明るみにでる。ニコライエフスク港は共産パルチザン到着前に焼かれていたのだ。
真実はこう。
彼我の戦力差を理由に日本軍は尼港放棄を早期に決定、行きがけの駄賃にと現地邦人&守備隊は放火!暴力!フォックス!を行った上、現地居留民を拉致したのだ。
更にである。報道では全滅した事になっている守備隊は、員数外の愚連隊と化し白軍の旗を掲げた上で居留地を襲撃している。
これによりどれ程の村落が日本帝国により消滅したかは、ソヴィエト側の調査でも不明瞭であったが、少なくとも五千は超える住民が日本本土に拉致されたと考えられている。
戦後、この事件の調査を終えたソヴィエトは、日本帝国に猛烈に抗議し住民の解放を要求したが、日本側はこれを無視した。
これでは史実を超える早期での国際孤立をしそうな物であるがそうはならなかった。意味が不明な行為なのだ。態々奴隷狩り染みた、と言うより奴隷狩りその物をしなくとも良いではないのか?
女ばかりで危ない事は理解しているが、だとしても拉致監禁され敵意剥き出し、言語も習慣も違う多数の人間を国内に抱えるメリットなど無い筈なのだ。
世界の人々はこの時点では気づいてはいなかった。
否気づけなかった。
そうだろう。
日本帝国の目的は唯一つ!男なのだ!日本国臣民は第六天魔王に帰依している!
自分たちにハメる物が欲しいから国費と人命を使う!これがそう簡単に理解できる筈もない。
正し、やられた方は別ではある。
散々に暴れ回られ奪われた熊は激怒していた。赤き国家は奪う側で奪われる側ではない。
熊は大食らいなのだ。
貴族から奪い、坊主から奪い、富農から奪う。
それでも足りないから他国からも同胞からも奪う。奪って奪って皆が疲弊の極みになった時、初めて党の理想を理解でき、平になった大地に平等に降り注ぐ党の慈愛の有難みが分かるのだ。少なくとも奪うだけの皇帝と違うのだと。
それを理解できないばかりか、目の前で堂々と皇帝を頂き自分の巣穴から餌、、、、同志たちを奪っていくとは許してはおけない。
ソヴィエト連邦が史実以上に日本帝国を目の敵にする事はこの時決定したのだ。
所で目の敵にすると言う事は、我は彼の一挙手一投足に注目すると言う事である。
熊はまだ誤解している様だが、目の前にいるのは「アタシは熊だろうと食っちまう女だぜ!女は愛嬌!ダワイ!ダワイ!Меня зовут блять!来いって言ってんだろ!出せ骨が入ってるそれだよ!出せよー!!」と公衆の面前で言える筋金いりの雌犬なのだ。
それに視線を注ぐと言う事がどう言う事なのか、ソヴィエト連邦はこの先嫌と言う程思い知る事になる。
さて、この様な犯る気に満ちたシベリア出兵であるが、流石に1922年迄粘るのが限界であった。高まり続ける国際圧力と国内世論に耐えきれなかったからだ。
特に国内の陸軍に対する風当たりは酷かった。
曰く「「あいつ等は国外で好き放題に男を漁っている。大した収穫も上げないで自分達だけ楽しむとは何たる輩だ!」」
悲しいかな一面の真実であった。一部将校が現地民とサウナ耐久プレイに興じているとの報道、日本軍、パルチザン討伐部隊が討伐すべきパルチザン部隊と、裏取引の上、集団仲良した現場を上級部隊に纏めて捕らえられた「ユフタ大仲良し」(歩兵第72連隊第三大隊構成員全員が処分を受けた)は国内を動揺させている(報告を受けた今上帝は自室の床に転げる程爆笑したと言われている)
この様に士気低調で羨ま怪しからん状態を臣民は許さなかった。大正と言う時代を通して特に陸軍が冷遇されたのには訳があったのだ。これでは軍縮も仕方がない。
時は戻るがシベリアで臣民を置いてけぼりに陸軍が楽しんでいる中、1921年、二隻の艦が欧州を目指し旅立っている。
その内の一隻、戦艦香取に座上される方こそ、後に帝国の運命を背負い、内心ものすっごく背負いたくないないけど「俺が背負わなきゃ誰が背負うんだ、、、」と煤けながらメスブタの群れを背負う事になるお方である。
何故にそこまで煤けておられるのであろうか?
不敬である!かの方の誠心と決意を疑うのか国賊!と包丁を研ぎながら筆者を襲う算段を図っている方は考えて欲しい。
だってメスブタじゃん。
発情しきってますよこいつ等。
聞いて御覧なさいよ見送りに殺到した大群衆の声。
「抱いてぇ~!!!!!!」
「かま~ん!!!!」
「らぶ!殿下らぶ!あああああ殿下ぁ!」
「ウォー!!!殿下が私をご覧になったわ~」
「私をみたのよ!」「あんだって!」「やんのかこら!」
「私を眼鏡にして!殿下の眼鏡になりた~いいい」
「す~は~させて嗅がせて!踏んで!おみ足で踏んで!ぺろぺろしたいの~」
なんか凄いきびきびした動きで踊り狂っているし正直怖い。
読者諸氏に聴きたいのだがコレを背負えます?背負ったら背中べしょべしょにされるよ?間違いなく涎で。
それをかの方はお背負いあそばされると言うのだ。筆者はその献身と無私の心に強く打たれている。史実も無責任軍団を背負われていたが、ここではそれにプラスして見目だけは麗しい淫魔の群れよ?ただ伏し拝む事しかできないのではないだろうか?
此度の外遊はその様な試練に立ち向かう、かの方の束の間の、そして最後の自由な時間なのだ。欧州で皇太子殿下は初めて発情した雌犬から遠く離れ、ご自分とご家族が真面な感性をお持ちになられて居られ事に安堵される筈である。
道中も心安らかに過ごされるだろう。珍田捨巳供奉長始め、御付きは日本国内では数少ない男ばかり、五月蠅いのと殿下の醸し出すモノにやられたのは艦内に幽閉し、殿下居住区画に繋がる扉は溶接してある。
夜中にカリカリ引っ掻く音やメキメキミシィと言う音、生贄に放り込まれた勇士の嬌声は遺憾ながら耳栓をして頂く、護衛も致し方がないので女子であるが、牛もひっくり返る量の鎮静剤を毎時間投与している。
ああ艦は行く遥か遠くを目指して、その先に待つのはなんであるか、皇太子殿下はまだ知らない。