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スラムの二人

作者: 朔真露兎

駄文。意味もなくただひたすら長い。

意図せずにボーイズラブ風味。苦手な人は閲覧注意。

そこまでガッツリでもないですが、R15のラインにひっかかっているとも取れるので一応制限を。

一年越し。あと寝惚けているせいで崩壊している部分多し。

ダメダメな話ですが良ければよろしくです。

――。

暑い日だった。

太陽がジリジリと照りつけ、直接皮膚を焦がしていた。


――きっとこんなお天気のなか、一日お外にいたら、こんがりと焼けて、美味しそうな焼肉になって、お母さんやお父さんに食べられてしまだろうな。


なんの根拠もなくそう考えた。

ついさっきまで両親と一緒にいたような気がするのだが、何処にもいない。

独りぼっちでもその時はあまり気にしなかった。


――それにしても暑い。ここは何処だろう?


辺りを見渡してみても、人気の無い閑静な街並みと、やけに多い煤けた建物があるだけだった。

夏にしては湿り気のない風がひらりと頬を撫でた。


――風はこんなに渇いているのに、何故こんなにも暑いのだろう?


射すような陽射しからせめて目だけでも守ろうと、顔の前に目一杯開いた手のひらを翳す。

どこかで聴いたような童謡を頑張って思い出そうとしていると、代わりに違うことが頭をよぎった。


――この手は、紅葉の葉っぱのようだ。

――小さくて、先が尖っている……

――そういえば、此処に来て一度も草木を見ていないな。


きょろきょろと辺りを窺うも、先程とまったく変わらない街並みが拡がっていた。


――植物がない場所は栄えない、とお母さんは言っていたけど……

――もしかしたら、もう少し先に、草木や人が沢山いる場所があるかもしれない。

――行ってみよう。もしかしたら、今は近くにいないだけで、お母さんやお父さんがいるかもしれない。

――きっとそうだ……! そして、はぐれちゃダメでしょって、そう言って怒られちゃうんだ。


怒られるのは嫌ではなかった。

むしろ、両親といない今の状況の方が嫌だった。


――よし、行こう!


そして意気揚々と歩き出した。



              ***



歩き出したは良いものの、方向がわからない。

方向を調べる道具なんて持ってないし、携帯なんてものはもってのほかだ。

仕方なく、奇跡的に落ちていた木の棒を倒して、その方向へ進む、という方法で進んだ。

それを、何十回繰り返しただろうか。

少年の目にうっすらと、蠢く人影が映った。

まさか、と思い駆け出した。

確実に人のいる街に近付いている。


――まさか本当に木の棒だけで辿り着けるなんて!

――ボクって天才? それともこの木の棒がすごいのかな?


