オータムブルー
基本、ハッピーエンドが好きなのですが、七夕ということもあり・・・失った恋の物語です。
『ステーキブルー』後日、秋のお話です。
先に『ステーキブルー』をお読み頂く事をお勧めします。
21時半。
地元の工務店と魚市場の団体が帰ると、ホッとしてポケットから出したタバコを咥える。
気が付けば仕込みからずっと動きっぱなしだった。
アシスタントのタツとバイトが奥の座敷を片付けるため、トレーを持ってカウンターから出た。
それと交代にキャッシャーからカウンターに入り腰掛に座ると、カウンターの内側に置いてあったライターで火を着け、深く吸い込んだ。
ニコチンが体に沁み渡り、疲労が分散されるような感覚だ。
タバコを吸い終えるまで少し休憩しようと、足を組む。
だけどそんな俺を見て、テーブル席にいたリュウが立ち上がり。
思わず俺は、目を細める。
団体客2組が帰った後は、客はリュウ達だけだ。
「おーい、そろそろ女絶ちも限界なんじゃね?」
カウンター越しにニヤニヤ笑い、くだらない事を言うリュウに、俺は返事をしなかった。
「シュウー、ねぇ。こっちきて一緒に飲もうよぉ。」
「そうよぉ。久しぶりに、お店終わったら遊びにいこ?駅裏のクラブずっと行ってないよね?」
「そうそう、明日は休みだから私達オールするしー、行こうっ。」
「おう、そうだなーーー、あそこラブホの隣だし、そのまま流れでヤ――「お前ら、帰れ。」
俺の低い声に、ピタリと3人が話を止めた。
俺は深くタバコを吸いこむとため息をつくように煙を吐き出し、3人をギロリと睨みつけた。
それだけで、カナとサエが怯えた顔になり。
リュウでさえも、ビクついた表情を見せた。
俺は、見た目は細く優男だが、実は手が早い。
あんまり自分にも執着がない為、後先考えない行動をする。
それを良く知っているこいつらは、俺の口調が変わると警戒する。
ったく、何度言えばわかるんだよ。
心の中でそう毒づくと、俺は3人を見据え口を開いた。
「遊びはやめたっつったろうが。今は、店頑張るって決めてんだ。だから、店に来てくれるのはありがたいが、そういう誘いをするために来るんだったら、もう来るな。店ももうすぐ移転することになるし、今命かけるくらいの気合で仕事に向かってんだ。」
俺の決心を伝えると、3人は鼻白んだ様子で黙り込んだ。
俺はタバコをもう一度深く吸い込むと、灰皿に押し付け立ち上がった。
ここまで言えば帰るというだろうと思い、キャッシャーに向かおうとカウンターを出かけた時、入り口の戸が開いた。
「今晩はー。」
「シュウ、腹減った。何か食わせろ。」
綾乃ちゃんとジョージだ。
ジョージの登場に、ビビる3人。
ジョージはここらじゃ体もデカいし、昔からダントツ強いし。
それに正義感が強くて、曲がったことを見逃せないタイプだから、モノをはっきりと言うし。
それがまた声がデカくて荒い口調だから、ここらの奴らはジョージを恐れている。
俺からしたら、今じゃもう綾乃ちゃんに骨抜きのデロデロ男だけどな。
まあ、だけど・・・間違ったことがあれば、はっきりと言うのは変わらないが。
しかもリュウは俺の高校の同級生で、俺とは違う高校へ行ったジョージも顔見知りで何度も俺と同様ナンパなリュウは、ジョージに睨まれていたから。
リュウは、かなりジョージに対して、恐れを抱いている。
カナとサエは元々リュウの妹の同級生で。
まあ、リュウの妹は真面目ちゃんだからこいつらとツルむことはなかったんだが、リュウの妹が絡まれた時に、たまたま通りかかったこいつらが助けたことがあって・・・それきっかけで知り合った。
見ての通りのケバいタイプだが、案外見た目と異なり女々していないところが面白くて、4ヶ月前までは何かっつうとツルんだりしていた。
でも、ケバい女が嫌いなジョージはこいつらを見ると毛嫌いしていて、口調も荒くなる。
だから、カナもサエもジョージは苦手で、今日もジョージの突然の登場にビビってるってわけだ。
