第28話 新藩主島津斉彬
斉彬が安部正弘に謁見の確認を取ったところ、彼は外に出ていて江戸に戻るのは3日後とのこと。
その際すぐに会えるということで、3日の間待つことになり、その間斉彬は仕事をこなしつつも、久々に羽を伸ばしていた。
「ここが、イギリス?」
「はい、それでここがフランスで、オランダはここですね」
ある日は、一緒に地球儀を眺めて過ごしたり。
「私が藩主になったら、どんどん薩摩の子達を他藩と交流させて育てるわ。もちろんお金は出してあげてね」
「狭いところだけじゃ世界は広がりませんからね」
江戸時代は、他藩と交流するのは原則禁止されていたが、島津斉彬は水戸藩主徳川斉昭・福井藩主松平慶永・宇和島藩主伊達宗城・佐賀藩主鍋島斉正・福岡藩主黒田長簿らと交流があった。
その広い交友関係を使った育成についての話をしつつ、既にこの当時、斉彬には、奨学金という考えがあり、その相談をしたり。
「この図面どうかしら? いい感じに書けてると思うんだけど」
「これは、外国の蒸気船ですか」
またある日には、蒸気船の図面を祐介に見せて自慢したり。
ちなみに、斉彬は実際に図面だけで、海外のものと同じ蒸気船を完成させている。海から来る敵は海で対処しなければならないという発想だ。
そして、3日後、無事に祐介と斉彬は、無事に阿部正弘と謁見することができた。
「何もなかったですね」
「何もなくていいじゃない」
てっきりまた何か起こると思ったのだが、3日間恐ろしいほど何も問題が起こらなかった。
問題が起こって欲しかったわけではないのだが、基本的に斉彬のやることは、向かい風が吹いていることが多かったので、何かあるといき込んでいただけに拍子抜けではあった。
「やぁ、久しぶりだな。斉彬殿」
そして、老中安部正弘の館に案内された。
修羅場を潜り抜けてきた自信に満ち溢れた、体格のがっしりした頼りがいのありそうな見た目をしていた。ちなみに男である。
「お久しぶりです。今回の話はあらかじめお話したとおりですが」
「よい、分かっておる。既に黒田斉溥からも事情を受けておる」
「黒田殿ですか?」
黒田斉溥とは、当時の福岡の藩主である。高崎崩れを逃れた武士が、彼に助けを求めて、その対応をしたことで、斉彬の藩主就任につながったのである。
「うむ、黒田殿より、私へ今回の高崎崩れの件を解決してくれるよう相談があった。そして、今回斉彬殿が直接証拠を持ってきてくださった。既に話は将軍殿に通してあるので、すぐにでも対応いたそう」
話自体はもう彼の耳の聞きおよぶところとなっていたため、後は明確な証拠だけとなっており、てきぱきと処理が進むこととなった。
「ありがとうございます」
「これでようやく斉彬殿が薩摩の藩主になることが決まりましたな。私もあなたの力量は買っていた。是非その力で薩摩72万石を収めていただきたい」
「もちろんです。女性であっても舐められぬよう精進いたします」
「ところで、斉彬殿の横におられるのはどなたですかな?」
ここでようやく安部正弘が祐介の存在に気づく。
「私の付き人を頼んでおります、佐藤祐介というものです」
「老中殿、ご挨拶が遅れました。佐藤祐介と申します」
「うむ、付き人であったか。男をあまり寄せ付けぬ斉彬殿が信用なさっているなら、何も気にすることはなかろう。斉彬殿が藩主になられた際には、薩摩の男子禁制についても撤回できるよう私から提案しておく。そうでないと、祐介殿も息苦しいであろう。薩摩はこれから大事な場所になっていく。余計な決まりはないほうがよろしい」
「ありがたき幸せでございます」
そして数日後、斉興は江戸に呼び出しをされた。
内情としては、今の太平の世に、大切な自分の部下を多く切腹させて、混乱を招いたことから、幕府より隠居を命令されるというものであった。
斉興もお由羅の方も非常に困ったが、幕府の命令であり、守らねば謀反の疑いまであるといわれてしまえば、逆らうことなどできずすぐに隠居願いを出して、幕府はそれを受理した。
こうしてついに、島津斉彬が薩摩の藩主となった。
女性であることを加味しても、幕府、薩摩双方からの圧倒的な支持と、高い知識を持つ彼女の就任に反対するものは、ほとんどいなかった。
「姉さま! ついに姉さまが藩主になられましたな! 久光は嬉しくてたまりませんぞ!」
鹿児島城でその知らせをきいた久光はまるで自分のことのように喜んでいた。
「ありがとう。でも私は久光を部下みたいには思わないわ。これからもよろしくね」
「もったいなきお言葉……。久光は姉さまのために全力をお尽くしいたします。ではさっそく初めの仕事として、このことを薩摩全体に報告いたして参ります!」
そして、久光は飛び出していき、部屋には祐介と斉彬2人になる。
「斉彬様、おめでとうございます」
久光が出て行った入り口のほうを向いて、自分にずっと背を向けている斉彬の背中に祐介は声をかける。
「祐介……」
すると斉彬はゆっくりと振り向いて、祐介に抱きつく。
それを祐介は何も言わずに抱きしめ返した。
「あなたのおかげよ」
「俺は斉彬様のためにやったことです。お礼なんていいですよ」
