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第2話

 ▽長岡



 呼び鈴を鳴らし、しばしの時を、夜の空を見上げて過ごす。

 青い空を闇が飲み込み、だからこそ星が活きている。天然のイルミネーションとして、世界そのものに活気を吹き込んでいるようだ。

 そんな情景をかき消すような音が聞こえる。カタカタ、と地面が震えている感覚だ。なんだ、と足元を見て、長岡は、自分が激しく貧乏ゆすりをしている事に気付いた。やめようと心がけている悪い癖が、またしても出てしまっていた。

 長岡は、自分の子供たちを愛するあまりに度々、このような発作を起こすことがある。特に、子供たちが出迎えてくれるのを待つこの数分にも満たないような時間は格別で、長岡の足はほぼ毎日貧乏ゆすりを起こし、手は小刻みに震え、汗ばむ。

 それでも、嫌な感じは全く無いのが不思議だった。

「おとーさん?」インターホンから、息子である明の声が聞こえる。時間帯から、呼び鈴を鳴らしたのが父であると疑っていないようだ。もしここにいるのが他所の人であった場合、無礼だと思われる可能性もある。これは、注意しておかねばなるまい、と長岡はムッとしかめ面を作ろうとするが、

「そうだよ~、お父さんだよー」

 気付くとだらしなく緩んだ口元から、自分でも驚くくらいに気の抜けた声が出ていた。「お出迎えしておくれー」

「りょーかい! しゅぱぱぱー」テレビの影響からだろう。明は「了解!」とよく口にする。そしてその後には必ず、よく分からない擬音を続けるのだ。

 ガチャリ、と鍵が開く音がする。まだ小さい明だが、それでも鍵の位置までは普通に手が届く。少し前までは背伸びをしていたような気もするが、何分、子供の成長というのは速いものだ。

 スライド式の玄関が、たどたどしく開く。頑張りが伝わってくる。子供は、何をするにも頑張りが伝わりやすい。だから、応援したり、可愛がったりの対象となるのかもしれない。

 開いた玄関から長岡は、玄関を開けてくれた息子である明と、その奥に立っている娘、柚子の姿を認める。

 仕事終わりの重たい足から重力が剥がれ、貧乏ゆすりが停止した。

 剥がれ落ちた重力をそのままに、足が無重力を堪能する。長岡は空を駆けていた。

「ただいまああああああああ! パパですよパパですよパパですよ!」

「くるしいんだけど……ぅあぬぎ」飛び込むように玄関を潜って、手近にいた明に抱きつき、頭をわしゃわしゃと撫で回す。小さな頭は手のひらにすっぽりと納まるようで、それに愛くるしさを覚える。

「うんうん。かわいい、可愛いぞ我が息子よ」

 息子への愛を垂れ流しながら、長岡はその手を止めない。頬も擦り合わせている。「やっぱり我が家が一番だ!」

「ねえ、ゆーちゃんには、しなくてもいいの?」うえうえ、と身を捩りながら、明が言う。毎回毎回、同じ目に遭っているのだ。対処には慣れていた。明の狙い通り、長岡の顔は、柚子のほうを向いた。

「ぬぅふふふ、ゆーたん、パパですよー。帰ってきましたよー」

「うわあ!?」

 長岡は不気味な笑いを上げながら、明から離れ、柚子に跳び付く。抱きしめた腕からは、明よりもさらに華奢で、繊細な感触が伝わってきた。

 柚子は明より二歳年下の3歳で、長岡にとってはまさに可愛さ魔人だ。

 抱きつくと、明は生意気に引き剥がそうとするようになったが、柚子はご機嫌に笑い声を上げている。

 長岡の行動には止まる気配が無く、夜通しこの調子でも不思議ではない程だったが、ここで、奥から顔を見せた妻、薫から声がかかる。「もう、あなた、あんまり五月蝿くすると近所迷惑でしょ。玄関も開けっ放しで」

 ピタリと、長岡は止まる気配の無かった動きをあっさりと止める。薫を怒らせると恐ろしい目に遭うと、体が理解しているのだ。

「夕飯、もうできてるわよー」とも、妻が続ける。

「わかったよ。さ、一緒にご飯を食べようね」柚子を開放しながら薫へ返事を返す。明はすでに長岡の隣をすり抜けていて、薫と共にリビングルームへと入っていった。柚子も、短い足でぺたぺたと、二人の後に続いた。

 長岡は、自分の腹が空腹を主張するのを感じ取り、急いで廊下を通って手を洗うと、制服を素早く脱ぎ散らかして、リビングルームへと入った。

 肉を焼いた匂いが、鼻を刺激する。



 家族との楽しい食事を終えた長岡は、シャツや下着を脱いで、裸になっていた。がっしりと肩幅が広く、腹には筋肉が隆起しているのが分かる。警官として鍛えてきた彼の体は、大きく、鉄のように硬い。

 無論、ただ裸になってつっ立っている訳ではない。長岡は扉を開けて、風呂場に足を踏み入れる。

 長岡と、もう一人が入れるくらいの広さの浴槽と、それと同等のスペースの洗い場がある。長岡は、浴槽から湯を掬い上げて、肩にかける。筋肉が弛緩し、溜まった疲れも流し去ってくれそうだ。

