The robotics princess
拙作「Star-line」の世界を舞台に描いたスピンオフ的作品です。かなり以前に書き上げたものですが、今回の投稿にあたり若干修正・加筆しております。
SF的要素はほとんどありませんが、近未来世界であることと大型ロボットが登場するため、ジャンルをSFにした次第です。
「――と、いうことでありますから、今や短縮電導方式すらも業界では旧世代の制御システムとして認識されるにいたっています。今後は無線電導方式が広く普及し、短縮電導をはじめとする古い制御方式はここ数年のうちに市場から淘汰されていくことでありましょう。学生である皆さんはそのあたりをよく見極め、これからの科目選択を過たぬようにして欲しいと思います」
天井をぐっと低くしたコンサートホールのような大教室には、中年教授のかすれ声だけが響き渡っている。
びっしりと最後列の座席まで埋め尽くしている二百名近い学生達は、一語も聞き逃すまいと真剣にノートをとっている。私語の一つも漏らす者はない。
「……では、次にFOPと電導制御の基礎について述べていきたいと――」
中年教授はずり落ちたメガネをくいっとやりながら、続きを語ろうとした。
その時である。
「……質問があります!」
教室の中ほどで、声を上げると同時に挙手した者がいる。
ノートに目を落としていた学生達は、一斉にそちらの方を見た。
一人の女子学生が立ち上がっている。
パステルブルーのお洒落なブラウスに、軽そうな白いロングスカート。首から上に目をやれば、モデルのようにちんまりとした小顔、そしてややきつい茶色のふわりと軽いロングヘア。遠目に一見すれば、清楚な美少女である。
が、学生達の度肝を抜いたのは――彼女のかけているメガネであった。
今や世紀の遺物ともいえる牛乳ビンの底のような、分厚いにも程があるぞと指摘したくなるレンズ。しかも、お前はどこのマッドサイエンティストだとツッコミを入れたくなるほどに大きい。せっかくの美顔が台無しである。
彼女の姿を目にした教授は明らかに「げっ」という顔をした。
とりわけ男子学生達がざわめき出したが、彼女は一向に気にする風もなくキッと真っ向から教授を見据え
「先ほど、先生は『短縮電導方式はすでに過去の遺物である云々』申されたかと思いますが」
「あ、ああ。い、言ったがね……」
恐る恐る返答すると、ビン底メガネの女子学生は一段と声を張り上げ
「ならば、お尋ねします。――確かに短縮電導方式が最初に開発されたのは今から二十年ほど前、スティケリア・アーヴィル重工製プロトタイプCMD『MDP-0』への搭載が初ということで、試作段階からの年数こそ経過しています。しかしながら多少の改良・変遷を経たとはいえ、現在市場に出回っているCMDのおよそ九十七パーセントあまりがなおも短縮電導制御方式を採用しており、かつその電導効率と命令速達性の高さに確実性および誤電導低減率においては依然として業界から定評を得ています。無線電導は開発こそ成功しましたが、市場のシェアを占めるにはあと十年はかかるという段階であると言って過言ではありません。……であるというのに!」
暗記した教科書を読み上げるように早口でまくし立てつつ、ビシッ! と教授を指した。
「ひっ!?」
「短縮電導方式が旧世代の制御システムであるなどと平気で仰る先生の見識の低さには、呆れて物が言えません! いかんせん、CMD稼働現場の実態をろくろく調べもせずに机上で空想ばかりなさるから、そういうインチキな学説が飛び出してくるのではありませんか!? そもそも、無線電導方式にはまだまだ矛盾と課題が山積していて、例えばこの制御システムを搭載した不特定多数の機体を一定範囲の区域において密集状態で稼動させた場合、異なっている筈の周波数が混在することによって増幅変調をきたし、ドライバーの指示とは一致しない動作を引き起こす恐れが――」
「……もう、いいよ。ヤメなよ、リノ」
なおも喋ろうとする彼女の服のすそを、隣にいた男子学生がくいっくいっと引っ張った。
彼はいかにも呆れ顔で
「アレ、見てみな……」
親指を立てて教壇の方を指した。
教壇の上では――中年教授が両手で頭を抱え、教卓の陰に隠れている。
「も、もう、君は私の講義に来ないでくれ、リノ君! 修了単位が欲しいなら幾らでも出してあげるから!」
大教室一杯に中年男性の、悲鳴にも似た情けない声がこだました。
「頼むから、勘弁してくれよ。入学してからこの半年で、いったい幾つの講義を潰したと思ってるんだよ?」
「何よ、それ? 悪いのは私じゃないもん。したり顔で学生にウソを教える教授達が悪いんじゃない。私はみんなのためを思ってウソを指摘しただけ。感謝されるならまだしも、悪人扱いされる筋合いはないわよ」
ぶすっとしてテーブルの上に頬杖をついているリノ。アイスコーヒーをストローでぐるぐるとやりながら
「はあっ。シェルヴァール州立大学は名門中の名門だと思っていたのに。こんなにレベルが低い大学だなんて思わなかったわ。――ミットはこんなんで満足しているの?」
ミットといった男子学生はぐったりとした様子でチェアにもたれかかり、天を仰いだままで言った。
「……この学校のレベルが低いんじゃないよ。リノと、君のご両親のレベルが時代の先の先を行き過ぎているんだよ。――いや、数光年先と言ってもいいかもしれないな……」
「はいはい……。ニューハーフアイドルのミッドナイト・サキでも数光年先でも、どっちでもよろしくってよ……」
「……ミッドナイトじゃない、トワイライト・サキだ。そこのところよろしく」
ミットのどうでもいいツッコミを聞き流しつつ、リノはつと視線を逸らした。
晴れた昼下がりのカフェテラスは学生達の姿もまばらである。皆、授業の最中であるからだ。大学キャンパス内のそれだから、セールス回りをさぼっているサラリーマンもヒマを持て余した中年おばちゃんも来ることはない。
三つばかり向こう側のテーブルに男子学生のグループがいて、ちらちらとこちらに視線を送ってくる。至って静かな時間帯だから、彼等の会話がリノの耳に入ってきた。
「おい、あれ! あそこにいるの、噂の重機姫じゃねぇ? リノ・クラッセルだぜ!」
「カワイイ顔して、半年で十人近い教授をノックアウトしたってさ。中には、退職願を書いた教授もいるそうだ」
「ホントにカワイイのかぁ? あの望遠鏡メガネをとったら、案外ブサイクだったりして」
「親父さんがエルドレスト・アーヴィル重工企画創造開発部の部長さんだもの、娘はCMDオタクにもなるわな。大学なんか来る必要なくねぇ? パパに何でも教えてもらえばいいのによ」
遠慮のないそのトークは、ミットにも聞こえている。
この内容はまずいかも――。
思った途端、早くもリノはチェアを蹴って立ち上がっていた。
全身から尋常ならぬ気配、というよりもおぞましい殺気を漂わせている。
「お、おい、リノ――」
ミットが声をかけるのと、彼女の手元が素早く動くのと、ほとんど同時であった。
間髪を容れずして「ガッシャアン」とガラスの砕け散る音がした。
(やっちまった……)
頭を抱えたミット。
彼の背後では、噂話に興じていた男子学生グループが一斉にフリーズしていた。
彼等のうちの一人が飲んでいたオレンジジュースのグラスが粉みじんに砕け散り、テーブルの上が甘酸っぱい匂いの海と化している。破片の傍らには、特大サイズのナットが一個。
口元にフン、という表情をつくりながら、ゆっくりとビン底メガネを外したリノ。
その下からはパッチリと見開かれた形の良い美しい瞳が現れ、一見した男子学生達は三度度肝を抜かれていた。
「……行きましょう、ミット。ここは居心地が悪いわ」
「あ、ああ……」
背を向けて歩きかけたリノは、つと足を停めて振り返り
「……ショーコさん直伝のナットスローを舐めないでね? 次はその脳天にぶち当てるわよ?」
夕暮れの斜陽がキャンパスを赤く染めている。
くたびれきったようによたよたとした足取りのミット。
「……新記録更新、おめでとう。心から敬意だけは表したい……」
「ありがと。二コマ目以上に下らない講義だったわ。あれ、何て言ったかしら? CMD開発論、だったっけ?」
彼の横を行くリノは分厚い教科書を大事そうに胸に抱え、真っ直ぐ正面を向いて歩いている。
「CMD技術開発史です、重機姫さま。自分が選択した講義名くらい覚えましょうね……」
重機姫、という言葉を口走った途端、リノのメガネがキラリと光を放ち
「……ミット? あなたもこれ、試してみる?」
その手には、いつ取り出されたのか特大サイズのナットが。誰がつけたかもわからないそのあだ名で呼ばれるのを、彼女が何より嫌がっていることを思い出したミット。
「あ、ど、どうもすみませんでした、リノさん。以後、発言には十分に気をつけますです……はい」
慌てて詫びを入れると、
「やだ、ミットったら。私、そんなに怖いかしら? ってかミットこそ、どこか男の子らしくないのよねぇ。――ホントに警察機構本庁捜査課職員を両親にもつとは思えないわ」
「それは俺が生まれた頃の話だっての。今は都市交通整理課たらいう部署だそうだよ……」
ミット・クライスの両親は、都市の治安を守る警察組織――警察機構という――に籍をおく、公僕である。父と母は同期であり、偶然にも同じ職場に配属され、やがて縁を得た。この国は州治制であり、警察機構は州単位で「本庁」をおいているのだが、その捜査課なる部署にミットの両親は所属していた。警察機構本庁捜査課といえば泣く子も黙って土下座すると言われる犯罪捜査のエキスパートであり、二人はかつて幾つもの重大事件の捜査に携わってきたという。が、結婚してミットを授かった頃に母親は退職し、父親も他の部署へ配置換えを申し出たらしい。
両親から捜査課配属時代の話を聞いていたミットは、リノに言ったことがある。
「刑事ドラマなんかじゃ、イケメン刑事とコワモテ警部なんか揃っていてカッコよく描かれているだろ? ――ところがどっこい、現実はまるで違うんだって。親父はテロ組織のアジトに突入しようとして爆破に巻き込まれかかったし、母親も暴漢を追跡していて危うく刺されそうになったことがあるって。だから、不利益を承知で配置換えを申し出たんだと。両親が揃った状態で俺を独り立ちさせたかったそうだ。……ま、そう言われちゃ感謝するよりないんだけど」
その息子はどういう風の吹き回しか、両親と同じ道を歩むべく警察機構大学へは行かず、トップレベルとはいえ州立大学の工学部などへやってきて機械工学を学んだりしている。いつもそのことを不思議に思っていたリノは
「じゃあ、ご両親みたいに警察機構には入らないの?」
質問してみると
