前編
「では行ってきますね、お母様」
「ええ、気をつけて」
小さなカゴを持ち、私は家を出た。
私の名前はセラ、小さな家に住む平凡な娘だ。お母様に頼まれて今から買い出しに行く。今日は天気も良くてとてもいい気分だ。
私はこっそり持ち出した手紙をポケットから取りだし微笑んだ。親愛なるセラへ、と書いてある。実はこれが目的でもあった。早く用事を済ませよう。
街に到着した私は、お母様のメモを見ながらテキパキと買い物を始めた。今日の晩ご飯は何にする予定なのかしら。
一通り目的のものを買えた私の目にふと飛び込んできたものがあった。
「綺麗…」
思わず声が漏れた。そこにあったのはとても鮮やかな瑠璃色の布だった。気が付くと私はその布に触れていた。肌触りもとても良かった。
この布を縫ってハンカチにしてプレゼントしたら、きっとあの方は喜んでくれる。
付いている値札を見て財布の中を確認する。うん、大丈夫。予算以内だわ。
布を手に取り店の中に入ろうとした時だった。
「痛っ…!?」
突然走ってきた女性とぶつかり、私はしりもちをついた。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか…?」
すぐさま立ち上がり、相手の女性に手を差し伸べた。しかし女性は私の目も暮れず、そのまま走り去ってしまった。
一体なんだったのだろうか。今日はいい日だと思っていたのについていない。
「君!ちょっといいか!?」
呆然としている私に今度は男性が声をかけてきた。慌てた様子をしているその男性の顔に、私は見覚えがあった。
「今女性がこちらへ走ってきただろう。どこへ向かったか分かるか?」
突然のことに声が出ない。間違いない、私に話しかけてきたこの男性はチャーミー王子だ。スラリとした身体に整った顔立ち…ウワサでしか聞いたことがなかったがいざ目の当たりにすると圧倒される美貌だった。
「あ、えっと、女性はあちらの方へ走って行かれました。何が急いでいる様子で…」
絞り出したような声で私はそう言った。しかし、チャーミー王子は私の言葉に耳を傾けていない様子だった。彼の視線は、ただ私の足に向けられていた。
「君、少し靴を脱いでもらえないか」
「えっ!?」
突然のことに私は動揺する。
「頼む、この通りだ」
チャーミー王子は頭を下げた。私は何をしているのだ、こんな身分が上の方に頭を下げさせるなんて。初めは動揺していた私だったが、ゆっくりと靴を脱いだ。
「ありがとう」
ただ一言、彼はそういうと持っていた小さな箱からガラスの靴を取り出した。
「そ、それは…!」
チャーミー王子はゆっくりとガラスの靴を私の足に履かせた。まるで私のために作られていたように、靴はピッタリと足にハマった。
「なんと…おいお前たち!見ていたか!」
気が付くと私たちの周りにはたくさんの人がいた。全員私の足を見ている。
「やっと、やっと見つけた!」
チャーミー王子の言葉を皮切りに、周りの人も大声をあげる。発狂しながら喜ぶ者、感極まって泣き叫ぶ者、どの人にも共通していたのは嬉しいという感情だった。
「君の名前を聞かせてくれないか」
1人置いてけぼりの私にチャーミー王子は声をかけた。
「セ、セラ。私はセラと申します」
「ああセラ、僕の愛しの人」
私の手を取りそのまま跪いた王子は、懐から小さな箱を取り出した。そして箱を開ける。中にはとても大きなダイヤがついた指輪があった。
「君と会えるのをずっと待っていた、結婚しよう」
突然のことすぎて私はまた言葉に詰まる。周りからは期待の視線を感じる。
断る勇気なんて、私にはなかった。
「ありがとう、僕もとても嬉しいよ。ジャック!すぐに準備を。これから忙しくなる」
「チャーミー様、しかし…」
「僕の言うことが聞こえなかったのか!?すぐに準備を!!」
「…かしこまりました」
どこからか駆けつけた馬車に私は乗せられる。その隣にチャーミー王子が座った。
「では皆の者、次は結婚式で会おう」
王子はそう言い手を振ると、また歓声が上がった。馬車が動き始める。
一体何?何が起こっているの?