「私1人だったら、どうすればいいかは分かったかもしれないけど、それを行動に移せるかは分からなかった。あなたがいたから、決断と行動ができたのよ」
「俺の存在が斉彬様のためになったのでしたら、本当に良かったです」
祐介が謙遜の言葉を述べると、斉彬は祐介の胸に顔をうずめて、しばらくそのままになる。
「……ねぇ、斉彬って呼んで」
するとふいに、いつもより高めの甘えた声で、斉彬が上目遣いで祐介に声をかけた。
「まずくないんですか?」
「いいのよ。もう祐介の実力は薩摩で十分すぎるほど示したし、身分が必要なら藩主の私があげるわ。だから、お願い。帰るまででいいから、私の側に心もいて」
その斉彬の願いは、1人の藩主としてではなく、1人の少女としての願いであった。いや、藩主としても祐介の存在は彼女にとって必要であった。藩主の彼女にとっても少女の彼女にとっても、祐介は支えであった。せめて居る間だけは、頼りたい相手なのだ。
「せめて、斉彬さんでいいでしょうか? 俺あまり人を呼び捨てにしないので」
「ええ、それで十分よ。距離を感じない呼び方ならいいわ」
「はい、よろしくおねがいします。斉彬さん」
「ええ、あとこれは今日までのお礼」
斉彬は祐介の目を手で隠すやいなや、自分の唇を祐介のそれに重ねた。ほんの一瞬だったが、それはいわゆるキスというものだった。
「……、な、斉彬さん……、急ですよ」
さすがの祐介も突然の口付けに動揺していた。
「嫌だったかしら?」
「嫌ではありませんけど……」
「そう、良かったわ……、今日は祐介はゆっくりして頂戴。また忙しくなるわ」
「はい、じゃあ俺も今回のことを伝えたい人がいるので、少し外に出てきますね」
そして祐介も城を後にする。
久光が薩摩に伝えるのは、書類などの手続きを踏む作業なので、まだ少し時間がかかる。
祐介には、それを待たずにすぐに伝えたい2人がいた。自分がここに来てすぐに助けてくれた2人である。
「吉之助さん!」
「あ、祐介さん。どうされたんですか? まだ忙しいはずでは?」
「話はすぐにします。今から正助さんのところに行くのでついてきてください」
「? は、はい?」
どちらかというと落ち着いている祐介が少し興奮気味だったので、やや気おされながらも、すぐに準備をして外に出る。
「お、お話でなんでしょう?」
「驚かないで聞いてください。本日から斉彬……さんが正式に藩主になることが決定いたしました」
「え……、ええ!?」
一瞬おどろきすぎて声が出なかった吉之助も、理解して声をあげる。
「本当ですか?」
「はい、すぐに久光さんを通して、藩全体にお触れがあるはずです」
「じゃあ、正助ちゃんは……?」
「謹慎はすぐに解除されるはずです、一緒にそれを教えに行きましょう」
「は、はい。やった!」
それを聞いてもう歩いていられなかったのか、吉之助は正助の家に向かって走り出す。
ガラガラ!!
「正助ちゃん!」
そして、吉之助は全力で走り、正助の家の戸を開ける。
「ど、どうしたんだい吉ちゃん。そんなにあわてて。誰かに追われているのかい?」
体力がないなりに、庭の世話をしていた正助は、一応元気な状態に戻っており、学問にいそしんでいた。
「す、すぐに外に来て! 話したいことがあるの!」
「とは言っても私は謹慎中の身だから……」
吉之助が興奮しすぎて、正助に話がきちんと伝わっていかない。
「話はここでもできるんだが……、ちょっと吉之助さんが走りたい気分みたいだから、外で話そう。正助さん外に出ても大丈夫だから」
「あ、祐くん。ということは斉彬様が何か私が外に出れるように便宜を図ってくれたのだな。分かった、たまには外に出よう」
正助は斉彬についている祐介が吉之助と一緒にいたことで、そのように考えて外に出た。察しのいい彼女も、さすがに今回の正解は分からなかったようだ。
「正助ちゃん! 正助ちゃん! 海に行こう!」
「そ、そんなに引っ張らないでくれ~。ただでさえ走らないのに、謹慎中でなまっているんだ~」
吉之助が全力で正助を引っ張っているので、正助は話を聞く余裕もなく、いまだに事情が理解できていない。
「吉之助さん、落ち着いて。うれしいのはわかるけど、正助さんにちゃんとさっきのこと伝えないと」
「ああ、そうだった。ごめんね、正助ちゃん」
「う、うん。別に大丈夫だよ。で、何があったのかな?」
「実はね。今日から斉彬様が藩主になられることが決定したの。それで、正助ちゃんの謹慎も解けるし、きっと島流しにあった人も帰ってくるよ」
「……それは本当なのかい?」
「うん、祐介さんがさっき教えてくれたんだよ」
「祐くん、本当かい?」
「そんなに疑わなくても本当です。お勤めご苦労様でした。正助さん」
「吉ちゃん……」
「正助ちゃん……」
「「やった~!」」
2人で抱き合って、その場で飛び跳ねた。
そして、体力の続く限り、桜島の見える海の手前の砂浜を走り続けていた。
(靭負さん。あなたの思い叶いました。ありがとうございました。俺はできる限り、ここで頑張っていきます。ありがとうございました)
その光景を見ながら、祐介は救えなかった靭負に思いを寄せ、そして、自分が守るべき少女たちのために、いつ来るか分からない別れの日までがんばることを決意するのであった。