「うんにゃ。行くさ。……行くけど、俺はただの捜査課とか交通課はイヤなんだ。警察機構ってところは犯罪捜査でメシを食っているような組織だけど、未だにCMD犯罪捜査部門だけはうだつが上がらないんだと。だから、ここでCMDについて詳しく学んでエキスパートになって、それから……警察機構に入ってやるんだ」
そう答えたミットの横顔には、すでに警察職員の雰囲気が漂っていなくもない。
CMD――Controlled Mechanical Doll、通称「重機」と呼ばれる、作業用の有人操作式人的形態仕様大型機械のことであり、とどのつまりは大型ロボットである。二足歩行技術の普及と共に世に現れ、その作業効率や作業時における人間の外的危険性を大きく回避できるというメリットからあらゆる用途において導入されることとなった。CMDの社会的普及に伴い、名だたる大学においてもその専門課程が創設されたため、将来CMD関連の業界を目指す若者達が競ってやってくるようになった。リノとミットにしても、その例外ではない。
「ふーん。すごいことじゃない。まるで、先駆者の志ね。見直したかも」
素直に頷いたリノ。
何気なく視線を横へやると、キャンパス内車両通行帯を走り抜けていく一台の軽トラックが目に入った。
荷台コンテナの側面には無愛想な色と字体で「ペグル運送」とペイントされている。
見慣れない運送屋だな、と思いつつ遠ざかる軽トラックの後部を眺めていると
「――お? ミットじゃないか! 授業は終わったのか?」
前から走ってきたスーツ姿の男性が二人の前で立ち止まった。
年の頃は中年と思われたが、見た目に若い。すらりとしていて背丈があり、美男ではないが引き締まっていてそれなりに見られる容貌を持っている。
「あ、父さん? どうしたの?」
驚いているミット。その言葉で、リノは男性が誰なのかを知った。
「いや、最近末端のテロ組織にしきりとCMD関連機器が横流しされているという情報があってね。中には開発段階のシステムなんかもあって、その流通ルートを絞り込んでいったら、この大学もリストアップされてきたんだ」
口早に説明しながら、彼はふとリノの方を見やり
「……こちらの綺麗なお嬢さんは? ミットのガールフレンドか?」
ガールフレンドといえば言葉通りではあるのだが――それ以上の解釈はご遠慮願いたい。綺麗な、は許すとして。
「リノ・クラッセルです。ミットさんには、いつもお世話になっています。
ぺこりとお辞儀をすると、男性も丁寧に頭を下げ
「ミットの父親、ディット・クライスです。いつも息子が、どうも。……あれ? クラッセルさん? クラッセル、クラッセル……。ええと、あれは、確か……」
見かけによらずリアクションが濃い人間らしい。
動物園にいるエサをねだって身をよじるクマよろしく上半身をぐるぐるとやっていたディットだったが、やがて記憶が甦ってきたらしく
「ああ! 思い出した!」いきなりポンと手を打ち「サイ君とこの娘さんだね!? あの天才ドライバーの!」
ビシッと指してきた。
私は探偵に追い詰められたドラマの殺人犯人か、リノは思ったが、そこはにこやかに笑みを浮かべて
「はい、確かに父はサイ・クラッセルです……」
応答してやると
「おー! こんな所で出会えるなんて、奇遇も奇遇だね! まさか、うちのミットが仲良くしてもらっていたなんて! ……いやあ、君のお父さんには、しこったまお世話になったものだよ。特に、第二次ジャック・フェイン事件の時なんか――」
しこったまって……。
すでにリノの笑顔は引きつっている。
彼は父親であるサイをよく知っているようだったが、父の口からはディットという固有名詞を聞いたことがなかった。父と同じ職場にいた母のナナもしかり、である。ただ、両親の職場の先輩であり、リノを小さい頃から可愛がってくれたショーコという女性からは、聞いたような記憶がなくもない。が、薄っぺらい記憶だからよくわからなかった。
元警察機構本庁捜査課の刑事だったディットが、リノの父・サイを知っているのには理由がある。
サイが一私設警備会社に勤めていた頃――かれこれ二十年も前のことだが――この州の隣にあるファー・レイメンティルという州の、州役所に相当する都市統治機構という施設がテロリストの襲撃を受けて占拠されるという大事件が起きた。人質をとられていたため軍も警察機構も手を出せない状態だったが、テロリストはサイが所属している警備会社を指名し、そことならば堂々と勝負してもよいという奇妙な条件を出してきた。当時、その警備会社は国内外に名を轟かせたほどに優秀だったからである。優秀だと言われた最大の理由、それこそは先ほどディットが口にしたように――サイがCMDの天才ドライバーだったからだ。彼の操縦技術は州のみならず、国内でも比肩する者は何人もいないと言われるほどのものであったらしい。
そして、サイはテロリスト達の機体をバタバタと沈め、結果的に事件を解決に導いた第一の功労者となった。ゆえに、警察機構本庁にいたディットは今でもリノの父・サイのことを覚えているのであろう。記憶鮮明、とまでは言い難かったが。
そういう過去の一端を、リノも耳にしなかった訳ではない。が、両親はどちらも自己主張が薄かったからほとんど口にしたことなどなかった。むしろ、先輩のショーコが彼女に「パパとママはねぇ――」と、子守唄代わりに幾度となく吹き込んでくれただけのことである。音程の狂いまくった子守唄を唄われるよりマシだったかも知れないが。
リノ自身、別に両親の過去の栄光などに大して興味はない。
ただ――CMDに関する造詣が深い、というよりもほとんどマニアックな人々に囲まれて育つうち、いつしかずば抜けて豊富な知識と免疫を具えてしまっていた。ついでに言えば、昼間男子学生達が口にしたように父のサイはまだ四十歳ながらも現在、国内でトップシェアを誇るCMDメーカー、エルドレスト・アーヴィル重工の部長であるし、ショーコという女性は世界中が注目するCMD技術総合研究機関、スティリアム物理工学研究所の副所長を務めている。彼女はサイよりも二歳ばかり年上なだけである。とどめに、母・ナナの祖父はCMDを扱った土木建築会社の社長だった。
ゆえに、なまじっか中途半端で不確かな学説をもったいぶってのたまう教授陣に納得ができないのも、あるいは当然であったかも知れない。つい半刻前にぶっ潰した講義をもって、リノがこの半年で撃破した教授は二十人に達した。ミットは新記録樹立と表現したが、このままいけば最長不倒を伸ばし続けるだけのことである。
そういう血縁関係をもってしまった彼女のことを、周囲は畏怖を込めて呼ぶ。――重機姫、と。
リノはその別称を好んでいなかったから、口にする者には容赦なくCMD用大型特注ナットが炸裂した。元々ショーコの必殺技で、直々に伝授された奥義である。
ディットは頼みもしないのにサイと第二次ジャック・フェイン事件についてべらべらと長広舌を振るっていたが、ようやく話がひと段落すると
「……ところで、学内で怪しい人物とか車両を見なかったか? なんか、噂とかでもいいんだけど」
刑事の顔に戻って聞き込みを始めた。
ミットはリノの顔を見た。彼女としては「知らん」としか答えようがない。
「そうか……。とりあえず、何でもいいから気になることがあったら教えて欲しいんだ。情報提供者のプライバシーはしっかり守るからね」
「それはいいんだけど」
不思議そうな顔をしているミット。
「なんで、父さんが捜査に加わっているの? 父さんの部署、都市交通整理課じゃなかったっけ?」
尋ねた途端、ディットは息子の両肩をがしりとつかんで
「異動になっちまった。捜査課の人数が足りないからって、さ。お前んとこの子供、もう大学にまで行ったから諦めもつくだろう、なんて。んなワケねェだろう? 母さんに何て説明したらいい?」
がくっとうな垂れた。
「……」
数日後のこと。
講義棟校舎のやたらと長い廊下を歩いていたリノは、角を曲がろうとして誰かとぶつかった。
「あいったー! 鼻うったー」
「ご、ごめんなさ――って、リノじゃないかよ。ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ」
なんと相手はミットだった。
リノは、ずれたビン底メガネを直しながら
「何よ! 謝るなら最後まで謝ってよね! 痛かったじゃないのよ」
思いっきり苦情をぶつけてやったが、ミットは泡を食った様子で
「痛いとかなんとか、それどころじゃないんだって! 今、学部中が大騒ぎなんだよ!」
「……?」
彼いわく、工学部CMDシステム研究室に保存されていた試作段階のFOPが何者かによって盗まれてしまったのだという。
FOPとはCMDを制御する基本動作プログラムのことである。完成度にもよるが、優れたものならばCMDの性能を十二分に引き出すことが可能なため、数百万エルかそれ以上の値段がつくこともある。当然、素人がおいそれと簡単に作成できるような代物ではない。
「FOP? 盗まれて騒がれるような優れモノがこの学部にあったの?」
「あったなんてモンじゃないんだ! ユーノ教授のゼミの学生達が造り上げたらしいんだけど――」
あらゆる機体へのインストールを可能にされたそのFOPは、操縦系回路の処理速度を飛躍的に高めることで稼動効率を五パーセントから八パーセント程度改善することができるらしい。
「ね? すごいと思わない?」
リノと違ってCMDに関する免疫がさほど高くないミットは、それがさも世紀の大発明であるかのように説明した。しかし、彼女は興味ゼロ的な面つきを動かさない。
「FOPの効果はまあいいとして」
くいっと中指でビン底メガネを押し上げ
「……それをなんで、ミットが大騒ぎして探し回っているの? そのウーロとかいう教授のゼミにでも入ったの?」
「ウーロは落ち目のピン芸人だろ! ……じゃなくって、サークルの先輩に頼まれたんだ。その先輩、ユーノゼミにいるんだ」
慌てつつも丁寧なツッコミを忘れないミットには関心するが、リノにとっては学生が造った中途半端なFOPなどどうでもいい。
「ま、頑張ってぇ。私、用事があるから失礼するね」
「お、おい! 一緒に探してくれないのかよ? 見つからなかったら、学校中が大騒ぎになるんだぜ? 警察機構が調べにきたりしてさぁ。……ってか、どこ行くんだよ?」
ちらと振り返ったリノは、ちょっと嬉しそうに
「クドン教授の研究室に行くの。今日、リレー電導理論の講義を聞いてみたんだけど、分析が細かいしいい加減な説明とかしないから面白かった! 題材そのものは過去の遺物だとしても、久しぶりにまともな授業をする教授に出会えたから、もっと話を聞いてみたくなっちゃった。――じゃあねぇ!」
片手を振り振り去って行く彼女の背中を呆然とした面持ちで見つめているミット。
「こりゃあ、とんでもない奇跡が起きちまった……」
