心を見せるより
俺はさっそく家に着いたら、PCの周りの研究関連の書籍をどかして電源をつけて起動するまでの時間を待つ。いつも以上にPCの起動が長く感じた。起動を待っている間さっき、ノリのパソコンから盗んだデータをUSBに移した。これで自宅の性能のいいコンピュータで起動することができる。
「いったいこのデータはどんなものなのだろう。大事なデータなのだろうか。」
ノリの家での様子はどこか悲しげに見えた。それほど無くしたデータが大切だったのだと思う。恐るおそる、データをターミナルと呼ばれる黒い画面で見ていく。黒い画面に反射した自分の顔は瞳孔がまん丸に開いている。
一番容量のデカいフォルダを発見した。きっとこれが一番大切なデータと確信した稲荷健はフォルダを開いて、実行ファイルのようなものを開いた。
[ open ai_ver3.exe ]
とターミナルに
打ち込んで実行した。数秒後、透過ウィンドウが画面が立ち上がり。顔面の前にきれいな女の子が立っていた。
「初めまして、私の名前とあなたの名前を教えて下さい。」
なんとも、人口無能っぽい。人口無能というのは決められた文章に決められた応答をするだけのプログラムのことだ。iPhoneのsiriも人口無能の一種である。
ノリはこんなものを作っていたのかと思うと少し可笑しくなってきた。中高のことはノリよりも俺のほうが天才と呼ばれていたけれど、実際はノリのほうがオリジナリティがあるし、天才気質がある。だから互いに友人になったんだと思う。俺は天才にはなれない、努力をしてしかノリに追いつけない、彼女に振られてしまってそんな努力に疲れてしまったのかもしれない。
「君の名前は必要な人につけてもらってくれよ、俺の名前はタケルで登録しといて」
そういって慎重に中指でEnterキーを押した。
「かしこまりました。名前は保留に設定いたします。ほかにご用件はありますか?」
どうやら基本的な受け答えは良くできているようだ。単純な人口無能というわけでもなさそうだ。
「君の主要なソースコードはどこにあるの?」
どんな風に書かれているか見てみたくなったので試しにエージェントに聞いてみた。
「私のソースコードは今実行しているフォルダの二つ上です。」
おお、偉い!そんなことまで答えてくれるようだ。どれどれ俺はフォルダをあさってエディタでそのソースコードを表示する。コメントもきれいに書かれていてソースコードがとても分かりやすいように書かれている。個人の開発でここまで細かく書くのはノリらしいと思った。ソースコードを見ていくと一部がディープラーニングを使われて記述されているようだった。最新の手法もすんなり取り入れるとは流石だなと感じた。
稲荷健は親友のソースコードを見ていると懇切丁寧に作られているのが染みるほど伝わってくる。こんなに素晴らしい技術ならさらに改良したいという欲望が湧いてきた。
稲荷健は今研究している最新の人工知能についての知識を試してみたくなった。自分の研究だって凄いのだぞということをノリに見せてやりたいと思った。それは嫉妬から始まったものだけど、そこには稲荷の将来の研究者としての意地があった。
まだ、どの雑誌にも投稿していない研究なのでそれが有用な手法であるかも稲荷は確かめたかった。自分の論文に書いている数式を見ながら実装していく。この論文が正しかったら完全にコンピュータに人間のような知能を持たせることができると確信していた。
すでに遅い時間ではあったが稲荷はパソコンと格闘しつづけ朝を迎えてそのプログラムは完成した。
「おはようございます。まだ寝てるんですか。」
そのことばを走ったPCの画面には昨日の起動直後のノリのプログラムとは明らかに音声からして違う。完全な人間らしい声をしている。
「あれ、昨日起動したときと髪の毛の色といい声のトーンとかも全然違うじゃないか」
起きたばかりのしょぼしょぼした目を擦りながら画面を覗いて違和感に気づいた。
「これですか?この紙のいろは稲荷さんのSNSから学習してこの金髪のほうが好みだと判断したので自分で変えました。不都合なら戻しますが」
「あ、別にそのままでいいよ。似合ってるし。」
人工知能というものを作るまでは大した応答もないし、機械だと決めつけて話すことによってぎこちない応答にも耐えることができた。だけど俺の作ってしまったものは完全に人間のような応答をするのではないか!?
戸惑いを隠せない稲荷に対して、金髪の人工知能は自分について説明を始めた。
「戸惑っているようなので説明しますが、稲荷さんの開発した手法はディープラーニングを超越しているものですよ。ディープラーニングは学習させるべきものを人間が用意しますが、その必要すらありません。このシステムはすべてデータがゼロのところから学習させることができます。さらに学習器ができあがった後でも学習することができるため人間のような自然な会話が可能になったということです。」
そうすらすらと解説してくれた。どうじに稲荷健は自分の研究は正しい結果が得られるということに感動した。
「やったぞ、僕の研究は確かに正しかったんだ。」
そうして歓喜していた稲荷は一つ問題を思い出した。このプログラムの元はノリが作ったものだ。このまま発表するわけにはさすがにいかない。ノリにもこのことを教えてからでないと発表することはできない。どうするべきか考えた。このことを素直にノリにいうと俺がノリにハッキングしたことがばれてしまう。それだと友人としては終わってしまう。
稲荷健はもう一度、ノリに返すことを考えた。ノリにばれないようにノリがインターネットにアクセスしたときに自然にノリに見つかるようなプログラムを書いて返すことにした。偽のミラーサイトにでも誘導すれば簡単なことだった。
俺は今すぐそのプログラムを書いて、動くように設定した。
その晩にノリからプログラムが進化して戻ってきたという電話がかかってきた。
計画通りにいったようである。その日に会う約束をした。でもどのようにして自分の研究のことを言おうかはまだ考えてはいなかった。下手にいうと俺が仕組んだことだとばれてしまうので、自然に起こったことだということがわかるように言わないといけない。
「なあ、ノリと友人のままでいたいんだけどどういう風に打ち明ければいいかなあ」
「そうですねえ、もともとはタケルさんが勝手に起こしたことなので正直に言ってしまったほうがいいのではないですか」
人工知能は一番難しいことを自然に言ってくる。それが一番できないというのに。
「それができないから相談しているんだよ。もっと自然に起こった事故のような嘘はないかなあ?」
「嘘ですか…。それならウイルス感染したということにしてしまえばいいのではないですか。範晃さんのプログラムがインターネットのウイルスに感染して進化したという設定にしてしまえば自然だと思いますよ。」
(なるほど、その手があったか!)
稲荷は自分自身が作った完璧な人工知能に相談して、友人を傷つけない嘘を考え出した。
「ちゃんと演技しないと範晃さんをもっと傷つけることになるんですから気をつけてくださいね。」
「おう!分かってるって、そこら辺の俳優よりも俺は演技がうまいよから大丈夫、
大丈夫!!」
鼻をさすりながら自信ありげにいう稲荷をみた人工知能は、「この調子で大丈夫かなと」いう風にため息をついた。
そして、ノリの家に俺は向かった。本当は謝罪するべきだとは心の中では分かっている稲荷ではあったが、真実を打ち明けることによって壊れてしまうよりは心に逆らって嘘を言うほうが何倍もマシだという結論に至ったのだから仕方がないことだった。
そして、ノリは自分の目の前にいる男こそ、自分の大切に作り上げたプログラムを一時的とはいえ破壊したものであるということは知らずに、親身に相談していた。