いつ終わるともしれない単純な繰り返し作業に飽き始めていたから、もうしなくていいのかと思うと顔は晴れやかになった。

しかし、現実はうまく行かなかった。

街には辿り着いたが、合う人皆が暗い瞳をしていた。

僅かな違和感と底知れない恐怖が同時にきて、なんともいえない寒気が訪れた。


――おかしい。さっきはあれほど暑かったのに、ここじゃ全く暑くない。

――むしろ寒いぐらいだ。


地面に薄汚れた布がひかれ、その上に決して状態が良いとは言えないような商品が並ぶ。

商品の向こう側に座った男とも女ともしれない人が、ちらりとこちらを一瞥して、興味無さげに目を閉じる。

床に並ぶ鉄製のガラクタたちに己の顔が写った。

みっともない顔をしていた。

歩いた。こんなところに両親がいるとは思いたくなかった。

でも、捜すしかない。もう此処しかアテがない。


――もしかしたらボクは、一生此処で、お母さんとお父さんを探し続けるんじゃないか。


自分が年取った姿を想像して、大きく身震いをした。

と――


「よう、ガキ。迷子か?」


後ろから声がした。

バッと後ろを振り向くと同時、距離を置くように跳んだ。両親に頼み込んで通わせてもらっていた格闘技の教室での経験が生かされた鬼がして少し嬉しかった。

視線をむけるとそこには下半身しかなかった。

予想以上の身長がある人物のようだった。

顔をあげると、人の良さそうな顔が笑いを湛えていた。



              ***



「オレはゴウトってんだ。お前は?」


近くに居酒屋(のようなものに見えなくもない)があったので、そこに入って話すことにした。

ゴウトが頼んでくれた淡金色のジュースを両手で持つ。


「ゴウト?」


ずっと日本人だと思っていたから、カタカナ名を言われて驚いた。

すると、ゴウトも目を見開いて驚いた。


「なんだ、お前もゴウトってのか」

「あー、違う違う!」


復唱しただけのつもりだったが、彼はボクが自分の名を言ったようにとったのだった。

危うくボクまでゴウトになるところだった。

東洋人の証ともいえる彼の黒髪黒目を見ながら自分の名を名乗る。


「ふーん。じゃあお前日本人か。全然わかんねぇ」


そういってゴウトは爽やかに笑う。

初めて見たとき一瞬見とれた美形は、こんな笑い方をすると更に美形になるんだと知った。

彼の『ゴウト』という名は、彼の友人たちがつけた渾名のようなものだと彼は言った。


「んで、ガキ」

「だから、ボクにも名前があって、」

「でも、オレから見たらお前は十分ガキだ。ガキをガキと呼んで何が悪い」


その明るい笑顔に歯向かうのも躊躇われて、納得のいかないところがありながらも、まぁいいかと矛を収めた。

――わぁ、ボク大人。


「で、ガキ。お前、外から来た奴だろ」

「外?」

「おう。ずっと此処にいた訳じゃないだろ? 誰かを探して此処に来たのか?」

「うん。お母さんとお父さんを……」


言ってて思い出した。

こんなところでのんびりと会話している暇はないのだ。