ぼそりと呟いた。
あれ以来、リノは連続講義粉砕記録を順調に更新し続けていた矢先だったからである。
その教授の研究室は講義棟校舎一番上のフロア、八階にあった。
六階よりも上は教授連の研究室しかないため、ゼミに所属していない学生が足を踏み入れることはほとんどない。そのせいか廊下に人の姿はなく、しんと静まり返っている。
「八二一号研究室、か。ハニーハニー……あ、ここね」
目指す室番号を見つけたリノは、ドアの前で立ち止まるとノックした。
コンコン、コンコン――
何度か叩いてみたが、中からは応答がない。
「留守なのかしら? あらためて訪問した方がいいかなぁ……あれ?」
ドアノブに手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。
「す、すみませーん……」
念のため、ドアを開けて恐る恐る中を覗いてみたリノ。
開けた途端、裏小路にある古本屋のような臭いが鼻をついた。それもその筈で、決して広くない研究室の左右の壁に据え付けられた棚には本がぎっしりと並べられている。いかにも大学教授の研究室といった光景を目にしたリノは好奇心をくすぐられた。一歩足を踏み入れながら
「どなたか、いらっしゃいませんか……?」
窓は突き当たりに小さいそれが一つあるきりで、しかも部屋のど真ん中にもスチール製の書棚が設置されているから、外の光は奥まで届かない。ビン底眼鏡レベルの視力を誇るリノの眼中、ぼんやりとしたほの暗い世界が展開されている。
ふと、窓際の方でカタッと物音がした。
室内は無人だと思いこんでいたリノは思わず「わぁっ!」と怯えてしまった。すると
「……どちら様かしら?」
低く静かな女性の声が飛んできた。
慌ててビン底の奥から世界を見直してみれば、確かに人がいる。
若い女性だった。カーキグリーンのワンピース風な衣装は胸から上と背中が大胆に露出されていて、妙に艶めかしい。ふわさっとした茶色のショートヘアに包まれたその容貌は雑誌モデルのように美しかったが――切れ長の瞳が放つ光はクールというよりも非情な冷たさを感じさせた。
リノは一瞬ぼーっとしてしまったが、助手かゼミ生だと思い
「あ、あのあの……私、クドン先生の講義を受講していて、それでもっと先生の話を聞きたいと思ってお邪魔したんですけど、い、今、クドン先生は――」
「不在よ。あらためて来てくれる?」
言い終わらぬうちにピシャリと答えた美女。はてしなく無愛想すぎてとりつく島もない。
「あ、はい、じゃあ、またきます……」
なんか腑に落ちない気持ちになりつつも、リノはクドン教授の研究室を辞去した。
(不在中の部屋に入ったのは悪かったけど、あんな言い方しなくてもなぁ……)
女性の無愛想きわまりない態度と面つきを思い出した途端、だんだんとムカついてきた。が、それにしても、とリノは思う。
(クドン先生ってもう六十歳になるのに、あんなに綺麗で色っぽい助手の人をおいているのね。……意外だったわ)
ビン底メガネの重機姫は胸中、何となく面白くなかった。
「――お! いたいた。やっと見つけたよ」
カフェテラスで独りアイスコーヒーを飲んでいたリノ。
聞き慣れた声につと顔を上げてみれば、ミットがいた。彼はつかつかとやってきて向いのチェアにどっかと腰を下ろしながら
「結局、警察機構に通報することになっちゃったよ。どこにも見つからなかった」
くたびれきった顔をしている。
「それはお疲れ様。学内はこれだけ広いんだから、僅かな人数で探したって見つかる訳がないじゃない。最初から通報しておけば良かったのよ」
「そうは言ってもさぁ、やっぱり警察機構を呼ぶっていうのは――あれ? リノ、何か怒ってる?」
恐る恐る覗き込んできたミットをじろりと睨んだリノ。
「別に、怒ってないわよ。素晴らしく気分がいい訳でもないけどね」
そう言う口調が尖ってしまっている。ミットはやっぱり、といった表情になって
「ははぁ、さてはクドン教授に面白くないことでも言われたのかい? さもなきゃ話がつまらなかったとか」
「へぇ。ミットってば、なんだかんだいっても刑事を両親にもつだけのことはあるわね。なかなか推理が冴えるじゃない。その調子ならFOPを盗んだ犯人だって捕まえられるかもね」
軽く褒めてやると
「……なんだ、本当だったのかよ。適当なコトを言ったのに。――何があったのさ?」
あっちゃー、うっかり口を滑らせてしまった――。
内心まずったと思ったものの、口が裂けても黙っているべき事柄でもない。
「うん、あのね」
リノはかくかくしかじかと、研究室での出来事を語って聞かせてやった。
ふんふんと聞いていたミットだったが、妖艶な美女、という言葉にぴくりと反応し
「うわ! 俺もその人に会いたかったなぁ。今からでも会え――」
言い掛けてフリーズしていた。リノの片手に特大ナットが見え隠れしていたからである。
ビン底メガネがキランと一閃した。
「……今からでも、何かしら?」
「あ、え、いや! うそうそうそうそ、冗談だって! 真に受けるなよ!」
その割には鼻の下が「びろーん」なんですけど――リノは思ったが、深く追及しなかった。次からは手中の特大ナットに物を言わせればいいだけのことである。
「それはそれとしてさ」
ミットは人差し指で鼻の下をごしごしやりながら
「そのクドンとかいう教授、確かユーノ先生の研究室あたりで見かけたような気がする」
「え? なんで?」
ミットが言うには、FOPディスク紛失が発覚するや、ユーノ研究室のある講義棟校舎七階フロア全体が大騒ぎになった。近隣に研究室を構えている教授連やそのゼミ生達も協力してディスク捜索を開始したのだが、そこへ一人の老教授がやってきて顔見知りの教授に「どうかしましたか?」と尋ねた。話しかけられた教授が「それが、クドン先生――」と答えているその傍を、ミットが通り過ぎたというのである。
なーんだ! と、可愛らしく口を尖らせたリノ。
「クドン先生、火事場見物をしていたんじゃないの。ミットと一緒に七階へ行っていれば、その場で会えたんだわ。あの女の人につっけんどんな対応されることもなかったし」
「まあ、そういうことにはなるんだけどさ。何せ、クドン教授ってばさ」
クドンはディスク探しの人数に加わろうとはせず、その場をうろうろしているだけだったらしい。時折、ナーバスになっているユーノ研究室の学生から「先生! ちょっとよけていて下さい!」と怒鳴られたりしていたという。そういうシーンをナマで目撃しているミットは
「あの教授、リレー電導理論を専攻しているっていったっけ? 今じゃ死に体の技術にこだわっているくらいだから、ユーノ先生の研究のすごさが理解できないのかもね。だから、一緒に探そうとしなかったんじゃないかな」
と、あくまでも好意を持っていないようである。
リノはそうは思わなかったが、あの助手らしい美女の態度が腹に据えかねていたから
「誰だって、長年続けてきた自分の研究分野を簡単に捨てたりすることはできないのよ。あの綺麗な女の人はきっと、研究に賛同してくれたのね。それで助手か何かにしたのかも知れない」
そんな言い方をした。
本音では、クドンが美女を傍においているのは男性的な欲望と周囲へのポーズのためだろうと思っている。
ミットはそのことに気がついたが、黙っていた。口に出せば、間違いなく特大ナットが飛んでくるに決まっている。迂闊に機嫌を損ねてしまうと、口より先に手が動くのだ。
と、カフェの横を通っている車両通行帯を、赤色灯を回転させた警察機構の車両が一台、猛スピードで通り過ぎて行こうとした。
「ほら、早速やってきたみたいだよ」
ミットが呟いた途端である。
警察機構車両がいきなり急停止し、中からディットが降りてきた。彼は二人の傍へ駆け寄ってくるなり
「ミット! リノちゃん! ちょうど良かった!」
「あ、父さん! 盗難事件の通報で来たの?」
ディットはうむと頷きつつ、胸ポケットから手帳を取り出してパラパラとめくり
「二人とも『ペグル運送』とかいう運送屋を見たことはないかな? 心当たりがあれば、ぜひ教えて欲しいんだ」
鉛筆を舐め舐め、ミットとリノの顔を交互に眺めている。
ミットは眉をしかめて
「ペグル運送? 何それ? 聞いたことないよ。その運送屋がどうかしたの?」
「そうか。やっぱり、知らないか。……実はさ」
ヴェルヴォーフェンという末端のテロ組織について捜査を進めていた警察機構本庁捜査課では、彼等が市中を移動する際にそういうニセの運送屋を装った車両を使っているらしいと突き止めたのだという。そしてつい先日、この大学構内でペグル運送とペイントされた軽トラックを目撃したという情報が寄せられたのだとディットは説明してくれた。
リノやミットが住むこの国家・ヴィルフェイト合衆国では長年、テロリストが暗躍して市民を恐怖に陥れている。二人が生まれて間もない頃は大分沈静化したようだが、国際政治情勢の変化に伴い俄にテロ組織が息を吹き返してきた。都市の統治組織や警察機構では日々その対策に苦慮しているのであった。
それにしても「ヴェルヴォーフェン」とは、テロ組織の名称にしてはずいぶんと仰々しいではないか。リノが妙な感心をしていると
「……リノちゃんはどうだい? 何か、知らないか?」
ディットが質問を向けてきた。
「ペグル運送、ですか? うーん、私はちょっと、見たことは……」
「そうか。いや、わかったよ。もし何か変わったことがあったらどんなことでもいい、知らせて欲しいんだ。テロ組織を追い詰めるチャンスだからね。頼むよ!」
口早に言い残しつつ、彼は走り去って行ってしまった。
あっという間に遠ざかっていくディットの車を眺めている二人。
「父さんはああ言うけど、学内なんてえらく広いんだから、そう簡単には……ねぇ?」
無意識にさっきのリノの発言を繰り返しているミット。
「う、うん……」
相槌を打ちながらも、リノは考え込んでいる。
(ペグル、ペグル……あれ? 私、どこかで見たような記憶が……)
リノは都市の中心部から電車で二駅ほどのところの地区に住んでいる。
学園都市とまではいかないが、この街は大学が多い。ゆえに学生を対象とした下宿や寮が数多軒を連ねているほか、経済的に余裕のない彼等のための安い食堂や小売店、それに古書を扱う古本屋がいたるところに存在する。しかも交通の便も悪くない。いわば学生の楽園であり、学問の環境としてはこれより恵まれた街は他にないといわれていた。
夕方の学校帰り、下町的な雰囲気の漂う下宿通り――市民は親しみと揶揄を込めて『貧乏学生ストリート』と呼ぶが――をぶらぶらと歩いていたリノは、行く手に人だかりができているのを発見した。警察機構や救急消防隊の車両も多数出動してきていて、普段は閑静な一帯が物々しい空気に包まれている。
(何かあったのかしら……?)
