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第9話

 ◎田島



 ぎょえー、と内心で吠えながら田島は走った。その後ろを、昨日の私服警官が追ってくる。

 今日はきちんと制服を着ているのだが、田島の中ではすっかり私服警官で定着していた。

「おい待て、このヤロー!」

 と、ガタイのいい警官が叫ぶのは非常に恐怖を煽る。

 田島は素直に怖がりながら素早く腕を振って、足を前へと進めた。

「バイバイ」

 まともに顔も見ないまま私服警官のお誘いを拒否して、田島は、昨日と同じように右往左往して撒いてやろうと試みる。

 手始めに、家と家の間に見えた狭い溝に侵入し、そこから塀を跳んで庭へと着地する。

 その庭を横断して、隣の家との境界のブロック塀を数歩で駆け上がり、飛び越えた。

 そのままひょいひょいと常人には走り辛いであろう経路を抜けていく。

 田島は瘦せぎすで貧相な体付きをしていて、『悪事を見破られる超能力』の効能以外で人を惹きつけられるような外見ではなかったが、今の姿にはハッと目を惹かれるものがあった。

「もう見逃してくれよ……」

 そんな素早さで住宅街を駆ける田島だったが、未だに、振り向けば家と家の間にかすかに私服警官の制服姿が見え隠れする。その見かけによらない素早さに、思わずぼやきがこぼれた。

 それでも逃げるスピードは微塵も落ちないあたり、田島も見かけによらないスタミナを持っているのは明らかだった。

 しかし、徐々に田島の顔色が悪くなっていく。

 スピードは未だ保たれているが、どうにも調子が悪そうだった。

「あ、暑い! っ、し、死ぬごおぐェ」

 フシーフシーと息を荒げながら、盗んだジャンパーの袖で額を拭う。その顔は汗で濡れていた。

 顔でその惨状だ。ジャンパーに覆われた上半身はそれは酷い有様だろう。

 汗と、それによって蒸れる肌に顔がゆがんで、引きつっていく。



 〜〜



 ▽長岡



 長岡は乱れる息を堪えることもできないまま痩せ男を追いかけ続けた。

 痩せ男が、障害物を一つ乗り越えるたびに差が一回り広がっていく。

 さらに、度々視覚を塞ぐように間に家を挟んでくるので、正直、未だに背中を追えているのはただの奇跡だろう。

「ふっ」

 長岡が、痩せ男が飛び越えた塀を腕を使って乗り越える。

 足も負けていて、跳躍も瞬発力も負けている長岡が痩せ男に追い縋れるのは、その筋力があるからだった。

 腕で体を持ち上げて、障害物を越える。

 その姿は田島と対照的だった。

 しかし、今は背中を見失わずに済んでいるが、それも時間の問題だろうと、長岡は現状を客観的に判断する。

 痩せ男がペースをほとんど落とさずに身軽な動きを続けている一方で、長岡は自分の腕が張り始めているのを感じていた。

 最小限の動きで駆け抜けていく相手を、力にものを言わせて追いかけているのだ。その負担は大きい。

 長岡の上半身はすっかり浮いて、さながら陸に打ち上げられた魚のように呼吸器を痙攣させている。

 痩せ男の背中が左に曲がるのが見えた。

 それに負けじと悲鳴の聞こえそうな足を無理矢理前へと押し出して、スピードを上げる。

 が。

 うまく民家を視線に差し出されて、痩せ男の背中が遮られる。

 焦りを覚えながら回り込むが、着実に付けられていた差が微かに生きて。

 長岡にとっては災いして。

 痩せ男は再び姿を眩ませた。



 〜〜



 ◎田島



「ぜぇ、っ、ぷ。ぶふぅ」

 ゲホゲホと噎せながら、膝に手を置いて深く息を吸い、心と心臓を落ち着かせる。

 田島の体の各所からは汗が噴き出し、髪はペッタリと額に張り付いていた。

 もう少し気温が低い季節だったならば、田島の体の周囲に湯気が視認できそうな様子だった。

 もしかしたら、今でも目を凝らせば見えたかもしれない。

 とにもかくにも、汗を撒き散らしながら私服警官を念のために警戒し、撒いたと悟ると同時にドッカリとブロック塀に背を凭れ掛けた。

 体の方はほとんど疲労を訴えてはいない。

 この暑ささえなければ、どこまでもいつまでも走れそうなほどだった。

 田島は大きく息を吐く。あたりを吹き抜ける風がかすかな冷気を孕んでいるのが、幾分か救いとなる。そのまま自分の温度を持って行って欲しいと願った。

 田島がブロック塀に縋ったまま、空を仰ぐ。

 日が傾いているものの、まだまだ周囲は明るい。夕日の赤が空の青に染み、手軽に幻想的な風景を生み出している。

 そのままの体勢で数分を過ごし、そして、田島はブロック塀からその背を離す。

 汗は引かないものの、走った直後の体の火照りは幾分かましになっていた。

 そのまま、先ほどとは違ってゆっくりと、塀を越えて歩いていく。

 とりあえずは、再度見つからないうちにこの場を離れておこうという腹づもりだった。

 ゆっくりと汗を滴らせながら、歩く。



 〜〜



 ▽長岡



「ぜぇ、っ、ぷ。ぶふぅ」

 ゲホゲホと噎せながら、膝に手を置いて深く息を吸い、心と心臓を落ち着かせる。

 長岡の顔は疲労に歪み、足と腕の悲鳴を代弁するかのような表情だった。

 ダイエットを始めて2日。一体どれだけ走っただろうかと、長岡は思いをはせる。

 決して望んだことではなかったが、少しでもダイエットに貢献してくれればまだ救いがある。

 急激に動かした足と腕に不具合がないか確認して、張り以外には特に問題がないことに安堵する。

 そして、切れた息が完全には収まらないまま、ポケットから携帯電話を取り出して呼び出し音を鳴らした。

 防水機能が付いていない機種だったために、汗で妙なことになっていないかという的外れな心配があったが、携帯電話は普段通りの呼び出し音を、長岡へと返す。

 少しの間があって、一緒に住宅街を散策していた署の警官の一人が、電話に出た。

「よお。どうしたよ、長岡」

 電話相手は気楽なものだった。

 そもそも全員ダメ元で住宅街に来たので、まさか見つかったとは思っていないのだろう。

 長岡は事情を説明し、再び電話をかける気力も失っていたので、他の方角を見回っている連中にも伝えてくれと頼む。

 相手が了解と呟いて電話を切った。

 ツーツーという音の残滓を心地よいものとして受け入れながら、長岡は空を仰ぐ。

 日は傾いているが、まだまだ今日は終わりそうもない。

 普段より数段長い1日に顔をしかめながら、でも、と長岡は思う。

 今日の街には、警官が7人もいるんだぜ。



 〜〜


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