ガガッと椅子を引いて立ち上がる。


「ごめん、もう――」

「多分、」


大きめな声で自分の声を遮られて驚いた。

ゴウトはもう、笑みなんか浮かべていなかった。


「親御さん、ここに来てるなら多分もう、会えねぇよ」

「え――……、それ、どういうこと?」


人の話を聞くときは目を見て。

父親の言葉を思い出し、椅子に座り直した。

礼儀だけは良くできたガキだ。そういってゴウトは僅かに笑い、すぐに顔を引き締めた。


「此処は、戸籍も親子関係も、証明出来るものが一切ない場所だ。もし、お前の親御さんが自分から此処に来たんなら――」

「ぼ、ボクと……会いたくないってこと……?」


さっきから小さな震えが止まらない。震えは足から下半身全体、上半身から手に伝わって、飲みかけのジュースがカタカタと揺れた。

――お父さんと、お母さんが、ボクを置いて? ボクを捨てて? 何処へ?此処へ?


「理解が追い付かねぇって顔してんな。お前は多分、捨て」

「それ以上言うなぁ!!」


気付いたらゴウトの胸ぐらに掴みかかっていた。

それでもゴウトはボクの手を払い除けなかった。


「落ち着け。落ち着かなきゃ分かるもんも分かんねぇ」

「だって……ボクのお母さんとお父さんが……」


言って急に悲しさが襲ってきて――堪えきれなかった涙が木製の机の上に零れた。


「落ち着け。……すまねぇ。オレにお前の気持ちは分からねぇ。けど……一緒にいてやることは出来る」


ゴウトが机を回ってこちらへ来てくれた。

そしてボクの肩を掴んで、ガッと上を向かせる。


「泣くな。泣いてたら此処で生きていけねぇぞ」

「此処で……」

「そうだ。もう此処からもといた場所に戻るなんて無理だろ。それに、此処にいたら、いつか親御さんにも会えるかもしれない。そしたら、こんなにでかくなったぞって、もう一人でも大丈夫だって、そう言ってやりゃあいいじゃねぇか。安心させてやれ。此処で立派に生きて」


ゴウトの言葉の数々は、思いの外心に響いた。


「そう、かな。そう思うか? 本当にそれでいいのか?」

「あぁ。それでいいんだ。母ちゃんや父ちゃんに見せ付けてやれ。立派に生きるお前の姿を」

「うん……うん……」


前を向いた筈なのに、後から後から涙が零れて止まらなかった。

嗚咽を漏らすボクの背中を、ゴウトは静かに擦っていた。




ゴウトと共に店を出た。

目を腫らしている僕を見てもやはり周りの人々は興味なさげだった。


「落ち着いたか?」

「うん。ありがとう」


ゴウトはボクの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。

お陰でボクは、目についたもの全てについてゴウトに質問することが出来た。


「ゴウト、アレ、何?」

「ん? おぉ、アレはな、食べ物市だ。金とかでも買えるし、物々交換でも貰えるぞ。でもまぁ、あいつらはぼったくりだからな。盗むのが一番だぜ。あいつらもそのクチだから文句言われたりしねぇよ」