人だかりの後ろから覗き込んでみれば、どうやら爆破騒ぎのようであった。
「あら、まあ……」
三階建ての白く真新しい学生寮の入口が派手に吹き飛び、見事な風穴が開いている。幸い死傷者はいなかったらしい。傍にいたおばちゃん同士の会話から知れた情報である。
動き回る警察機構職員達の姿をぼんやり眺めていると、不意に背中をちょんちょんとやられた。
振り返り見れば、リノと同年代の少女が立っている。髪の毛がぐしゃぐしゃで、完全にくたびれきったタンクトップに短パンおよびサンダルという女の子らしからぬ姿である。ついでにその相貌は天然なまま、すなわちすっぴんだった。
「ルミナってばそのカッコ、どーしたのぉ? もしかして、あの爆破に巻き込まれたの?」
「……んなワケないでしょーが。これがアタシの普段着よ。だらしなくて悪かったわね!」
ルミナといった少女はだるそうな表情でばりばりと頭を掻き
「研究レポート書くのに徹夜こいたのよ。朝、ようやく書き終わって爆睡してたら、いきなり『ちゅどーん』だもの。目覚ましにしちゃ、ちょっとヤバすぎよね」
ああそういうことかと頷きつつ、それにしてもあられもない姿だと思ったリノ。何回洗ったらそうなるのか、白いタンクトップはすっかり伸びてしまっていてルミナの平らな胸が透けて見えそうになっている。
「起きたのって、さっきなんでしょ?」
「ああ、起きたのはほんの三十分も前よ、アタシも爆破も。――ってか、何だってこんな他愛もない学生寮なんか狙うかねぇ。犯人の気が知れないわ。もうちょいあっち側だったら、うちらの寮のガラスも爆風で割れるところだったじゃない」
リノやルミナが暮らしている女子学生寮は、ほんのすぐ先、目の前にある。
爆破現場の方へ一瞥をくれつつリノは
「ホントね。どこのどなたが何のためにやったかわからないけど、いい迷惑だわ。うちの学校にしても、テロリストが入り込んでいるとか研究が盗まれたとかで警察機構がきていたしね」
はぁっと溜息をついた。
一日中爆睡で学校をフケていたから事情を知らないルミナ。眠そうだった目を大きく見開いている。
「あれま! そんなコトがあったの? 研究が盗まれたって、何を盗られたのよ?」
リノが学校で起きた一連の事件について簡単に話して聞かせると
「FOPってのはヤバいじゃん。優れモノをインストールしてやれば、多少のヘタレが乗ったってそれなりに動かせるようになるからね。案外、犯人は学内に入り込んでいるとかいうテロリストかも知れないじゃない?」
ルミナもまた工学部の学生で、CMDのシステムをメインに学んでいる。父親がプログラムの開発者で幼い頃から色々と教わってきているから、その方面にかけては一般の学生などよりもはるかに詳しい。
彼女は興味を示したが、リノにとって盗難騒ぎなどという面倒事はどうでもよい。それよりも、自分の欲求を満たしてくれるようなレベルの高い授業が一つでも多くあって欲しいと思うだけのことである。
「さ、ここで見物していても仕方がないし、帰りましょ? 夕食の支度をしなくちゃ」
「お? リノ、今日は何を作るつもり?」
速攻で食い付いてきた。一瞬にして学内の事件から食うことの方に関心が移行したらしい。
「今日はパパ直伝の野菜スープパスタにしようと思って。最近ちょっと野菜が足りなかったし」
すると、ルミナはそそくさと擦り寄ってきて
「お手伝いしますよ、リノちゃーん! だからあたしにも分けてー」
「はいはい。じゃ、野菜切るの手伝ってよね」
並んで歩き出した二人。
と、リノは人だかりから離れた位置にじっと佇んでいる人影を認めていた。
建物と建物の間の狭い小路にいてまるで身を隠すようにしているその人物は、カーキグリーンのワンピースを着た細身の若い女性である。大きく露出された肩や胸元が目に入った瞬間、リノははたと思い出した。
(あ、あれ? クドン先生の研究室にいた助手の人? なんで、こんなところに……?)
彼女の視線に気がついたらしく、女性はさっと身を翻すようにして小路の暗がりへと姿を消した。
ふと見ると、いつもは固く施錠されている筈のドアが中途半端に開いていた。
「……あれ? ここって、立入禁止じゃなかったっけ?」
何気なく近寄って行って隙間から向こうを覗いてみた。暗くてよくわからないが、奥へと続いているらしい。
――とある休日の午後、サークル活動に参加するため登校して来たミット。
将来的にCMD関係の道を志望している者達で集まり、皆でCMD駆動部のミニチュアモデルを製作して学習に役立てようというもので、彼は入学して早々に参加を決めた。素人集団とはいえ作品の精度が非常に高いという評判があり、他の大学にまで知られている。学内自治会ではその優れた活動を認めクラブへの昇格を推薦する動きもあったから、彼をはじめ参加者達の意気も高まっていた。
夕刻になって活動を終え、ミットは一人講義棟校舎地下の奥にある集積所までゴミを捨てに来ていた。教員や関係者の駐車場となっているそのスペースはやたらと広く、そして薄暗い。休日だから、人の姿などは他になかった。
そして、大きなゴミ箱を抱えて戻る途中、彼は駐車場の隅に設けられた禁断のドアが開いていることに気がつくのである。
特に悪意があった訳ではない。
薬品管理庫とか機密書類保管室みたいに常時施錠の必要な区画なのであればすぐに管理室へ連絡しなければならないし、そうでないなら放っておいても良い。その確認のためにミットは中を見ておく必要性を感じたのである。
その通路は想像以上に長かった。壁や天井は粗末な厚い鉄板で囲われていて、途中からはさらに下へと降っていく階段がある。まだ大学施設について未知の領域が多い彼は好奇心もあってつい足を進めてしまったが
(こんな場所があったんだなぁ……。もしかして、本当に来ちゃ行けない場所だったのかも知れない)
引き返そうかと思い始めた時である。
奥の方から、人の声がした。
「――って、――わよね? ――が違うんじゃないかしら?」
「ま、待ってくれ! ――ということで――が――」
女性と男性らしい。
はっきりとは聞こえなかったが、どうも女性が男性を詰っているような雰囲気がある。男性の方はしきりと弁解しているように聞こえなくもない。
咄嗟に男女の痴話喧嘩を想像したミット。
(うわ……! 来てはいけないところに来てしまったようだ。近寄らないでおこう……)
くるりと身を翻した途端、彼の耳に思いもかけない言葉が飛び込んできた。
「――いい? シェルヴァール銀行襲撃予定に変更はないわよ。嫌だというなら、死んでもらうだけだからね。あなた一人殺すくらい、訳はないのよ」
(ぎ、銀行襲撃!? それに今、確かに殺すって……!)
怖気が立った。ただの痴話喧嘩などではなく犯罪者の会話だったのである。
恐ろしくなったミットは無我夢中で駆け出した。
一刻も早くこの場から立ち去らなければならない。暗い階段を駆け上り通路を駆け抜け、目の前に駐車場へと通じている例の入口が迫ってきた。
あともうちょっと――思った途端、その入口にぬっと人影が立ちはだかったのをミットは見た。
「ふあ……ねむ……」
朝っぱらから大あくびを連発しているルミナに、リノは呆れ顔で
「夜中までテレビなんか観ているからよ。録画しておけばよかったじゃない」
「録画したサッカーの試合を観て喜ぶ馬鹿がどこにいるのよ? 生中継だからいいんじゃない……ねむ……」
眠さのあまり電柱に頭突きしているルミナを放っておいて、さっさと足を速めていくリノ。
行く手に大学正門が見えてきた頃、ただならぬ雰囲気が漂っていることに気がついた。赤い回転灯を点けたままで多数の警察機構車両が停まっており、警察機構職員達が立ち動いている。額をさすりながらやってきたルミナは
「リノ、あれ! 何かあったのかしら?」
「そうみたいね。事件っぽいけど、捜査中の警察機構にどうなさいましたか、とは訊けないよね」
――ところが。
「……リノちゃん! リノちゃん! こっち、こっち! 大変なんだ!」
約一名、馬鹿声を張り上げて名前を連呼している警察機構職員がいる。
周囲にいる学生達は皆、何事かといった顔でこちらを見たが、そこにいるのがリノだとわかると
「おい! 重機姫のヤツ、警察機構に呼ばれてるぞ! 何かしでかしたんじゃないのか?」
「授業を潰された教授連から刑事告訴されたのかもね。寝込んでいる教授もいるらしいじゃない!」
聞こえよがしに根も葉もないインチキを口走っている連中を特大ナットで黙らせつつ、なおも騒いでいるディットの傍へ近寄って行ったリノ。顔を引きつらせながら
「お、おはよう、ございます……。あんまり大きな声で叫んでいると、結構目立ちますよ?」
さり気なく指摘したが、ディットの形相は必死そのものだった。
「大変なんだ、リノちゃん! うちのミットが――」
「……!? ミットが、どうかしましたか!?」
昨日、大学へサークル活動をしに行くと言い残して家を出たまま、戻っていないのだという。
「なんですって!?」
リノのほんわかした表情が俄かに険しさを帯びた。
「わ、私も探すの手伝います! 学内とか、ミットの行きそうなところを――」
「ありがとう、リノちゃん。……でも、気持ちだけでいいんだ」
今にも駆け出しそうになっている彼女を制したディット。刑事というよりも、子供の安否を心配している父親の顔で
「ミットの捜索は警察機構がやってくれるから、心配ない。リノちゃんは勉強に集中していていいよ。それよりも、変わったことがあったら、すぐに報せて欲しいんだ。……頼めるかい?」
「はい!」
ビン底レンズの奥で、ぱっちりとした瞳がキッと鋭くなっている。
午後。
講義が終了するとすぐ、携帯電話でルミナを呼び出したリノ。
「リノってば、まさか今からミット君とやらを探しに行こうとか言い出さないでしょうね?」
やってきたルミナはのっけから警戒している。
彼女が急いで帰ってテレビでサッカーの試合を観たがっているのをわかっているリノは、淡々と
「お礼は三食。明日のお昼はグランド・テラスで特上ランチコース」
「のった」
即答したルミナ。
とはいえ、報酬目当てなだけではない。
リノの真剣な表情から、ミットを案じる気持ちがひしひしと伝わってきたからだ。ミットという男子学生とはほとんど接点などなかったものの、親友が大切に思っている人間に万が一のことがあってはやりきれない。サッカーは観たかったが、場合が場合だから探すのを手伝ってやってもいい。
「ありがと。私にはルミナしか、頼める人がいないのよね」
口元で小さく笑って見せたリノ。
そうだろう。ルミナは思った。
可愛い顔をして向かうところ敵しか作らないリノである。そんな彼女と常に行動を共にしているミットはずば抜けて人のいいヤツなのではないかという気がした。さもなくば、単純に惚れているのであろう。
が、今はそういう詮索をしている場合ではない。ルミナは気合いを入れるようにバッグを担ぎ直し
「時間、ないんでしょ? どっから探す?」
「講義棟校舎と学食、それにクラブ棟にも行ってみようかしら? ミットって、なんとか同好会っていう集まりに加盟していたのよね」
「了解。じゃ、早速探しに行きましょうか」
――それから数時間後。
「……やっぱり、いなかったわねぇ。ま、先に警察機構が調べているんだから、見つかったらそれはそれで問題あったかも知れないけどね」
二人は夕暮れに染まる貧乏学生ストリートをぶらぶらと歩いている。
案の定、学内にミットの姿はなかった。その後、彼が立ち寄りそうな市中のあちこちも見て回ったのだが、どこにもいない。二人は捜索を諦めて帰途につくしかなかった。
どちらかといえばルミナは楽観視しているが、リノは内心気が気でない。
最近学内で色々物騒な事象が発生しつつあり、それらの背後にはテロリストの存在が垣間見えているというではないか。しかも、目下捜査を進めている警察機構の担当はミットの父親・ディットときた。その子供が狙われたところで不思議はない。
先日の学生寮爆破についても、警察機構の調べでは寮生の中にテロ組織へのCMD関連機器横流しに関与している者がいるという。爆破はその件に起因しているという見方が濃厚であった。所詮、テロ組織などは反社会的思想崇拝者の集まりである以上、何を仕出かすかわかったものではない。
それだけに、ミットの身に何かあったのではないかと思われてならなかった。
歩きながらずっと黙り込んでいるリノ。
「……」
多少なりとも彼女の気持ちがわからなくもないルミナは、強いて話しかけたりせずそっとしていたのだが、ふと重要なことを思い出して声をかけた。
「そういやリノ、今日のリレー電導理論の授業聴いた? 聴いてたら、ノート貸して欲しいのよ。あたし単位少ないから、あれの修了単位がないと来年結構ツラいのよね……」
「リレー電導理論? 今日は突発で休講だったわよ」
教授の性癖はともかく授業の内容は気に入っているから気晴らしに出席しようとしたところ、いつまで経っても教授が来ない。変に思って学生課へ問い合わせてみたら、教授の都合により急遽講義は休みになったという。
それを聞いたルミナは拍子抜けした顔で
「あー、良かった。出席数もぎりぎりだったから儲けたわ。あたしらってさぁ、ほら、一年生のうちに集中制御システム理論のレポート提出が必須なのよ。グループ単位の提出が認められるんだけど、あたしと組んでいるコが講義棟地下管理室で警備のバイト始めちゃってさぁ。休日と夜間って時給はいいんだけど、そのせいでレポートは全部あたしに押し付けなのよねぇ。ひどいと思わない?」
自分の相方の文句を言い始めた。
他愛もないと思って聞き流しかけたリノだったが、講義棟地下管理室という単語を耳にするなり
「……それ、本当?」
鋭く反応した。
「本当よ。だからあたし、徹夜こいてまでレポート書かなくちゃならなくて……」
「じゃなくって! 講義棟の地下でバイトやってるってハナシ!」
なんでいきなりキレられなくちゃならないんだと思いつつもルミナは
「そこで嘘ついてどーするよ? マジでそのコ、管理室でバイトしてるんだってば」
「……」
立ち止まって考え込み始めたリノ。
学内を捜索中、ミットが加盟しているというサークルの代表者に会って事情を聞いたのだが、その男子学生は彼女にこんなことを言った。
「あの日、講義棟教室で作業していて、夕方に終わったんだ。で、ゴミが大量に出たんだけど、休日は校舎内のゴミ箱に捨てたら駄目で、地下の集積所まで持っていく決まりなんだ。そしたらミットが、自分が捨てに行くって……。僕らはそこで解散したから、彼とはそれきりになってしまったんだよね」
(これは――もしかしたら!)
