0-4 デッド・リーパーの腕
黒い影を背負った人間――もとい、動く屍は無意識なのか実際には意識があるのか、苦し気に頭を抑えながらゆっくり、ゆっくりと歩いて行く。
どこへ向かおうと言うのか、ただ明るい場所を目指し、歩き続けているその姿はどこか救いを求めているようにさえ見える。
(――あれがただの、人であったなら)
ホワイトは音を立てないように、建物の側面から時折顔を覗かせ屍の様子を伺う。
相変わらず背中の黒い影は泡立つように何かが飛び出しては引っ込んでいるが、やはり当初の想定通り触手の鎌を出そうとしているが、カーレッジによって切り落とされたダメージにより、復元できないでいるのだろうか。
だがその話をカーレッジにした時には「それを判断できる程経験を積んでないし、油断して突っ込むのは危険よ」と慎重な様子を見せた。実際、魔法少女擬きによる操り人であるという事から考えても常識なんて通じる相手ではない、油断させる為にわざとこのような動きを見せている可能性もあるのだ。
だから互いに側面に回り、挟撃する。そしてその上で屍の首を落とすなり、心臓を貫くなりで活動を停止させるというのがカーレッジとの作戦であり、ホワイトはその支援、即ち屍に攻撃を加える事で動きを妨害する。そこをカーレッジがとどめを刺す。
(――でも、人だったら)
見た目からしても、もう生きている人間のようには見えない。肌は黒く染まり、よく凝視すると右腕にはもう肉が溶けて骨だけになっているようにさえ見えるが、薄暗くてはっきりとその容姿を見据える事は叶わない。
もしも、そんな考えがホワイトに過る。人間であったなら、魔法少女がそれを殺してしまったら。――救う者が奪う側になってしまった時、それは魔法少女などと呼んでいいのか。何より、そんな役割を彼女に押し付けてしまって良いのか、と、
(………ダメだね、そんな事)
ホワイトは、自分のやっている事に疑問を持つ。我武者羅に歩き続けてきた今、魔法少女擬きによる犠牲者という例外を前に、今までのような戦いと異なる状況に。
しかしダメだと断じた、仮にそうだとしても。
何もしなければ、別の犠牲者が出るだけなのだから。
ホワイトはマントの下で自らの胸元に手を宛て一度瞼を伏せ、静かに深呼吸する。
自分には魔法少女として戦う以外の価値は見出せない。だから間違う事を恐れはするが、今は行動すべき事だと再度認識を改め、
(――よし、落ち着いた)
思考を整える。再び建物の影へと姿を消していく屍を追うように側面を移動する。
顔を覗かせ屍の様子を伺い――ふと、その足が止まった事に気付く。背の泡立ちが止まっているように見えるのは、気のせいだろうか。街灯の当たらないその場では姿を見据える事が出来ない。
そんな状況でポケットに潜ませている携帯電話が振動を伝える。手を取り画面を見遣ると、それはカーレッジからの連絡だ。
『動きが止まった、仕掛けるわよ』
咄嗟に顔を挙げるホワイト。既に反対方向から、黒髪を靡かせて路地を駆る少女の姿が見える。動きを見せなない屍は不意に背中が激しく泡立つ。今度こそ触手を吐き出すつもりなのだろう、そう思い――目を見開く。
確かに黒い触手が飛び出している。
しかし、一本だけではない。
(――三本!?)
