0-0 白いゾンビと呼ばれた少女
時計の音が静かに鳴り響いている。一刻一刻、ゆっくりと定期的に刻む針の音。本来であれば穏やかなはずの音色は、
「大人しくしてろよぉ……?」
死に近付く音色のように聞こえていた。
頭に突き付けられた冷たい死の感触。綺麗に磨かれたカウンターの壁は鏡のように反射して、自らの情けない姿と、鈍く銀色に輝いているかのような銃口が黒い頭髪にその銃口を押し当てている。
情けない、そう評したが仕方がない事だとも言える。地面にうつ伏せにさせられ、銃には相手の指先が添えられて引き金を若干押し込んでいる。それは少しの衝撃で容易く限界まで押し込まれ、一発で命を刈り取る物だ。そんなものを押し当てられたまま、如何にして抵抗すれば良いというのだろう。男らしく散れ、などというならば、なんとも無責任な言葉だ、この場においては間違いなく。
「誰一人暴れなけりゃ誰も死んだりしねえ。他人の金で自分の命が救われるんだ、悪くねえだろう?」
「…………」
肯定しているわけではない。断じて認めているわけではない。発言は、許されていないのだ。
下手に発言しようものなら彼は迷わずナイフを突き立ててくる。それで数名の従業員は負傷していて今もまともな手当てが出来ていない状態だ。長く続けば出血が多くなり、傷も悪化する事だろう。
「まー、のんびり待ってようぜえ?こうしてる間は仕事サボれるんだし、いいだろお?」
下品に舌を出して薄気味悪く笑う男。覆面をつけるわけでもない堂々とした髭面を晒し薄汚れた衣服を纏った白髪の男は、銃口を訴えるように押し当てて擦り付けてくる。いつ引き金を引かれるのか、そんな恐怖に支配されてしまうのも、きっと仕方のないことだ。
「……しかぁし、なんだ。遅いな?」
ふと、煽る言葉ばかりだった男が苛立ちを含んだ声を溢し、カウンターの奥にある金庫の入り口を見据えた。
「――何手間取ってんだ、はやくしろ!!」
焦りでもない。純粋に時間の掛かっている事に苛立ちを感じているのだろう。だが奥からの反応がないことにさらに苛立った様子で、男が己から銃口を外して立ち上がった。
「返事ぐらいしろっていつも言ってるよなあ……おい、殺されてえのか」
今度は怒鳴らない。だが、明らかな殺意と怒気を織り混ぜたような声は周囲を怯え竦み上がらせる。今ならチャンスだと思うのに動けない、誰一人。己も含めて。
髭男はそのまま奥の金庫に向かって数歩進み、ふと足を止めた。
「――おい、騙されると思ってんのか?ガキ」
「………?」
予想だにしない言葉を聞いた。ガキ、つまり子供。まさか子供がいるというのか、しかしどこに、一体どうやって。
そう思考する間もなく、不意に鋭い何かが投げ放たれる。髭男は咄嗟にナイフを使ってそれらを切り落とし、閃光のように走る白銀の何かに蹴り飛ばされ
「殺すぞ?こいつを」
「……!」
なかった。何故ならば、地に伏せたままの己に再び銃口が向けられていたからだ。
「いやあ、ちょっと焦ったぜ。まさか噂の魔法少女様とやらがこんな陳腐な銀行にまでいらっしゃるとはなあ?」
カーテンが閉められ薄暗い室内では、その少女の姿ははっきりと見えない。だが眩い程の光沢を宿すような白銀の髪は一気に詰め寄ろうとした姿勢で宙に舞い、靡いて落ちて行くのが見える。
表情に変化はない。冷静なのか、それともこういう状況での表情を知らないのか、無感情そのものだ。マントで全身を包むように羽織った、異国の何者かといった彼女に対して、
「よぉし抵抗するなよ?犠牲者を出したくねぇなら大人しくしてな」
強盗の男は銃口を地に伏せた己に向けたまま、ゆっくり一歩、二歩と近寄り、足を止めた。
「一瞬でも魔法なんざ使ってみろ、こいつの頭蓋に穴が開くぜ」
少女は行動できずにいる様子。犠牲を出して立ち向かうだなんて覚悟、彼女のような子供に強いるのは酷というものだろう。
だがそれでも、男が己より銃口を外して少女へ向けたとき、戦ってほしいと願っていた。
乾いた破裂音が連続して響く。悲鳴が挙がり、耳を塞ぐ者もいる。だがそれ以上に、頭を撃たれ仰け反った彼女へ無慈悲に撃ち込まれる弾丸は地獄の生け贄を生み出した。
「やめろぉぉぉ!!!」
「はっはっはっは!!愉快だねえ、たまんねえわ、ぎゃはは!!」
叫び虚しく、血だらけになって白銀の少女は崩れ落ちる。床が夥しい赤に染まり、絶望の悲鳴を挙げる声もある。だが全てが遅い、手遅れだ、もう彼女は動かない。
「ひひひひ、なぁにが魔法だ。鉄と火薬にゃいつだって勝てねえ癖によお」
