第4話 策士
「具合悪いのか?」
屈みながらこちらを窺ってくる青嵐の声に雪華は、はっとする。どうやらぼんやりしてしまったようだ。あのあと待ち合わせをして城下町に連れてきてくれたのだがつい先程みた光景が頭から離れずにいたのである。
「いえ。大丈夫です。すみません」
謝罪をする雪華に彼は控えめに言ってきた。
「無理はしなくていい。今日はもう戻ろう」
「いえ!本当にどこも具合は悪くありません!」
「でも…」
それでも納得していなさそうな彼に雪華は思いきって言ってみる。
「違うんです。その、実は先程青嵐様が可愛らしい女性と一緒のところを見てしまって…」
その言葉に青嵐の表情がばつが悪そうに変わる。
「ごめんなさい。その、偶然見てしまって…」
「そうか……」
ふぅっと疲れた様に息を吐く青嵐に居心地悪く雪華は肩をすぼめた。
「彼女はとある有力貴族のご令嬢で幼馴染でもあるんだ」
それを聞いて雪華は、やはりと思った。きっと将来的に結婚を考えていたからこそ幼い頃から共に過ごさせたのだろう。令嬢の方も青嵐に明確な恋心を持っていた。そして青嵐と結婚する未来を信じて疑わなかったのだろう。
そんなときに雪華との婚姻話が降って沸いてでたのだ。今まで信じて疑わなかったものが音を立てて崩れていくのを彼女は納得できなかったのだろう。
何も言えないでいる雪華に青嵐は困った様に表情を曇らせる。
「誤魔化しても仕方ないから言うけど。確かに彼女との間には将来を見据えた話もあった」
けど、と青嵐は雪華の瞳をまっすぐに見て告げる。
「俺は彼女のことは嫌いではないけれど女性として愛してはいなかった。それに今の俺には他に気になる相手がいるから」
「え?」
驚く雪華に彼はさらに爆弾発言をした。
「俺のこと覚えていませんか?雪の姫」
「……え?」
雪華は言われた言葉が瞬間理解できなかった。
今青嵐は私のことを何と呼んだ…?
「な、にを言って…」
「髪や肌の色を変えているけれど俺は貴女を間近で見る機会が昔あったんだ。そして助けて貰った。貴方の治癒の力で」
雪華は瞳を大きく見開いた。
青嵐は今『治癒の力』と言わなかったか?
青嵐はまっすぐに雪華を見つめる。
「この大陸で治癒の力を有する者は希少だ。魔法は数多くあれど治癒の魔法はたいした怪我は治せない」
けれど生まれながらに強い魔力を持つ者の中には治癒能力を持って生まれてくることがある。その奇跡とさえいえる力は国が喉から手が出る程欲する力だ。何故なら息さえしていれば瀕死の相手ですら助けられるのだ。
困難な病さえその力にかかれば完治するという。
本来なら雪華がそんな力を持っていたと知っていたなら父王が彼女を手放すわけがなかった。それから導きだされる答えは彼女がその力を隠しているということに他ならない。治癒の能力は奇跡を起こす。だが奇跡の代償がないわけではない。治癒能力者は己の魔力と命を削って相手を癒すのである。戦争をしていた時代は命尽きるまで利用されることもあったと聞く。だからこそその能力を有する者はその力を隠す傾向があるのだ。
「貴女がその力を隠すのは理解出来るし言う気もない。ただ、今回の話は俺にとっては願ったりな話だと言うことを伝えておきたくて」
「………」
何も言葉が返せない雪華に青嵐は初めて微かな笑みを浮かべた。
「改めてあのときはありがとう。貴女のお陰でこうしていられる」
「………会ったことが、あるの?」
雪華は開き直ることにした。どうしても思い出せないのだからここは聞いてすっきりさせたかったのだ。
「昔、ね」
懐かしそうに瞳を細める青嵐に雪華は思いだそうと考える。そう簡単には治癒能力は使ってはいないのだ。余程のことでもない限り使わないと決めている。それが母親との約束だから。