「ふぅん。……じゃあ、アレは?」

「アレは自衛組織だな。一応此処を取り締まってる奴等だよ。関わるとめんどくせぇぞー」

「そっかぁ。アレは?」

「あ、アレは関わっちゃなんねぇぞ」

「え?」

「あいつらは好色家だよ。捕まると何されるかわかんねぇ。絶対近付くんじゃねぇ」

「そかー。気を付けるね」


好色家という言葉は不思議な響きを持っていた。

言葉の意味は判らなかったが、好色家=近付いてはいけない、というのは覚えた。

その後も、色々な職種の人々を指差して、あの人は、この人は、と聞いた。

ゴウトは、知らないことはないとでも言うように、ボクの全ての質問に答えてくれた。

ただ一つ――


「じゃあさじゃあさ、ゴウトはどんな仕事をしているの? ボクにジュースを飲ませてくれたってことは何か仕事を――」

「――それ以上続けると痛い目見ることになんぜ、クソガキ」

「うっ――あ、あぅ、ぅ」


一瞬だけ、ゴウトの冷たい目が見えた、気がした。

瞬きの間に、ゴウトの姿が消え――そして訪れる、喉の強烈な痛み。

喘息の時のように、大きく、噎せる。

分かった。喉の痛みの原因。

そして、ゴウトが何処へ消えたのか。

ゴウトが、ボクの喉を掴んで、高く掲げていた。

ゴウトの右手は、彼の顔より上にあって――当然、彼より背の低いボクは宙に浮く。つま先がふらふらと揺れている。

ゴウトは、言葉は先程のボクと似たような言葉を選んでいるものの、瞳や手に加わる力から冗談などではないと思った。

現にボクは、彼の力加減一つで命を落とすかもしれない、危ういところにいる。


「ご、めん……ごめん、ゴウト……はなして……」

「あ? 何でテメェみてぇなガキにタメ口きかれなきゃなんねぇんだよ。……ほら、申し訳ありません、離してくださいって言ってみろや、ほぉら」


ゴウトの口元が徐々に吊り上がっていく。

一口に笑顔といっても、発しているオーラと言葉で、ここまで印象は変わるものなのか。


「ごめ……申し訳、ありませんでし……ゲホッゲホッ……ぅ、ありませんでした……。も、もうしないので、許して下さい……離して……いただけませんか……」

「はは。つまんねぇ謝罪だなぁオイ。……まぁいーや、持ってんの疲れたし。離してやるよ」


ゴウトは嘲笑して、右手をパッと開いた。急に離されてロクに受け身も取れなかったボクは、落ちた地面の硬さに呻いていた。

その様子をみてゴウトは、ハッと一笑するとスタスタと歩き出した。

彼は、ついて来いともついて来るなとも言わなかった。

一瞬躊躇ったが、他に行くアテもない。

ボクは、ゴウトの数歩後ろについて歩いた。

しばらく歩いていると、急にゴウトがくるっと後ろを向いた。


「……!」


つい身体が強張る。

しかし、


「おい、ガキー。なんでそんな後ろ歩いてんだー? こっち来いよー」


ゴウトはなんでもないように此方に笑いかけた。

さっきのような、底の見えない不気味な笑い方でなく、心から安心するような、快活な笑み。


「いや……だって……さっきは怒って……らっしゃった、から」


先程の失敗から敬語を使うことを覚えた。きっと彼は、ずっと我慢していたのだ。とても申し訳ないことをしたなと思った。


「さっき? オレが怒った? なにそれ何の話? あとなんで急に敬語?」

「え?」

「お?」


何故かお互いに首を傾げ合った。噛み合わない会話のせいで歩みまで止まってしまった。

どういうことだろうか?ボクは思考を巡らせる。

初めて会った時や今のような、幼い精神を持つゴウト。

そして――先程見た、恐怖を司る魔人のようなゴウト。


――もしかして、多重人格、というやつなんだろうか。一人の中に二つの人格がそれぞれ独立して存在しているのか。


だとすればあの豹変っぷりにも納得がいく。独立した異なる人格ということは、とどのつまり別人と話しているのと同じだ。


――あれが…ゴウトの別の人格……?


