4、黒き炎
ランカの留学の手続きはスムーズに完了した。
留学期間は半年間。この間に、紅蓮術のすべてを学ぶ。
アカデミーで習う紅蓮術はもっぱら、生成する炎を軍事的に利用する方法だ。
炎を生成するというのは天性のものであり、わざわざアカデミーで学ぶものではない。
アカデミーはあくまでも生成した炎で人を殺す方法を学ぶ場所だった。
それは世界で一番尊重される能力だった。
正アルマゴート帝国は帝国主義で成り立つ。
他の大国――例えば、帝国オーハも帝国主義で成り立つ。
グルグ竜王国やセレクマ竜王国も帝国主義であるし、帝国主義を撤廃したというネフィム王国も、自衛のためにいっそう軍事力を磨いている。
戦う力、人を殺す力は世界がどう変化しても普遍的な価値を有していた。
アカデミーを卒業した紅蓮術師はそのほとんどがアルマゴートの兵士になる。
それが一番の名誉とも教えられる。
しかし、ランカはアカデミー卒業後は軍隊には所属せずに、ステーキハウスを開くのを夢見ていた。
ランカは肉が好きだったから、そして戦いが嫌いだったから珍しい夢を持っていた。
手続きを終えると、3人はアルマゴートの都市を回りながら、家路を目指した。
主、ランカ、メーメルを乗せて、パンパラオ―が往く。
平和な街道は人々の賑わいで活気づいていた。
しかし、その街道は突如危険な道となった。
「出たぞぉ!」
遠くで誰かが叫んだ。
いま、パンパラオ―は車が走行するレーンをゆったりと歩いている。
走行レーンは4車線になっていて、レッドホーンが時に急ぎ、時にゆったりと行き交っている。
そんなアルマゴートの都市の光景は突如として様相を変化させた。
瞬く間に地面に黒い炎が落ちて炎上した。
平和だった都市の道は人々の悲鳴で染まった。
ランカは目の前で黒い炎が吹きあがるのを見た。
そして、ランカの頭上を何かが横切った。
素早い動きだった。見上げても、それに焦点が定まらない。
ランカはすぐに目標を見失った。
何かは反転して再び戻って来た。
「危ない、伏せろ!」
主はそう叫んでランカとメーメルの頭を押さえた。
次の瞬間、近くに黒い火の玉が落下した。
それは大きな音を立てて爆発した。
しばらく悪夢のような恐ろしい事態を経験することになった。
ほとんどの者が懸命に走った。恐ろしくてその場で頭を抱えてうずくまる者も少なくなかった。
ランカはどちらかと言うと冷静だった。
紅蓮術師にとって、炎というのは友人のようなものだから、恐ろしくはなかった。
ランカは顔を上げて、空を舞う者を目で追いかけた。
ランカが見上げた空に、何かが飛び回っている。
何かが高度を下げて速度をゆるめたとき、一瞬だけランカの目にその姿が留まった。
何かは仮面で顔を覆っている。
身長は160センチぐらいか。背の低いやせ型の男性と見えた。まだ少年のような幼さがあった。
背中には翼があり、異様な黒い炎を発生させている。
一瞬だったが、目が合った。
「……」
「……」
たった一瞬。しかし、二人は互いの存在を認識した。
何かはそのまま翼をはためかせて、建造物の頭上を越えて、その場から飛び去って行った。
わずか1分半の出来事だったが、あちこちからは黒煙が上がっていた。煙のにおいも広く充満していた。
「大丈夫か、二人とも」
主が二人の無事を確かめた。
「どうなるかと思いましたが、無事だったみたいです」
メーメルは顔を上げて、ホッと息をついた。恐怖に震えるということはなかったようだった。
「ランカさんは大丈夫でしたか?」
「ええ」
「しかし、なんて恐ろしい悪魔だ。たった一人でこんなことができるなんてよ」
主はあたりを見渡して冷や汗を流した。
たった一人の悪魔によって、大通りの地面はえぐり取られ、今でもまだ黒い炎を燃やしていた。
「こんな黒い炎、初めて見た……」
ランカは近くでいまだ小さく燃えている黒い炎を見つめた。およそ、普通の紅蓮術師が生み出す炎とは異なっていた。
「黒い炎と言ったら、偽アルマゴートを彷彿とさせるな」
主が言った。
主が言った「偽アルマゴート」とは、悪しきとして正アルマゴート帝国から排除されたもう1つの国の象徴のことだった。
ランカはアルマゴート教典には詳しくなかったが、大まかなことは教養として聞いたことがあった。
