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真夏の少女

作者: 白川雪道

 人の気配など全くない青い校舎。


 その少女は階段の上の踊り場で、軽くスキップをしながらくるくると回り始める。スカートはふわりと舞って、靡く髪は窓からの光を帯びて黄金色に見えた。

 表情は分からない。

 楽しいのか、疲れたのか、あるいは悲しいのか。それとも怒っているのか。


 段々とスピードが速くなる。


 暫くすると、少女は爪先で床を叩いた。

 回るのをやめて、今度は階段を降りて行く。

 どの教室に行くのかと思えば、少女は茶色い玄関を通り越して外に出た。

 肌が感じるじんわりとした暑さ。

 前を向くと、日のお陰で今度こそはっきりと見える。

 少女は、笑っていた。

 全く焼けていない真っ白な雪の肌。黄金色に見える黒髪。

 そして、絶やさぬ笑顔。

「何処行くんだ」

 無視をしたのか、それとも聞こえていなかったのか。

 少女は、ただ何処かへ歩き出した。


 少女はそのまま町へ向かう。

 白いブラウスの上に赤の吊りスカートという組み合わせは昔ながらに幼く、都会の町には似合わない。が、都会に染まらない彼女らしさは、確かに美しかった。


 ふと、今まで無言でスキップをしていた少女が、交差点で立ち止まる。

「つまらない」

 そう言って、此方に真っ黒な瞳を向けた。

「当たり前、誰も居ないんだから」

 そう。此処には誰も居ない。

 今、少女と自分の二人きりで、この大きな交差点の上を歩いている。その他には、何の音もしない。人の気配など全く無いのだ。

 ふと、少女と目が合う。

「っ……」

 一瞬、少女との間に静電気のような、それくらいに小さな力が働いた──ような気がした。

「つまらないなら、ほら、行こう」

 近づいて腕を取る。汗一つ浮かばない真っ白な肌。

「嫌」

 少女はそれを振り払った。

「……なんだよ」

 少女はそのまま右手を挙げ、近くの建物を指差す。

 ──美容院、か。

「髪、切ってくれない?」

 突然の提案。

 確かに、出会った頃より大分伸びている。

 そう思いはしたが、首を横に振った。

「出来ない。何言ってるんだよ」

 直接美容師に言うならともかく、今まで髪を切ったことなどない一般人にそんなことを言われても困るだけである。

「いや。短くないと私じゃない」


 少女は此方を睨み付ける。

 まあ、確かにそうだ。

 長髪も悪くはないが、少女にとっては短い方が良いのだろう。

 幼い顔立ちの彼女に見つめられ、仕方なく首を縦に振った。

「確かに。勝手に“変えられても”困るしな……変になっても知らないからな」

 少女は笑顔で頷いたのだった。




 店内はクーラーが効いていて、熱くなった頭を冷やしてくれた。

 幼い頃に見た美容師の真似をして、椅子に座らせた少女の伸びきった黒髪に手を掛ける。

 台の上に並べられた道具の中から唯一使えそうな鋏を手に取る。

 鋏のひんやりとした冷たさが心地良い。

 そうして、生気のない真っ白な肌によく映える黒髪に向けて鋏を握る。

「いつも通りにして」

 そういえば、出会った頃の彼女は、丁寧に切り揃えられた髪を艶やかに靡かせていた。今ではそれも懐かしい。

「……肩ら辺だっけ」

 そうやって、少女の肩より少し上の方に鋏を入れる。

 本来ならもっと下の方から丁寧にすべきなのだろうが、そんなスキルは持ち合わせていない。


 なので、ばっさりと切り落とした。




「文句言うなよ……本当は、綺麗なボブにしようと思ったんだけど」


 少女は──はっきり言えば、毛先がバラバラのおかっぱ頭になってしまっていた。

 自分が挑戦しようとしていたボブとおかっぱでは、仕上がりが全然違う。更にばっさりと切ったせいで、更に幼く見えた。

「いいよ。別に」

 気にしていないとでも言うように、椅子からトンと立ち上がる。

 短くなった黒髪が靡く。

 ──確かに、短い方がよく似合っていた。

 これで綺麗に切れていたら、もっと可愛らしい仕上がりにできたのだが……


「何処行くんだ」

 最初と同じ質問。

 今度は、返事が返ってきた。

「もう、帰るよ。つまらないから」

 出会った頃から、この自由気ままな性格は変わらない。


 熱さを放つコンクリートの上を歩く少女は、スキップをしながら満足げにニヤッと笑みを浮かべた。

「やっぱり、短い方が似合ってるでしょ?……夏休みが終わるまでに伸びないかな」

 切ったばかりの黒髪を弄びながら、此方の表情を伺う。

「結構短くしたから、半年は、切らなくても良いんじゃないか」

 妹を見ているような気分だが、本当なら彼女の方が年上だ。

 少女の背は低く、声も幼く、顔立ちは整っているものの、とても年上とは思えないし、思いたくない。

「てか、髪、伸びるんだな」

 そういえば、と言葉を付け足す。