もう一発入れようと引き金を引く男だが、もうそれ以上少女の体に穴を空けることはなかった。かちん、という乾いた金属音が響いただけ。狂気に任せて弾丸を撃ちきったのだ。
「ちっ、弾が切れちまったか。ナイフ一本ありゃ、問題な――」
男の言葉は不意に途切れる。彼の身体が大きく横に傾いたのだ。苦しそうにむせる暇もなくゆっくりと血濡れた赤くも白い足が男の脇腹を抉り、スローモーションのようになっていると気付いた時には彼の身体は大きく側面へと転がり、唾液を吐き出してむせかえっていた。
「……」
血濡れた白銀が揺れ、眼前を通り過ぎて倒れた男の元へと接近すると、右手に白い光を宿して剣のような形を作り出して振り上げた。
「ご、ほっ………て、め!なんで、生きて……!!」
「おやすみ」
そのまま迷い無く剣が降り下ろされ、男の首を断ち切った。一瞬誰もが悲鳴を挙げそうになったのだが、いつまで経っても男の首が取れて落ちない事への違和感が勝る。
――よくその男の顔を見ると、泡を吹いて白目を剥いている。つまり、ただ気絶していた。
「起きる前に武器を奪って拘束して。それじゃ、私はこれで」
ぺこり、とお辞儀をして血濡れた白銀の少女は手から白い剣を消して出入り口の方へ向かっていく。だが待ってほしい、全身傷だらけで血を滴らせている彼女をそのまま行かせていいのか、誰もが思ったのに動けなかった。それは単に、『魔法少女』であるからだ。
「……」
扉を抉じ開けて、少女はそのまま外の光の中へと消えていく。外の野次馬達や警察隊だろうか、どよめきが聞こえてくるが、あんな姿で出てきたら無理もない。
「なあ、さっきのって……例の魔法少女か?」
「ああ、やっぱり?あんなすごい戦い方するなんて多分あの子だよね」
突入してきた警察隊によって確保される犯人達を眺めながら、銀行社員の内二人がそんな会話をしていた。
「白いゾンビだっけ。いやあ、噂通りとはいえ実際にやってみせるなんてすごいよねぇ」
「ほんとほんと。どれだけ傷を負っても蘇って事件を解決してくれるっていうのも本当なんだなあ。やっぱり化け物染みてるよなあ」
そんな気楽に笑って見せる彼らに、一部の社員が鋭い視線を浴びせていて彼らも思わず黙ってしまったようだ。
白いゾンビみたいな魔法少女。この町に居ると、どこかと名前を聴く存在で、いつもいつも重症であろう傷を負いながら事件を解決し、再び現れた時には傷ひとつ無いものだからそのような呼び方をされている。
身勝手な話だと思うが、助けに入る度にそんな傷を負う彼女を見て、口々に「魔法少女に助けられたって気がしない」と言う。
「否定はできない、けど」
結局何も声を掛けられなかったのだ、皆そういう考えを否定していたとしても行動が伴わない。そんな、称賛の一つも与えられないあの白銀の少女へ一つの疑問が生じる。
なんでそこまでして、見返りのない戦いに身を投じるのだろうか、と。
この時彼の抱いた答えを持つものは、まだ誰一人として存在していなかった。
噂の白いゾンビこと、ホワイトだけを除いて――。
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「――むちゃするね、ホワイト」
建物の物陰に背を預けて座り込む少女に対し、物陰から顔を出した者が居る。
真っ蒼なコートとその下に漆黒のローブを羽織りつつ、灰色のフードを頭から被って口元以外を覆い隠したその者は、血だらけの白マントの銀髪――ホワイトと呼ばれた少女を見据えて首を傾げていた。
「………、何か、用かい?」
おぼろげな意識を引き戻し、視線を白黒の少女へと向ける。その肩には真っ白な翼を持つ鷹らしき鳥類が乗っている。その鳥が、ホワイトの問いかけに対して黒いクチバシを動かして、声を発した。
「何度となくとなりましたが、我々の仲間になりませんか?ホワイト」
人の声のように聞こえるその言葉だが、その鳥の声は魔力を帯びていて頭に直接響くような音へと変わっている。
ホワイトや目の前にいるフードを被った少女は特別な力を持った『巫女』、馴染みやすい名として『魔法少女』と称される存在である。魔法少女の仕事は所謂、人類の平穏を保つための活動が主であり、先の銀行での戦いもまたその一環だ。
そしてそんな魔法少女達を支援する存在――尤も扱える魔法少女は限られているらしいが――『使い魔』と呼ばれる者。それが今少女の肩に乗り慣れた様子で喋る鳥も使い魔の一種であるらしく、つまり目の前の少女を支援する存在であるのだが。
