名も無き民衆の味方
「じぃちゃーん、来たよー」
「おぅ、あがれー」
孫娘が家に来た。
「じぃちゃん、久しぶり」
大学生になって、髪をのばしてお洒落になって美人になった。若い頃のばぁさんが少し痩せたらそっくりだ。
ばぁさんが死んでから、俺はこの家でひとりで暮らしている。とは言っても、息子夫婦がわりと近い隣の街に住んでいるので、息子も月に1回は様子を見に来る。孫娘もたまに来る。
同年代の輩から見ると、羨ましいらしい。孫の顔が見たいけど、なかなか会う機会が無い、と隣の山田川のじぃさんが愚痴ていた。
ばぁさんが死んだときに、息子の家でいっしょに暮らすか、という話もあったが、息子の嫁さんが口煩くて考えも合わんので、断った。あの嫁さんと同じ家で暮らすとなると、寿命が縮む。今年で78歳、残り少ない寿命は大事にせんと。
しかし、この孫娘が来たとなると、
「おみやげあるよー」
「なんじゃらほい」
「カツオのたたき」
「おぉ、俺の好物、覚えておったか」
「私も好きだからね。今日は泊まってくよ、晩御飯つくるねー」
「で、なにがあった?」
「う……、やっぱ、解る?」
「そりゃまぁ、お前の爺だし」
この孫娘は、昔から親に相談できないようなことがあると、俺のところに来る。俺がさしてなにかできる訳でもないが、隔世遺伝で足の小指の鬼爪の形がそっくりで、妙にウマが合う。歳の離れた爺と孫のわりに、共感するところがあったりする。
まぁ、あの息子の嫁さんが話すことは、インテリぶって鼻につくから、相談しても解決案が出なくて疲れるだけだからな。
そんなわけで、前日に電話があってこっちに来るとなったときから、なにかあったか、とは思っていた。
「じつは、大学でめんどうなことに関わることになってね……」
庭の見える居間で、ソファに座って茶を飲みながら、孫娘の話を聞く。
「ふーむ……」
ひととおり聞いてから腕を組んで考える。
この孫娘が俺に聞きたいことがあるときは、親に話せないようなことか、親に聞いてもいまいちどうにもならないときだ。
あとは、あの息子の嫁さんのように、本やテレビやパソコンとかで仕入れた知識の披露ではなく、長く生きた爺の実の体験に基づく経験談を聞きたいとき。
なので、俺の経験から孫娘に役立ちそうな事柄を思い返す。しかし、これも因果か、それとも宿痾か。
「成田空港、知ってるか?」
「知ってるけど、それが?」
話が飛んで、繋がらないようだが、続けて、
「じゃあ、成田空港管制塔襲撃占拠事件は?」
「それは、知らないけど……」
「俺は昔、機動隊にいてな、おれの若い頃の話だ」
その昔、この国は第二次世界大戦でボロ負けして、国はひどいもんだった。よく復興したもんだ。そんな国だからこそ、ひとつの問題があった。
その当時、この国には国際空港が無かった。
発展して、先進国の仲間入りをするためには、国際空港が必要だった。
国際空港が有るか無いかで、国際的な国かどうかが判別される。なので、一刻も早く国際空港を造らなきゃならない。世の中がそんな流れになっていった。
目をつけられたのが、成田という土地だ。ほとんどの人は、国が用意した他の土地に移動したり、金で解決したが、全員の同意は得られなかった。
とくに地元の農民の反対は解決できなかった。先祖代々の土地であり、その土地で暮らして、その土地の畑で生活してた人達には、納得できなかったんだろうな。
他の土地への移動を拒否して、土地の買収を拒んだ。
だけど、国全体の国際空港、造るべし、の流れには逆らえない。国際社会の仲間入りをしたい日本は焦っていた。
で、国家が後ろ楯についての地上げが始まった。法律的にも、すでに国の土地ということにして、強引に成田空港の建設を始めた。
俺はこのとき、機動隊で他の同僚といっしょにその家に乗り込んだ。
自分の家に居座るじいさんを、なんとしても排除しろ、と命令されてな。そのじいさんが抵抗して、絶対に家から出ないと暴れるので、俺と同僚はそのじいさんを、機動隊の盾でボコボコに殴った。
そのじいさんが鼻血を流して、前歯が折れても、動かなくなるまで殴り続けた。やっと動かなくなったじいさんを、皆で担いで外に運んだ。
こうやって、抵抗する人達を排除してやっと成田空港の建設ができるようになった。
そのじいさんはそのまま入院して、翌年、退院できないまま、死んだらしい。
そうやって強引に空港を造ったもんだから、土地をとられた人達や、国のやり口に怒る人達も多かった。
そんな人達が怒り心頭で起こしたのが、成田空港管制塔襲撃占拠事件、てわけだ。
あの空港造るために、けっこう死んでたりするんだよ。
「そんなことがあったなんて、知らなかった」
