第11話
▽長岡
長岡は待っていた。
ここまで来て待つことしかできないというのは不満だったが、そういう感情を飲み込まなければならない時というのが人間にはあって、だから今もそうしていた。
痩せ男を捕まえたという朗報か、はたまた痩せ男がここまで逃げてくるのか。
どちらかはわからないが、自身の火照る体を見下ろして、長岡は前者を望んだ。
細い道に潜んで、前方と、そして左右に目を光らせる。
痩せ男の機動力を考えると、予想だにしない方向から姿を見せる可能性もあり得るのだった。
じっと待って、待って。
そして現れた結果に、後者だったかと長岡がため息をつく。
右側から飛び跳ねる頭部が覗いて、先ほどと同じように塀を飛び越えながら走っているのだと察した。
徐々に近づいてくるその姿に、長岡は一度拳を握って気合いを入れる。
痩せ男が軽やかに、長岡に背を向けて着地した。
〜〜
◎田島
分かれ道の右手。そこから、新たな警官が近づいているのが見えた。
その姿に警戒して、田島は壁に寄り添うようにして息を潜める。
どうやらまだ自分の姿は認識されていないようで、足を速めて追ってくるようなことはなかった。
今のうちに離れなければと、田島が分かれ道の中央の一本を覗き込む。
その道に警官の姿はなかったが道が曲がっているので、安全と断じるのは早計だと田島は慎重になる。
そして最後の一本。左側の道に顔を出して、その先の人物と思いっきり目が合った。
「いたぞ! 来い!」
その一人が大声をあげて味方を呼びながら駈け出すのが見えて、田島はそこで視線を切って走り出す。
咄嗟に地面を蹴って、中央の道をグネグネと前進し、そこで車の急ブレーキのごとく前のめりに停止した。
何やらマントをたなびかせた男が道の先の死角から現れ、上体を反らし、額に手を添えるようにポーズをとって、偉そうな口調で言ったからだ。
「く、クククク……これまた見事に術中に嵌ったものだな。実に滑稽。さあ、大人しくお縄についてもらおうか」
さも当然のように言ってくるが、それで大人しくなる人間なら泥棒を生業とはしないだろう。
だから田島はこう答える。
「えぇ、い、嫌ですけど……」
「え? い、嫌? いやよく考えたらそれが普通だよな。あーでもでも捕まえろって言われてるしな命令だしな」
断ると何やらブツブツと呟き出したので、田島は今のうちにとUターンして道を逆に辿り始めた。
「あ! お、おい貴様! ちょ、ちょと待て! えぇい、マントが邪魔だ!」
焦った厨二病警官がマントを放って追いかけてくる。
田島はそれを尻目に、走った。
キャラ貫く気あんのかよと、地面に落ちたマントに田島が呟く。
その直後、やはり追ってきていた警官が二人、眼前に現れ、田島に立ちふさがった。
後ろの厨二警官、そして目の前の二人、それに先ほど撒いた私服警官と数えて、すでに三人以上いるんだがと虚空を睨む。その虚空に浮かぶイメージは、もちろん津山のものだった。
ここを切り抜けたら早急に街を出てやろうと田島が決意する。
そもそも信じていなかった情報だが、それが嘘だと分かった以上、もはやこの街にいる意味は無くなっていた。もしかしたらという好奇心が霧消し、それに巻き込まれるような形で理由も失われてしまったのだ。
とにもかくにも、ここで捕まるわけにはいかない。決意の勢いそのままに田島が目の前の二人に突っ込む。
二人は手馴れた様子で腰を落とし、田島を迎え撃とうとしていた。
が。
直進していた田島が急に左折する。
そのままトンっと塀を蹴って空中を歩くように跳躍して、二人を飛び越える。
彼らが振り返った時にはすでに田島は駆け出していた。
ダンと地面を踏み鳴らす勢いで踏み込み、一気に飛び出す。跳躍力を十全に前進へと変換し、足の肉を震わせ、骨を動かした。
「おい! 止まれ!」
三人まとめて追いすがって来るが、田島の次の一歩はいつもの跳躍よりもさらに大きく、塀を使うこともなくそのまま飛び越え、屋根の端に乗った。そのまま隣家の屋根に乗り移りながら、グングンとスピードを上げていく。
さすがに足への負担も大きいが、その分差が開いて、三人に追いつく余地を与えない。
田島が本気を出したというのと、三人が長岡ほど体力と根性に溢れていなかったことが相俟って、早々に差をつけることに成功する。
汗が再び吹き出るのを感じた田島は屋根を降り、しばらくは大きな距離の跳躍を控えるようにしながら、念のため走り続けた。
「よっと」
塀を飛び越えて、先を目指す。
ある程度の差がついたら、田島はそのまま歩いて街を出るつもりだった。
そして次の塀を越えて、その塀にへばりつくようにして隠れている男に、遅れて気づく。
〜〜
▽長岡
痩せ男の背中を認識した瞬間、長岡は動いた。
何しろ相手は速い。一瞬たりとも躊躇っている暇はなかった。
痩せ男はさすがに反応が遅れて、回避しようとするが長岡の方が数瞬速い。
そのまま伸ばした手に痩せ男の右腕が収まる。やけに質のいいジャンパーを着ていて手触りがいいが、手を動かせば奥に硬い感触がある。
おおかた、ジャンパーも盗品だろう。
「えへ、さっきぶりだねっ!」
何やらかわいこぶって声を弾ませているが、目元は引きつって、半笑いだ。
その顔には何筋も汗が流れた跡があり、髪は水浴びでもしたかのように濡れている。
そんな様子を見て、長岡の顔に浮かんだ警戒の中にかすかに呆れが混ざった。
……そんなナリで美少女キャラが務まるかよ。
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