9、ひねくれた炎
ランカが正アルマゴートアカデミーに留学して3週間が経過した。
アルマゴートやアカデミーの生活にはすぐに馴染むことができた。
ランカは友好的な性格だったので、外国人に対する差別意識のある人物にも極端に疎まれることがなかった。
実際、真火王国に対して非友好的なクラスメートとも交流を深めることができた。
ホームステイ先にもすぐ馴染むことができた。
ランカは働き者だったので、アカデミーが休みの日は牧場の手伝いをした。
ランカは真火王国にいるころから、羊飼いのアルバイトの経験が長かった。
ランカは100頭の羊を先導して、羊毛の手入れにも余念がなかった。
このところ体調の良かったメーメルも牧場に出てくることが多かった。
メーメルは重たい桶にたっぷり水を入れ、それを両手にぶら下げてやってきた。
「あんまり無理しちゃダメよ。あなた、一応病人なのよ」
「全然平気です。この後屋根の修理もしようと思っているんです」
メーメルはニコニコとほほ笑んで余裕の表情を浮かべた。
メーメルの働きぶりを見ていると、とても病人とは思えなかった。
メーメルは難病と診断され、医師から回復の見込みもなく余命も残り少ないと言われていた。
しかし、先月あたりから体調が急激に回復し、医者も「信じられない」と驚くほかなかった。
「こんなことは私も経験がありません。生命の神秘と言うほかないでしょう」
先日、往診にやってきた医師はそう言って驚いていた。
「先生、娘の病気は完治したと見ていいんでしょうかね?」
主が尋ねると、医師は首を傾げた。
「いやそれが……多臓器不全の状態は今でも続いているんです。心拍も弱いです」
「しかし、娘は昨日も長い距離を歩いてるんですよ。おれはいつも心配してるが、帰ってきても疲労なんてまったく感じさせないんですよ」
「うーん、不思議だ。何が彼女のパワーの源になっているのでしょうか。彼女の状態を見れば、立ち上がるのも難しいと診断するほかないのですが」
医師もメーメルの病状を説明できなかった。
しかし、論より証拠。メーメルは最近活発に働いている。無理をしているふうには見えない。いつも楽しそうだった。
「不思議だが、まあ元気なら父親としてこれ以上嬉しいことはない」
理屈はどうあれ、主は娘が元気で暮らしているということを喜んだ。
◇◇◇
ランカはアカデミーの暮らしにも十分に順応した。
班員とも分かり合えるようになった。最初は外国人であるランカを悪く見ていた者もいたが、ランカと関わりが深くなると、差別主義者も少なくなった。
「ランカさん、好きです」
ランカに愛の告白をする者も出てきた。
これまでに愛の告白は何度も受けてきたが、ランカはいずれも断った。
本当に自分が愛する者が出てくるものまではという気持ちが強かった。
ランカは第7班のスターのような存在になった。みながランカを好意的に見た。ただ一人例外を除いては。
第7班には問題児が一人いる。
その問題児はあまり学校にやって来ない。週に2度来るか来ないかだった。
彼の名前はヌイ・フレイランス。
ランカと同じフレイランスの者だ。
フレイランス族は真火王国にて「真火」という特殊な炎を扱っていた。
色々な歴史的事件が重なり、一部がアルマゴート帝国に移住した。ヌイはその移民の一人だった。
ランカも留学して3週間になるが、ヌイとはまだ4回しか顔を合わせていなかった。
ある日、5回目の顔合わせを迎えた。
その日、ヌイはこっそりアカデミーにやってきて、荷物をロッカーに入れると、そそくさと誰もいない場所に消えて行った。
ランカはその後を追いかけた。
ヌイは校舎の片隅にあるレンガ造りの物置の後ろに身を隠した。
何かをするわけでもなく、そこにたたずみ、時間が経つのを待っていた。
こんな人気のない場所で静かにしていると、誰も彼を見つけ出すことができない。
これまではそうだった。
しかし、今日は例外だった。
「ヌイ君、ちょっと」
ランカは後をつけていたので、ヌイがここにいることを突き止めることができた。
「来週は山越え実習よ。ちゃんと覚えてる?」
「は? 何それ?」
「一番大事な山越え。なんで外国人の私が知ってて、地元のヌイ君が知らないわけ?」
ランカは目をとがらせた。ヌイに対して変に優しくしても無駄ということはわかっていたから、ランカも彼に対しては態度を変えた。