ボクが考え込んでいると、彼が肩に手を置いて顔を除き込んできた。


「おいおい、大丈夫か? 顔真っ青だぞー。何かあったのか? ……あちゃー、また俺覚えてないよ」

「え?」

「お、反応した。大丈夫か? ……いやなんかな、俺と話した人みんなが言うんだよ。『お前、さっきの何だったんだ?』ってな。……俺はなんにも分からねぇから、『何のことだ?』っていうと病院に連れていかれそうになるし。此所の病院なんぞほとんどが無免だから行きたくねぇってのに」


ゴウトの話でボクは、『多重人格説』に確信を持った。

つまり、先ほどのゴウトは別の人格で、ゴウト自身が話していたわけではないから彼には記憶がない、という理論。

即席ながらしっくりくる説だ。内心でガッツポーズ。


「まぁいいよ。気にしないで」

「気にしないでって……一応俺のことなんだけど……まーいいや、メンドクセ」


彼はポリポリと後頭部を掻くと、おもむろに「ほらよ」と右手を差し出してくる。


「?」

「? って」


ゴウトはケラケラと笑いながらボクの手を引き、自分の掌と合わせた。


「これって」


俗にいう「手を繋ぐ」というやつだ。ゴウトはボクを引っ張って自分の隣に立たせる。


「こっちの方が良いだろ、お前。」


そして、いつもの人好きのする笑顔でニッと笑った。



               ***



ゴウトと手を繋いでしばらく歩いていると、彼が住んでいるという廃屋に辿り着いた。

そこはお世辞にも綺麗とは言えなかったけれど、此処ではきっと、きちんとした生活が送れる数少ない場所なんだろうとボクは思った。

鍵が機能しているドアに、風雨が凌げるコンクリートの壁、十数階はあったであろうビルなのに、七階のあたりから上はまるで爆発があったようにぼろぼろになっている。


「ようこそ、俺の家へ」


ゴウトが自らの家を背に、両手を大きく開いて笑う。


「歓迎するぜぇ」

「ここが、ゴウトの家なんだ……」

「おうよ。ま、ついさっきまで外にいたんだから、こんなんただのボロ屋敷に見えるだろうがな」

「ううん。さっきのところで建物を沢山見てきたから、ここが凄く綺麗なことわかるよ」

「……」


ゴウトはボクの顔を見て、ぱちくりと目を瞬かせた。


「ゴウト?」

「ん…あ、あぁ…」

「どうしたのさ、そんなびっくりした顔して」

「んー……いや、ほんと躾の良いガキだと思ってな。お前の父ちゃんと母ちゃん、良い人だったんだな」


ゴウトがボクの頭を乱暴に掻きまわした。くすぐったくてつい目を細めてしまう。


――そういえば…お父さんもこうやって頭を撫でてくれたっけ……

――お父さん…お母さん…何処にいるのかな……


また涙が溢れてきた。そんなボクを見てゴウトはギョッとした顔をする。


「おいおいおい、また父ちゃん母ちゃんのこと思い出して泣いてんのかよ……お前、よっぽどべったりだったんだな……」

「うっ……うるさいっ……ばかぁ……ひくっ…」


しゃくりあげるボクを、ゴウトは柔らかい目で見ていた。




「おじゃましまーす……」


建物の中に踏み入る。足元に薄く積もっていた塵が、ボクとゴウトの足跡を形作る。

ゴウトは階段を使って二階へ上がっていく。エレベーターはあるが、電気が通っておらず使えないらしい。

二階は、床全面にカーペットが敷いてあった。しかし、ワインカラーだったであろう毛の色は黒く汚れ、通路の真ん中は毛が剥げて色が薄くなっていた。


「二階に俺の部屋があるんだよ。自分の部屋に人を招待するのは初めてだからな。光栄に思えよ~?」

「うん。本当に感謝してる。ありがとう、ゴウト」

「お、おう……真面目に感謝されると困るっつうかなんつぅか……」


ゴウトは少し照れているようで、うっすら赤くなった頬をぽりぽりとかいていた。

ゴウトの部屋には、必要最低限の家具だけが置かれていた。

穴の空いたマットレスに、傾いた机、ひとつだけの椅子に、扉が片方しかない戸棚。

ゴウトはボクに、椅子に座るように言うと戸棚から一枚の写真を取り出した。

それには、今よりも若いゴウトと、更にそれよりも若いゴウトが映っていた。


「ゴウトが…二人…?」

「え?あ、違う違う。こっちの大きいのが俺で、小さいのは俺の弟」

「弟!?そっくりだね!」


彼らは本当に瓜二つだった。あえて言うなら、ゴウトはいつもの、快活な笑みを浮かべているけど、弟の方は控えめに笑っていた。


「へぇ……見てみたいな……ゴウトの弟さん…」

「……死んだよ」



「……………え?」



ゴウトは冷たい笑みを浮かべていた。

それはまるで――さっきの別人格のときのような。

どこまでも冷たく深い、それでいて鋭い――


「アイツは死んだよ。間違えたんだ。あんなことしても自分のためにはならないのに」

「あんなことって……?」


尋ねるとゴウトは、やはり冷たい目で。


「お前には関係ないことだ、ガキ」


そう言い捨てた。そのまま踵を返して部屋から出て行く。


「また……ボクは……」


勝手のわからないゴウトの部屋で、ボクは夜になるまで立ち尽くしていた。



              ***



「おーい、ガキー?飯食おうぜーい?」


数時間は立ち尽くしていたボクに、機嫌を直した(いつもの人格に戻った?)ゴウトはにこやかに夕飯のお誘いをしてきた。


「………あ、うん」

「…?どうしたんだ?」


ボクの異変に気付いたゴウトが問いかけてくる。ボクが怒らせたりさえしなければとても優しい彼。本人は気付いていないみたいだし、今ここで彼に当たるのも見当違いというものだろう。