思い立った途端、リノは元来た方向へ駆け出していた。
「ちょ、ちょっとリノ! どこ行くのよ!?」
「ごめん! 私、確かめたいことがあるから学校に戻るね! ――夕飯は私が帰るまで待ってて!」
再び大学へたどり着いた頃には、すっかり夜の帳が降りていた。
講義棟校舎地下にある管理室を訪ねると、ルミナの友達だという男子学生がいた。
名をチャールズといい、よくいえば気さく、悪くいえば軽すぎる感じの性格である。
彼は噂に聞くビン底メガネの重機姫・リノが突然自分を訪ねてきたことに驚いていたが、ミットが失踪した日のことについて質問されると
「さぁ……それはわからないなぁ。俺らの仕事は確かに監視カメラで捉えた映像のチェックなんだけど、学内通行証を持った車両は基本的にスルーなんだよね。その反応がない車両を感知した場合に、管理室にあるモニタに通知される仕組みになってるんだ。だから、全ての監視カメラに映った一部始終を眺めている訳じゃないし――それにほら、ここってすごく広いじゃん?」
百台以上の駐車が可能なスペースを有しているのだ。
そこへ出入りしている一台一台を肉眼でチェックしろという方が無理であろう。
「そっか……」
当てが外れ、リノは落胆した。
そんな彼女の心情などお構いなしに、チャールズは頼まれもしないのにぺらぺらと喋っている。美少女が一人で訪ねてきたせいか、テンションが妙な具合に上がったらしい。
「まあ、つまらなくてヒマなバイトではあるんだけど、時給は悪くないんだ。それに、最近ちょっと楽しみもできたことだし」
「楽しみ?」
訊き返すと、彼の相好に卑猥な笑みが浮かんだ。
「美人だよ、美人! ここ最近、ショートカットの美人がここの駐車場へ頻繁に車を停めにくるのさ。それも、いつもすっごく色っぽい服装でさぁ、露出度満点なんだって!」
女の子相手に平気でそういう話題を持ち出すのはいかがなものだろう。
思わずポケットから特大ナットを取り出しかけたが、チャールズは構わず
「そんな美女がどこに用事があって来てるんだろうと思ってたらさ、その美女は工学部でリレー電導理論を専攻しているクドン教授の助手なんだとさ。――ああ、そういえば」
思い出したように手を打った。
「……この前の休日にも来てたぜ。夕方だったけど、クドン教授もいたな。それから、三十過ぎの見かけないオッサンが二人、四人揃ってそこの」駐車場の隅にある鉄製の扉を指した。「倉庫に入っていったんだ。今はもう誰も使ってないらしいんだけど、最近クドン教授が個人的に借りているみたいなんだ。今日の日中も出入りしてたみたいだよ。監視カメラの録画チェックしてたら映ってたもんな」
「へぇ……。そうだったの!」
失望しかけていたリノだったが、思わぬ情報が転がり込んできた。
夕刻といえばミットが失踪した頃合いである。しかもクドン教授は今日、講義を休んでいたはないか。であるのに、こんな人気もない地下をうろついていたとなれば、いよいよ怪しまざるを得ない。
彼女の頭脳が素晴らしい勢いで回転を始めた。
その傍では、意外にもリノが美貌であることを知って心を引かれたらしく、チャールズが
「……リノちゃんさぁ、今度の休み、スケジュール空いてない?」
不意に甘い声を出しながらにじり寄りだした。
「はぁ? 何よ、急に」
「一緒に食事行かない? ねぇ、いいだろう? 俺、何でもおごるから――さ!?」
言い終わるのを待たずしてチャールズはフリーズしていた。
目にも留まらぬ速さで特大ナットが左頬を掠めていったのだ。
ガン、と壁にあたって落ちたナットをゆっくりと拾い上げながら、リノはビン底メガネを押し上げた。照明の光を受け、レンズがキラリと一閃する。
「そんなに露出美女が好きなら、その女性を食事に誘えばいいでしょ? あんまりしつこいと、次はそのスケベな脳みそに一撃お見舞いして差し上げるわよ」
翌日。
講義に出席してはみたものの、窓の外を睨みながらぼんやりと考え込んでいるリノの耳に教授の解説などまるで入っていなかった。
ミットは一昨日、サークル活動のために大学へ来ていて、夕刻に解散したあと一人で講義棟地下へゴミを捨てに行った。そこから彼の消息は途絶えている。
そしてその前後と思われる刻限、あのチャールズという軽薄な男子学生が、クドン教授と例の美女、それに見知らぬ男性二人が連れ立って地下倉庫に入って行くのを目撃している。ここまでは間違いない。
恐らく、その四人がミットの失踪に絡んでいるであろうとリノはにらんでいた。
状況からいえばそう考えざるを得ないのだが、疑う理由はほかにもある。不審な美女が学内に姿を見せ始めたのがつい最近であること、試作FOP盗難騒ぎの現場をクドン教授が所在無げにうろついていたこと。
クドン教授の素行、怪しい美女の出現とFOPの盗難、そしてミット失踪。
この四つの点はいかにも一つの線としてつながっていそうなのだが――決定的な証拠がない。
さてこのあとどうしたものかと思うのだが、これというアイデアが浮かんでこないのであった。どちらかといえば、手詰まりになってしまったような気がせぬでもない。
とりとめもなく考えているうちに、いつしかミットの安否ばかり気にしている自分がいた。
(ミットったらどこに行っちゃったのよ、もう……。私にもパパさんにも心配かけて)
一緒にいてもあまり、を通り越してかなり頼りない上に多少ムッツリスケベなオーラを漂わせたヤツではあるものの、行方不明となればやはり心配になる。彼女が設定している恋愛対象の基準にははるか遠く及ばないが、それでも一緒にいて苦にならないレベルの友達であることに変わりはない。
「――で、ありまして、その……本体フレームならびに装甲が強固になればなるほど、機体動作に大きな影響をもたらすものでして、これを……装甲重量比率と……いっていいもの……かと」
そんな彼女の方をしきりとチラ見している中年の教授。いつ容赦ない指弾が飛んでくるものかと講義に集中できない様子なのだが、当の重機姫はそれどころではない。講義の内容などほとんど耳に入っていなかった。
午前中、警察機構の人数が学内を隈なく捜索していったものの、これといった手がかりを得られないまま引き上げていった。あいつなら大丈夫さ、と強気な笑みを見せつつも、その内心で爆発しそうになっている不安を隠しきれない様子だった父親・ディット。大学から帰っていく時の落ち込んだ後ろ姿が切なすぎて、リノは居たたまれなくなった。
(あたし、どうしたらいいんだろ? ――ママにでも電話して訊いてみるかなぁ。ママの直感なら、なんかわかるかもしれない)
母のナナは超人的に直感が鋭い。どんな嘘でもたちどころに見抜くし、あるいはちょっとした予測なんかも驚異的な確率で的中させたりする。
その昔、ショーコや父のサイをはじめナナの職場の人々は何かあると彼女に見込みを尋ねるのが常であったという。それによってしばしば事件解決への突破口が開かれたという、いわば神のような伝説もリノは聞かされたことがある。
とつこうつ、そんなことを考えていた時である。
ふと、窓の外をぼんやりと見つめていた彼女の目が大きく見開かれていた。
教室の隣は駐車場になっているのだが、そこに一台の軽トラックがやってきて停車した。その荷台コンテナの側面は明らかに塗料で乱雑に塗られた形跡があったが、塗料が薄すぎたらしく塗り潰された筈の文字が下から浮かび上がって見えるのである。
ペグル運送。
警察機構が全力を上げて追っている、この都市のテロリストではないか。
それで思い出した。
下校途中にディットと初めて顔を合わせたあの日、キャンパスから出て行った軽トラックにペイントされていたペグル運送の文字を、彼女は何気なく目にしていたのである。チラ見程度の間だったから、はっきりとは記憶しなかったのだ。
しかも、運転席から降り立った人物というのが――なんとクドンの研究室にいた若い女性であった。
丈が胸までしかない薄手のTシャツ風なデザインの服に、きわどいローライズの細いズボンというお色気全開の衣装は相変わらずとして、まるで周囲を警戒するようにあちこちに視線を走らせている。
そこでリノにはハッと閃くものがあった。
数日前、彼女が住んでいる学生寮近くで起こった爆破騒ぎ、あの時も現場の傍でこの美女の姿を目撃した。あとで耳にした噂によれば、爆破された学生寮に住んでいた男子学生の一人がシェルヴァール州立大学の学生で、学内でペグル運送のトラックを見かけたことがあると警察機構に届け出ていたらしい。
つまり、彼に対する報復ではないか。直接本人に危害を加えなかったのは、警告の意味であるに違いない。これ以上余計な真似をするならば、次は命がないぞ、という。
(間違いないわね。あの女の人、さてはミットにも何かしたんじゃないかしら……?)
可能性としては高いであろう。何しろ、彼の父・ディットはヴェルヴォーフェンを追っている警察機構の刑事である。確証はないが、少なくともあの美女がテロ組織とつながりのある者だということだけは決定的である。
(あの人……絶対に許さない!)
