1-29 転生
どこかへ流れていく、そんな感覚をレイは覚えていた。
目を閉じているような、しかしどう感じ取っているのか
分からないが自分は真っ黒などこかを何かで動いている?
やはり分からない。具体的なことを一つも説明できないが
なんとなく分かることは自分は何かの理由で死んでいる。
この後、自分は天国か地獄に行くのだろう。
端から緑色の砂粒になって『私』が溶けていく。
分からないことが増えて、何も分からなくなって、
『何』が何かも分からなくなって、消える。
「ぐえっ!」
何かに捕まれた。
白くて大きな手が砂粒になった私の首を掴んでいる。
自覚した時にはすでに『私』に形が出来上がっていた。
呼吸していないはずが息苦しさを感じる。
ばたばたもがくレイを白い手は芋でも抜くように
雑にどこかへ引っ張りあげた。
「はっ!」
どれくらい寝ていたのだろうか。
一瞬のような永遠に近い時間寝ていたような
不思議な目覚めだった。
「愚か者め!」
寝起き早々、誰かに怒られた。
「まだ寝ぼけているのか。レイ」
赤黒い肌に頭から二本、巻き角が生えた子どもが
そばに立って怒っている。
「そう。レイ、それが私。あんたはノラ、魔王(自称)」
「否定はせんがわざわざ口に出して(自称)をつけるなよ」
頭ははっきりしているのに思考が鈍い。
空っぽの頭に色々なことが流れ込んできた。
知識、経験、感覚。生まれてから斬られるまでの全ての
情報がフラッシュバックする。
「そうだ。私、斬られて死んだんじゃ。
でも、生きてる。もしかして実は大した怪我じゃなかったの?」
「いや、死んだ。自分の体を見てみるがいい」
「え? ちょっと、何よこれ!」
言われて腹の傷を見ると
剣の傷はきれいに塞がっていた。
問題は体に余計なものがくっついていることだ。
一言で言うならトカゲ。
黒くて刺々しい皮が左足から傷痕の上を縦断し
右肩、右手を侵食している。
腕を振ってみると動きに合わせて
皮が皺を作って伸び縮みしていて、
被り物ではなく、自分の体の一部であると実感する。
「お主の命を我が魔王の力に直結させた」
非現実的な状態をノラが答える。
「レイという人間は死んだ。ゆえに我が二度目の生で
溜め込んだ魔王の力を全てつぎ込み、
半人半魔という形で延命させた。
一度死に、元とは違う姿で蘇ったから
やはり蘇生というより転生した、というべきだろうな」
「転、生……」
死んでしまっただけでなく転生とまで言われて
かなり大きなショックを受けたが、
不思議と頭に入って落ち着いていた。
「状況が飲み込めたところで言わせてもらうがな、
無謀にも程があるわ!」
おそらく転生の疲れから肩で息をするノラは
レイに精一杯の説教をする。
「命の扱いが軽すぎる。我がいなければ死んでいたぞ。
弱いのだろう? ならばもっと大事にしろ。この大馬鹿者め」
「大馬鹿って。その私に助けてもらったんだから、
そこまで言うことないでしょ」
「大馬鹿者だ。こんなところで死んでどうする?
認められて嬉しかった?
ならば生きろ。生きてさえいれば
この先何度も認められるだろうよ。
たったそれだけでお前の望みが叶うのに
なぜ真逆に死のうとする?
馬鹿と言わざるをえないだろう」
「別にそういうつもりは。
というかそれはちょっと楽観的過ぎじゃない?」
「楽観的? 結構ではないか。
思い通りにならない世の中だとは分かっている。
だからこそたった一度の人生だ。
失敗前提で難しく考えて過ごすより
頭空っぽにしてテキトーに生きる方が絶対に楽しいだろう」
「楽しいって、それで世の中渡っていけるわけないじゃない」
「そうだろうか? 他の何かのために自分を制限していることが
果たして世の中を渡っていると言えるのか? 流されていると言うのではないか?
それを喜びとするなら良いが、あくまで人生は自分のものだ。
己の欲望に従ってこそ生きていると言えるのではないか。
それとも、誰かの許可が無ければ幸せになることさえできないのか」
「それは……」
レイは言葉に詰まった。
ノラの考え方は間違っている。
それはただ自己中心的なだけで周りのものを振り回す。
最終的には手元には何も残らず孤立する。
そして人は一人では生きていけない以上、それで『終わり』だ。
だが、それをどう伝えればいいのか。
ノラを説得させる言葉が見つからない。
考え込むレイを見てノラは一つの結論を出した。
「理解した、我がするべき恩返しが」
ノラは小さな手をレイの両肩に置き、
見つめるように言った。
「お主を幸せにしてやろう」
「へっ!?」
唐突な告白に目を丸くしてしまう。
「その他人に優しすぎる性格は素晴らしいと思うが、
それに慣れすぎてレイは幸せというものを忘れてしまっている。
だから、我が一生をかけてお主にそれを思い出させよう」
「えっ、えっ? 何これ、どういうこと?
