第2回 知識があるのは良いことだ
「3日後なら靭姉さんが会えるらしいよ。だからそれまではゆっくりしてなよ」
「ありがとう」
祐介は着こなしていた私服ではなく、着物姿になっている。
英二は実家では着物を着ていたが、祐介自身は着物を着たことがなかったため、少し着心地は悪そうである。
「それはお父さんの着物だったんだけど、サイズぴったりだね~」
「おじさんはけっこう大柄だったんだけど、祐くんも大柄だもん」
ちなみに祐介の身長は175センチで平均より少し大きいくらい。ただ、この時代の平均は160センチを切っているため、大柄に見える。剣道で鍛えていたので体格もいい。
「それはいいんだが、視線が痛くて仕方がないぞ」
祐介たちがいる部屋は外部とは生垣を挟んでいるだけで、基本的には外から丸見えである。
女性が通りかかるたびに、祐介のことを見てくるのだ。主に若い女性が。
「それは仕方ない。薩摩の女性は20歳を迎えないと男性と関係を持つことは許されない」
「なんでだ?」
「若いうちに子供を作らせると、子供が戦える年齢になった頃にはまだ親も戦える年齢にあり、兵力が増えてしまう。だが、20歳になって初めて殿方と関係を持てれば、戦闘に参加できないし、子供ができれば戦争どころではないから。これは島原天草一揆のときに、決まったことらしい。長崎で一揆があるまではまだ若いか、逆に年老いた男性がいることもあったが、あの事件から、厳しくなってしまったよ」
なるほど、2世代を同時に戦わせないための作戦ということである。
「今となっては、男の子が生まれればすぐに薩摩を追い出されて、許可が下りない限りは戻れないんだよ~。私たちが会おうにも、薩摩の外は監視がもっと厳しいしね~」
「だから、20歳以下の私たちにとって、同世代の殿方に近くで会うのは珍しいんだよ。私たちも17歳になったばかりだもん~」
「こんにちは、今日は珍しいお客さんもいるから、吉之助ちゃんの家に来たよ」
3人で話していると、少し妙齢の女性が部屋に入ってきた。
「あ、母さん。もうそんな時間だったか」
「どうも、今日もお願いします」
「はじめまして、佐藤祐介です」
祐介は挨拶をした。正助が母さんと呼んでいるということは、彼女のお母さんということであるので、挨拶は当然である。
「はじめまして、大久保利世です。あなたが祐介くんね。あまり薩摩人ぽっくないわ。どちらかというと江戸の人みたい」
利世はまじまじと祐介を見る。妙齢とはいえ、美人の正助の母であるため、器量が抜群にいいので、思わず見とれそうになってしまう。
「なかなかいい男ね。もしよかったら、正助をもらってもいいわよ」
「いえ、遠慮しておきます」
しかし、見とれそうにはなるが、篭絡はされない。あっさり断る。
「母さん、何を言ってるんだ?」
「あら、だってあなたこの子のこと褒めてたじゃない。男らしくて頼りがいがあるって」
「それは私が男を知らないからだ。なぁ吉ちゃん」
「え、う、うん」
努めて冷静に話し続ける正助に対し、いきなり振られた吉之助は少しだけ動揺を見せる。
「あら? 吉之助ちゃんはそうでもなさそうよ。可愛らしいわね」
「まったく、すぐ顔に出すんだから。吉ちゃんだって、同年代の男の人を始めて見るからこういう反応なだけだ」
「普通は吉之助ちゃんの反応が当たり前よ。あなたみたいに落ち着いているほうが変なのよ。私だって、初めて旦那にあったときはもうメロメロだったわ。もしよかったら吉之助ちゃんでもいいわよ。吉之助ちゃんも私の娘みたいなものだしね」
「いえ、お断りします」
「あら? どちらも好みじゃないのかしら?」
「いえ、2人とも一般的には美人だと思いますけど、まだ出会って数日も経ってないんです。好きも嫌いもまだ俺には分かりませんよ」
「あらあら、ますます気にいったわ。ここに来る殿方は『選んであげよう』という上から目線の人が多いもの。私たちに剣術で勝てもしないくせにね。あ、旦那は別よ。本当にいい男だったわ。側室も娶らなかったしね」
祐介の答えは正論であり、一般論である。ただ、特殊な状況である薩摩においては、この考えは謙虚な考えととられる。
まだこの時代には側室の制度が一応残っており、財力に余裕のある家庭では一夫多妻制の家も珍しくなかった。
「母さん、もうこの話はいいだろう。まだ祐くんのことは私たちもよく知らないし、そもそも靭姉さんに認めてもらえなったら、追い出すことになるんだから」
「そうね、余計な話をしすぎたわ。じゃあ今日もお勉強しましょうか。とは言っても正助には同じ話になっちゃうけどね」
「いえ、母さん。改めて聞くことも大事」
「おばさん、今日もよろしくお願いします」
「正助さんのお母さんは、何か教える人なのか?」
