0-2 初めての共同作業
街灯だけに照らされた世界が眼前に広がっている。
建物ごとの明かりは無く、当然ながら人の気配はない。後方にもまた似たような光景が続いているが、それでもずっとではない。途中から急に明るくなっている、まるで闇の世界と光の世界を隔てるかのようだ。
『災厄』もとい、魔法少女擬きの接近。それを理由に一定範囲に住む住民達は避難勧告を受けて街の奥へと逃れている。戦いに巻き込まれない為に、自らの安全の為に。
「…………、前線では既に戦いが起きてる頃だって、言っていたよね」
銀色の髪を、緩やかな風に煽られて微かに揺らす白マントの少女、ホワイト。目を凝らして見ても近くで戦いが起きているようには見受けられず、本当に擬きが近付いて来ているのか疑いたくもなってしまう。
ふと、そんな中でポケットに収めていた携帯端末から振動が伝わる。何かを着信したらしい、と思えば取り出して画面を確認すると、一通のメールが届いていた。
『確認された魔法少女擬きについて』
開くと、そのメールには今回敵となる魔法少女擬きの詳細な情報が掲載されていて、送信者のアドレスは『bluerose』という英文字を含んでいて、何者によるものかはすぐに判別が出来た。
(どこで私のメールアドレスを?)
情報を目で流す程度に追いながら、教えた覚えのない相手からのメールに困惑するも、内容からして複数人へ向けて発信されたものだとわかる。
「――『組織』って機関はブルーローズとあの使い魔の出任せかとも思ってたんだけど、実際にこうしてメールが届くとちょっとだけ実感湧くわよね」
まるでホワイトの心の声を読んだかのような呟きが隣から聞こえてくる。二、三人程距離を離した位置に立つ黒いストレートロングで黒のベレー帽を被った魔法少女、即ちカーレッジがそこに居た。
「……、カーレッジ、さん」
「カーレッジでいいわよ、別に大して歳も変わらないでしょうし」
真っ黒なカバーを取り付けた携帯電話を片手で操作しながらホワイトの呼び掛けに対して事務的な声調で返答するカーレッジ。
彼女の言動からして、同じようなメールが彼女の元に届いているのだろう。なるほど、『組織』おそろしい。
「ふむ、デッド・リーパーねえ。危険度Eクラス、本当に魔法少女が十人も居たら押し切れる難度ってとこかしら」
淡々とした口調で独り言のように呟く。まるで慣れているかのような口振りに聞こえるが、先程の集まりの詳細を聞くに、魔法少女擬きとの戦いは未経験の者ばかりが居たはずだが。
そんな訝しげなホワイトの視線に気付いたらしく、携帯電話から目を離して、カーレッジは首を傾げる。
「何よ、どうかした?」
気付かれて反射的に視線を外そうとするが、それを咎めるというよりも許さないような真っ直ぐな視線を前に、ホワイトがそれを出来るはずもなく。
「カーレッジさ、……カーレッジ。君は、その、魔法少女擬きと出会ったことがあるのかい?」
言葉を選ぶように少々辿々しい問い掛け。首を傾げたままのカーレッジは尚も不思議そうに瞬きをしてから「ないわよ?ブルーローズも言ってたじゃない」と否定する。
「でも、それにしては随分冷静そうだね」
「……それ、貴女が言う?」
訝しげな視線を向けるカーレッジに対して今度はホワイトが首を傾げた。緊張して仕方がないというのに、一体どこが落ち着いていると言うのだろう。
そんなホワイトの様子を見てさらに瞼を細めたカーレッジは「鏡見せてあげましょうか?」と言ってから視線をはずして溜め息を溢す。
(ああ、表情のことかな)
口には出さずに視線をカーレッジから外して正面を見据える。別に自分の顔を見たかったわけではない。表情でまで不機嫌にさせてしまったかと考えた結果、顔を逸らすついでに前方の様子でも見ていようかと思ったのだが。
「ちょっとー……なんで顔逸らすの」
不服そうな低い声。これもダメか、ではどうしたら機嫌を直して、「き、い、て、る?」不意に間近から聞こえた声に目を見開いて己の左側面を見た。
カーレッジが、あからさまに「不愉快」といった顔の半眼で間近で睨み付けて来ている。一体いつ近寄ったのか、物思いに耽っていただからなのか気付く事が出来なかった。硬直して動けなくなるホワイトは、これは黙ってるとさらに何か言われるのではないかと思い口を動かそうとして、ふとカーレッジの表情が僅かに緩んだように見えた。
「なによ、普通にそういう顔出来るんじゃない」
軽く肩を手で叩かれ、叩いた当人はと言えばそのまま数歩後退して、両手を腰に当てていた。
何か面白いことでもあっただろうか、表情変化に自覚もないホワイトは首を傾げたが、それよりも質問すべきことがあることを思い出した。