けど、そんな雰囲気を壊したのは、やっぱり。
「こんばんは。竜司さんでしたよね?そちらもお友達ですか?」
固まる3人に綾乃ちゃんが、とても可愛い笑顔を向けて、声をかけた。
その途端、ジョージが舌打をした。
それでまた固まる3人。
「何で、綾乃がこんなナンパ男知ってんだよ。」
ジョージが不機嫌な声を出した。
その言葉に、綾乃ちゃんが眉を寄せる。
「丈治、失礼ですよ?竜司さんは秋さんのお友達です。お友達に失礼な事を言うという事は、秋さんをバカにするってことです。」
さすが、綾乃ちゃん。
正論で、ジョージを黙らせた。
おまけにリュウに綾乃ちゃんが、失礼なことを言ってごめんなさい、と頭を下げていた。
もう、リュウなんかそれでまいあがっちまって。
そうだよな、ここらの女とは比べものにならないくらい、綾乃ちゃんは綺麗で可愛くて品が良いいから、リュウも綾乃ちゃんには普通の女とは違う応対をする。
つまり、ナンパな顔は外して、思いっきり素で丁寧な態度をとっている。
そんな綾乃ちゃんの方は、いつもと変わらず、誠実で丁寧な態度だ。
こんなこと、俺は今まで気にも留めず、毎日を刹那的に楽しく過ごしていたが。
朱里の一件があって以来、こういう変わらない姿勢というものが、如何にかけがえがないものなのかと考えるようになった。
何となく居づらくなったのだろう、リュウが立ち上がり帰るそぶりを見せた。
チェックをしようと今度こそキャッシャーに向かいかけた俺だが、またしても足を止めた。
綾乃ちゃんが手の付けていないリュウのテーブルの料理を見て、同席してもいいか聞いたのだった。
木村 秋、32歳。
『小料理屋 みのり』の店長。
といっても、今週いっぱいでここは閉めて。
この店が所属する『ロイヤル商店街』が来月からリニューアルオープンに入るのを機に、店を移転させる。
店も小料理屋から和風ダイニングバーにして、今の倍ぐらいの広さにする。
現在建築中の、商店街の中心にあるマンションの1階に店を構えることになっている。
このことはオーナーの浜田さんの後押しもあって決心したのだが。
まるで、自分を変える誓いの様だ――
俺は小6の初体験をかわきりに、この年まで遊び放題だったいい加減な人生を・・・4か月前、きっぱりと変えた。
理由は簡単。
惚れて大切にしたいと思っていた女を疑って、長い間傷つけ苦しめていたという事実を今さらながら知って。
その上、その女を不幸にしたのは俺自身だったと思い知らされて。
今更ながら許してもらえるなんて思わないけど、せめてもの贖罪に・・・自分自身を変えようと、頑張っている姿をみせようと、そう思ったからで。
だけど、長年いい加減な道を歩いてきた俺が突然遊びを止めと言ったって、信じる者なんかいない。
せいぜい、気まぐれだと・・・そう思って、こうやってリュウのように遊びに誘ってくる奴が多い。
まあ、今まで散々爛れた生活をしてきたんだ、そうそう信じてもらえるなんて思っちゃいないが。
「皆さん、お仕事は何をされているんですか?」
綾乃ちゃんが旨そうに升でうけた冷のコップ酒を豪快に一気で飲んだ後、リュウたちに向かってそう尋ねた。
綾乃ちゃんが、リュウに話しかけたのが気に入らないのだろう、ジョージが二度目の舌打をした。
そして、さっきと同じ展開でリュウたちがビビリ、固まる。
その様子に綾乃ちゃんの眉間に深くシワがより、ジョージをジロリと睨みつけた。
「ジョージ、皆さんと楽しく過ごせないのなら、カウンターに移って1人で飲んでいてください。」
珍しく尖った声で、綾乃ちゃんがピシャリとジョージに言った。
「ああっ!?何言ってんだよっ。何で俺がお前と離れて飲まなきゃなんないんだよっ。つうか、何で俺と話さねぇで、こいつに話しかけてるんだっ!?」
スゲー・・・綾乃ちゃん・・・あのジョージに向かって、スゲーとしか言いようがない。