上座に利世が座り、その手前に2人が正座してまじめな表情になったので、祐介が耳打ちして正助に尋ねる。
「いや、うちの母さんは琉球館付役で、よく情報が入るんだ」
琉球館付役とは、当時薩摩と交流のあった琉球王国の大使のこと。当時琉球は外国であり、非常に情報の出入りが激しかった。
利世は正助と吉之助に、学問や歴史の話をよくしたと言われている。史実の利世は男だが。
「祐介君も聞く? ちょっと難しい話になるかもしれないけど」
「ええ、せっかくなので」
わざわざ離れる意味もないので、一緒に話を聞く。
「さて、最近はフランスが琉球王国に顔を出しに来たんだよ」
「え~、つい最近イギリスが来たばかりなのに~?」
吉之助が驚いて手を上げる。
「琉球諸国は、クレオパトラ諸島といういちゃもんをつけて、日本に貿易を求めてきたらしいんだ」
「でもまたイギリスみたいに軍艦で来たんだろう」
「うん。武力に訴える気満々だよ。近々江戸にも行くって言われたらしいもの」
「祐介君はフランスのことは知ってるかしら?」
「ええ、オランダの横の国ですよね。あ、間にベルギーとか入ってたかもしれませんね」
祐介は普通に答えた。それくらいは一般常識だからである。この鎖国時代もオランダとだけは貿易を続けていたはずなので、オランダをたとえに出した。
「……、ちなみに間に海は?」
「ありませんね。イギリスと違って島国じゃないですし」
「……、おばさん、陸続きの国なんかあるんですか~?」
「私も知らなかったのに……」
3人とも祐介を驚いて見ていた。この時代はまだ開国反対の空気が強く、武士ですら外国のことをきちんと知らないことが当たり前の時代である。
分かっているのは、学問をきちんと積んでいる人だけ。だからこそ、祐介がそれを知っていることは彼が一定の学問を得ていることを示すものである。
「あらあら、正助ちゃんはもっと勉強しなくちゃね。最近ようやく記録所役(事務をとる役所での仕事)になったばかりよ。外国のことをもっと知らないと置いてかれるわよ」
「ふふふ~、正助ちゃん私をいつも郡方書役(農村を監督して年貢を取る仕事)で、牛の相手ばかりしてて知識が足りないとか、見た目が牛みたいだとか馬鹿にしてたけど、人のこと言えないね~」
「むむ、吉ちゃんだって、私のことを文字書いて勉強ばかりしてるから、紙みたいにペラペラで、見た目も筆みたいだって言ってきたじゃないか」
「はいはい、悪口を言い合わない。どっちもどっちよ。吉之助ちゃんも、毎日道を歩いてばかりしてないで、頭を鍛えなさい。こうして話してあげてるんだから。正助ちゃんも同じよ。あなたはもう少し鍛えなさい」
「勉強は苦手だよ~。目が回ってくる~」
「私は運動苦手だ。口では勝てるんだけど」
「吉之助ちゃんは二才の頭で、正助ちゃんは学問名は1位2位を争う秀才だから、薩摩でも目立ってるのよ。皆の見本になりなさい」
「「でも……」」
「口答えをしない! はい復唱。薩摩の娘は?」
「「親に口答えをしない! 幼いものの見本になる! 無理を耐えて見せない! 男子よりも強くあれ!」」
「はい、分かっているならよろしい。じゃあ話を続けるわ。ごめんなさいね祐介君。見苦しいところを見せて」
「いえいえ、いいものが見れました」
祐介は年相応の2人を見て少し安心していた。時代が変われども、女子というのはかしましいものである。自分が高校生の際に見てきた教室の風景を思い出して、ふとなつかしさを感じていた。
「はい、じゃあお勉強の続きね、最近イギリスが行った有名なことは分かるかしら?」
「む~」
「分からん」
「最近だと……、清国と戦争したことですか?」
「……、本当にすごいわね。学は久光様にも劣らないのではないかしら? 正助ちゃん、祐介君は身分が良く分からないのよね」
「うん、彼が剣を振っていたら、いつの間にかここにいたんだって。剣も見てみたけど、家紋もないからわかんない。名前は分かるし、普通に生活を送るのも不便じゃないけど」
「ちょっと剣を見せてもらってもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
利世は祐介の剣を持って刀身を見る。
「……、これはあなたのものかしら?」
「いえ、ここに来たのと同じ日に祖父からもらったものです」
「……、人を殺している剣ね。それに高級だわ。もしかして、身分が高いじゃないかしら?」
「おばさん、それは私も感じてたんだよ~。話し方や仕草が明らかに学問をしていない人じゃなかったし、体格もいいもん」
途中から、学問の時間ではなく、世間話となり、そのまま食事もその場でとって、祐介はいろいろ聞かれて疲れてしまった。