「……君は、他にも仲間が居たんじゃなかったかな」
ブルーローズとの集まりの際、彼女は他にも二人の魔法少女と共に居たはずだ。その二人はどうしたのかという意図の問い。
するとカーレッジは先程までと違って少し柔らかい表情で、瞼を伏せて指先を立てながら説明を始めた。
「別行動!まあ、南門付近は入り口を見渡せる範囲が広いし、二手に分かれた方が見落としも減るかなって」
そう言うと彼女は一歩前に出て周囲の様子を伺うように首を動かした。確かに二手に分かれて、二人ずつなら見落として街に逃げ込まれる、というような事態も防げるだろう。「それに、ブルーローズも分かって今回みたいな配置にしているみたいだし」と言って携帯電話を片手で器用に操作しながら、何かの画面を出してホワイトへと向けてきた。目を凝らしてそれを見るとそれは、どうやらこの街の地図のようだった。
「南西街道はここよりも範囲が広いし道が複雑。大人数で連携が必要になる箇所ね。南東の廃工場付近っていうと実は道らしい道は一本しかないから二人も居れば十分。で、南ゲートは見渡す範囲は広いけど通れる場所は門を開いた先か、門を乗り越えて来るかの二択しかない」
偏っていた配置の理由はつまりこういう事だった訳だ。確かに割り振りとしては適切と言えそうではある。
「でも、それなら君はあっちに居た方がいいんじゃ」
「人の話を聞けーい。二手に分かれた方がいいって言ったでしょ、そりゃあ確かに3人合計6個の目があれば必然的に見落としも減るけどそれじゃ結局偏るの。だったら一人で居るであろう貴女のところに私が行けば2人4個でバランスも良いでしょ?」
なるほど、妥当だ。妥当故に、追い返す為の言い分が見当たらない。
ホワイトは困っている、誰かとの共同作業だなんて未経験であるが故に、足を引っ張る未来しか想像出来ていないのだから。
しかしそんな彼女の悩みなど知る由も無いのか、カーレッジは再び前方を見据えながら、
「それにアフェかフラタに任せるくらいなら私が来た方がいいって踏んだのよ。あの二人ならカバーし合えるし、私の魔法も戦闘向けのものだからいざって時は貴女を守る事も出来るしね」
「え」
アフェ、やフラタというのは恐らくアフェクション、フラタニティの二人の略称なのだろう。しかしそれは兎も角として、向けられた言葉に対して違和感を覚えているホワイトが居る。
『守る』、誰を。――私を?
「……ぁ。勘違いしないでよ?あくまで年長者としてなんだから!」
何やら声を荒げた彼女に驚き軽く身を竦める。どうやら怒らせてしまったらしい、何かもっとちゃんとした言葉を言うべきだったのだろうか。しかしホワイトはそういった言葉の扱いがやはり上手ではないので、何と言えばいいのか分からず口を噤んでしまっていた。
こういう時はどう言うべきだったろうか――
「――ありがとう、カーレッジ」
「ふあ!?」
思い至ったのは、いつだったかホワイトが犯罪者から守った子供から向けられた言葉。その時は心が温まるようなそんな感覚があった事を覚えている。なら彼女にも同じ言葉で伝えては、どうだろうかと。
結果としては何やら引き攣り顔を赤らめた状態で目を見開いているカーレッジ。怒っている、というわけでもない、驚いているように見えるが一体――だが、その答えに至るよりも早く彼女は勢いよくそっぽを向いて、「ふ、ふん。年下は私に守られてればいいのよ!」と腕を組んで背を向けられてしまった。
不機嫌そうな彼女ではあったのだが、それでも本気で嫌と思っているわけではない、のだろうか。ホワイトにはもう分からなくなってしまった。
もう一つ疑問があるとすれば、何故年下だと思ったのか、であるが。
少なくともカーレッジとホワイトは外見年齢だけを見ても殆ど差はないと思われる。確かに言動は彼女と比べてはっきりしない、というか口数も少なくわかり辛いのかもしれないけれど。
「……ところで、ちょっと聞いてもいいかしら」
ふと、思考の最中で再び掛けられた言葉。
先程のように大声ではなく、しっかりと囁き掛けるようなそんな声色だった。
ホワイトは答えるべきか悩んだが、返答が無い事に対して腹を立てる様子は無く、そのままカーレッジは言葉を紡ぎ続ける。
「ちょっと気になったのよ。貴女って――『白いゾンビ』だとか呼ばれてるでしょ?」
『白いゾンビ』。それはホワイトに対して与えられた一種の通り名だ。自身は決して悪い意味に捉えておらず、むしろ今の自分の実力ならその程度の評価が妥当だと思ってしまう。だから不服とも思わないし、評価が貰えなくても別に気にもならない。
