プロローグB 遺書と地震と女の子?
英二の急死は、佐藤家にも門下生にも驚きの出来事で、皆涙したが、遺産配分も、手続きもきちんとしていたのはさすが英二。問題は特に起こらなかった。
英二の葬儀が終わり、道場が再開すると予想通り清水がトップとなり、仕切ることが決まった。
これから佐藤道場はどうなるのかは、誰にもわからないが、道場はとりあえず継続されていた。
英二は肉親であったため、道場に復帰するのがほかのメンバーより遅れていた。
「手入れだけはしとかないとな」
そうは言っても、防具を放置しておくのはよくないので、道場が閉まった後に防具の様子だけ見に行った。
「2個あるし、こっちはクリーニングに出すか」
そして防具を取り出すと、1つ手紙が入っていた。
「ん? なんだこれ?」
手紙の表には、『遺言状 祐介宛』と書いてあった。
「これは、英二じいさんの字だな。確か遺言状は父さんが読んでたのがあったはずだが」
遺言状の中身は、遺産配分のことが書いてあっただけで、特に何か書いてある様子はなかった。
「……読んでみるか」
道場の明かりを一部だけつけて、座って遺言状を読む。
『祐介。ワシの命はいつ終わってもおかしくはない。この年になれば死など恐ろしくは無い。だが、ワシの志をついでくれるものがどうしても欲しいのだ。祐介、お前が剣道を続けてくれて本当に感謝しておる。1度も言ったことはないが、ずっとお前に感謝の気持ちを持っていた。ワシも爺さんと父さんに剣を教えてもらった。ワシは爺さんの剣を多くの人に伝えたくて、道場を開いた。強い剣士をたくさん育てた自負はある。だが、佐藤家だけは、剣をやろうとはしなかった。だから、ワシは自分の代で佐藤家の剣道は終わるかと思っておった。孫も皆剣道はしなかったからな。だが、祐介。1番最後にできたお前が剣道をやってくれて、強くなってくれて、本当に嬉しく思っておった。祐介にワシの剣は伝わった。だから、お前にはこれを渡そうとこっそり遺言状をお前だけに残した。佐藤家に代々伝わる剣だ。お前以外には誰にも知らせておらん。剣は道場の掛け軸の裏の箱に入っておる。これがその鍵だ。お前の好きにしてよい。ワシも含め人を切ってきた剣だ。手入れだけは任せる。手入れの方法も同封しておくぞ。そして最後に、ワシの夢をかなえてくれてありがとう。後は自分の信じる剣道を生きてくれることを望んでおる』
遺書を読み終わり、祐介はいつの間にか、自分の頬が濡れているのを自覚した。
「剣を見てみるか……」
そして指示されていた場所に行き、剣を見る。
「重いな……」
古そうな剣で、細い剣だったが、埃はかぶっておらず、輝きは残っている。
その重みは、人を殺めたことがあるという剣そのものの重みであろうか。
グラグラ!
すると大きな地震が起こった。
「! 剣が傷ついたらまずい」
道場は耐震構造がきちんとしているが、防具を含め荷物は多い。間違って倒れて剣が折れたりしたら大変であるため、剣をかばって守る。
すると視界が急に真っ白に包まれた。
「なんだこれ?」
地震が収まり、目を開けると祐介の視界には左手に森林、右手に畑が広がっていた。
道場の近くには大きな建物がいくつかあるだけで、自然などまったく無かったので、祐介は驚いていた。
風景はもちろんだが、どこか空気が違う。
「つまり、これは……」
祐介は可能性を考えた。つまりこれは夢であるということ。
地震が起きたときに、一瞬視界が真っ白になった。つまり、頭か何かにものが当たって気絶をしていて、これはその状態の自分が見ている夢であるということだ。
「えらくリアルな夢だな……」
祐介にとって一般的に夢とはもう少しもやがかっていて、いまいち現実感がないものである。
だが、今いるところは空気は違うが、おぼろげではない。まるで現実世界のように。
「まぁいい。ここはどこなんだろう」
遠めに見える家は古めかしく、周りにいる人の着ている服は洋服ではなく着物。
「俺の夢の設定は難しいな。少し前の日本かな?」
「わわ~、どいてどいてどいて~」
祐介が混乱したままでいると、後ろから声が聞こえてきた。
着物を着た女性が顔をしかめながら、荷車を引っ張っていた。
「がんばれ~」
後ろにも女性がいて荷車を押している。
「…………おそっ」
前で荷車を引っ張っている女性はかなり頑張っているのだが、単純に足が遅いのか、急ごうとしている掛け声に対してスピードが全く伴っていない。太ってはいないが、やや女性らしい体型は、運動向きではないように思える。