屍の居る表路地に飛び出したカーレッジもまた目を見開き一瞬硬直したのが見える。だが、黒い大きな鎌を持った触手達は踊り狂うように止まってしまった彼女に狙いを定めて空を切り――
「カーレッジッ!!」
もうホワイトは作戦など頭に無かった。
叫び、屍が微かに頭を上げたのを見たが構って等いられない。飛び出すと同時に両手を突き出し、屍に魔力の球体を瞬時に生成、連射する。コントロールが上手く出来ていない魔法弾は周囲の建物や地面、あらぬ方向へと飛ぶものまで出てしまうが、注意を引ければそれで良い。
屍は魔法攻撃へ反応するようにカーレッジへの攻撃を止めて高速に動く触手鎌によってその全てを容易く切り落として見せた。ならばとホワイトさらに魔力の塊を生成して、眼前を埋め尽くす縦長の球体を生成。それに自らの右腕を、握り拳にして叩き付け、轟音を響かせながら屍目掛けて解き放つ。
建物の壁に密着し魔力を削りながら一直線に進む故に速度は遅く強引に突き進むそれは、しかしながら魔力の大きさ故に屍も無視は出来ず触手を振りかざして行く。
防がれる、それを見越した上で。ホワイトは路地をさらに奥に進み、一つ先の裏路地から飛び出す。
「……ば、ばかっ、ホワイト何をやって!」
屍は高速の鎌で魔力の塊を瞬時に処理する。しかしその行動によって切り裂かれた魔力は――止まらない。
膨大に膨れ上がった魔力が裏路地で爆発。真っ白な魔力粒子が風圧のようにカーレッジと屍の視界を埋め尽くし、屍も大きくバランスを崩したように転倒する。
「カーレッジ下がって!」
だが触手は動きを止めていない。まるでホワイトの存在を認識しているかのように白い粒子を吹き飛ばし、三本同時に建物を切り裂きながら迫って来る。先程のような速度であればホワイトに防ぐ術などない、だが、
――やっぱり遅い
両手に白い魔力の粒子を収束。二本の白剣を作り出すと迫り来る大鎌を切り払い、受け止め、弾いた。挙動こそしっかり見て居なければ見落としかねない複雑な動きを行うがその全てが、一本の時に比べて段違いに遅い。
止めるだけならば、ホワイトにだって出来る――。
「私は、こっちだよ……!」
三本同時に振り下ろされた触手を白剣二本で受け止める。途端、ホワイトは神経を一点に絞り、目を見開いて切り払い、全身を包んでいたマントの前止めが外れ、白い波のように靡く。内側の空色地で灰色レースの袖無しワンピースの姿。白いソックスや黒のブーツを身に纏った彼女の体からは白い魔力粒子が溢れ出すように展開され、自らの周辺だけが淡く照らされている。そんな己の魔力に呼応するように胸元に蝶結びの赤いリボン、その中央の赤き宝石が眩い輝きを放つ。二の腕より先に巻き付けた白い包帯の内側からも白い文字のようなものが輝きとして浮かび上がって居て、手袋を嵌めた両手によって握りしめた白剣が、大きな魔力を帯びてその大きさを増している。
魔力の大量放出――屍の意識を完全にホワイトへ向けさせる為だ。
想定通り、大鎌は触手を震わせホワイトへ怒り狂うかの如く襲い掛かる。
別段ホワイトの動きは変わらない。迫る触手を一本一本確実に迎撃するばかりだ。魔力の出力は上がって居て一度切り払えば触手は大きく揺らぎ、その間に他の触手が攻撃を仕掛けるというような動作を繰り返し――
不意にその動きが止まった。
「何かっこつけてるのよ、バカ」
薄れる白い魔力粒子の内側で肉を裂く音が響く。そのまま地に倒れる音が響き、鎌の触手達は一斉にその姿を喪失した。黒い粒子すら、残らぬままに。
白い粒子の霧が晴れて姿を見せた黒髪の少女は床に横たわった屍だったものに剣を突き立てたまま、溜息交じりに魔力を放出しているホワイトを見据える。
屍はもう動かない。どころか――そのまま灰のようになってその姿を消失させて行くのが見える。
その姿を見てホワイトは力が抜けた様に魔力粒子を霧散させて、白い輝きもまた世界を照らす事無くその場から消え失せた。
「………、余計なお世話だった、かな」
不貞腐れるように顔を背けていたカーレッジは屍から剣を引き抜き、瞼を伏せて再び溜息を零す。
「そうね、余計だった……なんて言うとでも思った?」
薄く開かれた瞼から微かに視線を向けて来る彼女は、尚も続ける。
