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第3話

◎田島



 田島の背後で、電車が動き出す音が鳴る。田島が乗っていた電車が、次の駅を目指して出発したのだ。

 情報屋である津山や、サカサとの会話から一晩が経った。田島は夜行列車に乗って、津山との会話で耳にした『西の街』まで来ていた。

 プラットホームを抜ける風が、田島の目にかかっていた前髪を揺らす。

 なぜ自分が『西の街』に来ているのか。今になっても、田島には理由が思いつかない。


 

「一体、俺はどこに行けばいい?」

「さあ、田島君はどこに行っても変わらないと思うけど」

「じゃあ、この街にいても一緒ってことか?」

「うーん。田島君は、この街が嫌いなの?」

「ああ、まあ、好きではねえな」

「それなら、やっぱり、出て行ったほうがいいのかもねえ。そうだ、津山さんから聞いた『西の街』の話っていうのは?」

「ああ、それは―――



 あれから田島は、サカサとしばらく行き先についての話を交わした。津山から聞いた話もサカサに教えた。『西の街』の話を聴いて、彼は、

「じゃあ、やっぱり、『西の街』に行くのが一番良いんじゃないかな」

 と優しい声で言った。



「なんでだ? なんで、今の話を聴いて、そう思うんだ」

「別に、大した理由じゃないんだけど、田島君は、別にどこに行っても変わらないでしょ?」

「んー、まー多分」

「じゃあ、どこに行っても良いわけだ」

「そうなるかな」

「だったら、友達の津山さんが教えてくれた街から行ってみても良いんじゃないかな。別に、気に入らなければ別の所に行けばいいんだし」

「そういわれると、確かにそうか?」

 


 サカサがそういうので、俺と津山さんは友達だったんだな、と田島は初めて思った。そして、その『友達』が、自分と津山を表す言葉としてはしっくりこないということに気付いた。

 



 それから一晩。

 サカサの言い分もどこか的外れに思えたし、相変わらず、津山の話を信じたわけではない。

 けれど、田島は、この駅で電車を降りた。



~~



▽長岡



「それで、また家から飛び出してきたと」

 長岡が昨晩のいざこざを同僚である蒔野に話すと、彼は呆れ顔でそう言った。


 長岡は昨晩、家を飛び出し、自分が勤務する警察署に鍵を使って入り込み、床に寝転んだ。

 床のタイルがひんやりと肌に沁みて、少しばかり冷静になった長岡は、泡がくっついたままで気持ちの悪い肌や髪を、署に備えられたシャワー室で洗い流し、床に寝転んだことで汚れてしまった服を洗濯機へ投入。そして、「明日からダイエットだ!」と意気込んで仮眠室まで行き、一先ずは眠りに付いた。

 その、仮眠室で眠っている姿を、翌朝出勤してきた蒔野に見つけられ、冒頭のセリフに行き着く。


「いやいや、しょうがないだろ!? 明と柚子に、「太った」って言われたんだぞ」

 長岡は憤りを表すが、蒔野は知らん顔だ。度々、長岡は家を飛び出してくるが、独身である蒔野にはその感情が理解できなかった。故に、呆れの感情しか持ち得ない。もっとも、独身でなければ長岡の心情を理解できるかというと、それにも首を振る他はないのだが。

「おう、お前ら。早いな」

 そこに、二人の先輩である谷川が姿を見せた。もういい年ではあるが、朝から昨日の疲労を感じさせない笑顔を浮かべている。むしろ、暑苦しさを覚えるほどだ。「俺が最後か」

「そうっすよ、先輩。相変わらず、遅刻ギリギリっすね」

 蒔野が軽口を送ると、「いいんだ。俺は、先輩なんだから」と威張った態度を取る。すぐさま、蒔野に突っ込まれた。「いやそれ、威張ることっすか?」

「たとえ威張ることじゃなかったとしたって、俺は威張るぞ。なぜなら、先輩だからだ。さあ、キミたち、キチンと先輩を崇めたまえ。そして俺の分まで働け」

「それ、世間じゃパワハラって呼ばれてるヤツっすよね」

「はいはい。先輩、そろそろ仕事やりましょーよ」

 不毛なやり取りを続け、貴重な朝の時間を浪費する二人に、長岡が声をかける。長岡は、家族関連では頼りないものの、それなりに真面目に仕事に取り組む性格で、大抵の場合は二人のストッパー役となっているのだ。