(私が昔にこの力を使ったのって…)
そこまで考えて心の琴線にひっかかるものがあった。
「まさか……?あのときのおちび、さん?」
信じられない様な眼差しで見る雪華に青嵐は嬉しそうに笑んだ。
「思い出して貰えて嬉しいよ」
その言葉に自分の推理が当たったことがわかった。
そして思うのは。
「育ちすぎでしょうっ!?」
あの頃は雪華よりも小さくて絶対年下だと思ったのに。
「あのあと急に背が伸びてね」
今の青嵐は雪華が仰ぎ見る程背が高い。数年でこんなにも変わるものなのか。
「だいたい何で桜嵐国の王子が秋華国に来るの?」
「ああ。それは色々見て回っていずれ国を継ぐ兄上のお力になれればと思って見聞を広めたくて」
変わり者で通っている第二王子はほぼ公の場に姿を現さない。
「あなたが公の場に姿を現さないのは旅に出ていたからなの?」
「国のあちこちも回ったよ。じかにこの目で見て確かめないと気が済まなくて。それが高じて外の世界も見てみたくてね」
そしてまだ治安の良くなかった秋華国に来て災難にあったのだった。
「これでも腕には覚えはあったんだけど魔法の手練相手だったから遅れをとって目をやられた。あのままだったら両目失明だったのを通りがかった貴女が治してくれたんだ」
そう。両目を傷つけられ身ぐるみ剥がされた少年を見た時雪華は一瞬迷ったものの自分より幼い少年が光を失うなどは不憫でしかなくまだ幼かった自分はつい母親との約束を破り治癒能力を使ってしまったのだった。
「今でも覚えてる。痛みがすぅっと引いていって温かな感覚を両目に感じた」
そして開いた瞳に映ったのは白銀の長い髪を両脇の高い位置で結いあげた幼いながらも美しい少女。紫水晶の様な瞳がとても綺麗だと感じたのである。
「まだ寝てなさい。もう、大丈夫だから」
優しい声が耳に染み込んできて、ふっと意識が眠りに引き込まれる。
けれど次に目を覚ました時には少女の姿はなく彼女の舎弟だという少年達が自分を保護してくれていたのだ。そこであの少女が秋華国の姫だということを知った。
「そこから貴方のことを色々調べて今回の縁談話が進むように策略を巡らせたんだと言ったらどうする?」
「どういう、意味?」
雪華はわけがわからず青嵐を凝視する。それに平坦な声音で彼は答えた。
「一目惚れしたと言ったら、貴女は信じる?」
「信じない!」
瞬間言い返していた。
「即答…」
どこか傷ついた様な声で呟く青嵐に雪華は、キッと瞳を厳しくした。
「だ、だって、私みたいながさつで乱暴者のどこに惚れる要素あるわけ?まだ治癒能力目当てって言われた方が納得するわっ」
「まぁ、それも込ってことで」
「……軽いわね」
「だって正直羨ましいんだ。強い魔力に魔法も使えて剣の腕もあってしかも治癒能力までなんて。憧れ、かな」
「何を言って…」
「だって俺は魔力はあっても自由に使えないから」
「使えない?」
「そう。魔法士に言わせると潜在的に魔力はあっても使う能力が皆無らしい。そう言われてしまえばどうしようもない」
ため息をつきながら青嵐は吐き出した。
「だから体術や剣術は人一倍努力してきたつもりだけどね」
無い物ねだりをしたところでどうにもならない。そこは割りきっているつもりである。
「だから貴女が俺の妻になってくれるならこれ以上心強いことはない」
青嵐は雪華の手を取り己の唇に触れさせた。
「どうか俺との結婚を前向きに考えてくれると嬉しい」
雪華はどきりとした。青みがかった黒の瞳が雪華を映す。
「というかこの縁談は断れないじゃない」
なんとか言い返す雪華に彼はおかしそうに微苦笑した。
「ああ。だって策略したから、ね」
変わり者だという噂を隠れ蓑にしてこいつはとんでもない策士かもしれないと雪華は唇を噛み締めた。