第7話
◎田島
犯人は犯行現場に戻ってくる。なんて話をよく聞くが、田島も例に漏れず、昨日の住宅街に足を運んでいた。
上着を盗むために、戻ってきたのだ。
田島がこの街でそれなりに詳しいのは、一夜を明かした団地内か、昨日道を確認しながら歩いたこの場所——住宅街くらいのものだ。
そして団地をしばらくの拠点とすることを考えると、昨日の住宅街が最も適していると思えたのだ。
田島は自分が知らない場所での行動を嫌う。
思えば、それが、田島が長い間一つの場所に留まっていた要因だったのだろう。
もっとも、慎重にあたりを見回して、もしも警官が目に入るようであれば、しぶしぶではあるが即座に場所を変えるのだろうが。
一つの場所にこだわる。しかしこだわりすぎない。
それが田島のモットー、というよりは、経験から刷り込まれた唯一の道しるべだった。
昼前という時間帯、辺りにほとんど人影はなく、警官も見当たらない。
そんな中、田島は人目を気にしながらもゆっくりと歩を進めていく。
目に入ったのは1軒の木造建築。
外観からある程度年季が入っているのがわかるが、辺りの家と比べて大きく、それでいて目立ちすぎることもなく、住宅街に溶け込んでいる。大きいだけでなく、そういった控えめな上品さが見て取れた。
田島はその建物に目を留める。
田島は手元を隠す上着を盗むためにここにいるわけであって、どの家から盗むのかにはそこまで拘りはない。
だからこそ、狙いを最初に興味を惹かれた建物に即断し、侵入することにした。
〜〜
▽長岡
書類をまとめ終えた長岡は、マグカップにインスタントコーヒーを淹れ、蒔野との歓談に興じていた。
「しっかし、あれから何の音沙汰も無いな」
「……無いなぁ」
長岡は蒔野の問いに気の無い返事を返す。歓談だったものが、一気に冷ややかな風となったようだった。
思い出されるのは、昨日の痩せ男だ。
まんまと取り逃がしてしまったことを考えると、長岡の返答に覇気が無いのも当然だった。
しかし、と長岡は考える。
痩せ男の右手には確かに手錠を引っ掛けてやったし、その手錠の鍵は今、蒔野が所持している。
姿を消した痩せ男だったが、その状況を鑑みるに気安く外は出歩けまい。
そして、人間には食料が必要である。外に出ないにしても、限界はある。
あまりにも手錠は目立つ。
次に出てきた時、すぐにでもあの痩せ男は目撃されることになるだろう。
思っていたよりずっと、決着の時は近いのかもしれなかった。
〜〜
◎田島
「しかしこんな街には似合わない立派な家だな」
田島は、感心した顔で周囲を見回す。
玄関には鏡や小さな絵画が飾られていて、素人目にもそれなりのものだと理解できる。
旧式の建築物ということもあり、田島の侵入にはさほどの時間はかからなかった。
独特の木の匂いが漂う廊下を進むと、幾つかのドアが左右に取り付けられている。
広い分、部屋の数も豊富だった。
さて、どこに服が仕舞われているのだろうかと考え、田島は、やはり狭い家にしとけばよかったと後悔する。
後悔して、そんなに気にすることでもないかと頭を振った。
時間はまだ焦るほどの問題にはなっていないし、そもそも侵入を手際よく行えた時点でいくらかは浮いている。
その辺りを考えればプラマイゼロ、いや、むしろプラス寄りかもしれなかった。
気をとりなおしたところで、玄関前右側の部屋に入ってみることにした。
ノブを捻ってドアを開く。分厚い木製のドアだ。
何の模様かはわからないが、波打つような彫刻が為されている。
その部屋の中は、意外にも洋風にデザインされていた。
絨毯が敷いてあり、ソファが大理石に輝く机を挟んでいる。
玄関の近くにあるということを考えるに、客間といったところだろうか。
しかし、一見は高価そうなものの詰め合わせではあるが、田島の求めている長袖の上着らしきものは見当たらない。
これだけ高そうなものがあるんだし何か貰って行こうかと辺りを見回すも、どれもこれも気軽に運び出すには大きすぎる代物だ。
田島がもともと拠点としていた街には仲間もいたし、そういう手伝いをする裏稼業の人間とも、津山を通して容易に繋がれた。
が、今はそうもいかない。警官が三人しかいない街と言ってもやることは変わらない。
早いところ、この街にもそういう繋がりを作っておく必要があるなと、田島は思う。
「……ん?」
ふと、視界に入るものがある。
部屋の左側に並べられた大きな棚。その2段目に、キラリと。
右腕の手錠とはまた異なる『銀色』に輝く指輪が、無造作に置かれていた。
田島は無言でその指輪に手を伸ばし、掴み、ポケットへと送り込むのであった。
〜〜
▽長岡
「はい、了解しました。すぐに向かわせます」
蒔野が受話器を置く。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
長岡は蒔野に顔を向ける。カップの底に薄く伸びるようなコーヒーの残滓には、もう熱の気配はない。
それに対し、蒔野は渋い顔をしながら答える。
「三丁目のコンビニにな、手錠を付けた不審者が現れたんだとよ」
長岡はその一言で、痩せ男を連想する。
三丁目のコンビニは、署からも近い。
行くかと、腰を浮かす。
「それで、不審者は、店員の視線を気にして逃走、ってところだ」
蒔野が長岡に振り向きながら言う。まあそうなるだろうな、という感じだった。
長岡は、うなずきながらも、どこか疑問を感じる。
なぜ、このタイミングで、外に出てくる?
この上なく目立つ今の状況を考えると、極力外に出ない。そうでなくとも、人がいるところには姿を晒さない。
そういった行動をとるだろうと長岡は予測していた。
しかし現実は異なり、あっけなく痩せ男は発見されている。
あの、悪事に対する慣れを感じさせる痩せ男が、こんな行動をとるか?
頭はクエスチョンマークを生みながらも、体は動く。
蒔野から詳細な情報を聞き出し、部屋から飛び出していった。
寝ぼけていて手錠への対処を忘れていた、という理由は、長岡が想像するにはあまりに阿呆すぎたようだ。
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