その上、言い返すジョージをものともせず、綾乃ちゃんは笑顔で言葉をつづけた。
「せっかく、秋さんのお友達とご一緒したんです・・・楽しくお話をしたいだけです。ジョージの心無い言動で、その楽しい雰囲気がこわれますから。秋さんがこれまでの自分を振り返って、自分の在り方を考えた結果・・・今、こうやって180度生活を変えて頑張っているんです。180度変えたら、今まで付き合いのあった方達とは、普通疎遠になりがちです。でも、こうやってお友達が来てくださるということは・・・お友達も秋さんを応援しているってことじゃないですか。そんな素敵なお友達と楽しくお話してみたいって、私は思ったんです。」
やっぱ、綾乃ちゃん・・・スゲーわ。
良いように誤解されたリュウたちは、居心地が悪そうに目を伏せた。
ジョージは腹が立ったのか、仏頂面でグラスを持って立ち上がり、数歩歩いてカウンターに座った。
いや、これは拗ねているな・・・。
綾乃ちゃんはクスリと笑うと、これでゆっくり話せますと言いながら俺に空になったコップを見せ合図した。
俺は苦笑しながら、綾乃ちゃんお気に入りの辛口の一升瓶を手にテーブルへ行くと、なみなみとコップに酒を注いだ。
升に溢れかえる冷。
それを見て、うふふと嬉しそうに笑う綾乃ちゃん。
「え、綾乃さん・・・日本酒好きなの?綾乃さんなら・・・お洒落なカクテルとか飲みそうなのに・・・。」
目を丸くしてそう言うリュウばかりか、サエもカナも驚いた顔でリュウの言葉に頷いている。
まあ、良く知らない奴は、綾乃ちゃんを見て誰だってそう思うよな。
だけど、それは単なる見た目で――
「えー、私、カクテルとか苦手ですよ?甘いお酒って、何だか甘さが口に残って、沢山飲めないじゃないですか。」
リュウの言葉を、思いっきり否定する綾乃ちゃん。
「え・・・苦手って・・・じゃなくて、酒・・・沢山飲むの前提?・・・プッ・・・嘘だろ・・・クククッ。」
真顔の綾乃ちゃんに、リュウが吹き出した。
サエとカナも、アハハと笑う。
「よかったですー・・・皆さん、やっと笑ってくれましたね?丈治の態度が悪いので、随分怖がらせてしまったようですが――「おいっ、綾乃俺は別に怖がらせてなんかいねえぞっ!?そいつらが勝手に、ビビってるだけだろうがっ!」
綾乃ちゃんがリュウらにニコニコ安心した様子でそう言うと、不本意とばかりジョージが怒鳴り出した。
だけどさすがの綾乃ちゃんは、ジョージの怒鳴り声なんて気にもせず、空いたリュウとサエのグラスにビールを注ぎだした。
そんな綾乃ちゃんに、固まる3人。
ジョージが三度目の舌打ちをしてから、あきらめたようにため息をつくと、俺に目くばせをした。
俺は苦笑しながら、カウンターの中へ戻ると。
「腹減ってるんだろ?」
手を洗い、ジョージにそう問いかけた。
「今日は、何があるんだよ?」
逆に質問された。
うちは定番メニュー以外に、その日の気分で作るお任せ一品料理がある。
結構それが評判で、日替わりだからそれを食べに来るやつもいて・・・ジョージと綾乃ちゃんもそのクチだ。
「あー・・・今日は・・・ナスのみそ風味煮びたし、ジャコとトマトのゴマドレッシングのサラダと、豆腐のロールキャベツと、ヒラメの煮つけ。」
勝手に自分の焼酎のボトルを棚から出しているジョージにそう答えた。
ジョージは、それを聞くと全部、と言い。
「綾乃にもそれ、出してくれ。」
と続けた。
「ええっ、竜司さんって、市役所にお勤めなんですかっ!?」
リュウの職業を聞いたのだろう、綾乃ちゃんがすっとんきょうな声を出した。
ああ見えてもリュウの家は、俺ンとことは違いお堅い家だ。
代々名士が出ていて、リュウの祖父は市長、父親は検事、母親は音楽教師、確か兄貴は弁護士で、妹は小学校の教師だ。
リュウだけが落ちこぼれで、家の力でなんとか市役所に就職できたのだが。
「あはは・・・見えないよねー・・・こんなチャラいなりで、老人福祉の担当なんだからー。」
