第13回 守りたいその姿
「…………、助けてくれてありがとう」
10分ほど経って、祐介から離れた斉彬は、恥ずかしがってそっぽを向いていた。
ただ、色白なので、首元や頬の辺りが赤いのは隠せていなかったが。
「い、いいえ。無事でよかったです」
祐介もなんとなく斉彬の方を向けず、部屋には気まずい空気が流れていた。
「姉さま!」
「斉彬様!」
その日のうちに、鹿児島城に戻ると、少し経った後に、久光と靭負が斉彬の部屋になだれ込んできた。
「2人とも慌てすぎよ。落ち着きなさい」
斉彬は大事を取って部屋で布団に入って横になっていた。意識がはっきりしているのでまず大丈夫だろうが、軽い頭痛と吐き気と気だるさがあるということで、今日の執務は休んでいた。
その傍らには祐介もいた。状況をはっきり説明するためである。
「姉さまが無事で本当に良かったです。もし姉さまに何かあれば、私は父さまにあわせる顔がなくなるところでございました」
「それで、祐介。事情は分かるか?」
「はい、靭負さん。雨は火事が起こるつい前まで、降ってて、俺たちが外に出た後もまだ草は湿ってました。ですが外に出たときに、出火が明らかに外からのものでした。そう考えると、自然発火ではないと思います。おそらく放火です」
「……なんと! 薩摩に姉さまを嫌うものなどいないはずです!」
「久光様、ところがありえます。斉彬様は確かに薩摩人に好かれてはいますが、10割全員に好かれているわけではありません。借金に苦しんできた百姓の中には、斉興様を慕われる人もいます。お由羅の方とひそかに連絡をとっていた人間がいるという噂もあります」
どれだけ優秀な人間でも支持率が100%になることなどありえない。むしろあってはいけない。
反対する人間がいなければ、その統治者が間違えたときに、修正できる人間がいなくなってしまう。
これは自然なことであり、それを久光も分からないほど無能ではないのだが、今回の事件がその反対派によるものである可能性が高くなってしまったことに、憤りを感じていた。
「反対されるのなら、なぜ直接言わんのだ……。姉さまは皆を見て脚で回って、問題がないか1人1人に聞いていたのに……」
「斉彬様! すぐに原因を突き止め、犯人を探し出します!」
靭負は、語気強く斉彬にそう提案した。
靭負にとっては、これはチャンスであると思っていた。
原則として男性が藩主を務めるのが慣わしとなっているが、女性が藩主になってはいけないわけではない。
もし今回の事件がお由羅の方とつながりがあれば、それを理由に斉彬を藩主にする方向に持っていける可能性があると思ったからである。
仮に、そうではないとしても、自分の尊敬する藩主に対してこんなことをした相手を許せず、かなり怒っていた。
「いいえ、火事なんて無かったわ。今回私は疲れがたまって倒れただけよ」
しかし、斉彬の答えは大きく久光と靭負の考えと違った。
「はて?」
「な、何を言ってるんですか!? これは事件ですよ!」
「2人とも落ち着きなさい。私は薩摩でしばらく政務を行いたいと思っているの」
「はい、それはもちろんです」
「ですから、斉彬様の安全を確保しないと……」
「……、もしここで私の身に何かあったとすれば、間違いなく江戸のお父さまに連絡が行くわよね」
「はい。薩摩の藩主は現在斉興様ですから」
「そうなれば、今回のことを理由に、江戸に戻らされる恐れがあるわ。私が江戸に戻れば、お父さまは薩摩に来ることができてしまうわ」
この時代、参勤交代の制度上、藩主と時期藩主候補のうち誰か1人は絶対に江戸にいなければならなかった
。
斉彬と久光が薩摩にいる以上は、斉興が江戸を離れるには、どちらかを江戸に戻す必要があった。