「なんでもないよ。ごめんね、ゴウト」

「?? よくわかんねぇけど、それならまぁいいか」


飯作ってあるぞ。そういってやはり彼は楽しそうに笑う。

陽がとっぷりと暮れて、照明もろくにない建物の中。暗く翳ったゴウトの顔に、漠然とした不安を感じたのはこのときが初めてだった。



夕飯は決して豪華と言えるものではなかった。それでも、今日一日何も胃に入れていなかったせいか、涙が出るほど美味しかった。

ゴウトが乾いたパンをナイフで削るようにして切り分けていく。鼻歌も歌って、心なしか楽しそうだった。


「ガキー、その辺に皿あるから出してくれ」

「え?えーっと……あ!これかぁ!」


ところどころ欠けた平らな皿を手にゴウトの横へ。確かに欠けてはいるけれど良いものであるのは確かだ。


「おー、そうそうこれこれ!持ってー」

「うん」


二枚の皿に厚さの異なるパンがそれぞれ置かれる。更に、近くの戸棚に唯一仕舞われていた干し肉も薄くスライスしてパンの上に。実に美味そうだ。涎が出てきた。


「ほらよ」


ゴウトが差し出したのはパンが分厚いほうの皿。疑問符を浮かべる前にゴウトは笑う。


「お前どうせ腹空かせてんだろ?食え。比較的新しいパンだから、硬すぎて歯が欠けるってこともねぇはすだ」

「歯が欠ける!?パンで!?」

「おう!見てみ!」


いーーっと右の頬の肉を引っ張って校内を見せてくるゴウト。確かに右の犬歯が欠けていた。

よく見ると左の犬歯はとても尖っていた。右の歯もこんなに尖っていたのだろうか。研いだような鋭さ。まるで肉食獣のそれだ。

咬まれたら痛いだろうなぁ……


「半年くらい前にな、齧り付いたらごりって」

「わぁぁぁ!いいよいいよそういうの!」


ぞわりと鳥肌。自分の口の奥の方で嫌な音がしたような錯覚に陥る。


「はははは!ビビッてんのかぁ?」

「う、うるさいよ!ビビッてなんかないから!」

「はっはっは!強くなれよ!俺様みたいに!」

「歯が欠けても笑ってる人みたいにはなりたくないよ!」


わしゃわしゃとボクの頭を掻き撫でるゴウト。

こんなに楽しいご飯は――久しぶりだった。




              ***




――おやすみ

うん。おやすみ。何から何までありがとう。

――良いってことよ

……ほんとにありがとう。


ゴウトは自分の部屋をボクに使わせて、一体何処で寝るんだろう。

何故こんなにもボクに優しくしてくれるのだろう。

わからないことだらけだ。

彼がかけていった薄いタオルケットを口元まで持ち上げる。埃っぽい匂いの中に微かにゴウトのものも。

本当にわからない。大事な食料も、身体を休めるための寝床もボクに与えてくれて…あとで請求するんだろうか…いや、彼はそんな人じゃないな。

答えがわからない問いを抱えたまま――ボクはまどろみに身を委ねた。




――懐かしい夢を見た。お母さんにお父さん。そしてボク。

お母さんはあまり笑わない人だった。かといって怒るわけでもなかった。悲しみもせず喜びもせず……ボクはお母さんが自分の感情を露わにするのを見たことがなかった。

お父さんは厳しい人だった。いつもスーツを身に纏い、きつくネクタイを締めて仕事に出掛けていった。ボクは物心ついてからお父さんと休日を共にしたことがなかった。

二人ともボクを見ていなかった。正確には、ボクがいないフリをしていた。お父さんの前に立っているのにボクはお父さんの視界になかったし、お母さんのご飯の献立はいつも大人二人前だった。

それに気付いたのはボクが小学校二年生になったときだった。学校の授業参観に親が来なかったのはボクだけだった。


楽しい思い出なんてなかった。帰りたい場所なんてなかった。何故ボクはあんなにも帰りたがっていたのだろうか。

ゴウトと一緒にいる今日は、確かに怖い事もあったけれどとても充実していた。怒っていても笑っていても、ゴウトはボクを見てくれていた。ボクに向き合ってくれた。

ボクにとって初めてのことだった。

ずっとここにいたい。ゴウトの傍で、沢山の物事を見聞きしたい。お父さんとお母さんのいる豊かな生活なんて惜しくもなんともない。貧しくても心の豊かな彼と一緒にいたい。

昔のことは忘れてしまおう。ゴウトの手伝いをして、ここにおいてもらおう。

未来(さき)のことを考えてこんなにわくわくしたのも初めてだった。




              ***




夜も更けて来た。ほんの少し欠けた月が重たい雲に隠されて、辺りが真っ暗になる。

熱を帯びた身体を極力冷まそうと、外に出ていた。

どうやらこの場所に季節はないようで、一年中昼は乾いた日差しが照りつけて暑く、夜は湿った風が涼しさを運んでくる。

そろそろ良い頃だろうか。建物の中に入る。暗い建物の中でも迷ったり転んだりせずに二階まで上がることが出来た。

二階の中でもひときわ暗い部屋へつま先を向ける。ところどころ穴の開いたマットレスが見える。そして、その上にあどけない顔で眠る少年の姿――――


そして俺は、ニヤリと笑った。


作り慣れた聖母のような笑みを顔に貼り付ける。確認せずとも完璧だ。

そして少年を優しく揺り起こす。


「起きろ、ガキ」


これからのことを想像して口元が自然に緩んだ。




「…きろ…………」


微睡みのなかで声が木霊した。まだ聞き慣れない優しい声。

ゴウトだ。意識がスッと冴える感覚。

目蓋の裏はまだ暗い。ということはまだ朝ではないはずなのに。なにかあったのだろうか。


「ご…と……?ど…した…の……?」


なんで寝起きって目を擦ってしまうんだろう…

そんなどうでもいいことを考えながらボクは目を擦る。ゴウトはとても優しい顔をしていた。

――――優しい…顔……?なにか…違わないか……?