リュウは荒れていた中学、高校時代、父親と上手くいかず、祖父母の家に預けられていたから見かけによらず年寄りっ子だ。
見た目からは想像もできないが、実は年寄りに優しい。
「何だよ、カナ。そういうお前だって、そんな化粧や爪で、郵便局員じゃねぇか。」
カナの親父さんは駅裏の郵便局長をやっていて、家業を手伝うべくカナは郵便局で働いている。
「うるさいわねっ。ちゃんと、仕事はしてるんだから、化粧や爪に文句はいわせないわよ・・・あーでも、サエはその点いいわよねー。」
「イイも何も・・・ショップ定員なんて、ノルマに追われて大変なんだから。」
サエは昔から洋服に興味があり、本当なら東京へ出てショップ店員になるはずだったのだが、何故か地元に残った。
まあ、地元では女子中・高生のあこがれのショップ店員だ。
俺らにしてみたら、サエがあこがれって笑っちまうけど、サエなりに頑張って今じゃ副店長になっているらしいが・・・。
だけど本当に大変なんだろう・・・遊びに行こうと俺を誘ってきた顔とは違い、今こうして仕事の話になると、真面目な顔になったのだから。
「ふふ・・・でも皆さんいいですねー・・・職種が違うのに、こんなに仲が良くて・・・私は友人と言える人が少ないので、うらやましいです。」
綾乃ちゃんが素直にそう言った。
「はい、おまたせ。綾乃ちゃん、腹減ってるんだって?酒飲む前に、これ食わないと体に悪いぞ?」
ジョージに出したものと同じものを、綾乃ちゃんが座るテーブルの前に置いた。
「わっ・・・今日も美味しそう・・・あれ?これ・・・お魚ですよね?」
俺が出した料理を綾乃ちゃんが嬉しそうに眺めたのだけれど、何故か煮つけに目をやると、一瞬綾乃ちゃんの眉が寄ったような気がした。
「ヒラメの煮つけだ。綾乃、タンパク質だ。ちゃんと食えよ?」
ジョージは俺が答える前にそう口を挟むと、豆腐のロールキャベツを口に放り込んだ。
乱暴なように見えて、その食い方は相変わらず綺麗だ。
「あ、そのヒラメの煮つけ、本当に美味しかったわよー。シュゥー、これってどうしてこんなに味しみるのー?私が煮てもこんなに美味しくならないのよねぇ・・・。」
カナが突然、綾乃ちゃんのヒラメの皿を見ながら不思議そうにそう言った。
って、お前、料理したっけ・・・?
俺の表情を読んだのか、サエがふきだした。
「シュゥー、そんな顔することないじゃん。最近、カナ、親父さんばっかに頼ってちゃいけないって、頑張ってるんだからー。あー・・・だけど、カナ・・・あんた、煮つけする時、落し蓋しないでしょ?この間落し蓋って何?って聞いてたしー。」
カナの母親は中1の時に亡くなり、それからは父子家庭で親父さんが家事をやっているそうだ。
最近は手伝う気になってきたのか・・・。
「ちょっと、サエッ・・・やめてよっ。綾乃さんの前でそんなこと言うのっ・・・私、益々綾乃さんと比べてダメな女丸出しじゃんかっ!」
そんなカナが焦ったように、サエを睨んだ。
「カナさん・・・別に自分と他人を比べることはないと思いますけど・・・それに、ダメじゃぁないですよ?カナさんは。美味しいものを美味しいって素直に感じて、私に勧めてくださいました。それって、美味しかったから私にも美味しいもの食べさせたいっていう気持ちからですよね?何ができるとかできないとか、そんなことよりも、そういった気持ちを持っているという事の方が素敵なことなのではないでしょうか?」
優しく微笑みながらそう言う綾乃ちゃんに、リュウもサエもカナも・・・目を見開き、しばらくして3人ともが、ホォッとため息をついた。
「参った・・・。」
「ほおんと・・・。」
「あはは・・・綾乃さん、すごーい・・・。」
多分こいつらの中で、綾乃ちゃんの言葉が自然と自分を肯定できる力になったんだろう。
綾乃ちゃんに対してこいつらの向ける目が、さっきよりも尊敬の念が入っているように見えるのは、あながち間違いじゃないと思う。