久光はもともと薩摩に住んでいるから、江戸に来させる意味はないし、斉彬は老中の命令で薩摩に行っているのだから、きちんと理由が無ければ江戸に戻すことはできない。
そのきちんとした理由に、今回の事件は十分値すると思われる。斉彬はそれを恐れて、今回の事件を隠そうと考えていたのである。
「……、不本意ですが姉さまがそう言われるのでしたら……。ですが、何かあってからでは遅いですので、今回のような雨天の日は見回りはほどほどしていただきますようお願いします」
「ごもっともな意見です。私が浅はかでした。吉之助に伝えて、二才にも警戒をするよう命じておきます」
2人とも、納得はしていたが、今回の問題をうやむやにすることには不安があるようで、一応斉彬に意見をしていた。
「祐介殿、姉さまを助けていただいたようで、ありがとうございます。本当に頼りになられますなぁ」
「冷静に行動を取ってくれたことはすばらしい」
「俺もそうですけど、一緒にいた人も褒美を上げてください。全員が協力してくれたからですよ」
話が終わると、2人は祐介に感謝を述べた。
「それにお2人も俺と同じ立場でしたら、斉彬さんを助けたでしょう。そこに俺がいただけです」
「謙遜なされるな。祐介殿が異変に気づかれなければ、斉彬様はもちろん、警護の兵士も危なかったのです。私など、1度寝たら起きませんから怪しいものですぞ」
「私もそうだ。二度寝もしてしまうし」
「そんなことありませんよ。斉彬さんへの忠義の心は誰も変わらないんですから。どう考えても斉彬様はここで亡くなる人じゃないですし、何らかの形で助かることになってたんですよ。その場面にお2人がいて、助けないはずがありませんよ」
冗談を交えつつも、謙遜と尊敬を忘れない祐介の姿勢のおかげで、場が非常に盛り上がった。
「では、私は政務に戻ります。姉さまはご無理をなさらないようにだけお願いします」
久光が政務で場を離れる。
「靭負は今日は大丈夫なのかしら?」
「あ、はい。私もすぐに出ますが……、お邪魔でしたか? 祐介に何か内密な話でもあるのですか?」
「い、いいえそういうことではないわ」
いつも合理的に話す斉彬にしては珍しいかと思い、首を傾げたが、特に気にしなかった。
「それよりも、祐介。やっぱりいい男だな。3年くらい待ってやるから、私と付き合わないか? お姉さんが優しく教えてやるぜ。つっても私も未体験だが。知識だけはあるぞ」
靭負が大きな腕で肩を組んで祐介に耳元でそう言う。
豪快だが、抜群のスタイルと香る女性らしい香りはやはりどきどきさせる。
祐介が顔を赤らめると、その反応が気に入ったのか、さらに距離を寄せる。
「靭負? ちょっとはしたないんじゃないかしら?」
「す、すいません……?」
斉彬に注意されて離れたが、その反応は反射的であった。
おだやかな斉彬にしては、妙に迫力があり、それに靭負がびびったのである。
「ふふ、ほどほどにね」
しかし離れると、いつもの斉彬になる。
冷静に考えると露骨なのだが、靭負は経験がないため、理解できないまま流してしまった。
「では、私もこれで」
靭負が外に出ていき、部屋には2人だけになる。
「斉彬様、俺も戻ってもいいですか?」
斉彬が外に出ている間は、基本的に祐介は斉彬についていたが、斉彬が鹿児島城の中にいる間は、間違いが起こることはありえないので、祐介は今までどおりの仕事をしており、吉之助の代わりの二才頭の仕事や、正助の手伝いなど、これまでやっていた作業も引き続き行っていた。
今回の件は大事にはしないが、一応安全のため、しばらく斉彬は鹿児島城で、これまで集めた情報などを整理して、薩摩の情勢を確認することになっていた。
その作業は鹿児島城で行い、鹿児島の状況については祐介もあまり詳しくないため、斉彬の側に祐介がいる必要性はこの作業においては絶対ではない。