 少女は答えなかった。

 その代わりに、

「着いたよ」

 誤魔化すように言ったその言葉。

 いつの間にか、いつもの校舎が目の前にあった。

 少女は躊躇う事無く進んでいく。

 靴を履き替えることもせず、その青い校舎に足を踏み入れるのだ。


 オレンジ色の夕焼けが差し込む長い廊下には、ジーン、ジーン、と蝉の鳴き声が轟くことさえ無い。代わりに夏の暑さが全身からから汗となって出ていく。

 倒れてしまいそうな程に、とても、暑い。

 そのせいか、やけに長く感じた。


 気付けば、正面に階段。


 そう言えば、こんな話があった。

 階段の段数が何段か増える──でもそれは、階段の前、踊り場の床を一段として数えるかによって数え方が変わるせいだろう。

 誰かがそう言った。


 学校の怪談。他にも色々とある。

その中で代表的なのが七不思議。

 例えば、人体模型が動き出す、絵画の目が動いて此方を見つめる──こういうのは有名だろうか。


 怪談、と言えば夏を思い浮かべるし、夏と言えば怪談を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、辺りの静けさに息を飲んだ。

 真夏の暑さ。

 それのせいで余計に人気のなさを実感する。

 それはそうか。夏休み中の子供達は学校には来ない。当たり前だ。


 そんなことを考えていると、少女は階段の踊り場から此方を見下ろした。

「何してるの。帰るよ」

 そうやって手を差し伸べる。

 その手は、この暑さとは比べ物にならないほどにとても冷たかった。

 その手を取り、残りの三段を一気に登る。

「いやぁ。階段の怪談話を思い出して……あ、ダジャレじゃないから」

 そんなことを言って笑ってみるが、それは逆効果だった。

 真夏の空気が凍るように重い。


「それよりも、今日はちゃんとやってよね。肝試しだから」

 そういえば。

 夏休みの丁度真ん中。

 そうだ。今日は肝試し。


 真夜中の学校に忍び込んで、ありもしない怪談話を元に学校を歩き回るあれ。

 考えただけで背筋が凍る。

 肝試し。

 あれは嫌いだ。

 なのに目の前の少女はそれを喜んでいる。

「はぁ……程々にな」

「貴方もね」

 それを知ってか、少女は皮肉を込めて笑う。


 今、少女は二階の踊り場にある大きな鏡の前に立っていた。

 何とも不気味な鏡だろう。


「ほら、早く」

 急かすように手招きして此方を見つめる。

 そんなことを言われなくても、急いでいるというのに。


 立ち竦む少女の髪は黄金色に揺れていた。

 吊りスカートは元々赤いのだが、夕焼けのせいで更に真っ赤に、まるで血で染めたようになっている。

 ようやく踊り場に足が付くと、少女は待つ様子もなく手を掴んで引っ張る。

「おいっ」

「早く」

 そのせいで、二人ともそのまま踊り場の鏡に向かって倒れ込んだ。

 勢いよく体が傾き、下敷きになった鏡は割れた──訳ではない。

 体は鏡に吸い込まれるようにして消える。

 いや、文字通り吸い込まれたのだ。


 


 そして、気付けば踊り場に倒れていた。

 下敷きになったのは少女の方で、散らばった髪は一本一本が煌めき、赤い光に溶けた。

 手を付いたので体重は掛かっていない様だったが、すぐに立ち上がる。


「やめろよ。鏡が割れたらどうする」

「割れるわけないじゃない」

 そう、澄ました顔でスカートの埃を払う。

「『踊り場の鏡』──七不思議の一つ」


「異空間に繋がる不思議な鏡なんだから」

 少女はぼさぼさになった髪を耳に掛け、此方に真っ直ぐ指を立てる。


「ほら、早く音楽室に行かないと」


 学校の怪談の代表的なのものが七不思議。

 ──それは、実際に存在する。

 今のは、『踊り場の鏡』


 夕方になると、異空間へと繋がる扉になる不思議な鏡。

 今帰ってきた方が──元の次元、人の生きる世界。

 夏休みだから、と少女に誘われて鏡から異空間に行ったは良いが、あまり面白くはなかった。

「何で音楽室なんだよ。お前は違うだろ」

「心配だから。送ってあげるの」

 少女は音楽室までの長い廊下を歩く。


 ジーン、ジーン──


 蝉の声が耳に付く。

 耳を塞ぎたくなる程には五月蠅く、それは頭の中で雑音となって消えていく。

 鏡の世界とは、全く違う。




「なあ、花子」

 本名ではない。

 ただ、彼女は、『花子さん』と呼ばれている。

 そして、少女は細い腕を後ろに回してくるりと此方を向いた。

「今日は、沢山人が来るんだから。貴方は思い切りピアノを弾いて!」


 これもまた、七不思議の一つ。

 彼女が言っているのは、『音楽室のピアノ』の事。

 その担当が──



「さ、子供たちが来るよ」


 黒い瞳が、そうやって無邪気に揺れた。



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