確かに、綾乃ちゃんはスゲー、よ。
綾乃ちゃんの持つ正しい心には、人の心を不思議と正す力がある。
ジョージ、本当に良い嫁さんもらったよな・・・。
そう思ったのだけれど。
「でも・・・私も知りませんでしたよ?落し蓋が、味をしみこませる秘訣なんて。」
綾乃ちゃんが気になったのか、さっきの話に話題を戻した。
まあ、綾乃ちゃんは料理が得意じゃないって言うからな・・・知らなかったんだろうが。
「え、綾乃さんも知らなかったんですかー?じゃあ、私、そんなにダメじゃないんだー。」
綾乃ちゃんが落し蓋を知らなかったって言った途端、カナがホッとしたようにそう呟いた。
綾乃ちゃんはそんなカナに微笑むと。
「もちろんですよー。知らないことは恥ずべきことではないです。知らなければ学べばいいのです。秋さん、落し蓋って・・・落とす時に、何かコツのようなものってあるんですか?」
そう言って、さっそく俺に質問をして来た。
って、そんな質問をされても・・・。
「いや、別にコツって・・・形が崩れないように、ヒラメの表面が固まってからそっと落とせばいいってだけだよ?」
それ以外別に意識したことはない。
そう思って、そのまま答えたのだが。
綾乃ちゃんが俺の答えに真顔になって、ジョージの方を見た。
「丈治・・・では、うちのお鍋の蓋、全部替えたほうがいいですよ?いくら耐熱ガラスといっても、ガラスですよね?そっと落としても、床に落とせば衝撃がかかります。万が一蓋が割れたら大変です!」
「「「「「・・・・・・・・・。」」」」
いや、綾乃ちゃん、これ・・・マジで言ってんだよな?
流石のカナもその『落とす』は落し蓋とは違うって、わかってるみたいで、俺ら同様無言になってっけど?
「はあぁぁぁ・・・その『落とす』じゃねえ・・・鍋ン中で魚が煮えた煮汁に踊らないように、鍋ン中に鍋より一回りちいせぇ木かなんかの蓋を落として、魚を固定するんだよ・・・それが、『落し蓋』だ。何で鍋の蓋を床に落として、魚に味が染みるって思うんだよ?」
ジョージが大きなため息とともに、疲れた顔で綾乃ちゃんに『落し蓋』の説明をした。
ありえない綾乃ちゃんの誤解に、皆微妙な空気になったが。
「ああ、そういうことですか。でも、落し蓋ってそれでは、表現がちょっとわかりにくいですよね?せめて、鍋中蓋とか、鍋落とし蓋とか、鍋――「あああああああっ、もう、それはいいっ。つうか、綾乃っ!くだらねぇこと言ってねぇで、早く飯食っちまえ。ヒラメ!せっかく温かいうちにシュウが出したんだ。旨いときに早く食え!」
綾乃ちゃんの講釈に、ジョージがブチ切れた。
確かに、冷める前に食って欲しい。
だけどジョージがまたデカい声を出したもんだから、リュウたちはまたビビリ、ビクリとした。
綾乃ちゃんもさすがにビビったらしく、箸を手にした・・・・のだが、何か一瞬、ヒラメを見つめて戸惑いを見せた。
が、チラリとジョージを見ると、箸で大胆にヒラメを挟み・・・・・。
え?
ええっ!?
綾乃ちゃんが、いきなりそのまま・・・。
ガブリッと・・・ヒラメの煮つけに、かぶりついた。
って、骨!!
骨があるだろっ!?
「ああっ!?おいっ!!何やってんだっ!?」
ジョージが慌ててカウンターから、綾乃ちゃんのところへ飛んできて、綾乃ちゃんからヒラメの煮つけを取り上げた。
丁度骨の部分で、まだ噛み切れてなかったらしく、綾乃ちゃんの口には何も入らなかったのだが。
目の前の、リュウたちも、目を丸くしている。
「だって・・・煮魚が出てきたのに、丈治が知らん顔しているので、仕方がないじゃないですかー。」
綾乃ちゃんが、ムウゥッと頬を膨らませ、上目使いでジョージを睨んだ。
って、滅茶苦茶可愛いんだけど。
案の定、丈治は目じりが下がり。
「ったく、しょうがねぇなぁー。」
そう言って、綾乃ちゃんの隣の椅子に座り、綾乃ちゃんの箸で魚の身をほぐしだした。
はっ!?
