第2話 雪の姫
賑やかや人の声が行き交う人混みの中少し前を歩く大きな背中を見失わない様にとじっと見上げつつ付いていく。そして先程の会話を思い出していた。
「ゆ、雪姫、様の婚約者という貴方様は、では…」
驚いた表情で見てくる少女に少年は、ああ、と今気がついたという顔をする。
「申し遅れて申し訳ない。俺は桜嵐国の第二王子、青嵐という。よろしく頼む」
(やっぱり本人だ──っ!!)
雪華は心の中で叫ぶ。
こんなに早くに会えるだなんて。しかもこんな近さでなど予想外もよいところではあったがせっかくの機会を逃す手はない。
雪華は彼からの申し出を断ることなくうけることにしたのである。
「あそこの果物屋は美味しいものを揃えていて絞った果実水も売っているんだ」
青嵐が指差す方に屋台の様な店が見えた。そしてその前は人だかりが出来ている。
「飲んでみるか?」
「はい!ぜひっ」
青嵐の言葉に雪華はふたつ返事で答える。桜嵐国の果物にとても興味がそそられた。
少し待ってろと離れた場所で雪華を置いて買いに行ってくれることに甘える。待っている間ぐるりと周りを見るととても賑い物も豊富に店先に揃っているようだ。食材だけではなく衣類や装飾品の店も見えてこの国も経済の流通はしっかりしているのだと感心する。そして隣国とはいっても間には複数の小国を挟んでいるのでここには自国では見られないものもあり雪華の目を楽しませていた。
「お待たせ」
言葉と共に差し出されたストローのささったカップを雪華はお礼を言いながら受けとる。
「あの、おいくらでしたか?」
「いいよ。これくらい」
ストローの口をつけながら彼は答えた。雪華がそれでも遠慮をみせると青嵐はやはり感情のうかがえない声音で言ってくる。
「せっかく桜嵐国に来てくれたんだから良い思い出を持って帰って欲しいんだ」
雪華は、じっと青嵐の顔を仰ぎ見る。それに照れた様に彼の頬が赤くなっていく。
「じろじろ見るな」
憮然と言ってさらに果実水を啜る青嵐に雪華はくすりと笑む。
「では、お言葉に甘えて頂きます」
雪華もストローに口をつけ啜ると口の中には爽やかな甘さが広がった。彼女の瞳が見開く。
「美味しい!これは飲んだことない味だわ」
「桜嵐国特有の果実だからな。あの店の一番人気でもある」
どこか自慢げに話す彼に彼女は優しく微笑する。
「青嵐様はご自分の国のことお好きなんですね」
「当然だ。氷雨だってそうだろう?違うのか?」
不思議そうに問われて雪華は瞬間答えに窮した。
(私は……)
「よく、わかりません」
好きと言えるものが雪華の中には存在しない。しないことに悲しさがあるわけではなかったけれど好きと言える彼にその生い立ちはけして不幸ではなかったのだろうと感じた。
(私とは違う…)
妹と仲違いしているわけでもない。父王と反発していることもない。自分を気にかけ助けてくれる人もいる。
でもやはり好きと言えるものがあの国にはないのだ。
(その時点で姫失格だわ)
「ところで」
「は、はいっ?」
知らずぼぅっとしていたらしい彼女は慌てて返事をする。
「雪の姫のこと聞いてもいいか?」
「あ、はい」
一体何から話そうかと雪華が思案していると彼の方から切り出してきた。
「俺も噂で聞いただけなんだが何でも物凄い乱暴者らしいな?」
「はい?」
思わず、「はぁ?」と言いそうになったが何とか耐える。
「確かある時は城下町で悪さをしていた連中を叩きのめしたとか。そのあともそのことを逆恨みした奴等が姫を襲おうとしたら逆に返り討ちに合いそれは酷い仕打ちを受けた奴等は二度と姫には関わらない様になったと…」
確かに身に覚えはあった。
だけどそれはあいつらが若い女性をさらおうとしたから助けただけだ。男の力と数を頼みに非力な女性を拐かそうとした奴等が許せずきつくお灸を据えてやったのだ。自分も女なれど非力ではない。魔法にも自信はある。闘える者が闘う力がない者を助けるのは当然の行為だ。
民を助けるのは王族としても当然なのである。という建前で確かに暴れすぎた感は否めなかったが。
ううん、と雪華は内心唸る。
それにあとからお礼参りに来られた時は良い度胸をしていると完膚なきまでに叩きのめしはした。確かにちょっと楽しかった感は否めなかったが。
ううん、と雪華の眉間に皺がよる。
「とにかく城下町の悪いとされる者達を片っ端から叩きのめして回っているらしいと聞いた。本当か?」
「え、ええっと…。姫様は、売られた喧嘩を買われただけ、かと…」
口許がひきつりそうになりながら雪華は言うと青嵐はそれに、なるほどと頷く。
「喧嘩っぱやいのか」
「だって、買わないと解放してくれないんだから仕方ない、ですよ、ね?」
思わずムキになりかけて雪華は己を抑えた。
「つまり向こうから突っかかってくるのが原因だと?」
「そうです!その通り、ですわ!」
力一杯頷いて彼女は肯定したーやり過ぎたことや楽しんでしまったことは棚上げである。
「氷雨は雪の姫と会ったことはあるのか?」
雪華はぎくりとしてしまう。ここは会ったことはないとするべきか会ったことはあるとして訂正を入れるべきか。そして彼女が取った選択肢は「いえ。お見かけすることはありましたがお話をしたことはありません」だった。
「そうか…」
雪華の答えに彼は考え込む。そして暫くすると彼女を見て問いかけた。
「でも売られた喧嘩を買うくらいには気が強いということか」
「そう、かも、しれません…」
歯切れ悪く肯定する。何せ自分のことを未来の婚約者となる相手に問われることほど滑稽なこともないだろう。
(何をしているの?私は…)
変な精神的疲労を感じながら雪華は表面上は笑顔を張り付かせていた。
「もしかして気を悪くしてしまったか?」
何を察したのか青嵐は表情を改めて雪華の顔を覗きこんでくる。近づく顔に思わずどきりとして僅かに後ろに身をひいた。それに気づいて青嵐は、すまないと謝罪を述べ一歩後ろに引く。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしてしまって」
「いや、俺の方こそ気安くしすぎてすまない」
どうやら照れたと思われたらしい。それに安堵して雪華は心の中で呟いた。
(あまり近くで見られるのもまずいわ)
いくら自分が了承したといえ本来ならこんなに近づくつもりはなく、情報収集と遠目から見れたらと思っていたのだ。それなのに城下町を案内してもらうことになろうとは今更ながら何の運命の悪戯か。