「いくら合法とはいえ、あまりに強引すぎるから、国もおおっぴらにしたくないんだよ。だけど、いまだに当時の農家の人達が土地を取り戻すための反対運動を続けているぞ」
若い頃は、何で俺がこんなことを、と考えながらやってたもんだが、仕事だからと割りきってやったもんだ。
さて、孫娘の方に話を戻すと、
「大学でね、困った教授がひとりいるんだ。その人自体は悪いひとでも無いんだけど。頭はいいんだけど、学問一筋というか、学者バカというか。
その人が書いた本が問題なのよ。宗教に関することで、書店でも販売されてる。
だけど、その内容がひとつの宗教団体を擁護する内容にとられちゃってるの。政教分離とかも書いてあるんだけど。
どうもその教授が、その宗教団体から依頼されて書いたみたいなのよね。しかもその教授はテレビのニュースでも、宗教問題でのコメンテーターとして出演してて、微妙に有名人だし。
大学側としては、ひとつの宗教団体に肩入れするような人物は、優秀でもあとで問題になるかもしれないし、その教授は学問以外の大学内での政治的なことは、さっぱりのひとだから。
大学側としてはその教授を大学から追い出したい。だけど退職させるには、理由が足りない。
それで、私に目をつけられちゃったのよ。私がその教授に研究室でわいせつなことをされたって、証言するように、他の教授に頼まれちゃったの」
確かにそれは有効な手段だ。痴漢は親告罪だから、証拠もいらない。被害を受けたと主張する女性がひとりいればいい。
政治家や警察官、先生と呼ばれるようなお堅い仕事の人達には、致命的だろう。
たとえ無実の罪でも、今の日本では『わいせつ事件の容疑者』のレッテルを貼られたらおしまいだ。冤罪を証明するにも時間がかかる。裁判で冤罪を認めさせるころには、すでに懲戒免職になった後だ。
たまに、警察官や先生のわいせつ事件がニュースで放送されるが、どれが本当の事件で、どれが派閥争いや権力争いの仕掛けかは、ニュースだけでは判らない。
「私が、わいせつなことをされた、と言えば、その教授を大学から追い出せる。そのうえ、私には、口止めにお金ももらえるし、大学の単位とかもイロつけてくれるって。だけど、この話を聞いて断ったら、私が大学に居づらくなってしまうし。
結局、引き受けたんだけどね。このカツオのたたきは、そのお金で買ってきたの。
だけど、問題の教授も、奥さんも子供もいるのに、やってない事件で『研究室で学生に手を出したエロボケ教授』とか言われて、私、何しに大学に通ってんだろ」
「世の中というの、そういうもんだ。みんなの生活のためには、犠牲者が必要なんだ。そして、その犠牲者をどうにかするための、仕事をする奴も必要なんだ。みんなのために、そんな仕事をする名も無き民衆の味方によって、世の中は回っていく。
お前は大学のために、大学の教授や学生達のために教授ひとりを排斥する仕事を手伝った。俺は国際空港が欲しいという国民のために、土地に居座るじいさんを殴り殺した。世の中には他にもいろいろある。今さら成田空港の無い生活を国民ができる訳がない。自動車だってそうだ。自動車のある便利な生活のために、毎年かなりの数の人間が自動車事故で死んでいる。だけど、今さら自動車の無い生活には戻れない。事故で死んだ人間はかわいそうだが、それはみんなの便利な生活のために必要なコストのひとつなんだ」
「だけど、さ。私のしたことって」
孫娘の目から涙がこぼれる。
「む、無実の人を犯罪者に、して、その生活も、家庭も、メチャクチャにして、私、そんなことのために、大学に行ってるの? 私、そんなことのために、生まれてきたの?」
顔を手で覆って、泣き出した孫娘を、そっと抱き締める。
「俺もな、機動隊の仕事で、そのじぃさんが死んだって聞いたときは泣いたもんだ。人を殴り殺したことに。それが仕事だったことに。それが合法で、俺はなんの罪にも問われないことに。いっそ、俺が罪人で、誰かに裁かれたいと、願って泣いたもんだ。法律とか関係無い。罪悪感に責められる、責められ続ける」
「じぃちゃんも、ずっと、こんな気持ちでいたんだ」
「じぃちゃんだけじゃない。俺のかつての同僚も、俺達以外の民衆のために仕事したみんなは、きっと同じ気持ちを抱えていたんじゃないかな」
罪を問われない罪に、罰なき罪に、それを罪と感じる心に、なかなか折り合いをつけられない。だけど、それが人の生活というものだ。それが生きるということだ。
過去から現在、そして未来永劫、人が生きるためには犠牲者が必要で、その犠牲者をどうにかする役目の人も、人の社会のために必要だ。
俺と孫娘は、誰もやりたがらないような役割に、スッポリはまりこんでしまっただけだ。
泣き続けている孫娘の頭を胸に抱く。
名も無き民衆の味方達に、せめて心の平穏が訪れることを祈って。