「傷だらけになって、死にそうになって、それでも尚――再度現れた時にはぴんぴんしてる。貴女をゾンビ呼ばわりしてる連中って、大体そんな程度にしか思ってない。感謝なんて殆どしてないと言ってもいい」
再びカーレッジが何を言いたいのか分からなくなる。問題ではないだろうと思ってしまうからだ、評価されたいが為に魔法少女をやっているわけではないのだから。
そう思って、居るのだが。
「で、聞きたいのは一つ。――貴女なんで魔法少女をやってるのよ」
「……?どういう意味だい?」
顔は向けてこない。腕を組んだまま、微かに横顔だけが見えるが視線を向ける様子も無い。
ただ、純粋な疑問であるかのような問い掛けに、ホワイトは首を傾げる。
理由なんて特にない、感謝してほしいからしているわけでもない。目の前に困っている人が居れば自然と動いてしまうし、そうする事が魔法少女の役割のはずだ。
「だから。なんで感謝も評価もされない、貴女にとって何の得にもならない事をなんで続けているの?」
それは違う、と言おうとしたがホワイトは反論しなかった。否、出来なかったのだ。
だって理由なんて無いのだから。魔法少女として戦い続ける理由なんて、大義名分など無い。
「……、強いて、言うなら」
一つ間を空ける。きっと不機嫌になるのだろう、そう思いながら。
「これしか、無いからだよ。私には」
そう短く呟く。僅かな沈黙があったが、カーレッジは自分の手を握りしめるだけで怒りを露わにする事は無く、少し俯いて目元を隠しながら、「そう」とだけ呟き、押し黙ってしまった。
結局その後、彼女は口を開かずに再び前方を見張る為に顔を挙げたが、それ以上は何も言って来なかった。一体何が聞きたかったのだろう、そんな答えも得られないまま――。
長い沈黙、そこから少しの間が経つと、視線を向けていた南門周辺にふと、人影のようなものを見付けたホワイト。
「……?こんな場所に人影?」
「え?ちょっと、何処?ここ一帯には避難勧告が出ているから民間人は少なくとも居ない筈よ」
ホワイトの言葉に反応して目を凝らし、暗闇の中を見据えるカーレッジ。
視界の先には確かに人影のようなものがふらり、ふらりと門の続く街道を歩いている。その向かう先は街の奥地であるが――
「何か、変ね。まさか徘徊……いえ、でもさすがにこんなところに」
「私が見て来る。見張り、お願い」
ホワイトの判断は早かった。どちらにせよこの場所に民間人らしき人物を残しておくのは不味い。カーレッジにこの場を任せて、応答を聞きもせず建物の屋上から飛び出して建物の壁を蹴りながら下っていく。
「あ、こら!待ちなさい、勝手に――っ」
呼び止めるカーレッジの声が遠退いて行く。
だがすぐに追って来ない辺り、『一度二手に分かれるという判断』は採用してくれた様子。ならばホワイトは自分の仕事を全うしよう。
大丈夫、問題ないのなら、避難所に行く道を知らせるだけでいいはずなのだから。
――風を切り、長い白銀の髪と、全身を包む白いマントを靡かせる。
次第に地上に近付くと身を捻って地に着地、人影の正面付近に立つ形となった。
「こんな夜遅くに、どうかしたの?」
表情の見えない人影。俯き、一度大きく左右に揺れると足を止めて項垂れたまま返答は無い。
まるで影にでも落ちたかのような黒ずんだ髪、肌は褐色――のように見えたが、それ以上の黒に染まっている個所もある。茶色のコート姿で片方の腕に対して袖が無く、素肌を晒しているからこそ、男性らしき人柄であると判断出来た。
「……、ここは危ないから、避難所に行ってくれるかい?」
相変わらず返答が無いが、その言葉に反応するようにゆっくりと歩き始める男性。
この時、ホワイトは微かに警戒した。こんな場所に居て、返答も無いなんて、疑ってくれと言っているようなものだ。それくらいの判断ならホワイトにも出来る。
だが、それは通り過ぎて、後ろに振り返って、徐々に通り過ぎていく彼の姿を見据えながらもはや手の届く範囲なんてものは通り過ぎて、五メートル程度の距離の距離感。
(――杞憂だったかな)
そう思って視線を逸らし、背を向けようとした時だった。
「ホワイトッ!!」
遠くから必死な叫び声が聞こえる。後方、先程自分が降りてきた建物よりも隣の建物、即ちホワイトが降り立っている場所に近いところから声が聞こえた。何事かと思って振り返った。
その時には、既に
黒い鎌が己の首を刈り取らんと、眼前に迫っていたのだ。
「―――」
あろうことかホワイトは目を見開いたまま、一歩も動くことが、出来ない。
回転くる黒き刃は、彼女が動くよりも早く振り下ろされ――
ホワイトの視界を、漆黒が遮った。