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『エッセイ』「カレーの藤の思い出」

作者: 一乗寺 遥

食や味覚の記憶はいつまでも消えずに残るのだろうか。

味覚は変わっていくのに。


まだ子供のころ、小学生から中学生くらいまで私は食べ物の好き嫌いがひどかった。玉ねぎ、トマトを全く受け付けず母親が作ってくれた食事に出された時は必ず除けていた。それとキュウリもまったくダメだった。生で出されたとき、例えばサラダやみそ汁の具(これは玉ねぎのみ)は味が他の食材やスープに移るともうだめだ食べれないという塩梅だ。そのため、いつしか自分の分だけ玉ねぎやトマト、キュウリは食事を入れないようにしてもらうようになった。学校の給食に出たポテトサラダを食べることが出来なかった。生の玉ねぎやキュウリが喉を通らない。牛乳やパンと一緒に飲み込もうとしても無理だった。給食後の休憩時間は貴重な外遊び時間だったけど当時は食べ切るまでは席を立てないので結局そのまま時間切れで午後の授業に入ったこともある。こっそりとハンカチに包んで持って帰ったこともあった。


大学生になっても偏食は続いていたが少しづつ解消されていった。

居酒屋で食べる焼き鳥のくしに刺してある玉ねぎはまだ半分生なのに塩が効いた焼き鳥と一緒に食べると甘くてとても美味かったし、カレーに入れる玉ねぎはしっかりとキツネ色になるまで炒めずともシャッキリしたままでも美味かった。なんだか玉ねぎばかりだけどみそ汁を作ったり、ご飯を炊いたり自炊が多かったので仮に失敗してもそれはそれで食べざるを得なかったということもあって口にする機会が増えていった。


今でもそうだが自分はカレーが好きである。子供のころ母親が作ってくれたリンゴとはちみつが入ったカレーや割烹着を着たおねえさんがパッケージになったレトルトカレー、予備校生のころ福岡の町で食べたイギリス風カレー(多分サムソンという店)学食のカレー(肉など入っていない、プルンプルンの鳥皮が肉代わりに入っていた。安いなり)徹マン中に食べる出前のカツカレー(カレーと一緒にキャベツの千切りを敷きその上にカツを乗っけていた。先割れスプーンでかきこむ)


ほかにも色々カレーを食べてきたが、もう一度どうしても食べてみたいカレーがある。学校の校門近くにあった「藤」という名前のカレー屋さんのカレーの並を出来る事ならもう一度食べたい。もう店はだいぶん前に閉店しているが、もし食べることが出来るのであればそのために飛行機や新幹線に乗ることも全く厭わない。それほど食べたいと思っている。


当時、店はお母さんと娘さんと思しき二人の女性が切り盛りしていた。娘さんは絶えず忙しく動き回るのであるが、動きそのものに無駄がなく合理的で、まるでロボットのように見えた。誰かが「サイボーグねえさん」と言っていたが言い得て妙である。余計なことは一切しゃべらず黙々と作業を行う姿は洗練され芸術の域でさえあった(冗談ではなく本当にそう思っている)


ほとんどの学生がカレーの並を注文する。ちょっと長めの楕円のカレー皿には大体6割~7割の部分にご飯が山盛りによそわれる。普通のカレー店ならば大盛りである。結構緊張する場面がある。まず最初はついてくる卵の種類を選ぶとき。ゆで卵か生卵のどちらかである。皆このように注文する。「並のゆで」か「並の生」これで通じる。

まるで大盛の、カレーの並を食べ進めるとどうしてもルーが先になくなることが多い。そのため必ずルーの追加が行われる。ルーの追加はねえさんから声かけによる場合が多かった。いや暗黙のルールだったのだろう。なぜならばねえさんはとても忙しく、最大限効率の上がる動きでいつも満員の店を回していたので、どうしてもねえさんのペースに合わせた方がよいのである。もし自分からねえさんにルーのお替りを頼むのであれば、それ相応に緊張感を持って臨まなければならなかった。決してねえさんは前を見ようとはせず手元のカレーを次々と配膳している。集中しているねえさんにルーのおかわりをお願いしますと言っても聞こえてないときもある。それも気まずい。なのでねえさんから声がかかるのを待つ。こんな感じだ「カレーかけましょか」かけましょうかではなく、かけましょか。声かけも間延びせず効率的である。声がかかればこれも暗黙のルールだと思うが決してあとでなどと言ってはいけない。ねえさんの手が止まり注ごうとしていたルーを鍋に戻さなければならないからだ。ねえさんに迷惑をかけてはいけない。そういう思いも重なりまだあとでいいなと思っていても、お願いしますと言っていた。そんな人は多かっただろうと思う。


不思議なことに味をよく覚えていないのだがなんというかインドカレーなどのスパイスの効いた味ではなく、肉や野菜はしっかりと煮込まれてほとんど形はなくどちらかというと甘い、甘いがどこの店のカレーとも違う旨味があったと思う。並でほぼ普通であれば大盛の質量に加えて、ルーも追加でいただくものだから当時でも腹がいっぱいになり晩飯はいらなかった。


昨年東京にいく機会があり、久しぶりに学校のほうに行ってみた。当時は道沿いに食堂が並んでいたが今はほとんどなくなっていた。「藤」もなくなっていて知ってはいたがなんだか寂しいものだなと思った。


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