優しいというよりはまるで……そう、動物を手懐けるときのような…必要以上に安心させる顔というか……


「おはよう」

「うん…おはよう、ゴウト」

「よく寝れたか?」

「うん…おかげさまでね。ごめんね、このマット使っちゃって」

「いいよ。気にするな」


やはりゴウトは優しい顔。


「なぁ、寒くないか?」

「ん、そうだね…少し冷えるね」

「だろ?だからさぁ…」


よいしょ、という掛け声と共にゴウトがボクの上に乗っかって来た。


「え、えぇ!?何してるの!?」

「んー?ほら、人肌人肌。ぬくいだろ?」


確かにぬくい。でも……

どうしてもボクは違和感を拭えない。



             ***



やばい。

もうやばい。

抑えきれない。

タカが外れてしまう。

今までこんなことはなかったのに。

本能に呑まれてしまうことなんてなかったのに。

今までは、今までは今までは――――


――俺は、物心ついた頃には既に此処にいた。他所から来たのか、元から此処の住人だったのかすら定かではない。

はっきりしていたのは…両親や兄弟などの、いわゆる血縁者が此処に一人もいないということだけだった。

最初の頃は、自分の分の食糧を確保するので精一杯だった。それすらもままならない状態だった。

やがて、食糧の備蓄分が増え、生活も安定し始めた。一日一日、生きていられる確証がなかった生活は、少しずつ豊かになり始めた。

――豊かとは言っても、此処の外とは比べ物にならないレベルだがな。

そう自嘲気味に笑える程度には。

人間、一度豊かになることを知ると更に高みを望む生き物らしい。

俺は今までに関わったことのない世界に、確かにそのとき、足を踏み入れてしまった。



此処では外の法律なんて関係ない。

奪うのも壊すのも殺すのも犯すのも、誰かに咎められることはない。

言い方を変えれば、それが唯一にして絶対のルールなのだろう。

俺はその世界で金が稼げることを知った。金は此処では超がつくほどの貴重品だ。物々交換か奪うことが主流だったから、外でも使える通貨はとても珍しい。

そんな鐘が唯一手に入るのが…子供の人身売買だった。

男女は関係ない。少なくとも俺の客は。

注文はひとつだけだった。


『子供を捨てていない子供』


買った子供をどうするか……そんなことは聞かなくても分かってしまった。

俺は優しい笑みを顔に貼り付けて、数え切れないほどの子供たちを信用させ裏切り、客に売り渡した。

子供たちは皆、何も知らずに人の手に渡っていく。そして、耐え難い屈辱の味を一生味わい続けることになるのだろう。

そう考えたことはあるが、売り渡した子供たちに大した興味はなかった。


そんな生活も数年が過ぎた頃……変わった客がやってきた。

その客は、俺に『一度子供を捨てた子供』を要求してきた。

その理由はのちに教えてもらうのだが……当時の俺はどうしたらいいのか分からなかった。

経験のない子供は、今までの勘でパッと見れば分かるのだが、一度経験した子供――

なかなかにハードルが高い注文だった。

だから俺は、今まで通り経験のない子供を捕まえてきて、自分でその条件を満たすことにした。

その判断が、俺の人生最大の過ちとなった。


結果から言えばそれは、今まで知らなかった味だった。初めて今までの客の気持ちが分かった気がした。

自分の下で小さな子供が泣き喚きもがく――――その背徳感が堪らなかった。

それを知ると同時に、変わった客の意図も分かった気がした。

――――一度それを味わった子供を、もう一度。そのときの子供の、恐怖に引きつった顔。それがまたそそる。

その客は、俺の心境の変化を知ってか知らずか頻繁に俺に依頼してくるようになった。



回想するのを止めて目の前の少年を見る。

このガキも、一度味わって商品にするつもりだった。そのはずだったのに。

何かが違う。何かがおかしくなっている。冗談抜きに理性が跳びそうだ。本能のままに味わってしまったら商品にはならないと知っているのに。

何が違うんだ? 今までの子供とと何が違う?


答えは結局出ないまま……俺は本能に身を委ねた。



              ***



ゴウトの様子が変だ。体温が上がり息も荒い。


「んっ…んん?なに…ゴウト…?」


ゴウトが急にボクのお腹の辺りをまさぐり始めた。だいぶくすぐったい。


「やっ…やめ…ゴウト…っ…」

「……」


ゴウトは何も言わない。返事の代わりに荒い息。

そして…


「あっ…ちょっ、ゴウト…っ?そっちは……ぅ…」


お腹をまさぐっていた手が徐々に下に伸びていく。そっちは……


「や、やめてよ…っ…なんでこんなこと……やだっ…」


ゴウトへの温かい感情が、どんどん恐怖に塗り潰されていく。

怖い。怖い。誰か助けて。

急に不機嫌になるゴウトより、無表情で殴るお母さんよりボクのことが見えないお父さんより、学校で虐めてくるあいつらより、何よりも誰よりも、怖い。

嫌だ。嫌。嫌。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!