なんで私、いきなりショタにプロポーズされてるの?」
ノラに恋心を持っているわけもなく全く嬉しくないのだが、
自分への真剣な眼差しについかおを早くしてしまう自分に困惑した。
「おぉい、お前らっ! いつまで喋ってんだ!」
混乱する頭を待ってくれず状況をかき混ぜた。
この場にいた最後の一人、隊長の存在だ。
「急に訳の分からねえ光にぶっ飛ばされたと思ったら
目の前でイチャつきやがって。なめてんのか」
全くその通り。返す言葉もないが、
状況を整理するだけの時間を待ってほしかった。
「術式の余波に巻き込んだことは申し訳ない。
なにしろ緊急だったので、隊長殿のことを考える余裕がなかった。
あと、今はこのレイと大事な話をしているので、
もう少しだけ待ってもらいたい」
ノラは明らかに怒ている隊長をにべもなくあしらう。
この態度に怒りのボルテージをさらに上げる隊長は
わなわなと震えつつ、努めて冷静に問いただした。
「大事な、だと? それは、俺のことよりもか?」
「そうだ」
怒りのメーターを振り切ってむしろ優しげな口調に
レイは背筋の凍る思いをする。
しかし、ノラはそれを一切感じず、
間髪いれる間もなく隊長を拒絶した。
「そちらも仕事でここまで来たことは分かっているが
昨日の泥棒捜索から察するに昼間から酒を吞んでも
構わない程度の重要度なのだろう?
加えて、落ちぶれて…申し訳ない、良い縁に恵まれなくて
今の地位に甘んじているとのこと。
察するに仕方なくさせられているだけで、
いい加減な気持ちで取り組まれているのだろう。
その相手をするよりは、こちらを優先させたい」
「ッッッ!」
「まぁ、出来るだけ手早く済ませるので、
昨日のように酒でも呑んでゆっくり待っていて欲しい」
「くぁっ」
血管が二、三本切れる音がした。
おそらくノラは素直に相手を立てていたとレイは思う。
しかし、二人には皮肉のようにしか聞こえなかった。
怒りのメーターを振り切り隊長は狂ったように激怒する。
「おや? 失礼だとは思ったが、そこまで怒ることか?」
「当たり前だ! このままじゃ、二人まとめて殺されるわよ」
「そうか。それなら都合が良いな」
「はぁ!?」
ノラはレイの後ろに回った。
「逃げ切ろうと思っていたが、
レイのためにここで戦おう」
「は? 私のため? 意味が分からない。
なんで私を前に出す。戦うのは私じゃなくてあんたよね?」
「レイにはここで隊長殿と戦い、
相手を叩き潰す快感を覚えてもらおう」
「なにその物騒な考え? 全く賛同できない。
ちょっと押さないでよ!」
「いいから行ってくる!」
勢いよく背中を押し出され、
怒りで猛進する隊長の前にさらされる。
問答無用に斬りかかる隊長に
自分でもバカだと思うが、気迫に負けて無防備に腕をかざしてしまった。
どうぞ斬ってくださいと投げ出した腕に刃が食い込む。
直後、飛ばされる長い影。
だがそれは、レイの腕ではなく隊長の剣だった。
「「は?」」
斬る側も斬られる側も呆けた声を漏らす。
隊長の手は強い衝撃を受けて震え、
レイの腕は剣の感触を残しているがまるで痛みがなかった。
「何を驚いている?
お主の体はもう『魔王』になってしまったのだ。
それくらいの物なら通じるはずがないだろう」
生身が剣を凌駕する事態に元魔王だけが
当然のことだと言う。
「もう一度言おう。もはやお主は人ではない。
半端な刃ではその体を通さぬし、見た目以上の膂力を発揮する。
自覚せよ。お主はもう人としての常識を逸脱した存在になってしまったのだ」
指摘され、改めて自分の内側に意識を向けた。
体を流れる血にかつて存在しなかった大きな何かが巡っている。
「これが、魔王の力」
掴みどころのない物に戸惑いを感じるが、
悠長にしている暇はなかった。
「ふざけんな。何が魔王の力だ」
落とした剣を構え直し、隊長が睨みつける。
一度殺された恐怖に退きそうになる体を
ノラの声が押しとどめる。
「恐れるな。隊長殿はお主より強い。
だが、それでも勝つのはレイだ」
「何を根拠にそんなこと――」
「信じろ! 己より強いものをひれ伏し漫然と立つ。
その姿を想像しろ! そのイメージがレイを強くする!」
ノラは腕を組み、土を踏みしめる。
ここでもしレイが退いても自分は残ると、
そう言っているようにレイは思った。
それでいいのか。
ここまで自分を信じてくれる人を、
自分を認めてくれた人を置いて逃げていいのか。
「くっ」
恐怖はまだ残っている。けれど、
退いてはいけない理由が出来てしまった。
どこまでできるか分からないが、
目の前の強敵に立ち向かうべく、こぶしを強く握った。