「なんで地元だから知ってると思うかな」
「アカデミーの伝統でしょ? 半年前も参加したんじゃないの?」
「してないけど。半年前は殺し屋のアルバイトばかりしてたからねー」
ヌイはいつもどおり澄ました顔で言った。
殺し屋という職業は、この国では珍しくない。
一般市民の暗殺は法律で禁止されているが、政府要人の暗殺は法律で認められているためだ。
政府要人の暗殺が認められている背景には、かつてアルマゴート政府が軍隊を支配して民に恐怖政治をもたらした過去があるためだ。
腐敗政治を横行させないため、要人暗殺は認められている。
今年に入って6人が殺されている。犠牲者はいずれも汚職が発覚した者たちだった。アルマゴートではこうした暗殺を「粛清の炎を持って国を正す」と捉えられている。
ただし、ヌイのような学生が殺し屋の手伝いをすることは法律で禁止されている。
ヌイは法律違反を堂々と公表した。ランカはそこには突っ込まなかった。
「どうして真面目に実習に参加しないの? ヌイ君も紅蓮術師になりたくてアカデミーに通ってるんじゃないの?」
「違うけど」
「違うってなに?」
「僕がアカデミーに通っているのはアカデミーを爆破するためなんだよね」
「ふざけないでって。班員みんなが迷惑してるんだから。この前の溶岩操作も結局最下位だったんだから」
「それが僕のせいってこと? まあいいけどね」
「もう少し協調性を持ってくれないかしらね」
「協調性? 何それ? そんな言葉は聞いたこともないよ」
ヌイは半分ふざけているようだった。お節介を焼いてくるランカを意図的に困らそうとしているように見えた。
「教えてあげるわ。良く聞きなさい。協調性っていうのはみんなで力を合わせるってこと。人は一人では生きていけないんだから大切なことなのよ」
「なるほど。うん、よくわかったよ」
ヌイは笑顔を作った。どこか作為的な笑顔だった。
「ほんとにわかったの?」
「人を利用するってことでしょ。自分の炎が無能でも人の炎の威を借りれば楽ができるもんね。自分がやらかした不祥事も人のせいにすれば解決する。それが協調性ってことでしょ?」
「全然わかってないじゃないの!」
「どこが違う? 人はそうして生きていると思うんだけどね。君は誰かを犠牲にして生きていないと断言できるの?」
「え、それは……」
「ごまかさないで聞かせてよ。誰も犠牲にしていないの? 誰一人として犠牲にすることなく、調和のいいところだけをもってこれまで生きて来たと証明してよ」
ヌイがそう言うと、ランカは答えられなくなった。
「ほら、これだ。知ってるよ、君のような人はさんざん見て来たからね」
「……」
「だいたいそういうやつに限って女だよ」
ヌイはいつもは誰とも関わらずおとなしくしているが、しゃべり始めると早口でどこまでもしゃべった。
「女ってやつはタチが悪いよ。生命史上、最もタチの悪い侵略者だよ。侵略者のくせしてその自覚がない。男たちが命がけで作って来た社会システムにただ乗りして、性的に誘惑して、男たちがたくわえた財産をすべて略奪するんだ。平和で豊かな社会を作り上げるのに男たちがどれだけ労力がかかったのかも知らずに、権力を持ったらとことん功労者の男をバカにして見下す。それでいて自分たちは奪われた側だと被害者面をする。侵略者の中でもこれだけタチの悪い種族は他にいないね」
ヌイは言いたいことをすべてランカにぶつけた。
ランカはそれを受けても引き下がらず、反論した。
「女が侵略者? あのね、男だって女の人から生まれて来たのよ。ヌイ君だってお母さんがいたからここにいるんでしょうが。それでもお母さんを侵略者というの?」
「子供を産むから立派ってこと? じゃあ、子供を産まなかった女は正真正銘の侵略者だね。君は女を子供を産む機械って認めるわけだね?」
「そういうことじゃなくって!」
あー言えばこう言う。
ヌイと口論しても無駄だった。しばらく粘り強く頑張っていたランカだったが、あきらめるしかなかった。
「もういい。遅刻しちゃうわ」
ランカはヌイに背中を向けた。
しかし、ただでは引き下がらないのもランカだった。
「また来るからね。必ず更生させてみせるから」
「やれやれ。面倒くさい女に絡まれたもんだよ」
ヌイはため息をついた。