「嫌だ…!やめろよ…っ…!」


不快に蠢くゴウトの手を、渾身の力で払いのける。しかしゴウトは、それすらも楽しんでいるようだった。艶かしく舌を出し入れして自分の唇を舐める。


「逃がさねぇよ…」


昼のゴウトとは何かが違う…色気を兼ね備えた夜のゴウト…

その言葉どおり、逃げられないような気がしてくる。


「い…やだ…っ…離せ……!」

「逃げられるもんなら逃げてみろよ……」


流石に大人だ。ボクの力で敵うはずもない。

必死の抵抗空しく、ボクはマットレスに押し付けられる。

ゴウトが妖しく笑った。


「夜は長いんだぜ…?なぁ…」


「俺を、楽しませてくれよ」

「あ、あぁぁぁあああぁぁぁあ!!」


永い、永い夜が膜を開けた。



              ***



いつのまにか明け方になっていた。空が端から白に染まっていく。

ガキは気を失っていた。初めてだから当然といえば当然なのかもしれない。いや、俺が乱暴にし過ぎたせいか。

脱力しきっている少年の身の回りを清潔にしておく。あくまで商品だ。人に売る物は出来るだけ綺麗な状態にしておいて金をより多くぼったくりたい。

ふと少年を見る。昨夜はさんざん暴れたくせに、寝ているときは素直な顔しやがって。

そっと唇を重ねた。こんなことをしたのは初めてだった。

寝ているガキの頭を掻き撫でタオルケットをかけて、俺は朝食を作るために階下へ向かった。



目蓋の裏が白く明るい。眩しさに耐えかねてボクは目を覚ました。

窓枠の外された(外れた?)隙間から朝日が漏れている。ほんの少し冷たさを帯びた温かい風が乱れていた前髪を揺らした。

ゆっくりと身体を起こす。昨夜はいつ寝たのかまったく覚えていない。寝る直前にタオルケットをかけていたわけじゃないとも思う。

昨夜のことは朧気ながら覚えている。確かにびっくりはしたし恐怖を覚えたりもした。

でも、ゴウトがそれで楽しいなら…それでいいのかもとも思った。

ボクはゴウトと一緒にいたいと思った。そのためなら、どんなことも耐えてみせる。そう思っていた。

それを…ゴウトに伝えようと思った。

そういえば、ゴウトはどこへ行ったのだろうか。一階で朝ご飯を作っているのだろうか。

肩からタオルケットを羽織り一階へ向かう。


「ゴウトー?ゴウトってばー?」


声がなかなか帰ってこない。広い建物の中を探し回る。

それから僕は二度と、ゴウトの姿を見ることはなかった。




あれから何年たっただろう。やはり、ゴウトはボクの前に現れない。

ゴウトを待ち続けて五日目に、彼が住んでいたというあの建物を出た。

自力で、地下の誰も使っていないシェルターを見つけそこにもぐりこんだ。

ゴウトは沢山の食糧と金をため込んでいた。なぜ彼は、全て置いて出て行ってしまったのだろうか。

沢山あった食糧は今日、完全に無くなろうとしていた。最後のパン。それは悔しくも、ボクがあの日の夜にゴウトと食べたパンと同じものだった。

パンにもふもふと齧りつきながら、ボクはまた彼のことを考える。

彼と過ごしたのはたった一日。その一日を、数年もの間、数時間おきに繰り返し繰り返し、壊れたラジカセのように思い出していた。

記憶は掠れ、事実は徐々に薄くなり希望的観測と期待がただただ濃くなっていく。

色褪せて、ゴウトがどんな顔をしていたのか、どんな髪型でどんな顔色で、どんな顔をして笑いどんな声を発するのか…もう何も思い出せなくなってしまった。


サイゴのパンがなくなる。明日からは盗んだり金で買ったりして、自分で調達しなくてはいけない。

シェルターから久しぶりに顔を出してみる。道路に座る、枝のような身体の大人たち。


人間は嫌いだ。騙し騙され、それを繰り返し生きている。

信じられない。反吐が出る。

それなのに何故……ボクはゴウトを憎めないのだろう。あの日、ゴウトが最後に撫でるように触れた唇の感触を微かに覚えているのだろうか。



「ゴウト……早く………」



「早く、帰ってきてよ………」



小さな小さな声は、急に吹いてきた風にかき消されて飛ばされ消えた。





最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

誤字脱字は報告いただけると幸いです。

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