プロローグ
「ねぇ、◯◯?」
「ん…?」
僕は今日も彼女と遊ぶ。彼女のことが好きだから。
「私ね……。◯◯のことが好き…」
「俺は……◯◯のことなんか好きじゃない」
嬉しかった。
「これからもずっと一緒にいたい」
「…俺は◯◯となんていたくない」
でも、彼女といると恥ずかしくて、
「私◯◯と結婚する」
「…俺は◯◯とは結婚しない」
自分の心に嘘をつき
「私◯◯のお嫁さんになることが夢なんだ…」
「…◯◯をお嫁にするつもりなんてない 」
彼女の無垢な心を傷つけた。
「………なんで…いつもひどいこというの?」
そんな彼女は今にも泣きそうな顔をして
「…ぐすっ。もういい……!私、帰る……」
唇を噛みながら逃げるように帰ってしまった。
「あっ…」
追いかけようと伸ばした手は何かに掴まれ、踏み出そうとした足は地から離れない。声を出そうにも喉に何かが突っかかる。
彼女を追おうにも体は罪悪感からくる錯覚に負け、僕は彼女を追いかけることができなかった。
そして彼女が僕の目の前から消えた瞬間、僕の体の不自由は一気になくなり、自由になるが僕は彼女を追えなかった。
明日学校で会うんだ。その時にでも謝ればいい。僕はそう考えてしまった。
しかし。翌日彼女の机の上にはランドセルはなく、その代わりに小さな花瓶と一輪の綺麗な花が置かれていた。
まだ小さかった僕には人の死というものは難しく、遠いところに引っ越してしまったのだと思っていた。
それから少しして、木箱に入った彼女の姿を見て僕は理解した。
もう2度と彼女に会うことはできない。
もう2度と彼女に謝ることができない。
もう2度と僕の気持ちを伝えることはできない…と。
男の子は後悔しました。しかしいくら後悔しても男の子の気持ちが晴れることはありません。もう二度と会えず、謝ることも想いを伝えることもできないまま男の子の初恋は終わりました。
あの事故から23年。
男の子は今もあの時の事をよく夢で見ます。
そして今も……。
「有涼が死ねばよかったのに────」
★*☆
ジリジリジリジリジリジリジリジリ。
「………」
ジリジリジリジリジリジリジリジリ。
「んー…」
ジリジリジリジリジリジリジリジリ。
「うるせえっ…」
午前5時30分。
暗く薄気味悪い狭いオフィスに目覚ましの音が響き渡る。
「またあの夢か……」
自分の仕事机の下から這い出、頭を掻きながらぼそっと呟く。
最近仕事が忙しくて忘れかけていたがここ4日ずっとあの夢を見ている。しかも必ず眼が覚める前、見るも無残な姿になった彼女が現れて俺にこう言うのだ。
「有涼が死ねばよかったのに」
彼女はそんな事を言う人間ではない。俺の中で彼女に対する罪悪感や未練などがぐちゃぐちゃに混ざり合い、結果としてあんな事を言う彼女を心の中で作り上げていたのかもしれない。
俺はそう考えている。そう考えなければ精神が持たない。
「はぁ…」
ため息をつきながらオフィスの明かりをつけ、他の社員を起こして回る。
全員に声をかけ、起きた事を確認した俺は自分のロッカーの中にある入浴セット一式と着替えとタオルを持ちシャワールームに向かう。
オフィスから出ると今にでもお化けが出てきそうな雰囲気のある暗く長い廊下がある。入社して8年経とうしているが電気の付いていないこの廊下には未だになれない。それに、あの夢を見るようになってから見える世界全部が前より一層怖く感じる。
ペタペタペタペタペタペタ。
スリッパで地を踏んだ瞬間音が響き、廊下全体に反響する。
寝癖のついた髪を弄りながら廊下を歩き、突き当たりを曲がると目の前に明かりのついた部屋が現れた。
シャワールームだ。
「ん。先客か…」
普段なら俺が一番で電気は付いていない。しかし今日は珍しく電気が付いていて、中からシャワーの音と気分よさげに歌う鼻歌が聞こえてきた。
「天願…か」
声の主は天願大地。俺の2年後に入社してきた元気ある後輩だ。俺は服を脱ぎ天願の隣のシャワールームに入り声をかける。
「はよー、天願。朝から調子いいな…」
「あ、おはようございます有涼先輩!」
うむ。元気があってよろしい。
「いいことでもあったんか?」
「あー、わかっちゃいます?俺彼女出来たんすよ!」
シャワールームの壁上から頭を出し満面の笑みを浮かべる。
「受付の城宮さんか?」
「ななな…!!?なんで知ってるんですか!?し、城宮さんから聞いたんですか!!?」
瞬間、壁上にあった頭は消え、ドンッと重いものが落ちたような音がした。いや、動揺しすぎだろ。
「いや、まぁ、なんとなく…」
天願が想いを寄せる人物は社内では有名だ。というより、城宮さんの話を出した時の反応を見れば誰だってわかる。
恋…か。
俺もそろそろ過去に別れ告げて新しい恋を探さねーとな。死んだあいつに、幸せだってところ見せてやんねーと。昔のこといつまでもくよくよ引っ張ってたら絶対あいつに怒られるよな。今までは後悔だの未練だのうじうじしてたけど後輩に先越されちゃ、俺の威厳ってのもないしな。
って、それどころじゃなかった!
「てか、大丈夫…じゃねーな」
返事を濁らせつつ、天願の方を覗き込む。
天願は腰のあたりをさすりながら濡れたタイルに座りこんでいた。
パッと見た限りでは大きな怪我はしてないみたいだ。だが後で必ず病院に行くよう伝えよう。
俺は適当に「気をつけろよ〜」と言い、自分のシャワーの捻りを回そうと手をかけた瞬間────
「…あ、先輩!そっち水し────」
「え?」
シャワーからはお湯はでず、きんきんに冷えた水を頭から被る。
びっくりした俺はその場から離れようと後ろに飛び退いた、が扉に思いっきりぶつかり、扉を壊し、思いっきり倒れこむ。
…………………………………。
………………………。
……………。
…あれ、体が動かない。
目が…チカチカ…する。
……あれ、天願…そんなに慌てて……どう、したんだ…?
な…だか、ね……たく……なっ……。
目の前が真っ暗になる。
俺はこの日。恋というものを知らぬまま眠るように意識を失った。
そして、目を覚ました俺の前に広がる光景に無意識に口が開く。
「……ここ何処だよ」
俺は目が覚めると祖母の家の一室に似た和室のような部屋で寝転がっていた。