2-01 噂話
一日の仕事は夜明けと同時に始める。
早い時間だからこそ起きている者も少なく、
夜行性の魔物も寝静まっていて
安心して道具を持ち出した。
僅かな朝日を頼りに両手いっぱいの薪と
鉈を切り株のそばへ運んだ。
カッ、パキッ! カッ、パキッ! カッ、パキッ!
自分の手より大きく重い鉈を巧みに使いこなし、
すさまじい速さで薪を両断する。
扱うものすべてが自身の腕には重すぎるため、
何かを始めるたびに息を止める。
静かな村落の朝に小気味のより音が小さく響き渡っていた。
「ふぁ~、よう。早えなぁ」
「うむ。おはようございます、だ」
家主の中年が眠たげに薪を割る少年に近づく。
「申し訳ない。起こしてしまっただろうか」
「いやいや、いいよ。おぉ、早い。
もうこんなに割ったのか」
「まぁ。もう少しやれるのだが、割りすぎても
嵩張るからこのあたりで片づけようと思っていた。
畑の耕しをしたいのだが、どうすればいいか
分からぬからそこで見ていてくれないか」
「そうか。悪いなぁ。そこまでさせちまって」
「いやいや。大したことではない。これぐらいはさせてもらわねば」
薪割の道具を一式片付け、身の丈の倍は長い鍬を担いで
少年は畑に入った。
見てほしいと頼まれたが、少年の耕しが完璧だったため、
家主は雑談を持ち掛けた。
「知ってるか。最近、化け物が増えてるって話だ」
「化け物? 魔物とは違うので?」
「魔物なんだが、普通の魔物じゃねえ。
なんでも行商人から聞いた話じゃ山みたいにデカい大猿とか、
家を丸呑みするミミズとか。
そういう俺みたいな農民じゃ手に負えないのが
色んなとこで見つかってるんだとよ」
「それはまた大変だな。
ここでそれが出たらどうするんだ?」
「そりゃもう逃げるしかないわな、ここを捨ててでも。
一応、村から届け出は出しているんだが、いつ出てくるか分からねえ化け物のために、
こんな小さな村を兵士様が一日中警護してくれるわけもなく。
期待はできないよな」
「そうか。仕方ないとはいえやり切れんな」
少年はこの村の人間ではなく、特別な愛着があるわけではないが、
知人である家主のいる村が襲われる光景を想像すると気が重くなった。
「気にすんな。これくらいへこたれる俺たちじゃねえよ。
お偉い兵士様たちには雑草みたいな俺たちだが、
雑草は雑草らしくしぶとく生き延びてやる」
「そうか。うん。強いな」
「まぁな。それよりお前たちだ。
旅を続けるならこの先、どこかで会うかもだ。
しかもこれもその行商人に聞いた話だが、
最近向こうの山で出たらしいぜ、化け物」
「なんと!? どんな奴だ?」
「鬼、らしくてよ。ここから二番目に近い町にいた
腕利きの兵士が襲われたんだ。
全身が岩に覆われてて普通の大人より三回りほど太くて
大きいんだとよ。見るからに凶暴そうだったらしく、
そりゃもう死ぬ気で戦って、なんとか町に出る前に倒せたらしい」
「良かった。そんな奴が近くでのさばっていたら落ち着いて夜も歩けん」
「っていう話なんだけど、それ全部、話に出てきた兵士が言ったことで、
倒した鬼の死体なんてどこにもねえの」
「まさか。実はまだ生きてるってことか?」
「あると思うぜ。まぁ俺は全部そいつの作り話だと思うんだけどな?
ただ、その兵士が倒れてたとこだけ嵐に遭ったみたいに荒れてたっていうのは、
他の兵士たちも見てるから全くの嘘じゃないんだろうよ」
話している内に少年の畑仕事が終わり、
鍬を片づけに戻ってきた。
「では。我らはここで行こうと思う」
「朝飯ぐらい食って行けよ。急ぎじゃねえんだろ?」
「気持ちだけありがたく。しかし、ここは居心地が良すぎる。
離れられなくなってしまう」
「俺としちゃあもっといてくれていいんだがな」
実はこの少年と家主は昨日の日中から始まったばかりの
浅い付き合いだったのだが、こんこんと話したり、仕事を手伝ったりするうちに
かなり深い絆を感じるほど親密な仲になっていた。
「俺もまぁ今から山に出るから見送りは無しだ。
馬屋の姉ちゃんを連れて行っちまいな。
あと、少ないがこいつは餞別だ。これぐらいは受け取ってくれよ」
家主は後ろ手に隠していた林檎を少年に投げ渡した。
表面がきれいに磨かれた大きな林檎だが、
形がいびつで商品としての価値は低そうだった。
それでもこの家の台所事情を知る少年にとって
この林檎がとても価値のあるものだと分かっていた。
それを受け取った少年はリンゴの値段以上の
家主からの信愛を感じて礼を言う。
「ありがたい。大事に食べる」
「大変だねえ。姉弟で流浪なんて。
そのお姉ちゃんは何にもしないし」
少年への温かいまなざしから切り替わり、
こじんまりした小屋にいる少年の姉とやらを
冷ややかに見る。
「それはただ、今回は出番がなかっただけだ。
持ちつ持たれつ、いつも十分助けてもらっているとも」
「そういうものかい。まぁいいか。
それじゃあな」
家主は山菜取り用の網かごをもって出かけた。
その背中に少年はもう一度礼を言った。
「泊めてくれて本当に感謝している。
ありがとう。またいつか会おう」
「ああ。気を付けてな」
手を大きく振る少年に家主も手を振り返し、
山へ入っていった。
「さて、では行くか」
別れを言った通り、少年は連れの姉を起こしに
馬屋へ入った。
「おーい。起きろ、出発するぞ。化け物に見つかる前に」
「ん~、化け物?」
乾草の上で薄い布にくるまった大きい団子が揺れる。
熟睡していたところをいきなり起こされた女が
目をこすりながら聞く。
「そうだ。なんでも鬼のような姿をした凶暴な魔物が近くの山に出たらしい。
近くの腕利きの兵士と張り合うほど強く、戦闘後は嵐が通ったみたいに
ぐちゃぐちゃになってたらしい。
家主には悪いが我らではどうにもならん。さっさとここを離れよう」
「その、化け物って――」
寝ぼける姉から布切れが落ちる。
「あたしのことじゃない?」
現れたのはごつごつした鱗で
身体の半分を覆ったまごうことなき人外の化け物だった。