ビン底メガネをキラーンと一閃させるなり、席を蹴って立ち上がったリノ。
「……ひっ!?」
途端に中年の教授が怯え、教室中を埋め尽くしている学生達がどよめいた。
しかし、彼女の今の標的は下らない講義を続けているその教授でも、彼女を重機姫と呼ぶ学生達でもない。
窓に手をかけるや否や「バーン!」と乱暴に開け放ち
「……そこのあなた! ちょーっと、話を聞かせてもらうわよ!」
怒鳴っておいて、リノは窓から飛び出した。
怒声を耳にしたショートヘアの美女は一瞬ぎょっとした表情をしたが、すぐにダッシュで逃げ始めた。
リノもすぐに後を追おうとしたが、幸運なことに同じ授業をルミナも受けていた。ただならぬ気配を悟った彼女は、立ち上がりざまリノに向かって
「リノ! あんたのそのカッコで走っても追いつけないわよ! アレを使いなさい、アレを!」
叫んだ。
親友の的確なアドバイスで自分がとるべき行動を悟ったリノ。確かに、ロングスカートで鬼ごっこはあり得ない。
すかさずシャツの胸ポケットから必殺アイテムを取り出すなり
「――てぇいっ!」
渾身の気合を込めて投げつけた。
彼女の正義と怒り、そして怨念がこもっている以上、外れようがない。
手を離れたCMD用特大ナットは一直線に宙を飛び――背を向けて駆けて行く美女の後頭部に直撃した。カンッ、という乾いた音と共に
「きゃんっ!」
子犬のような悲鳴を上げて美女はすっ転んでいた。
ナットとはいえ、特大サイズである。
彼女はすぐに起き上がることもできず、片手で地を掻いている。脳震盪でも起こしたのであろう。
そこへ、すかさず駆け寄ってきたリノが彼女の露わな背中に力いっぱい元気いっぱい飛び乗ったものだからたまらない。
「ぐぅええぇっ!」
美女は首を絞められた蛙のような声を出した。もはや、どう見ても勝負はあった。
が、なおも怒りの収まらないリノ。
背後から人差し指と中指をフックのようにして女性の鼻の穴にひっかけつつ、ぐいっと上に引っ張りながら
「さあ! 白状なさい! ミットをどこへやったの!? 言わないのなら――」
腕を引いた。
「あ! あだだだだだ! 痛い! 痛いってば! やめてよぉ! 言います! 言いますから!」
鼻フックの苦痛には耐えられないらしく、美女は見るに耐えない形相で泣き叫んだ。
「シェ、シェルヴァール銀行本店に連れて行ったの! 別に危害は――あだだだだだだっ! 痛いいたーい!」
「それで!? 怪我なんかさせてないでしょうね!? シェルヴァール銀行で何をするつもりなの!?」
リノの追及は容赦ない。
美女の鼻孔はすでに二倍以上の大きさに広がっている。じたばたと手足を暴れさせたが、リノはしっかりと脊髄を押さえているから、跳ね飛ばすだけの抵抗は不可能なのであった。
「ひ、人質にしてます……。五億エルほど、強奪するつもりで……」
「人質!? それ、いつのことよ!?」
「い、今……」
リノの顔から血の気が引いた。
この女の申告通りならば、今ごろ都市中心部は大混乱に陥っているに違いない。
「も、もう、やめてくらさい……。これ以上やられたら、アタシ……ひぃいいっ! 痛いぃ……」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして叫んでいる美女。いや、もはや美女とは呼べない状況にあったが――。
「……リノ、赦してやりなよ。このバカ女を責めたところで、あんたの大事なボーイフレンドは戻っちゃこないのよ」
そう穏やかに声をかけながら、ゆっくりと歩み寄ってきたルミナ。
彼女の声でリノはハッと我に返った。
ルミナは地面に転がっている特大ナットを拾い上げながら
「それよか、今からシェルヴァール銀行本店へ急ぎましょ。そこにミット君がいるっていうんなら、行かないってことにゃならないでしょ?」
「うん……」
地べたを這っている女性の傍に立ったルミナは、魔王のように上から見下ろしつつ
「それにしても、あんた……」
言いかけておいて、いきなり脳天にカカトを落とした。
「がっ……!」
女性は白目をむいて気絶した。釘でも打てそうな厚いヒールを脳みそへストレートに叩き込まれて無事でいられる人間はこの世に一人もいない。
鮮やかな踵落としをキメたルミナ。その両目が、鬼神のように釣り上がっている。
「……こったら汚い真似しやがって。次やったらその安っぽい下チチ、写真におさめて売りまくるぞ、コラ!」
幾らなんでもそれは逆ギレじゃ――リノは思った。
そういうルミナには胸と呼べるようなでっぱりが皆無ではないか。
『オラオラ! 近寄るんじゃねェよ! このガキのドタマふっ飛ばすぞ!』
「ミット! ミット! ――頼むから、俺と代わってくれ! その子を、離してくれ! 頼む!」
「父さん! 僕のことはいいから、早く賊を! 父さんはこの街を守る警察じゃないか!」
州中心部・中央駅前にあるシェルヴァール銀行本店付近ではリノが予想した通り、大騒ぎになっていた。
人間の数倍もあろうかという人型の機械――CMD――が大通りのど真ん中に陣取り、左の巨大なマニピュレータに少年の身体を握り締めつつ彼の頭部に巨大な拳銃を擬している。トリガーを引けば、少年は頭を丸ごと吹っ飛ばされるというサイズである。その背後、巨大なビルの手前側にはやはり黒く塗装された機体が二機ばかり、出入口を塞ぐようにして立っている。銃火器こそ持っていなかったが、CMDで一撃されれば建物の中にいる人々は無事では済まないであろう。
やや間合いをとってぐるりと包囲している夥しい数の警察機構職員達。それに、白い塗装と赤い回転灯のコントラストが目に爽やかな人型CMDも四機ばかり、その背後に佇んでいる。警察機構所属CMD犯罪専門対応組織『治安維持機構』第一小隊が誇る最新鋭のCMDである。全体的に精悍かつハンサムなデザインを持っているものの、人質をとったテロリスト相手に立ち向かっていく訳にもいかず、今のところ何の役にも立っていなかった。
警察機構が展開している包囲網の片隅で、先ほどからちょっとした騒ぎが続いている。
「ディットさん! 落ち着いて、落ち着いてください! 息子さんは必ず、助け出しますから――」
「ミットー! ミットー! 父さんがいるからなー! 今、行くぞー!」
必死の形相でテロリスト機の方へ飛び出して行こうとしているディットを、数人の警察機構職員が前後左右から押し留めている。その様子に気がついている人質のミットは
「父さん! 来ちゃダメだ! それより、早くテロリストを! 父さんはそれでも警察機構なの!?」
声を嗄らして叫び続けていた。この点、リノが思っている以上に健全で逞しい青年であるかも知れない。
「ミットーっ! 頼む! 離してやってくれー!」
突然降って沸いた親子の、やや暑苦しくはあるが固い絆を髣髴とさせる光景。クサさ無添加・必死さ百パーセントだから、見ている者は皆胸を打たれた。ミットを人質にしているテロリストも、これにはぐっときたのか
『……そう、騒ぐんじゃねぇよ。お前らが要求をのんでくれさえすれば、このガキの命はとらねぇから』
穏やかな声でそう告げた。そこまではよかった。
が、息子の身を案ずるあまり前後がわからなくなっているディットは
「この卑怯者―っ! 腰抜け野郎! それでも男か! テロリストなんか、死んでしまえーっ! 馬鹿野郎ッ!」
とんでもない暴言を吐いてしまった。
瞬時に凍りついた現場一帯。
南極よりもサムい空気が流れる中、どの警察機構職員の顔にも「やっちまったよ、あのバカ」という表情がありありと浮かんでいる。犯人との交渉にあたるべく駆けつけた専門の刑事などはそそくさと帰ろうとしていた。
ディットが放った破壊力抜群の一言は案の定、何もかもぶち壊した。
ほんの数秒間、呆気に取られていたテロリストの男は
『……てめェ! ちょっと優しくしてやりゃ調子に乗りやがりましたかコノヤロー! そっちがそうなら、こうだ!』
逆上して叫ぶのとほぼ同時に、ガァンガァンと大きな銃声が数発、ビルの谷間にこだました。
警察機構職員達は最悪の事態を想像して顔色を失ったが――実際はやや違っていた。
テロリスト機の銃口はミットではなく、突っ立っている治安維持機構部隊のCMDに向けられていた。人質のミットこそ難を逃れたが、それらのCMDは各機、腰部や股関節部分を撃ち抜かれていた。機体の重心を支える上で重要な部分にダメージを与えればどういうことになるか、結果は子供でも言い当てる。
「……おい! 逃げろ! 機体が倒れるぞ!」
立っていた四機のうち三機がぐらりとよろめくなり、付近に群れている警察機構職員の頭上に倒れこんだ。
警察機構の職員達は蜘蛛の子を散らすようにして逃げ回っている。
ほどなく、ズーン、ズドーン、ガッシャァン、と相次いで機体が横倒しになった。巻き上がった埃の中、悲鳴やら怒号が飛び交い、現場は目も当てられないような混乱の様相を呈していた。
「父さん! 父さん! 返事をしてよ、父さん!」
声を限りに父を呼んでいるミット。
と、舞い立っている黄色とも灰色ともつかない埃の中から、飛び出してきた人影がある。
「ミット! ミットを離してくれーっ!」
ディットである。
つんのめるようにしてテロリスト機の前に駆け込んで来た彼は、アスファルトの上にぴたっと土下座して
「頼む! どうか、うちの息子を離してくれ! 人質なら、この俺が代わろう! どうか、頼む!」
まるで神にでも拝むようにして、何度も何度も頭を上げ下げし始めた。
そんな父の姿を目にしたミットは、ほとんど泣き出しそうな形相で
「父さん、やめてよ! 父さんは警察機構だろ! なんでテロリストに頭なんか下げるんだよ! 早く捕まえてよ! 僕一人のために、みんなにこれだけの迷惑が――ああっ!」
彼の身体を握り締めているマニピュレータに力がかかっている。
『はいーっ! バカ親子が、揃ってごちゃごちゃ騒がしいんだよ、コノヤロー!』
キュイィン、とテロリスト機の右腕が素早く動いて、銃口がディットに向けられた。
『今さら土下座したって遅いんだよ!』男の声が低くなった。『五億エルも持ってこないで人質だけ助けてくださいって、はいそうですかなんて言えると思うんかい? ――お前、どんだけ虫がいいんだよ!』
突然怒鳴った。外部音声スピーカーを通しているから、見事に音が割れた。
が、犯人の言い分が聞こえているのかいないのか、ディットはなおも神頼み的に土下座を繰り返し
「頼む! どうか、息子だけは! 頼む、この通りだ!」
『うるせぇってんだよ!』
拳銃がディットにぐっと近付けられた。
『死ねやァ!』
今まさにトリガーが引かれようとした。
「父さん! 父さん! 頼むから止めてくれーっ!」
ミットが悲痛な絶叫を発した、まさにその途端である。
ドンッ、と短く爆発音が轟いた。
驚いた警察機構職員達がそちらの方を見やれば――ミットを人質にとっているテロリスト機の右手首が綺麗さっぱり吹っ飛んでいる。拳銃が暴発したらしい。
さらに間髪を容れず、機体頭部にあるメインカメラが突然「ぱりん」と音を立てて砕け散った。
『あ? あれっ? 急に見えなくなっちまったじゃねェか! なんでだよ? なんでだ?』
操縦者の男は焦っている。
そのせいか、左マニピュレータで握っていたミットの身体を放り出してしまった。
「うわあぁっ!」
「ミット!」
土下座していたディットがすかさず地を蹴って駆け出し、我が子の身体を抱きとめた。
「父さん……」
「ミット! 無事か! どこか怪我はしていないか? ん?」
感激の対面を果たしていたディット親子はふと、背後に人の気配を感じて振り返った。
「やれやれ……。マジ、間一髪ってところね。ずいぶんと無茶してくれるじゃないの」
「ホントね。ま、コルト式なんて大昔の拳銃だったからよかったケド。オートマチックだったらどうしようもなかったわ」
リノとルミナであった。
リノは手にした特大ナットを宙に放り投げては受け止めたりしながら、ディット親子の方を見て微笑んでいる。
「リノ!? どうして、ここへ……?」
「偶然捕まえたのよ、学内に出入していたとかいうテロリスト。そいつをシメたら、ここの銀行を襲うつもりだったんだって、白状したの」
その隣でケラケラと笑っているルミナ。
「いやさ、こちらの重機姫さまったら授業中にいきなり飛び出していきやがんの。そしたら女テロリストをふん捕まえて、もう――」
言いかけた言葉を飲み込んでいた。
リノが冷たい視線をこちらに向けつつ、特大ナットを力いっぱい握り締めていたからである。
「……今日はナットスロー日和みたいね。ルミナもお一つ、いかがかしら?」
「ご、ごめん。以後、気をつけますです……」
ともかくも、リノの援護によって息子共々助かったことを悟ったディットは顔中をくしゃくしゃにして
「いやぁ、ありがとう、ありがとう、リノちゃん! リノちゃんが来てくれなかったら、今頃どうなっていたか……」
誠心誠意の礼を言われると悪い気はしない。というよりも、妙に照れくさくなった。
「いえ、あの、その……ミットさんは大事なお友達ですし、その――きゃん!」
突然、轟音と共に強烈な爆風が吹き荒れた。
横なぐりの黒煙が視界を奪い、時折アスファルトやコンクリートの破片が宙を舞っていく。
「あいったー! このスットコドッコイが……」
吹き飛ばされてビルの壁にしたたか叩きつけられたルミナ。半分意識が飛びかけたが、辛うじて生きていることを確認すると、ゆっくり立ち上がろうとした。そこで彼女が目にしたのは、三機のテロリスト機が寄り集まって次にどうするか相談している光景であった。
『お、おい! なんで手榴弾を投げたんだよ!? まだ、金を受け取ってねェだろ!』
『んなこと言ったってよ! お前の機体、損傷してるじゃねェかよ! ここは出直すしかないじゃんか!』
『出直すったって、ここまで騒ぎになっちまったってのに! とんずらなんかできっこないだろ!』
『いや、待て。俺達には奪取した新型FOPがある。これさえあれば、治安機構の増援が来たってなんとかなる!』
逃走するつもりらしい。
(ちっ! こったらヤバいコト仕出かしておいて、さっさと逃げようっていうのかよ!?)
