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乱歩世界  作者: 江戸瓦んぽ
2/2

白昼夢の恐怖

江戸川乱歩「白昼夢」、ラヴクラフト「博物館の恐怖」の二次創作です。


カクヨムにも投稿しております。

 現世うつしよは夢

  よるの夢こそまこと

   ――江戸川乱歩




  1


 アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……アッパッパアアアア………………

 あっぷく、ちきりき、あっぱっぱあ……あっぱっぱぁ……あっぱっぱぁぁぁぁ………………




 またしても女の子達の涙ぐましい旋律が耳を打った。




 あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ……………………




 女児達の旋律は重なり混じって晩春の空彼方へと蒸発してゆく。砂埃で汚れたお下げ(・・・)をユラユラ揺らし、相変わらずアッパッパアアアア……と歌っている。

 アアしかし、何という事だろうか。先ほど見た名状しがたい恐怖を思い返し、私の足取りが自然と早まる。


「妻を殺した」と狂った演説を行う薬屋の主人、その狂人をゲラゲラと笑う群集。男の店先に飾られた女の屍蠟さえも――自分を殺した男の演説に――ニッコリと糸切歯をむき出していた。

 眩暈を感じながらヒョロヒョロとその場を離れたが、心臓は未だ平静に戻らない。果てしのない白い大道の上で、陽炎が立並ぶ電柱を海草の様にゆすっている。


「……狂っている」


 私のその呟きは、重い荷馬車のゴロゴロという音に易々と呑み込まれた。




 あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ……………………




「……俺は女房の死骸を五つに切り離した。いいかね、胴が一つ、手が二本、足が二本、これでつまり五つだ。……惜しかったけれど仕方がない。……よくふとったまっ白な足だ」


 楽隊の大喇叭おおらっぱが頓狂な音を出しながら遠ざかってゆく。楽隊の太鼓の音だけが、男の演説の伴奏の様に、高らかに響いている。


「三七二十一日の間、私の家の水道はザーザーと開けっぱなしにしてあったのですよ。五つに切った女房の死体をね、四斗樽しとだるの中へ入れて、冷していたのですよ。これがね、みなさん」


 ここで薬屋の主人は声を聞えない位に低めた。殊更首を前につき出し、目をキョロキョロさせながら、さも一大事を打開うちあけるのだといわぬばかりに、「秘訣なんだよ。秘訣なんだよ。死骸を腐らせない。……屍蠟というものになるんだ」


 思わず私は悲鳴を上げそうになった。

 私は、いつしか逃げ出した筈の、あの狂気に満ちた薬屋の前に立っていたのだ(!)

 ゲラゲラと演説を笑う群集に向け、男の大声が響いた。


「オイ、諸君。俺がこれ程云うのが分からんのか。君達は、俺の女房は家出をしたと信じ切っているだろう。ところがな、オイ、よく聞け、あの女はこの俺が殺したんだよ。どうだ、びっくりしたか。ワハハハハハハ」


 その忌まわしき狂声から逃れようと、すくんだ足で群集から後退る。数歩程足が進んだところで不意に、あの薬屋特有の臭いが鼻孔をくすぐった。


「ね、いるでしょう。もっとよく私の可愛い女を見てやって下さい」という男の声に、衆人の笑い声が重なる。その奥からは幽かにアッパッパアアアア……と哀しい旋律。

 危うく倒れそうになる身体を更にもう一歩後退って支えると、コツリと何か硬い物にぶつかった。ハッとして後を振り向けば、アア……、やはり女の納められたガラス箱があった。その中で私に糸切歯をむき出しにした笑顔を向ける女の顔。蠟の下には黒ずんだ肌、そしてビッシリと生えた産毛…………


 膝から力が抜け落ち、支えを失った身体が倒れるのを感じながら、私は意識を失った。




  2


 目覚めた私の眼に見知らぬ天井が映った。グッショリとシャツが濡れ、不快な感覚が全身の肌に貼り付いている。それにしても、厭な夢を見てしまった。

 ヒヤリと背中に空気の冷たさを感じながら身体を起こすと、やはり知らない部屋である。……否、部屋と呼べるのだろうか。畳の上には積み上げられた段ボウルがあり、それらに囲まれる様に布団が敷かれている。

 キョロキョロと辺りに視線を巡らせていると、この部屋へ近づいてくる足音が聴こえてきた。


「ああ、お目覚めになられましたか」


 そう云いながら現れたのは、ヒョロリと背の高い男であった。日に焼けた浅黒い肌に、どこか嘲笑めいた微笑みを浮かべている。癖の強い髪も相まって、日本人離れした雰囲気を放つ男だ。