「私が動揺して止まった所に大量の魔力弾による援護射撃、さらに多量の魔力を放って注意を自分に向けさせるとか……何よ、あんな事出来るなんて一切思ってなかったのに」
カーレッジは再び顔を背け、腕を組んで不服そうな様子を見せる。しかしその口調はどこか柔らかく、
「――見くびってた。やるじゃない、あなた」
「………」
褒められた、のだろうか。ホワイトはそのまま数秒固まり、首を傾げてしまう。するとその様子を薄目で見ていたのか、「なんでそこで首傾げるのよ……」と静かに呟かれた言葉があったのだが、聞き落とした。
しかしこれでどうにか現れた『デッド・リーパー』により操られた屍とやらを迎撃出来た、ならば次は彼女の連れである魔法少女と合流するべきなのだろうが――
そう思ってカーレッジに近付こうとしたホワイトだったのだが、彼女の背に浮かび上がる黒い影に。
――言葉よりも早く、体が動いた。
「―――ッ!!!」
「ぴっ!?」
魔力を収束し、爆発させて直進。咄嗟に両手の剣の片方を投げ放ち、その腕でカーレッジの細い体を抱き留めて地に転がる。か細い小動物染みた声を彼女が挙げたように聞こえたが、多分気のせいだろう。
無数の黒い鎌が、彼女の首があった場所を走り抜け、建物を無残に引き裂き通り過ぎていく。
「っ~~……ほ、ほわいと……今のって…!?」
「すまない、カーレッジ。動けるかい」
ホワイトはそのまま彼女から身を離すと即座に立ち上がって白剣を再び二本形成し、身構える。
門と飛び越えた三つの影。そのどれもが人の姿をしているが、その全てが影の触手を数本ずつ伸ばしているのが見える。たった今、カーレッジの首を後ろから狩ろうとしてきた者達だ。
寄りにもよって。
「……複数体が同時に侵入してきた」
「冗談じゃないわよ……一体だけならどうにか出来たってだけなのに」
後方で再び立ち上がったカーレッジ。その声は状況の悪さに対して震えているようにも聞こえる。だがそれでもすぐに背を向けて逃げようとしないのは彼女らしいのかもしれない。
閉ざされていた筈の門に穴が空けられ、そこから入り込んで来た複数体の人型。その全てが先程の死人のように黒い肌と、黒い触手を振りかざしている。違いがあるとすれば、その触手鎌の全てが短く、数が多いというところだろうか。
だがその表情に生気は無いところを見るに、同一存在である事は明白だ。
「ねえ、『デッド・リーパー』っていうのはもしかして人の屍さえあれば無限にこういうの作り出せる、とかじゃあないわよね……?」
「………」
不安な色を宿す問い掛け。だがそれにホワイトが答えられるはずもない。そして、答えを持つ者は此処には居ない。
尤も、その答えを得られたところで安心できる事など何も無いのだが。なんせ、一体だけでも先程は不意を突けたからこそどうにかなったものの、複数体に及ぶと成れば――その難度は必然的に上昇するのだから。
黒い影達は再び動く。黒い触手の鎌、その群が、ホワイトとカーレッジに一斉に躍り掛かった。
二人は咄嗟に身構えるも、その数が多く、数本の迎撃を行う事は出来たが――その速度は一本の時と同等。
ホワイトとカーレッジは遅くなった触手であれば対応し切れたのだろうが、そうではない。
眼前に迫った黒い鎌に目を見開く。それは容易く頭部を砕き、体を裂く威力があるだろう。
だがホワイトの剣は別の触手を切り払うのに用いてしまった。すぐに引き戻す事など叶わない。
黒が迫る。黒い影が再び、ホワイトの命を刈り取ろうと――
「情けない」
そんな言葉が後方から聞こえ、頭上を抜け、瞬間。
黒い鎌達が、黒い炎に焼かれ瞬く間にその数を減らして行く。
「――嘘、何それ」
カーレッジは眼前の光景を見て畏怖を覚えたような声を挙げている。
尤も、畏怖を感じたのはホワイトも同じである。何せ、一瞬の攻防は、カーレッジの一言が終わると同時に突如現れた黒い薄汚れたコートを靡かせる少女によって、終幕となったのだから。
どれだけ強い魔法少女であっても、ただの秒間隔も空けずに擬きの力を持った敵性を一掃するというのは並大抵の技量ではないのだから。
「黒い焔の魔法少女………?」
そんな印象を浮かべたホワイトに対し、振り返った真っ赤なマフラーが印象的の少女は溜息を零して視線を外し、
「使えない」