後ろからは、応援しながら、前の女性とは逆のかなり細身の女性が走っていた。
「女子か……」
祐介は女子への免疫はあまりない。
祐介は剣道一筋、他にもある程度の趣味はあるが、女子の好きなものはやらないし、性格的に、女子に媚びるタイプでもない。
だから、あまり女子を助けようともしたことはなかった。
「まぁ夢だからいいか。夢で経験するのもいいだろう、もしもーし」
祐介は歩きながら前の女子に話しかける。あまりにも遅くて、祐介の徒歩とスピードが変わらない。
「あ、はい。なんでしょうか?」
「ずいぶん急がれているみたいですけど、どうしたんです」
「はい~、実は荷車のお母さんが産気づいたんです。でも、この人身寄りがいなくて近くの産婆さんのところまで連れて行くんです~」
「私は道案内。体力勝負じゃ私は力になれないし」
後ろから、走ってついてきている女性にそう言われて荷車を覗くと、確かにお腹の大きな女性が必死の形相で倒れていた。
「これは急いだほうがいいですね」
「はい~、では~」
「俺も手伝いますよ。後ろの人が道わかるんですよね」
「あ、はい~、いいんですか?」
「俺も心配ですし、一気に引っ張りますよ」
そして荷車を祐介が思い切り引っ張る。
「わー、早い早い」
後ろにいた細めの女子が声を高らかにする。
「だめだよ~、ちゃんと押さなきゃ。一緒に荷車に乗ってどうするの~」
さっきまでも声を出していただけで、協力をしていたとは言いがたかったが、完全に後ろに乗っていて何一つ手伝っていない。・
前にいた女子は後ろに回って全力で荷車を押そうとするが、祐介のスピードについてこれていない。必死に走ってついてきているだけである。
「一緒に乗れば~?」
「わ、私は重たいからだめだよ、はぁはぁ……」
「大丈夫か? 遅くするか?」
「い、いいえ大丈夫です。早く行けるならそのほうがいいから。私にかまわないでください~」
「道案内は私がやっておくから、ゆっくり来てください」
「は、はい~。お願いします~」
というわけで、祐介は荷車に妊婦と女子を全力で運んでいった。
「ご苦労さん。あと少し遅れていたら危なかったよ」
祐介のがんばりの甲斐があって、無事に妊婦は子供を生むことに成功した。
立会いに祐介は参加させてもらえなかったが、昔の時代は出産は神聖なもので、男性が入ってはいけないことを知っていた。設定が妙にリアルだとは思いつつも、別に出産を見ようとは思わなかったのでかまわなかった。
「しかし、男性はいないのか」
それ以上に祐介が気になったのは、男性の姿がまったく見えなかったことであった。
出産を控えた女性を前に男性がいないのは気になったが、未亡人かもしれないし、仕事で出ているかもしれない。だからそれはいい。
だが、荷車を引いて決して少なくない人数の人間とすれ違ったのに、男性の姿が見えなかったので違和感を感じていた。
「俺に女っ気がないから、欲望が表れてしまったのか……」
時代背景や設定はリアルっぽいのに、そこだけ夢っぽいのが少し残念であった。
「はぁ……、はぁ……、大丈夫でしたか~?」
そしてふらふらとして目を回しながら先ほどの女性が走ってくる。
その女性は茶色のショートヘアーから覗く愛嬌のあるかわいらしい顔で童顔である。それに反して非常にスタイルの良さが目立つ。
そんな彼女が、着物を着崩した状態でいるため、見えてはいけない部分が見えそうになっているので、つい祐介は目を背ける。
「うん、大丈夫だったよ」
そして先ほどの細い女性が家から顔を出す。
彼女はもう1人とは真逆で、ものすごく細い。そして容姿も黒髪ロングヘアーで美人系である。
いかにも日本女子という感じで、着物の着こなしは非常に似合っている。
「あ、ありがとうございます~、私は西郷吉之助といいます。本当にありがとうございます」
「え?」
「私も感謝するよ、私の名前は大久保正助って言うんだ。兄さん、ありがと」
「は?」
その名前を聞いて、祐介はとうぜんぽかんとした。
2人の女性が名乗ったのは、後に明治維新に大きく関わる2人、後の西郷隆盛と大久保利通の名前である。
まず、これだけの大物が出てくるのは驚きだが、しかもその2人が女性であるという。いくら自身の夢とはいえ、設定がカオス過ぎると思ってしまった。
そして、ついベタながら頬を抓った。ものすごく痛かった。
ついでに走ったときの疲れとか、汗とか、道がデコボコしていて石や草で軽い擦り傷ができているのに気づき、これが夢ではなく、現実世界であると確信するのに、時間はかからなかった。