笑顔で民衆に手を振り続ける王子の瞳に、なぜか私は少し狂気を感じた。
流されるままに王宮へ連れてこられた私は、ある部屋に案内された。
「すぐ隣がチャーミー王子の部屋になっています。何かありましたらすぐにお申し付けください」
頭を下げながら私にそう言ったのは、ジャックと呼ばれた男性だ。いわゆる召使い、といった人なのだろうか。
「あ、あのここ私1人の部屋ですか…?」
こんなことよりも、もっと聞かなければならないことが山ほどあるだろう。そう思いながら1番初めに聞いた質問がこれだった。
「はい、チャーミー王子の婚約者様ですので」
「そうですか…」
私は持っていた手紙をぐしゃっと握りしめた。
「では、ごゆっくり」
また頭を下げてジャックさんは部屋を後にしようとした。
「ま、待ってくださいジャックさん!」
私が呼び止めると、ジャックさんは振り返った。チャーミー王子の召使いとのことだけあって、一つ一つの動きがとても綺麗だ。
「聞きたいことが、たくさんあるのですが」
震える声でそう言うとジャックさんは優しい顔をして言った。
「それはそうでしょう。少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか?仕事が片付き次第、また戻ってまいります」
「分かりました」
それでは、とジャックさんは部屋を後にした。
ふう、とため息をついて私はとりあえずベッドの上に座った。
…フカフカすぎる。いつも家族で雑魚寝していたので逆に眠れないかもしれない。
家族…そうだった、私は買い物の途中だった。早く帰らないとお母様が心配する。ご飯の準備も遅くなるだろう。
早く話をつけなければ。それに…。
私は持っていた手紙を広げて読み返した。
親愛なるセラへ
元気にしてるか?俺は相変わらず元気だ。最近親父の仕事の手伝いが忙しくて時間が作れなくてごめん。
もう少ししたら仕事も一段落する。そうしたらお前に会いに行く。
御家族の方にも挨拶をする予定だから待ってて欲しい。
お前のことを考えずに寝た夜はない。
愛してるよ、セラ。
メジャーより
ぽたり、と手紙に涙が落ちる。
メジャーは私の幼なじみで、恋人だ。2年前に母親が亡くなりそれから父親の仕事を手伝うようになった。その関係で全く会えていないのだ。
会いたい、ただその気持ちでいっぱいだった。
「失礼します、セラ様いらっしゃいますか?」
「は、はい!大丈夫です」
私は慌てて涙を拭った。扉が開くとジャックさんの姿があった。
「お待たせ致しました。聞きたいことがあるとのことでしたが、先に私の方から話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「分かりました」
ジャックさんはそう言うと伏し目がちに話し始めた。
「まずセラ様が1番疑問に思っていること、それは承諾したつもりはない点でしょう」
そうなのだ、私はチャーミー王子のプロポーズにOKはしていない。言葉を発する前に彼はありがとうと言った。
「チャーミー王子は…狂っているのです」
顔を上げて言ったジャックさんはとても悲しそうな表情をしていた。
「私も直接話はしていないのですが、小さな頃からチャーミー王子に仕えています。長年の勘…というのですかね、だから分かるのです。王子はもう正気ではない」
「と、言いますと…?」
「セラ様は王子がどれだけの間婚約者を探しているかご存知ですか?」
度々買い物へ街へ出る度にウワサとして聞く程度で実際はそこまで知らなかった。というよりも正直興味がなかった。
「…5年です」
「ご、5年…!?」
ジャックさんの言葉に私は驚きを隠せなかった。
「5年もの間、王子はただひたすら婚約者探しをした。その相手のひとつだけの条件、それがあのガラスの靴でした」
「ガラスの靴がぴったり履ける女性、ということですか」
「セラ様はどう思いますか?あのガラスの靴が履ける女性について」
そんな人、とジャックさんは続けた。
「山ほどいると思いませんか?」
少しトゲのある言い方だった。
「彼は何度も何度も巡り合ってきた、ガラスの靴が履ける女性に。ただ全て上手く行かなかった」
「それを5年繰り返していらっしゃるのですか…」
「そういうことです」
ジャックさんは窓の方を向いた。さっきまでとても良かったのに、今は雨が降りそうな天気だった。
「一人息子であるチャーミー王子の婚約はとても重要なことでした。私共が想像出来ないほどの期待、責任があったのでしょう。そしていつしか…」
そこまで言うとジャックさんは私の方を向き、そのまま座り込むと頭を地面におしつけた。
「ジャ、ジャックさん!!?何をしているのですか!?」
土下座をしたままジャックさんは言った。
「もうこれ以上、あのような姿を見ていられない。セラ様どうか、どうかチャーミー王子を救っていただけないでしょうか」
「す、救うなんてそんな」
「婚約をして欲しい、という訳ではありません。せめて王子の今の気持ちを知りたいのです。彼は今、嘘の言葉しか発していない。本心ではないことを口にする度、私はとても苦しくなるのです、なのでどうか」
本当に私のダメなところだと思う。
「分かりました、私でよければ少し王子と話をしてみます。だから顔をあげてください」
「セラ様…!」
ありがとうございます、ありがとうございますとジャックさんは何度も頭を下げた。
ここまで聞いてしまって断るなんて出来ない。
ごめんねメジャー、少しだけ待ってて。この件が終わったら必ずあなたの元へ行くからね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
シンデレラを少しなぞったストーリーになっています。ハッピーエンドか、はたまたバッドエンドか。
最後まで読んでいただければ幸いです。