「わたしはこの薬屋を営んでおります、布袋ほていと申します」

「……薬屋?」

「ええ…………アア、成程なるほど成程、気を失う前の事を忘れておられるのですね。

 あなたは店の前で倒れていらっしゃったのですよ。最近、店の宣伝の為に蠟細工の人形を置いておりましてね。……しかし、どうやら刺戟しげきが強過ぎたようで」


 どこか皮肉めいた笑みのまま、布袋と名乗る薬屋の主人は先ほど来た方向を細くしなやかな指で示した。そして「宜しければ、もう一度ご覧になられますか」と私に問うたのだった。




 店の外に――私が居たのは薬屋の物置部屋であった――設えられたガラス箱の中には、成人女性をかたどった随分と精巧な蠟細工の人形が飾られていた。恐らくはその道の名人の手に成ったものであろう。女性特有の胸の膨らみ、腿のあたりの艶めいた曲線、指の爪に浮かぶ白い半月、また細部の凹凸おうとつなどは狂気すら感じられるほどに緻密であった。虫眼鏡で覗いて見たら、毛穴や産毛まで、ちゃんとこしらえてあるのではないかと思われた程である。


「……素晴らしい蠟人形ですね」

「ええ、特注品なのですよ。しかし宣伝の効果は無いらしく店は寂れたままなのですが」


 自嘲する様に布袋は乾いた声で笑った。


「私はこの蠟人形の前で倒れていたのですか」

「はい。今は大丈夫の様ですし、一時的な貧血だったのでしょう」

「その様です。

 ……しかし、本当に素晴らしい人形だ」


 あの夢で見たグロテスクな屍蠟とは違う、正に芸術品の様な人形に私の眼は釘付けになっていた。狂気に満ちたあの白昼夢は、恐らく今にも動き出しそうなこの蠟人形が晩春特有の暖かさに歪められた結果なのだろうか。


「蠟人形に興味があるのですね。

 それでしたら、他の人形もご覧になられますか?」

「ホウ……、他にもあるのですか」

「ええ、これはわたしの趣味の様なものでしてね。あと数体程所有しております。

 しかし少々グロテスクでしてね。残念ながら店先には飾れないのですよ……

 しご覧になるのであれば、夜にまたお越し下さい。寂れた店とはいえ、流石に営業時間内に店を空には出来ませんので……」


 そう云って、布袋はクツクツと喉を鳴らした。




  3


 薄い雲にぼやけた半月の明かりを頼りに、夜道を歩く。けれども私の足取りは決して軽くはない。反して先導する布袋の歩調は実に軽やかである。浅黒い肌と真っ黒な癖毛が闇に隠され、まるでシャツだけが浮いている様だ。




「本当にいらして下さったのですね」


 待ち合わせた薬屋の前で、布袋は空の麦酒ビイルケースに腰を掛けて待っていた。屹度きっと店を閉めてから暫くの間、こうして私を待っていたのであろう。麦酒ケースの傍には煙草の吸殻がまばらに棄てられている。


「今晩は。お待たせしました様ですみません」

「いやはや、本当に。若しや来ないのではと思っていたのですよ。

 …………ウハハハハハ、冗談を相手に、そんな顔をしないで下さい」


 カラカラと人を喰った様に笑う布袋の奥には、月明かりに照らし出された例の蠟人形が昼間とは変わらぬ微笑みをたたえている。……だが、どうしてであろう。其の微笑みが、途方も無い忌まわしさを秘めているのだ。


「……夜の蠟人形というのは、昼間の其れとは違うものですね」

「ええ、夜の人形には生きておりますからね。

 お聞きになった事はございませんか? 黄昏時を過ぎれば人の世は終わり、霊魂や怪異の世と成るのです。昼間は普通に見えた人形も、深層に在った魂が浮かび上がるのです。してや、この蠟人形程に精巧なものは魂を持たぬ方がおかしい(・・・・)とは思いませんか」


 蠟人形と向かい合い、ガラス箱に手を当てながら布袋は「だからこそ、人智を越えた冒涜的な美しさを湛えているのですよ……」と何処か恍惚とした顔で呟いた。


「では、そろそろ行きましょうか。他の蠟人形は自宅に置いてあるのです。

 ナニ、三町(約300メートル)と離れておりませんよ」


 そう云って歩き出した布袋に続いたが、私の胸中には云い様の無い不安感が立ち込めていた。白昼夢に見た屍蠟と今しがた見た蠟人形……似ても似つかぬ筈なのに、どうしてかアノ悪夢が思い出されるのだ。



 あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ いあぁぁぁぁ いあぁぁぁぁ らあぁぁぁん てごぉぉぉぉぉすぅ あっぷく ちきりき あっぱっぱぁ あっぱっぱぁ あっぱっぱぁぁぁぁ……………………



 女児達の哀しい旋律に狂人達の笑い声、楽隊の太鼓……それらの音と共に、あの糸切り歯をむき出しに笑う死体の顔が思い浮かぶ。殺された事にすら気付いておらぬと云わんばかりの、生き生きとした名状し難い笑みが思い浮かぶのだ。


「…………狂っている……アア……狂っている」


 闇に浮かぶ布袋のシャツの後ろで、私は一人、忌々しい幻想に震えながら歩いたのであった。




  4


「…………ご足労ありがとうございました。此の扉の先に、わたくしめの集めました芸術品の数々が鎮座しております。どうぞ……存分にお楽しみ下さい」


 やや芝居がかった口調で布袋は扉の廻し手を掴んだ。そして開かれた扉の先には夜の闇を詰め込んだかの如き暗黒がヒッソリと佇んでいる。……しかし其の一寸先も見えぬ闇は、パチリと点けられた電灯によって容易く消失した。

 突然の光を受けて反射的に瞑った眼が再び開かれた時、私は眼前に鎮座する作品のおそろしさに言葉を失った。其れは――布袋の云っていた通り、店先には飾れない程に――冒涜的でグロテスクな芸術であった。


「如何でしょうか……

 これは『犠牲いけにえ』と名付けられた作品でして、大いなる神に捧げられた供物の残骸をかたどっております」


 緋色の絹地に置かれた「犠牲」は、ほとんど形をなさない押し潰されたもの(・・)であった。恐らくは大きな白い犬の亡骸であろう――だが其れは何らかの作用にって平べったくされ、血を吸い取られ、全身におびただしい孔が開き、骨を砕かれて締まりのないグロテスクな塊に成り果てている。

 犬種を特定出来ない程に歪められ、強い酸にでも侵されたかのように毛の大半は焼失し、剥き出しになった皮膚には円形の傷口が無数にあった。

 電灯の光を受けた緋色の絹地が、血液の様にテラテラと白く悪魔めいた作品を彩っている。


「…………何と……何と狂った……」

「確かに狂った作品ですね。我々人間の限られた観点ではとても美しいとは云えない作品です。しかし……神の滋養として捧げられた供物は、通常の語彙では描写できぬ忌々しいまでの魅力を放つのです。

 理解を越えた神々の摂理は、其処そこに在るだけで芸術なのですよ」


 私は早くも布袋の元から逃げ出したくなってしまった。想像していたよりも遥かにグロテスクで狂気的な作品は、本当に蠟細工なのかと疑ってしまう。ともすれば例の忘れ難い白昼夢も自然、思い出される。

 此の犬もかつては生きていて、名状し得ぬ恐怖の果てに死に、狂人の手で屍蠟とされたのではないのか…………あらぬ想像が、私の足を退かせる。


 しかし、再びパチリという音と共に私の視界は重苦しい闇に閉ざされた。布袋が電灯を消したのだ。

 何も見えぬ中で幽かな足音が遠ざかってゆくのを感じる。布袋の歩く音に違いないのだが、私には「犠牲いけにえ」と題された蠟細工が、平べったく潰された身体を引き摺りながら蠢いている様に聞こえた。


 アア、なんと莫迦ばか々々《ばか》しい妄想だろうか(!) そんな事はある筈がない。私は昼間の悪夢に未だうなされているに過ぎないのだ。



 幽かな足音は止まり、またしても電灯の光に眼が眩んだ――

 一丈(約3メートル)ほど先に、二つの人影が見える。一つはあやしげな笑みを浮かべた布袋、もう一つはグロテスクな人形であった。


「サア、此方へ。次の作品は『ロジャーズ』でございます」


 其れはやはり、冒涜的なまでに破壊された人間だった。「ロジャーズ」という名の通り、とある英国イギリス人が自らを神に捧げた姿なのだと布袋は語る。


「ジョージ・ロジャーズは博物館の館長をなさっていた方でしてね――今は失踪なされているのですが、其の彼が最期に遺した作品なのですよ。

 わたしは彼の部下にして現館長であるオラボナと一寸ちょっとした知り合いでして、実は此処にある作品は彼から譲り受けた物なのです」


 先の「犠牲」と同様に皮膚は酸で焼けただれ、夥しい孔が開いた死骸……僅かに残った顔には狂気恐怖が満ちている。孔の縁は盛り上がり、底の赤黒い肉を見せ、血の失せた肌の色合いなどから製作者の狂おしい伎倆ぎりょうが見受けられる。