「えっ!?綾乃ちゃん・・・もしかして、今、ヒラメにかぶりついたのって・・・骨を取るのが面倒だったから!?」
あり得ないけど、そうとしか思えないのでそう言うと。
「だって、骨ってカルシュウムですよね?ちゃんと咀嚼すれば、凄い栄養になりますよね?」
肯定するのがリュウたちの手前恥ずかしかったのか、栄養の為だとばかりの言葉が返ってきた。
だけど。
「アホかっ。こんな強い骨、面倒くさがりのお前が砕くまで噛むわけねぇだろ。10回も噛んだら面倒になって、胃に入れば胃液で溶けるとかなんとか理由つけて飲み込んで、喉に骨が刺さるのがオチだっ。お前、いい加減にしろよっ!?喉に魚の骨刺さったら大変なことになるんだぞっ!?」
半ギレでジョージが綾乃ちゃんを叱りつけた。
だけど、それでもその手は器用に身をほぐしていて。
「あ!・・・丈治!私、その端のビラビラのところが好きなんです。骨、細かいのでちゃんととってくださいね?」
「ビラビラって、これはエンガワだっ!つうか、お前、なんも反省してねぇなっっ!?」
「・・・丈治、私、早く食べたいですぅー。」
ダメだ。
完全に、ジョージ、綾乃ちゃんの思うままだな。
挙句の果てに、綾乃ちゃんがジョージの腕に顔をこすりつけ、まだですかー、と言いだした。
完全に全部ほぐし切っていなかったが、それをされた途端、ジョージが。
「ああっ・・・もうっ。しょーがねぇなーー。ほらっ、口あけろっ。」
そう言って、ほぐした身を綾乃ちゃんの口に入れてやった。
俺は、こんなのは日常茶飯事だからいいけどな。
目の前のリュウ達は、驚愕している。
だよな、こんなジョージ、今までのジョージならあり得ねぇし。
だけど、デロデロのこんなジョージだけど・・・そのニヤケ顔はどう見ても幸せそうだ。
「丈治、美味しいですぅー。幸せですぅー。」
「おー、よかったな・・・・シュウ、綾乃が旨いだと。」
ニヤケ顔のジョージが綾乃ちゃんから、突然俺へと向いた。
ったく・・・呆れながらも、俺は胸を張って頷いた。
「そりゃぁ、出汁から気張ったからなー。旨くて当然。」
そう言うと、ジョージは何故かニヤケ顔から真顔になった。
そして。
「おい、お前ら・・・今の、言葉、聞いたか?」
ジョージが、リュウ達を見た。
いきなり話しかけられて、戸惑うリュウ達。
「え・・・あの・・・。」
「まだ・・・たった、4か月だけどよ?こいつ、この4か月で、こうやって胸張って、旨くて当然って言えるようになったんだよ。こいつなら、1年後、2年後・・・10年後・・・もっと上目指していけるって俺は思ってる。」
「丈治さん・・・。」
「だからよ、お前ら・・・今までアホなことやってつるんできたって、こいつのダチなんだろ?だったら。こいつのこと応援してやってくんねぇか?」
「応援って・・・俺ら、応援できるようなものなんて・・・。」
リュウがジョージの言葉に俯いた。
すると、綾乃ちゃんがリュウを見つめた。
「竜司さん、応援ってそんな大袈裟なものじゃなくていいと思います。竜司さん、お仕事していてどんな時にやりがいがあるって思いますか?」
「やりがいって・・・俺の仕事はそんなたいそうな物じゃないけど・・・じいちゃんやばあちゃんに『助かった』って言われると・・・どんなちっさいことでも、やってよかったって・・・思うけど――「俺もおんなじだ。今、綾乃ちゃんに美味しいって言われて・・・さっき、カナにもそう言われて・・・俺の作った料理そうやって旨いって食ってもらうのが、やっぱ一番嬉しい。」
つい、リュウの言葉を遮って、喋っていた。
皆が俺の店に来て、旨いって嬉しそうな顔で料理を食べてくれるのが、やっぱ俺の喜びなんだと、そう思った。
「じゃあさ、また皆で来るよ。シュウの料理。ね、リュウ?カナも・・・。」
サエがリュウとカナに笑顔でそう問いかけた。