吐き捨てるような一言を最後に、地を蹴って建物へと飛び移り、どこかへと立ち去って行った。
唖然とする二人を残して静寂だけを残す空間。
屍達の姿はもうどこにも残されていなかった。先程の黒い魔法少女が殲滅したのだろう。
力が抜けた様に座り込んだカーレッジに対し、ホワイトは向き直って「大丈夫?」と問い掛けると、俯いたまま何やら悔しそうに呟いているのを聞いた。「……私、何も出来てないじゃない」と――悔しそうに、強く拳を握って震えるのが、視界には移っていた。
そうしている内にふと、路地裏から何者かが駆けて来る足音が聞こえる。
「姉さんッ!」
息を切らせながら走って来るのは、二人の少女。声を挙げたのは肩に掛かっていた緑髪を揺らす、アフェクション――カーレッジにアフェと略称されていた魔法少女だ。もう一人は短い赤髪で魔法使いのような三角帽子を片手で抑えつつ遅れて近寄って来た、フラタニティ。彼女もまたフラタと略称で呼ばれていたと認識している。
「さっきの黒いのなーに……!?あの触手ゾンビを一発でこう、どかーんって!……あれ?姉さん、どしたの?」
お調子者のようなノリで大袈裟に腕を使ってジェスチャーをして見せているフラタであったが、反応を示さない姉に疑問を感じた様子で動きを止めると、アフェとフラタは互いに顔を見合わせた。
二人が座り込んだまま立ち上がらないカーレッジに駆け寄るのを見送り、ホワイトは一度携帯電話を取り出してその画面に視線を送った。
メールが数件届いており、一番最新のメールに視線を向けると、『前線組が帰還、デッド・リーパーの触手群迎撃完了次第作戦終了とする』という一文。
やはりまだ居るのだ、先程のような屍に寄生した怪物達が。
「――」
だが直後に再び携帯電話へメールが届く。『南門組は退却、南東へ救援を』という指示だ。
一瞬カーレッジ達の方に視線を送るが、彼女達はメールに気付いているにしろ、恐らくリーダーであろう彼女があの様子ではもう動けないのではないだろうか。
共に行こうと声を掛けるべきだろうかとも考えたが――ホワイトにそんな気兼ねは存在しない。
「――ホワイト、何処へ行くの」
ふと、マントを纏い直して背を向けた己に声を掛ける存在。
首だけ振り返ると、カーレッジがフラタの肩を借りて立ち上がっていた。
「私達も行く、ちょっと待ってなさい」
声が震えている、そう感じた。
ホワイトは少し瞼を細めて彼女達を見据える。フラタもアフェも、カーレッジを気遣わしげな視線で見据えていた。
「――ううん、君は休んでいて」
だから、彼女にもう無理はさせられない、そう思った。
ホワイトは静かにそう告げて、視線を彼女達から逸らす。
「待ちなさい!また一人で行くつもり?支援指示は私達全員に出されてる、それなのに――」
「ブルーローズ、多分あの子は、そんなに頭の固い子じゃないよ。……それじゃ」
呼び止められても足は止めない。身を屈めて地を蹴る勢いで跳躍し、建物の屋根へと飛び乗り、そのまま南東の方へと建物を乗り継いでは遠ざかってゆく。
その際後方から微かに聞こえた気がする言葉が、自分を怒鳴る声だったのは強く、記憶に焼き付いている。
まだホワイトはこの時のカーレッジが何を思ってそんな怒鳴り声を挙げたのか、知る由も無かったが故の記憶なのかもしれないが。
この後、『デッド・リーパー』の腕群(触手鎌を宿していた屍達の総称となった)の掃討作戦はホワイトが目的地に辿り着いた頃には終わりを迎えていた。
結局のところ、討滅された腕の数は九体に上り、半数以上は戻って来た前線組と、名も無き黒い魔法少女により一掃されたのだという。
幸い負傷者こそ出たが命を落とした者はおらず、物的な被害が一部残されたが、擬きとの戦いでその程度に抑えられたのなら問題ないとブルーローズは言っていた。
ただ、ブルーローズのメールによる報告には、こんな一文が残されていて、魔法少女達は今も尚警戒心を強めている。
『――結果、魔法少女擬き『デッド・リーパー』の討伐は失敗したと考えられる。前線組により撃破されたのも恐らくダミーで、放たれた腕の数は十体。街に侵入したのも十体の筈だが、一体の行方がわかって居ない事から彼女はまだ生存している。各自、常々警戒は怠らないように』