 そして、「蒔野も。だらだらするなよ」と続けた。

「「へーい」」

 食事も忘れるほどに働けば、きっとすぐに痩せるだろう。

 いつも通りにゆるく、三人の警官たちの一日が始まる。

 


 

~~



◎田島



 どうせ来てしまったという開き直りもあり、田島は、しばらくはこの街に滞在するつもりだった。

 駅の構内から出て、一先ずは人気の無さそうなところを探す。電車内では相変わらず、自分を疑うような視線が鬱陶しかった。それでも助かるのが、どれだけ自分を怪しんでも、実際の犯行現場を見たわけではない以上は、警察に通報するような人間は皆無に近いということだ。

 人間というのは不思議なもので、どれだけ怪しいものがあっても、それに対して実際に行動に移す者は極端に少ない。危機感が薄いのだ。その一点で、人間は既に動物としては劣等であると、田島は思っている。

 それは同種としては嘆かわしいことではあったが、そのお陰でこれまで泥棒をやってこられたというのは強く自覚しているので、感謝の念も当然ある。

 駅前のビルには狙いがあからさまな進学塾や、個人経営のパン屋の看板が取り付けられていて、それなりの賑わいが想像できたが、まだ開店時間前であるようで、シャッターが下りていた。

 田島と共に駅を出たいくつかの高校生集団は、周囲を観察するために立ち止まっている田島をおいて、それらのビルの隙間を縫うようにして会話に興じながら先を行く。自転車置き場から自転車に乗る者もいた。この駅で降りたのは、高校生の集団と、大人が数十人程度といったところだろうか。

 逆に、駅へ向かう足取りは多く、田島は、なんとなくこの街のあり方を悟った。

 立ち止まっているのもなんだと、田島が歩き出す。進学塾と、その向かいの寂れたビルの間を抜ける、高校生集団と同じルートだ。すぐに、それなりに車が通っている大通りに出た。

 右を見ると、小さくなった高校生集団の背中がちらほらと見受けられたが、左側にコンビニを見つけた田島は、左折することを選んだ。もう、半日ほど食物を摂取していないことを体が思い出したのだ。

 時折自転車や歩行者とすれ違いながら、コンビニへ到着する。店員が、朝だからか、寝惚けた顔で心のこもっていない挨拶をする。田島のほうを見てもいない故に、彼の異常性に気付くこともなかった。そのまま、店の後部に位置する棚から飲み物を選択する。

 ほぼノータイムで緑茶を手にした田島は、そのままおにぎりをいくつか掴んで、それらをレジに置いた。店員は田島を目にして一瞬固まるが、脳の働きが曖昧なのか、覚束ない手つきで会計を済ませてしまう。

 田島は、いつの間にかその手に持っていた財布から千円札を取り出し、店員に差し出す。500円程度のお釣りを渡され、それを財布へと仕舞った。品物を手に、コンビニを後にする。

 


「いやあ、ラッキーラッキー」

 ベンチに腰掛けた田島が、おにぎりを頬張りながら、手の平で財布をポンポンと弾ませる。先ほどの、コンビニでの支払いをした財布だ。黒い皮に、白いストライプが走るように入っている。それは、駅で、学生集団の一人から盗んだものだった。

「最近の学生って、金、持ってるよなあ」

 田島は胸の辺りにしっかりとした重みを感じながら、言う。五人程度の学生集団から、全ての財布を掠め取っていた。

 それは、お金欲しさというよりも、一人だけ財布が無くなるよりは、グループ全員の財布が無くなった方が友情が拗れにくいのではないか、という気遣いからの行動だった。一人だけだったら他人を疑う余地があるが、全員だったらそうはいかないだろう。

「うん。ごちそうさまでした」

 おにぎりを食べ終えた田島が、ゆっくりと立ち上がる。

 しばらく滞在するのなら、職業柄、この街の地理は把握しておく必要がある。

 人があまり出歩いていない午前中に、ある程度の探索を済ませておこう。

 


~~

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