「やっぱ、綾乃ちゃんはスゲーよ。」
リュウたちが帰り、タツとバイトも上がり暖簾をしまうと、一升瓶と自分用のコップをもって、綾乃ちゃんの前に座った。
ジョージは手洗いに立っている。
「凄くなんかないですよ。私なんか丈治と出会わなければ、自分を変えることができなかったんですよ。その点、秋さんは自分で考えて、自分で決めて、頑張っているじゃないですか。」
天然と思いきや賢い綾乃ちゃんは、俺が何がと言わなくても何となく何について言っているのか悟っているようで。
実際、それだって凄いと思うんだけど。
「いや、綾乃ちゃんはスゲー・・・すっかり、サエもカナも綾乃ちゃんの魅力にまいっちゃったみたいだしー?あいつら、悪いヤツじゃないんだけど、ほらあのとおりハデだろ?だから、女ウケ悪くて・・・逆に、ちゃんとしているやつらにコンプレックスあったりで・・・だけど、なんか綾乃ちゃんには懐いたよなー。」
「懐いたって言うより、私のダメな部分が露呈して、可笑しくなったんじゃないですか?それに、ちゃんとしている人達にコンプレックスって・・・サエさんもカナさんもちゃんとしているじゃないですか?一見真面目そうに見える人程ちゃんとしていないって、私は思うんですけどね?ホラ、その代表が私ですよー。」
「いや・・・ちゃんとしていないことは・・・うん・・・それは個性ってことで・・・。まあ、そんな綾乃ちゃんだから、あいつらもなんだか懐いたんだよな・・・綾乃ちゃん、これからもここで会ったら、あいつらとああやって飲んでやってくれるかな?」
「なに言っているんですか、私の方こそ仲良くしてほしいですー。」
「結局・・・俺、色々今までねじくれてたけど・・・1人じゃ生きていけないんだって、今頃気が付いたわ・・・大事なもの、傷つけて・・・失って・・・後悔して・・・それでようやく分かったなんて、ホントバカだよなー・・・。」
コップに注いだ酒を一気飲みすると、何となく自嘲のようなため息とともに・・・つい本音がもれた。
「それでも・・・気が付けたことが幸せだと思ってください。」
綾乃ちゃんが、大きくはないけれどしっかりとした口調で、いきなりそう言った。
「え?」
口調が変わったことに不思議に思い、綾乃ちゃんを見ると。
俺を正面から見つめていた。
「朱里さんから・・・伝言があるんです。彼女の中でも色々考えることがあるのだと思いますが・・・『秋ちゃんとは、あの時の自分ではやっぱりダメだった。でも、今とても幸せだと思えるのは、秋ちゃんとの事があったから。秋ちゃんを好きだった事を後悔していない。』・・・そう伝えてほしいって、おっしゃっていました。」
はっきり言って驚いた・・・まさか、俺との事を、そんな風に思っていてくれたなんて・・・驚きで言葉も出ない。
「・・・・・・・っ。」
そのかわり、喉の奥から熱いものがこみあげてくる。
「秋さんの、お料理・・・本当に美味しいです。最初いただいた時もそう思いましたけど・・・最近の味は・・・なんだか、澄んだ味・・・というより、澄んだ『気』のようなものを感じます。多分、それが秋さんの、心の変化なんでしょうね・・・私、お節介とは思いましが・・・そんなことを、少し朱里さんにお話しました。」
「・・・・・・・・朱里は、なんて?」
傷つけて、取り返しのつかない事をしてしまったのに、俺はまだ何を期待しているのだろう。
つい、そんな何かを期待するような質問が出てしまった。
だけど、やっぱ、そんなに甘くはなくて。
「ごめんなさい・・・それに対して朱里さんは、何も・・・ただ、頷いただけでした。」
「そら、そうだよなー・・・今の俺がどうしてたって、朱里には関係ないもんな。」
申し訳なさそうな表情の綾乃ちゃんに、自嘲気味に笑って見せる俺。
格好悪い・・・。