ルミナはむらむらと腹が立ってきた。
卑怯者と悪人は生かしておけないほど、正義感が強く出来上がっている。そうでなければ、リノと一緒に事件現場まで出向いてなどこない。
が、かといってどうすればいいのか、良いアイデアが浮かばない。生身で稼働中のCMDに近付いても自殺行為にしかならないのだ。
とりあえず警察機構の人間が誰かいないかと、あたりをきょろきょろとやっていると
「あ、あれ……? メガネメガネ……私のメガネ……どこにいったのかしら? メガネメガネ……」
すぐ傍で、リノが地べたを這い回っていた。
爆風で命の次くらいに大事なビン底メガネを飛ばされたらしい。
この重機姫は超がつくほどのド近眼で、メガネがなければ彼女にとってこの世界は存在しないにも等しい。その代わり、母親ゆずりの美形が露わになるのだが――。
「リノ、リノ! どうしたの!? メガネをなくしたの!?」
声をかけてやると、彼女は愛くるしい顔をこちらに向けてフリーズした。ぱっちりとした美しい瞳を糸のように細めて目の前に誰がいるのか確認しようとしているようだが、ド近眼だから当然見えないらしい。
「あ、あれ? そこにいるのは、ミットなの……?」
「だぁれがミットじゃ、ボケ! アタシだよ、ルミナ! 声でわからんかーい!」
乱暴にツッコミをかましつつ駆け寄って行くと、リノはほんわかとした笑顔になった。
「あ! ホントだ! 近くで見たらルミナね。私、メガネがないと何にも見えなくて……あはっ」
「メガネ探しはあとよ、リノ。テロリストの連中、逃走しようって魂胆みたい。どうしたらいいと思う?」
どうしたらいいと訊かれたところで、世界喪失中のリノに答えなんぞあろう筈がなかった。
「えーっ? そんなの困るじゃない。どうにかしなくちゃいけないけど、メガネがないんじゃ私……」
きょろきょろやっている。
今のこいつは頼りにならん。
即座にそう判断したルミナは立ち上がり
「いいわ! アタシ、警察機構の人達に報せてくる! あんた、この世の中が見えてないんだから、そこから動いたらダメよ! いい!?」
言い捨てておいて、立ち込める黒煙の中を駆け出した。
あとに一人残されたリノ。
「あ、待ってよルミナ! それよりも一緒にメガネ探して欲しいの。メガネさえ見つかれば――」
頼みのルミナは走り去ってしまった。こうなってしまえば、一人で途方に暮れているしかない。
アスファルトの上に座り込んで呆然としていると、すぐ背後に巨大な白い何かが転がっているのに気がついた。
リノは「んーっ」と思い切り目を細めてそれを睨んでみた。
「あれ? これって、もしかして……」
警察機構と治安維持機構の混乱ぶりたるや、言語に絶するものがある。
「負傷者はいないか、負傷者は!? CMDが三機もコケてんだぞ!」
「それよりも、誰か応援を要請したのか!? 賊はまだ生きてるんだ! 仕留めないでどうする!?」
「おい、賊は手榴弾を投げやがったようだぞ! 気をつけろ! 襲ってくるかもしれないぞ!」
多すぎる人数のそれぞれが、めいめい好きな事を口走りながら右往左往している。
落ち着いてその場に留まっているのはルミナ、それに被弾して転がっている治安機構のCMDくらいなものである。テロリストが離脱を企てているという情報を急いで報せにきたものの、誰に話しかけていいものやら見当もつかない。
彼女の傍らには、寝転がっているCMDのハンサムなヘッドがある。
「……アンタも大変ねぇ。仕事する前にやられちゃってさ」
呆れ顔でCMDに語りかけたルミナ。人間でいえば目にあたる部分、横長のメインカメラは給電を失って発光をストップしている。その状態がいかにも、両眼を閉じて「ああ、そうですね」と言っているように彼女には思えた。
そうこうしているうち、一人の若い警察機構職員が黒煙の中から息せき切って駆け込んでくるなり
「ま、まずいことになりました! 賊が、賊が、逃走を図ろうとしています! 至急、治安維持機構の増援要請を……!」
怒鳴った。
それを聞いた警察機構職員達は一瞬の沈黙ののち
「誰か! 治安機構指令に第二小隊の増援要請を出したのか!?」
「出してます! しかし、官庁街B通りで事故のため渋滞が発生していて、巻き込まれているために到着までに時間を要するとの連絡が!」
「なァにィ!? 渋滞だとォ!?」
数人の声が綺麗にハモった。
再び右往左往のドタバタを演じ始めた警察機構職員達。こうなれば喜劇だと思うよりほかはない。
はぁっ、と大きく溜息をついたルミナ。
(ダメだこりゃ……。警察機構も当てにならないわ……)
がっくりと肩を落としていると
「――おい! 治安機構第一小隊の四号機が起動しているぞ! 突入の連絡なんかあったか!?」
叫んだ者がいる。
ハッとして顔を上げてみれば――薄れゆく黒煙の中、チュイィンと小気味よいモーター音を上げながらテロリスト機へ急速に接近していく一機の白い人型CMDが見えた。
そういえば、とルミナは思い出した。
テロリスト機の銃撃を受けて三機は稼動不能に陥ったが、一機だけは被弾を免れている。その機体も、手榴弾の爆風に煽られて尻餅をついていたのではなかったか。
いきなり動き出した治安機構のCMDに気がついたテロリストの男は
『て、てめェ! 生きてやがったのか! それ以上近づいたら、コックピットごとぶっ潰すぞ! 潰されてたくなけりゃあ、大人しく停ま……』
――停まらない。
『死にてェのか、コラ! ぶっ殺してやらぁ!』
叫びざま突進していったのは、銀行本店側にいた無傷のテロリスト機である。
駆けながら、右手で腰元のホルダーから大型ナイフを抜いた。
白い機体はなおも前進をやめない。
ほとんど間合いが詰めきられたとき、
『うらァ!』
テロリスト機がダッとナイフを突き出した。
固唾を飲んで成り行きを見守っていた警察機構職員達はヒヤリとしたが――白い機体は右脚を踏み出した状態で歩みを停めて左向きにボディを開くや、すれすれでナイフをやり過ごした。
動作はそこで完結していない。
そのまま下からテロリスト機の右腕を無造作に、つかんだとも思えない素早さで引き寄せた。
重心が前のめりになっているテロリスト機にしてみればたまったものではない。
『おわあぁっ!』
その場でヘッドスライディング。
うつ伏せの状態で勢いよく地面に倒れこんだ。
すかさず片足を上げた白い機体。その下にはちょうど、テロリスト機の股関節が待っている。
一気に踏みつけた。
潰れこそしなかったものの、機体の重心を乗せたステップをくらっても耐えうるようなCMDの間接はこの世に存在しない。踏まれた部分からはジジジとスパークが飛び、間髪をおいて煙が上がった。こうなると片足は死んだも同然である。つまり、テロリスト機は修理しない限り二度と立って歩くことはできない。
この間、一分と経っていない。相手の動作を上手く利用した鮮やかな手際である。
ずいぶんと優れた操縦者=ドライバーもいたものだとルミナは感心したが、彼女の近くでは
「……なに!? 四号機のドライバーは爆風で失神して倒れているだと!? じゃあ、あれを動かしているのは誰なんだ!? ……わからない!?」
治安維持機構部隊の指揮官と思われる男性が無線機に向かって大声で怒鳴っていた。
そのやりとりを耳にした周囲の者達は騒然となった。
「一号機のムラド小隊補じゃないのか? 彼なら、あれくらいのことは――」
「いいや、違う! ムラドは機体から投げ出されて捻挫し、病院に搬送されている。二号機か三号機のドライバーじゃないのか?」
「しかし……その二人なら自分の機体がイッたからって、後ろに下がってましたが」
「じゃあ、あれに乗っているのって……誰なんだ!?」
――あっけなく一機を沈めた謎の白い機体は、残る二機の方へキュイイィンと音を立てて向き直った。
その堂々たる様子はあたかも「次はお前達だ」と宣告しているようである。
『お、おい! レゾン! ――貴様ァ、よくもレゾンを……!』
『待て! 相手は腕利きらしいが、二機がかりでなら歯が立つまい。一斉にいくぞ!』
咄嗟の判断で作戦を決めたテロリスト達。
間をおかずして、二機は地を蹴って走り出していた。
「ヤバいじゃん。幾らなんでも、二機が相手じゃあ……」
呟いたルミナ。
人間とは違って俊敏な身のこなしができないCMDでは、多数を相手取っての格闘戦などは不可能だというのが常識である。
だが。
こともあろうに、白い機体もまたテロリスト機に向かってダッシュを始めたではないか。
「な、なんて無茶を!」
誰かが叫んだ。
見ている間に三機は接近し、あと数歩で接触する、という距離になった。
その時である。
突然白い機体が膝から一気にガクンと沈み込んだ。ほとんど地面に尻餅をつかんばかりの姿勢になっている。
驚いたのはテロリスト達である。
『な、なんだァ!?』
『お、おい! 足許だ! 前に出るんじゃねェ!』
叫んだ時には遅かった。
勢いに乗って加速歩行をしている状態の機体を急に制動する技術など、世界中にない。
片や突き出された右脚部につまづき、片や水平にぐんと伸ばされた左腕部に脚をすくわれていた。
二機が引っかかった絶妙のタイミングで、白い機体がいきなり跳ね起きたからたまらない。
『おぅわぁ!』
『のわあぁっ!』
これが体操選手なら難なく着地して喝采を浴びるところだが、残念ながらCMDにそういう芸当は不可能である。テロリスト機は見事な空中前転を見せつつも、次の瞬間には両機とも頭から地面に落下した。
ガッシャァン、と派手な音響が轟き――哀れなテロリスト機はコメディアニメよろしく、逆立ちの格好でアスファルトに突き刺さっていた。
言うまでもなく、それ以上の稼動は不能である。
気絶でもしているのか、搭乗しているテロリスト達の声が聞こえてくることはなかった。
「……」