「如何でしょうか。ホラ、もっと此方で良く御覧になって下さい。さあさあ遠慮なさらずに」

「いえ……これ以上近付くのは…………

 申し訳ありませんが、私には少々刺戟が強い様で……」


 事実その通りであった。これ以上近付けば「ロジャーズ」にもあの白昼夢同様、びっしりと生えた産毛や黒ずんだ肌が蠟の下に隠されているのではないかという、根拠も無き忌々しい妄想が浮かぶのだ。

 仮に…………仮にこの蠟人形からも、産毛や腐りかけの肌が見えたら…………私は歪み狂った錯乱の渦に呑み込まれ、精神は再起できぬ程に壊れてしまうだろう。


 しかし幸運(?)にも布袋は二三度頷いた後、パチリと電灯を消したのであった。




  5


「……御待たせ致しました。

 此れが傑作『ラーン=テゴス』でございます。サアサ、とくと御覧あれ!」


 些か興奮気味に発せられた言葉と共に、闇はパチリと切り裂かれた。

「ラーン=テゴス」――其れは歪な神の像だった。十尺(約3メートル)もあろうかという巨像は電灯の光すらも遮り、先程までよりも薄暗く感じる。


「如何でしょうか。此の作品を保管する為に、家屋の二階を一階と繋げたのですよ。其れだけの価値が、此の邪神像には有るのです。

 どうですか、これだけ大きければ近付かなくとも分かるでしょう! ウハハハハ」


 儚い光が布袋の病的な笑みを凄惨に色付けている。其の陰影一つ一つから放たれる名状し難い雰囲気にされ、私はただ呆然と阿呆の様に歪んだ芸術を見上げるばかりであった。

 姿形は妖怪の牛鬼に近いだろうか――ほとんど球形の胴があり、其処から六本の長い曲がりくねった手足が生えていた。胴の上端から補助的な球体が泡の様に前へと膨れあがり――凝視する魚の如き三つの目が三角に位置している事や一尺(約30センチメートル)程の象じみた鼻が有ることから頭部と思われる――其の大小の球形には細い吸入管がまるで柔毛の様にびっしりと生えている。牛鬼との差違は目と鼻、そして六本の足先に有る蟹の様な鋏くらいだ。


「ウハハハ、素晴らしい芸術でしょう。アアでも、矮小なる人間如きの価値観では其れが判らないのでしょうかね。いや判る筈でしょう。判って下さる筈でしょう。ウハハハ、素晴らしい素晴らしい。イア、イア、ラーン=テゴス!」


 ニヤニヤと悪しき笑みを浮かべ、大仰な手振りで声を張った布袋は病的な狂気に取り憑かれている様だ。日本人らしからぬ浅黒い肌が、癖毛の黒髪が、其れらに浮かぶ陰影が畏ろしい。

 カチカチと歯が震える音に、布袋の忌々しく不可思議な呪文が重なる。


「うざ・いぇい! うざ・いぇい!

 いかあ、はあ、ぶほいぃぃぃいい、らあん=てごす! くとぅるう、ふたぐん、えい! えい! えい!

 らあん=てごす!

 らあん=てごす!

 らあん=てごす!

 ウハハハハハ! サアサご一緒に! いあ、いあ、ラーン=テゴス! ご一緒にさあ、いあいあラーン=テゴス! ラーン=テゴス! アハハハハハ!」


 狂っている……狂っている…………此の男は狂っている(!)

 私はフラフラと脱力した足を懸命に動かした。しかし数歩ほど後退ったところで、パチリと闇が視界を染めたではないか。


「……アア…………電灯を、電灯を点けて下さい。電灯を……」


 己の四肢すら見えぬ闇だ。更に数歩下がると足がもつれ尻餅をついてしまった。


「おや、大丈夫ですか。

 すみません、思った以上に恐がらせてしまいましたね。ウハハハ」


 パチリと再び光がともった。現れたのは例の巨像と、其の手前で憎々しい嘲笑を浮かべた布袋である。しかし、彼の顔から一切の狂気が抜けていた。理知的な瞳が無様な私の姿を嘲る様に観察している。其のあまりの豹変ぶりに呆気に取られ、身体の震えも消えてしまった。