アルマゴートは青い炎と黒い炎の二対で成り立ち、青きは生命の炎、黒きは反生命の炎。青きは命をつなぐ炎、黒きは命を絶つ炎。
そこにある黒き炎がそうした炎ならば、それは命を絶つ炎。文字通り、人から命を奪う炎となった。
◇◇◇
悪魔の襲撃を受ける波乱に満ちた旅だった。
店に戻って来たランカは大きく息を吐いてうなだれた。
まさか自分が悪魔の襲撃を受ける当事者になるとは思っていなかった。
これから半年もアカデミーに通うことになると言うのに、こんなことが日常にあるとなると、とても安心して通えなかった。
「なーに、心配するな。そう何度も狙われることはないさ。今日が例外だよ。国は広いんだ。いつもここに来るわけじゃねえ」
主はそう言ってランカを励ました。
主の言う通り、意識しないほうがいいのかもしれない。
その夜、ランカはメーメルのベッドの隣を借りることになった。
この店は1階に店を構えていて、2階は物置部屋とメーメルの部屋ということになっている。主は店で働き店で寝るという都合だった。
部屋はそれほど広くない。物置のほうに優先的に広い部屋が割り当てられたためだった。
「悪いわね、メーメル。窮屈になるけど」
「ランカさんは細いですからね、ちっとも問題になりませんよ」
メーメルはいつもニコニコとほほ笑んでいた。
今日、悪魔に襲われたとき、彼女は特に臆するところがなかった。
見た目に反して肝が据わった少女だった。
「メーメルも学校に通ってたんでしょ、たしかアルマゴート神学校だったっけ?」
「はい、一度は正アルマゴート教の聖女を志していたのですが、病気を機に退学したのです」
メーメルはランカより一つ年上の身。健康であれば、今頃学業に精を出している時分だった。
正アルマゴート帝国は宗教国家でもあり、正アルマゴート教が法さえも支配している。
メーメルは聖女としてその道を志していたのだという。
「それだけ元気ならまた通えるんじゃない。通わないの?」
「復学する予定はありません。実は、病気になる前から、学校はやめようと思っていたのです」
「え、どうして?」
「正アルマゴートの教えに疑問を持つようになっていたのです。どこか間違っていると言いますか、自分の中で納得できないところが出て来まして」
「ふーん」
宗教に乏しいランカにはよくわからないことだった。
「教典のお話を要約しますと、アルマゴートは聖なる青き炎と邪悪な黒き炎で成り立っていて、邪悪な炎によって人々は苦しめられていました。聖なる青き炎が邪悪な黒き炎を倒し、人々に平和をもたらしました。めでたしめでたし」
「そういう話は聞いたことあるけど、それがダメだったの?」
「ええ、どうしておめでたいのか疑問を持ったのです。黒き炎が本当に邪悪だったのでしょうかと。どちらもなくてはならないものだったのではないかと思って、けれど、そういう疑問は許されない世界なのです」
「ふーん、難しいのね、宗教は」
「今でも何となく考えるんですよ。黒い炎……今日のあの炎も私には邪悪には見えませんでしたから。だから私、少しも怖くなかったんです」
メーメルは聖女を志していたから、ランカと同じように火を見る機会が多かった。特に正アルマゴートの青い炎は見慣れていた。
しかし、ランカとは違う視点で炎を見ていた。
紅蓮術師にとって炎は友達。普通の人間にとって炎は恐怖。聖女にとって炎は哲学。
メーメルは自分の中に芽生えた哲学で炎を見て、そして正アルマゴート教典に疑問を持つようになっていた。
「それにですね、いまはお父さんの仕事をお手伝いするのが生きがいなんです。しばらくはその道を頑張ろうと思います」
「いいわね。お父さんも喜んでくれてるでしょう?」
「いえ、お父さんは学校に通ってほしいと思っているみたいですね」
アルマゴート帝国では、聖女は名誉ある職と認識されている。肉屋の娘よりはずっと格式が高いとされている。
父親として、自分の娘を聖女のような格式の高い道に進ませたいという願望は自然なことだった。
しかし、メーメルはそうした風潮そのものに縛られない哲学で生きていた。
ランカもメーメルと同じだった。
紅蓮術師としての名誉は兵士になること。しかし、ランカはまったく別の道であるステーキハウスを夢見ている。
「じゃあ、いつか私が自分のお店を持ったときは手伝ってよ」
「任せてください」
二人は眠りについた。