1-28 対価
「っ!」
レイは土のついた手で体を起こした。
起きてノラを叩き斬る隊長を止めにかかった。
作戦はない。衝動的に動いただけで
本当は止めるつもりもなかった。
とにかく止めようとレイは隊長に全身をぶつけた。
いくら非力な自分でも後ろから全体重をぶつければ
多少、体がぶれると思ったからだ。
目論見通り、隊長は腕がぶれてしまい、
振り下ろした剣はノラの髪の毛を数本落としただけだった。
「ちっ、邪魔すんな!」
しかし、それもほんの一時しのぎにしかならなかった。
振り向き様に振った剣がレイを斬り上げる。
「レイっ!」
左の脇腹から右肩まで深く切り裂かれ、血が激しく吹き出す。
「ぶっ、目に血がっ!」
あまりの出血量に視界を奪われ、
よろけた隊長は足を変に捻って倒れてしまった。
「くっ」
ノラは倒れる隊長を押しのけ、
膝から崩れ落ちるレイの体を支えた。
「なんということを」
「……今のうちに」
「死にたいのか、しゃべるな! 今、なんとかする」
「なんとかって……これを?」
今も大量の血を流し、体を預かるノラが赤く染まっていく。
「さすがにどうしようもないわよ。あんだだけで逃げなさい」
「バカを言うな! まだ恩を返していない。
我を恩も返さぬ恥知らずにする気か!」
「もうもらったわよ」
「何をだ。飯一食くらいだぞ。
川で二回、屋敷で一回そして今またこうして助けられた!
自分の命を差し出してまで助けるほどの物を
知らぬ間に我はやったというのか!」
「『頑張ってきた』って言ってくれた」
声が弱々しく、今にも事切れそうだった。
極度の痛みで意識すら切れそうだが、
それでも使命を感じてノラに思いを伝える。
「名誉とかお金とかが欲しくない訳じゃない。
結果が出なくて無駄な努力って切り捨てられても仕方ないけどさ、
それでも『お前は頑張った』って誰かに言ってほしかった。
それだけで十分よ」
「そんなもので命を捨てられるか!」
言葉一つと命一つ。どう見繕っても釣り合いが取れていない。
いよいよ危険な状態に陥ったと焦り、ノラは声を荒げた。
それに比べてレイは穏やかだった。
「捨てるつもりはなかった。
でもさ、仕方ないじゃない。私、単純なのよ。
ずっと誰にも見てもらえなかったのにさ、
急にそんなこと言われたら、嬉しくなるじゃない。
それでさ、認めてくれたら、そいつ死なせたくなくなるじゃない。
本当に。私ってバカだなって思うけど、まぁこれはこれで、良いかなって思うよ」
「良いわけあるか。おいっ、しっかりしろ。しっかりしろ!」
重い体をゆすってみるが、すでにレイは息を引き取った後だった。
「…………」
レイが死んだ。たったそれだけのこと。
冷たくなっていく体を肌で感じ、
もうどんなに声をかけても揺すっても返事をしないと理解した。
ノラは動かなくなった体をそっと下す。
血の気が引いて青くなっているが満足した顔で絶命したレイを見下ろして言った。
「やはり人間。どこまでも愚かな生き物だ」
ノラはありったけの侮蔑を込めてそう言った。
恩人が死んで悲しい、と思わなければならない。
自分に良くしてくれた人が死んだとき、人間は泣くことが当然だ。
頭ではそう思っていてもノラはあくまで貴重な道具として
勝手に死んだことへの憤りでいっぱいだった。
「認められたから助けただと? ばかばかしい。
有終の美を飾ったつもりか。それはただの犬死と言うのだ!」
返しきれていない恩がなければ今にも踏みつけそうな勢いだった。
死体に鞭打つとは人としての思いやりがないといった意味があるが、
ノラの場合、そもそも人じゃない。
魔王。人の敵。人を害する魔の王。
人を知るための勉強をしているが、
どうしても人と同じ視線になれなかった。
「屈辱を与えてやる」
だからノラはレイを苦しめる。
満足した人生に蛇足をつける。
「術式展開」
ノラがレイの赤黒い切り傷に触れた瞬間、
光の文字式が地面を這った。
それは二人を中心とした円状の模様を何重にも組み上げていく。
「お主が笑って迎えた人として輝かしい最期を台無しにしてやろう。
お主の命には足りぬが、泥をすすった我が五十年。
その身に宿し人としての生きられぬ苦しみを受けるがいい」
文字式が各層で時計・反時計回りに高速回転、
地面が大きく揺れ、一帯の木から鳥が飛び立った。
「簡易転生起動!」
ノラの詠唱に文字式が強く発光し、
爆発したように立ち上った光の柱が二人を隠した。