ほとんど奇跡のような出来事に、警察機構職員達は声もない。
ルミナもまた
「へ……?」
一言そう呟いたまま、呼吸をすることすら忘れていた。
瞬時に二機のCMDを仕留めてしまった白い機体。背後の気配を窺うようにして、ややそのままの姿勢を崩さずにいた。
が、やがて反転して向きを変えると、静かに片膝をつくようにしてその場に停止した。
バシュッとエアの漏れる音がして、コックピットハッチが開いていく。
そして、中から姿を見せたのは――
「……リ、リノ!? あんた、なななな、何、何やってんのよ!?」
驚きのあまり叫んだ声が裏返っているルミナ。
驚愕していたのは彼女だけではない。白い機体を動かしていたのが一人の美少女だと知って、あちこちからどよめきが起こった。
リノは下側のハッチに足をかけたまま機体から降りようともせず、煙を上げているテロリスト機の方をじっと見つめている。
警察機構職員達を押しのけるようにして機体の傍まで駆け寄って行ったルミナは
「リノ! あんたってコは! 操縦免許もないのにCMDを動かしたりして! よりによってテロリストの相手をするなんて、何考えてるのよ!」
ほっとするやら腹立たしいやらで感情がごちゃまぜになっている彼女は、口調がキレたそれになっていた。
すると、リノはルミナの方を向いてポケットをごそごそとやりだした。
「私、無免許じゃないもの。ほら、この通り」
小さなカード大の免許証を取り出して示した。
そこには『特殊機一級免許』の文字が――。
しかも、右上の隅に金星が三つ、連なって印字されている。
「最年少で最優良検定合格者、ついでに最短教習期間記録保持者。……どう? 文句ないでしょ?」
そう言ってリノはほんわかと、愛らしく微笑んで見せた。
途端に、へなへなと全身の力が抜けたようにしてその場にへたり込んだルミナ。
「あんた、正真正銘『重機姫』だったんじゃないの……」
「ねぇねぇミット! デザートにダブルパフェが食べたいの」
「はいはい。もう、何でも奢らせていただきます……」
要望を聞くなり、デザートのカウンターまですっ飛んでいったミット。
そんな彼には見向きもせず、リノはテーブルの上に並べられた数々の料理を満面の笑みを浮かべて平らげていく。
「……何、やってんのリノ?」
不意に、背後から声をかけてきた者がいる。
「あ、ルミナお疲れ。何って、ごはん食べてるの。ミットがね、何でも奢ってくれるっていうから」
「そりゃ、見ればわかるわよ。……ってか、どんだけ食うのよ? 太ってしまってからダイエットに付き合ってくれって言われたって知らないからね?」
呆れ顔をしながら向かいの席に腰を下ろしたルミナ。
リノはフォークを持つ手を停めることなく
「太らないもん。ここ数日、ずっと警察機構に呼ばれてああだこうだって事情聴取されっぱなしだったんだもの。ゆっくりごはん食べてるヒマもなかったから、却って体重が落ちちゃったのよ」
「だからって、ねぇ……」
ルミナはげんなりした。
空腹になって学食へやってきたはずが、リノの食いっぷりを眺めているだけで満腹になっていくような気がせぬでもない。
「ところでさぁ」
リノはパンを小さくちぎって口に放り込み
「CMD装甲開発論の授業、代わりに聴いてくれたんだよね? ノート貸して!」
「……あんた、聞いてなかったの?」
眉をしかめつつ身を乗り出してきたルミナは「その授業やってるボーゲン学長、こないだの事件に一枚かんでいたとかで、出勤停止くらってるのよ。どうもクドン教授とつるんでいたんじゃないかって噂もあってねぇ……もしかしたら、警察機構にご招待されちゃってるかもしれない」
声を低くして教えてやると
「えぇーっ!? マジで!? 私それ、知らなかったぁ!」
大真面目に驚いているリノ。ビン底メガネのせいで、ルミナには口を開けているようにしか見えなかったが――。
「ほいリノ、お待たせ! ……って、お! ルミナさん! こないだはどうも!」
そこへ、ごてごてとデコレートされた大きなパフェのグラスを手にして、ミットが戻ってきた。
彼の姿を一目見るなり、ルミナはふふんと不敵な笑みを浮かべて
「……ミット君さぁ、アタシもリノと一緒に、事件解決のために一肌脱いだんだけどぉ」
暗に「ランチをおごらっしゃい」とほのめかしている。
人が良いミットは、彼女もまた自分の命の恩人だと思っている。大袈裟な感謝のアクションをとりながら、学食用の電子マネーカードを差し出した。
「そりゃあもう、ルミナさんのご希望とあらば……どうぞ、これを!」
「お? いいの? ラッキー! ゴチになりまーす!」
カードを受け取るなり、喜び勇んで駆け出して行ってしまった。
彼女が座っていたチェアに腰を下ろしたミットは
「そういやリノ、警察機構の事情聴取はもういいの? なんだったら、父さんに――」
「うん、もう行かなくてもいいみたいよ。捜査の方は大分進んだみたいだし」
実のところ、警察機構へ足を運ぶたびにいつも彼女を出迎えたのはディットであった。最初は色々と質問されることが多かったが、時間が経つにつれ逆に彼の方からあれこれと事件の顛末について教えてくれるようになっていた。
テロ組織「ヴェルヴォーフェン」が活動資金を得るために金融機関大手のシェルヴァール銀行襲撃を目論んだのがそもそもの発端である。彼等はCMDを使って銀行を襲撃するにあたり、実行をより確実なものとするため、優れたCMD制御補助プログラム・FOPの入手を考えた。
その際、シェルヴァール州立大学に潜入していた女工作員・サーシャがユーノ教授のゼミ生達が独自にFOP開発を進めていることを知り、奪取しようと思い立った。彼女はクドンに色仕掛けを使って自分を助手にさせ、学内に出入りする自由を得ると、あちこちの研究室に忍び込んでは様々な研究や情報を盗み出して売り裁いていた。金は全てヴェルヴォーフェンの活動資金にあてられたらしい。
そのうちクドンはサーシャの正体に気が付くが、彼女は逆にクドンを恐喝し始めた。彼女の誘惑に負け、すでに幾つか犯罪まがいの行為に及んでいたからである。クドンはサーシャに脅されてやむなくユーノ教授の研究室から開発中のFOPディスクを盗み出すが、今度は学内に爆発物を仕掛けるよう強要される。シェルヴェール銀行本店襲撃と前後して爆破事件を引き起こすことで、警察機構を混乱させようとの狙いであるらしかった。
さすがにクドンは拒むが、サーシャは従わなければ殺す、と脅した。
たまたまそのやり取りを耳にしたのがミットだったのだが、彼は逃げようとしてヴェルヴォーフェンのメンバーに捕まり、シェルヴァール銀行襲撃現場へ連れて行かれて人質の役割を果たすことになった。
サーシャはクドンが抜かりなく爆破の準備を進めているか監視をしに学内へ入ったのだが、車両の偽装を見破ったリノとルミナにボコボコにされてしまう。その後、騒ぎを聞きつけたクドンは身の安全を知って大学構内爆破準備を取りやめたが、サーシャの自供によって警察機構に逮捕されるに至る。
「そのサーシャって女の人、うちの寮の近くの爆破現場で見かけたんですよね。あれって、やっぱり警察機構に通報された報復だったんですか?」
「ああ、そうらしい。狙われたその学生、クドン教授のゼミ生みたいなんだよね。だから、住居がサーシャに知れたらしいんだ。そもそも、彼女が美女だからってこっそり言い寄ったりしていたとか言う話もあるんだけど……。口説かなけりゃ、住屋を吹っ飛ばされずに済んだのにねぇ」
そう言ってディットは可笑しそうにしたが、リノは黙っていた。
そのディットは息子の助命を哀願するためとはいえ、テロリストに無条件で土下座したというではないか。
が、後日父のサイに電話でそのことを報告すると
『リノ。父親ってのは、子供のことではいざとなるとバカになるもんだよ。子供のためにバカになることができなけりゃ、親父と呼ばれる資格はないんじゃないかな』
そんな言い方をした。
よくわからなかったが、父が言う事だからそうなんだろうと独り納得したりした。
「そういや、リノさ」
大量のランチを平らげてパフェに取り掛かった彼女に、ミットはそっと顔を近づけて
「……君のことが新聞にでかでかと載っただろ? あれからみんなの見る目が違うんじゃないか?」
「そぉ? あんまり気にしていなかったケド」
言われて見れば、そういう感じがせぬでもない。
放置されていたCMDを巧みに操り、テロリストの機体をあっという間に三機も沈めてのけたリノ。
その事実は新聞記事となって瞬く間に都市中に伝播したが、何より驚いたのはシェルヴァール州立大学の教員、それに学生達であったらしい。
ただ人並み以上にCMDに詳しいだけだと思われていた彼女だったが、実はその操縦にも長けていたという衝撃の事実をして、彼女が真の『重機姫』であることを皆が思い知ったからであろう。リノにしてみれば大したことをやったとはこれっぽっちも思っていない。強いていえば、ミットが腹いっぱいにランチを奢ってくれたからラッキー、ぐらいに感じていたに過ぎなかった。
しかし、一躍リノが正義のヒロインになってしまったことをミットは憂鬱に思っているらしい。
「でもなぁ。何だか、リノが俺の手の届かないところにいっちゃいそうで……」
深刻そうな顔でぶつぶつ言っている。
「おあいにく様。私、ちやほやされるのは好きじゃないの」
恐るべき速さでパフェのグラスを空にしたリノは
「私の心がときめくのは、面白い授業を聴くことができた時だけね。……今のところは、だけど」
よっこらしょ、と立ち上がると、バッグを肩に提げた。
「さ、行きましょ? 午後の講義が始まるから」
「あ、うん……」
つられて腰を上げたミットに、リノはニヤリと笑いかけ
「でも……もしも講義がつまらなかったら、いつも通りだからね? 今日も記録更新なるかしら?」
ビン底メガネがキラリと一閃した。