 ほぅ、とため息を一つ。充満する湯気の影響か、風呂場ではよくため息が出る。道端でのそれとは異なり、風呂場でのため息は音が間抜けに響くので、後ろ向きな感覚は少ない。

 長岡は、普段はため息を吐かないようにと心がけているものの、風呂場に限っては我慢する気も失せてしまう。不思議な空間だ。

 シャンプーを適量分手に取り、頭を、シャンプーの泡で覆う。

 次は体を洗おうと、ボディソープのボトルを手に取る。瞬間、風呂場の扉が勢い良く開かれた。音に気付いて目をやった長岡は、二つの小さな人影を目にする。明と柚子だった。

「おふろだおふろだー」明が笑顔で長岡に近寄る。

「おかあさんが、おとうさんといっしょにはいっておいでって」

 柚子も、兄の後ろに続いて、風呂場に入ってきた。

「おうおう、じゃあ一緒に入ろうか」

 当然、長岡は二人を笑顔で迎え入れる。浴槽に三人で入れる時間はもう、何年も残ってはいないだろう。そう思うと涙が出てきそうになるが、同時に子供の成長が楽しみでもあった。

「体、あらってあげる!」

 明が、長岡の手元にあるボディソープを見て、そう提案する。長岡は、「じゃあ、お願いしようかな」とボディソープのボトルを明に手渡した。

「こうして、こうやって、あわあわー」

 明はボディソープを適量より遥かに多めに手にとって、勢い良く泡立てる。ああ、これがしたかっただけみたいだな、と長岡の顔に苦笑が浮かんだ。

「じゃあ、やったげよう」

 泡塗れの手を、明は父の体に向ける。長岡は、「お願いします」と頭を下げた。

「ごしごし、ごしごし」

 明が、摩擦熱で発火でもしそうな勢いで長岡の肌を擦る。柚子が暇そうにしていたので、「もうちょっと待ってね」と長岡は声をかけた。柚子は小さく頷く。

「ん、んー、んんんー?」洗っていると思えば突然、明が首をかしげるようにする。

「どうした?」長岡が、その態度に訊く。柚子も、兄の態度に頭に疑問符を浮かべている。

 しばらく明は、長岡の横腹の辺りを中心に手のひらでペッタペッタと触っていたが、突然、確信したとばかりの真剣な表情に変わる。「おとーさん」

「ん、なにかなー?」長岡は笑顔だ。息子の遊びを見守る、ほのぼのとした気持ちだった。

「どーしたの、おにいちゃん」柚子は、兄の表情を真に受けて、ごくり、と深刻そうな表情だ。

 小さな口が開く。「おとーさん、ふとった?」

 ―――。え?

「―――、え?」長岡の頭が、一瞬、真っ暗闇と真っ白を兼ね備えた不可思議な色で染まる。手が、真偽を確かめる為に自然と、自身の腹部へと伸びた。

「え、そ、そんなことないだろー」

 ははは、と引きつったような笑顔で、自分自身と子供たちを騙そうとする。確かに、横腹の辺りに微かに余分な肉が付いているような感触があった。

「えー、そうかなぁ。ぜったい、ふとったとおもうけど」

 明が、父の言葉を信じて納得しかけるが、ふと、この空間にいる第三者の存在を思い出す。自分たちでハッキリ分からないのなら、もう一人に尋ねればいいのだ。「ねえ、ゆーちゃんはどうおもう?」

 明に訊かれた柚子は、長岡に近付き、腹の辺りをペチペチと叩く。そして、無邪気な顔で、言った。「ふとった!」

 ガツンと、頭を拳銃で撃ち抜かれたようなショックが、長岡を襲う。当然彼には、頭部を銃で撃ちぬかれた経験など無い。が、今の彼の心中には確かに、それを彷彿とさせるものがあった。

 柚子にまで、太ったと言われてしまった。長岡の頭の回転は鈍く、壊れた機械を無理やりに動かそうとしているようだ。

「ふとった!」 「ふとった……」 「ふとったー?」

 長岡の頭を、柚子と明の声が反響する。そこで、不規則に回った思考が、突飛な答えを弾き出した。

 長岡は勢い良く立ち上がる。彼の体には未だに泡が引っ付いていたが、そんなことは気にも留めていない。

 そして、猛烈な勢いで、風呂場の扉を開け、外へと駆け出した。

「お父さん、痩せてくるから!」

 驚き顔の子供たちに告げて、脱ぎ散らかしてある制服や入浴前に用意していた服を、体も拭かずに身に着ける。そしてそのまま、玄関へと向かった。

「あなた、一体どうしたの!?」

 妻の薫が、玄関前の長岡を見つけて、声をかけるが、長岡は「痩せてくるんだ!ダイエットだ!」ととりあわない。その様子を見て、薫は「ああ」と察した顔をする。

 長岡の癖だ。長岡は、たびたび、子供たちに何かを言われては家を飛び出していくことがある。

 今までにも、結構同じようなことがあった。

 そのどれもが数日で戻ってくるような、『子供より子供らしい子供の家出』のようなもので、もはや薫は気にもしていないのだ。

「いってらっしゃい」

 薫が笑顔で送り出す。彼女は、長岡のそういうおかしなところに惹かれていると自覚していた。ある意味、釣り合いの取れた夫婦だった。

 長岡は、頭に残った泡をそのままに、身を翻す。

「ああ、行ってくる!」



~~


                      

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