「アハハ、ご免なさい。一寸ちょっと悪戯をしただけですよ。

 すみませんね、立てますか?」

「…………え、ええ」

「それにしても、こんなに恐がって頂けるとは。やはりオラボナから精巧な蠟人形を仕入れて正解でした。

 わたしには夢がございましてね。マダム・タソーにも勝るとも劣らぬ蠟人形館を建てたいのですよ、此処日本に。成人向けのグロテスクで狂気的な博物館です。

 そんな折、あなたの様な人と出逢えたのです。此れを好機とばかりに此処へお連れしたのですが…………イヤハヤ、申し訳ございませんでした」


 ちょこんと頭を下げる布袋に、私はカァと頬が上気するのを感じた。同時に安堵が心に広がる。アア、作り物に恐がって恥ずかしい思いをしたものだ。


 胸を撫で下ろす私に布袋は「では、最後にわたしの作品を見て頂けませんか。まだまだ拙い作品ですが、飾り無い感想を云って欲しいのです」と告げた。無論、断る理由も無い。

 私が首肯すると、又してもパチリと視界が閉ざされた。




 6


 パチリと電灯がともる。次の――布袋が作ったという――作品には布が被せられていた。大きさや布に浮き上がった輪郭から「ロジャーズ」の様な人形ひとがただろうと察せられる。


「こちらがあなたの作品ですか」

「ええ」


 布が被せられているのは羞恥からであろう。

 恐怖心がすっかりと無くなった私は、さて此の意地の悪い男は如何様な作品を作ったのだろうという好奇心に満ちていた。


 布袋は勿体ぶる様に、あるいは恥ずかしがるように、布の端を掴んだまま数拍ほど間を置いた。顔には例の薄い笑みを浮かべている。

 しかし覚悟が決まったと見えて、グイと布を握る手に力を込めた。


「では、御覧頂きましょう。

 最後の作品は…………『復讐』」


 スルリと布が滑り落ち、布袋の作品が露になる。其れは……私の《《知っている》》作品でした……


「……ア…………ああ……」


 消え失せた筈の恐怖心が病的なまでの速度をもって、私の視界から脳髄、顔面、心臓、そして手足へと流れ込んだ。

 そんな筈は無い……そう思おうにも、眼の前の忌々しく冒涜的な存在を否定する事は叶わない。


「復讐」と題された其れは、あの白昼夢で見た女の屍蠟であった。イヤ、其れ丈ではない。糸切り歯を剥いて笑う死骸の足元には「ロジャーズ」の様な――無数の孔が開き、皮膚が焼け爛れ、原形の判らぬ程グチャグチャに成った――男の屍蠟が転がっていた。


「アア……あ…………そんな…………」


 男の屍蠟が仮に見知らぬ男であれば、私は震える足を叱咤して逃げ出したであろうか。仮に白昼の悪夢をスッカリと忘れ去っていれば、私はこれ程までの戦慄を覚えずに済んだのであろうか。

 しかし残念な事に、私は白昼夢を覚えていた。そして、それ故に男の屍蠟が誰であるのかを悟ってしまったのだ。


「アア、ア…………」


 男は、夢に見た薬屋の主人だ――其れを悟った時、私は身体が崩れるのを感じた。痛みは無い。何故ならば、追って意識も朦朧と消えかけているからだ。


 身体が床に倒れ、意識が完全に喪失する直前――パチリと小さな音が耳を打った。私は闇に堕ちたのだった。











 そして今、彼はあの時と同様、目覚めを憎んだ。

   ――ラヴクラフト




  7


 痛みとも快楽とも知れぬ刺戟しげきを、身体中から感じる。病的で至極不快な笛のが、未だ壊されて(・・・・)いない方の耳から脳髄へと伝わってゆく。


 アア…………何といやな夢を見てしまったのだろう…………


 酸に焼かれる肌の感触に思考が重なり、肌と共に思考が溶け落ちてゆく。

 ぼやける視界には、アア…………牛鬼に似た……何という存在だったろう…………ソレが私の肉体を潰すのだ……骨を砕き、アアア…………血が……血が…………ウン、アア……血を吸われていく…………

 他には…………知らないオトコが、見える……見知らぬ…………見知った……ウウン………………アア、アア、……癖の強い…………誰……アア…………笛の……………………

 夢みたい…………現実は……世界は何処…………ア…………どれが…………ユメ……ウン…………アア…………アア………………ア……ウウン………………アア、ア………………




「あなたは『白昼夢の恐怖』と題しましょうか。ウハハハ、目覚めなければ夢を見続けられたものを……ウハハハハハハ」

余談ですが、クトゥルフ神話を江戸川乱歩は絶賛していたらしいです。

勘違いでした!

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