「その、件は……断った、筈だよ。………うん、五回くらい」
五回。その数は即ち、ホワイトと彼女達が顔を合わせた回数と同等である。
大体事件の前後に現れて勧誘しにやってくるのだが、ホワイトはどれも考慮するまでもなく断っていた。
怪しい、そんな雰囲気も勿論あるのだが、ホワイトにはその申し出を受け入れられない自分なりの理由がある。
ただ、まあ。彼女達もまたいつも通りで、
「そう。じゃあ、これ。いつも通り……すぐ傷、治るとおもうから」
理由を問わず、瓶に入った薬をホワイトの隣に置いて、数歩後退した。
当初からこうなのだ、理由も聞かず――ただ淡々と仲間にならないかと言うだけ。ダメなら、傷が治りやすくなる魔法少女用の薬を置いて行く。何が目的なのか、何がしたいのか、全く読めない存在なのだ。
「君は、一体……何?」
曖昧な問い掛けだ。傷のせいで呼吸も荒く、先程から言葉が途切れ途切れになっている。しかし致命傷には至っていない故、こうして話す事も出来る。相手もそれを理解した上で話しかけに来ているのだろう。
出血こそ多いものの魔法少女の自己治癒能力自体も人並外れているし、生命力も例外ではない。だからこの程度の傷は放っておいても治る。それでもこうして少しでも治りを早くする為の薬を渡すだけ渡す。
でも理由もなくそんな事をするだろうか、ホワイトとて疑心くらい抱きはするのだ。
「わたしは、わたし。……またあおうね、ホワイト」
落ち着いた静かな言葉を残して、蒼い少女は身を翻し、建物の床を蹴って他の建物の屋根へと飛び移り、路地へと飛び込み――その姿が見えなくなった。
「………『わたしはわたし』か」
残された薬の瓶を取ると、中のカプセルを一つ取り出し、口の中に投げ込んだ。
噛み砕くと味は無いが、何かが口内から喉へ、全身に広がっていくのを感じる。それは治癒能力を大きく強化する魔法の力。お陰で弱まっていた意識もはっきりとして、体中の痛みも引いて行く。
「私は誰とも、一緒に動く気はないんだよ。……だから」
立ち上がりその場から去ろうと思ったが、血を少し流し過ぎたらしく弱弱しく背の壁に身を預け、立ち止まってしまった。
ホワイトの視界は一瞬、モノクロに映って見えた。だが瞬きをして視界情報を更新すると、世界はまだ明るくて、陽の光が世界を照らしてくれている。
人々の中にある悪意、それが人を暴走させ、牙を剥く時代。そんな世界であってもかつての歴史に刻まれたかのような闇の世界ではないのだ。こんな世界であるからこそ、まだ己のような落ちこぼれでも誰かを救う事が出来る。一人でも、やっていける。
ホワイトは壁から身を起こし、軽く上下に飛び跳ねてみる。治癒魔法の効果は確かで、完治とは行かずとも飛んだり跳ねたりする分には出来るようになる程の効力がある。
(――まだ、もう少しやれそうだ)
白銀の少女は赤の滲んだ白いマントを靡かせながら、屋上の建物から飛び降りる。壁を蹴って、勢いを落とし、路地裏へと着地する。魔法少女ホワイト、通称――白いゾンビ。
彼女はその日もまだ活動を続ける。例え傷ついても、腕が折れようとも。
それこそがせめて、何もかもを喪って魔法少女としての力を与えられたホワイトの存在価値なのだから。
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「……うまくいかないね」
蒼い少女はフードを被ったまま、静かに呟いた。
それに呼応するように瞼を伏せた鷹の使い魔は、「彼女は気難しい人のようですから仕方ないんですよ」と、励ますように頭を少女に擦り付けた。
「でも、これで、呼び出す人はきまった……」
片手を持ち上げて鳥の身体を軽く指先で撫でてから手を降ろして歩き始める。
「久方ぶりの出現ですからね、協力者は多いに越した事はないですけど……彼女は死亡する可能性の方が高くありませんか?」
鳥は頭を離して左右に身を揺らしつつ問い掛ける。だが少女はその言葉に対して首を左右に振り、「そんな事はない」と告げた。
「自己犠牲のつよいタイプ。だけど、死んだら意味が無い事も理解してる。あの人はきっと、いちばん信じられる」
少女は僅かに安堵したかのように口元を緩ませる。「それに」と静かに言葉を零して
「――あのひとの能力、きっと一人じゃ……つかえない、から」
白いゾンビこと、ホワイトなる魔法少女に希望を添えて。
少女は人気のない路地へとゆっくりと歩んで行った。