「ええ、そうね。吉之助や正助も今後の薩摩を支える大事な人だから、あなたの協力は必要だと思うわ」
斉彬もそれは分かっているので、祐介がそうするべきであると言う。
「………………」
「………………、どうしたのかしら? 手伝いに行かないの?」
「いえ、俺に用事があるんじゃないですか?」
「いいえ、何もないわよ」
「でしたら、俺を離してくれませんかね」
祐介の着ている着物の裾を、布団から出た斉彬の手が掴んでいた。
「…………、こ、これは、違うのよ」
斉彬が目線をゆっくり落とすと、顔を赤らめて手を離す。
「違うと言われても、そんな顔では、心配で離れられないんですが」
斉彬の顔は自分の両手を握り締めて困惑の表情である。
祐介の前以外では見せない年相応の女性の顔である。
いつも余裕を見せる、斉彬であれば問題ないが、表情豊かな乙女斉彬では不安で仕方ない。
「……、ごめんなさい。あなたには、二才で頑張っている吉之助や、あまり体の強くない正助だって心配だから、私が鹿児島城にいる間くらいは、他の人を優先するべきだというのは分かっているわ。でも、祐介がずっと側にいてくれたから、私の元から離れてしまうと思うと不安なの。さっき靭負があなたに触れてた時には、なぜか不快な気持ちになったわ。この気持ちがよく分からない……」
「斉彬様……。初めから俺があなたに仕えていたのであれば、俺はずっと側にいました。ですが、俺は吉之助さんや正助さん、もちろん靭負さんもそうですし、薩摩の女性の皆さんに全員恩があります。俺もあなたの側にできるだけいたいとは思っていますが、俺は皆に協力したいと思っています」
「ええ、祐介が正しいわ……」
祐介は女性との付き合いが無かったが、それは女性にモテたことがないというわけではない。
告白されたこともあるので、そういう感情を向けられたことはある。
さきほどの斉彬の言葉は、ほとんど事実上の告白に近い。だが、斉彬がまだその感情を理解していない。
ここで、斉彬のその感情に答えを出すのは簡単だが、そうしてしまうと、今後の方向性に問題が出る可能性がある。
だが、祐介も斉彬に尊敬の念とは違う感情を抱いてしまっていることは自覚していた。
この感情を表に出していいのか。身分も違うし、そもそもからして自分は未来人。何か根本的な問題はないのか。
祐介もまた、理性と感情の狭間で心を揺らしていた。
「斉彬様」
言葉では祐介を肯定しながらも、顔を俯かせてしまった斉彬の頬に祐介は触れる。
「祐介……?」
その行動の意味が分からず、顔を上げて困惑する。
「俺も今斉彬様と同じ気持ちです。あなたを支えて、守りたいという感情でいっぱいです。わがままを言わしてもらえるなら、俺も一緒にいたいです。でも、それは、斉彬様のためにも薩摩のためにもなりません。吉之助さんの負担も減らしてあげないといけません。あの人がいなくては薩摩は成り立ちません。正助さんも頭脳も今後の薩摩に必要です。2人ともきっと斉彬さんの力になってくれる人です。いえ、2人だけじゃなく、薩摩の人は全員斉彬さんに必要です。そのために俺は協力したいんです」
「…………」
「俺は絶対斉彬様を守ります。不安なことがありましたら、いつでも呼んでください」
いつの間にか、斉彬は右手を祐介の左手に重ねて握り、祐介の頬を撫でる手を左手で触れていた。
「……、その言葉はとても嬉しいわ……。それで十分……。私もまだまだね。もっと頑張らないといけないわ。ごめんなさい、目が覚めたわ。祐介は皆を助けてあげて」
「はい、ですけど、俺は斉彬様がどんな判断を下してもついていけます。なので自分の考えには自信を持ってください。俺がずっと保証してますから」
その後はしばらくそのままの姿勢で見つめあっていた。