「ま、朱里からそんな伝言を聞けただけで、有難いと思わないといけないのになー。取り返しがつかないほど酷いこと、俺はしたんだしなー。」
そうだ、これ以上朱里から言葉を貰おうなんて虫がよすぎる、あんなに傷つけておいて・・・。
「秋さん・・・そんなに、自分を責めないでください。」
明るい口調で言ったつもりだったのに、綾乃ちゃんにはそうは映らなかったらしく、俺の肩に綾乃ちゃんが手を添えて顔を心配そうに覗き込んできた。
その時。
「おいっ、シュウッ!!綾乃に手ぇ出してみろっ!!この店つぶしてやるからなっ!?覚悟はできてんだろうなぁっ!?」
そう言って、いきなりジョージがしまってあった竹の棒がついたままの暖簾を振りまわした。
「おいっ、誤解だっ!危ないから、ジョージやめろっ!!」
と止めたのに、ジョージのやつは綾乃ちゃんの事になると見境がつかなくなり・・・暖簾の竹の棒でおもいっきり俺に殴りかかってきたが、ヒョイと避けると。
その竹の棒は見事に壁の出っ張りに引っ掛かり、それを思いっきり引っ張ると・・・。
ビリッ――
っと、暖簾が破けた。
「だからよ、悪かったって。」
綾乃ちゃんが物凄く怖い顔でジョージを睨みつけるから、ジョージはデカい体を小さくして頭を下げ、誤解して暖簾を破ってしまったことを謝ってきた。
本当に吃驚だ・・・以前のジョージならこんな風に謝るなんて考えられないことだ。
いつも斜めに構えていて、こんなに素直な言葉がでなかった。
幸せになるってこういう事なんだろうと、目の前のジョージを見てつくづく思った。
「もう・・・いいよ。どうせ移転する時に、暖簾は新調するつもりだったし。」
「じゃあ、暖簾はジョージがプレゼントしてあげてくださいね?」
俺が気にしないようにという意味でそう言うと、すかさず綾乃ちゃんがジョージにプレゼントをしろと続けた。
綾乃ちゃんは本当にいい子だ・・・そんなに気を遣わなくてもいいのに。
俺が気にしないで、と言おうとした時。
「おー、激励の意味で俺から贈ってやるよ、暖簾。だけどなぁ・・・『みのり』って店の名前、アレだろ?この前の店が『みのり』で、そのまま居ぬきで親父が買ってそのまま使ってたんだろ?せっかくだから、ダイニングにすんだ、店の名前変えたらどうだ?それに合わせて暖簾もかえりゃあいい。」
突然、ジョージがそんなことを言いだした。
まあ・・・確かに板前さえできりゃ何でもよくて、名前にも店構えにもそんなに思い入れがなく、そのまま『みのり』って使ってたしな・・・。
浜田さんも、新しい店は俺の好きにしていいって言っていたし。
そう言うと、綾乃ちゃんが真剣な顔で。
「だったら、今度は、物凄く思い入れのある名前とお店にして、大切にして下さい。」
そう言ってくれたから――
俺は、新しい店の名前は、大切にしたい思いを込めようと思った。
大切にできなくて、失ってしまったもの。
失ってから、色々な事に気がついたけれど、既に遅くて。
それでも、失ってしまった後でも、気がついたのだから・・・。
ずっと大切にしていこうと、今は思っている。
「秋ちゃんには、青がにあうよ!・・・秋色の青!!」
朱里がよくそんなことを言って、俺に青い色の物をプレゼントしてくれた。
たわいもない物ばかりだったけれど、そのたわいもない物がどれだけかけがえのない物だったかなんて・・・。
俺自身ももともと青は好きで。
だけど、深くは考えなかった。
今になって思うのは・・・俺の色って朱里が決めた色を持つ俺を、嬉しそうに見ていたあの笑顔。
なぜ、あの時に、あの想いに気がつかなかったのだろうか。
なぜ、大切にできなかったのだろうか・・・。
だからこそ、もう、もどってはこないけれど・・・。
大切にしていきたいと思っている・・・これから、ずっと。
そして俺は、新しい店の名前を決めた。
ずっと、大切にしていくと、想いをこめて――
店の名前は。
『オータムブルー』