表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

勇敢なる若者、螺旋階段を昇る

 鈴木は職にも食にも飢えていた。

(何が世の中、景気がいい。だ、そんな言葉などくそ食らえだ)

 古びたスーツをまとったまま、鈴木は肩身狭そうに身を縮ませる。

 近くの商店街から調子外れのアヴェマリアが流れていた。

 テープが伸びてしまっているのだ。ゆらゆらと響くその音は、鈴木の五感を刺激する。蓄音機から聞こえてくるような音が鈴木を嘲笑しているように感じられるのだ。

 しかしそれは鈴木の被害妄想だろう。

 今朝、鈴木は職を失った。世の中は好景気だなんだと喧しい。

 しかしそれは頭も家柄も良い奴ばかりのお話で、底辺を味わって来た鈴木にとっては何の恩恵もないことだ。その証拠に、鈴木の会社は昨夜のうちに夜逃げした。

 明日からの食さえ事欠いて、呆然と町をさまよい歩いた鈴木はやがて一つの張り紙を見つける。


『螺旋階段を昇る勇敢な若者を募集中』


 一笑に付して立ち去ろうとした鈴木だが、付け加えられていた一文に思わず足を止める。


『日当5万円。学歴不問。男性優遇。若者であれば尚よし。前払い有り』


 それは今の鈴木にとって生母の微笑みに等しいものだった。


 どのように取り繕っても怪しい張り紙である。

 しかし内容をちらりと聞くだけなら取って食われる事もあるまい。と、恐る恐る面接会場へと向かうと、そこは意外なほどにまともな商社であった。

「我々も依頼を受けてのことでね。君たちがここで働くわけではないので、勘違いのないように」

 上等のスーツを纏った男がにこりとも笑わず、鈴木に席を勧める。

 振り返れば、他にも6名ほど希望者があるようだ。固いパイプ椅子が7つ分、同時に軋み音を立てた。

「とあるお宅に毎日朝7時、ペットボトルをお届けする。それだけの仕事だ。そうだな。ちょうどここに7名居るようだから、早速来週月曜から日曜にかけて、一人ずつ行ってもらおうか」

 男が机に置いたのは、最近よく見かけるようになったペットボトルである。どこかの飲料会社がジュースを入れて売り出したところ、軽さと手軽さで話題になった。

 男が取り出したのは大小様々なペットボトル。中は空である。

 何も入っていない事を示すように、彼は蓋をあけて上下左右に振ってみせた。何度見ても、ただの空ペットボトルだ。

 その場にいる7人が何か言いたげにどよめいたが、そのどよめきは不完全燃焼のまま収まった。

 目つきの悪い男は机の上に封筒を並べ、一人一枚これを取るようにと手招く。

 中には前金2万円。それはどよめきも、不平不満も疑問さえ、全て封じ込めるのに充分な価格であった。


「ペットボトル、か」

 月曜日。鈴木は車に積まれたペットボトルを顧みて呟いた。

 今朝は鈴木の番ではない。鈴木は最終日、日曜である。

 しかしどの家にどのように運ぶのかを見て置いた方が良いという事で、7人全員が早朝6時に呼び出された。

 車で1時間、運ばれた先は田園広がる瀟洒な田舎町である。

 山道を越え、やがてその先に見えたのは洋館である。

 まるで時代錯誤。大正時代の洋館だ。大きなアンティークの門、赤レンガの屋敷、そして庭一杯に植えられた数々の花。庭にはアーチ型の薔薇園と並木道まである始末。

 そのちょうど中央には花で満たされた螺旋階段がある。それは屋敷の二階に続いている。とはいえ階段の先に扉はない。あるのは、古びた丸窓だけ。まさに、お伽話の世界である。

 依頼は至極簡単なものだった。あの門をくぐって螺旋階段を上がり、そして丸窓を叩く。すると屋敷に住まう貴婦人が窓を開ける。彼女にペットボトルを渡せば終わり。

 車の後ろにいっぱいに詰まれたペットボトルは、車が揺れる度にカタコト鳴った。硝子ならば割れてしまうほど乱雑な運転だ。

「何だってペットボトルなんでしょうね」

 今日、ペットボトルを配る役割の男が鈴木を振り返って首を傾げた。

「なんでって何がさ」

「いや、ああいうお金持ちの家には硝子などがよく似合うでしょう。何もこんな、物珍しいもんを使わなくても」

「捨てやすくていいんだとよ。硝子だとおもくって仕方ないわな」

「はあ」

 使い捨てをするつもりなのか。何に使うのか分からないが随分と贅沢な話である。好景気か、と鈴木は暗く笑う。

 明日の米に困る人間がいるかと思えば、ペットボトルを運ぶ程度の仕事に日当5万も出す金持ちだっている。

 それは目の前の螺旋階段と同じく、表と裏。近づきそうで、近づけない。生まれ落ちた瞬間から決まった残酷な運命だ。

「んじゃ、行ってくるわ」

 やがて7時の10分前、男は腕一杯のペットボトルを抱えて車から飛び出した。

「どんなんだったか、また教えて下さいよ」

「教えられたらいいけどな。どうもお前らは今すぐここを退去だそうだ。俺は別便で帰る事になる。んで、もうお前らとは会えない」

 車に詰められた残り6名の顔が曇る。鈴木は胸にふと、嫌な予感を覚えた。

「何だい。死地にいく兵士じゃねえんだ。ま、機会があればどこかで会おうや」

 男はあっさりと笑って大きく手を振る。その左手薬指には、蛇デザインの指輪。それが朝日に反射して鈴木は思わず目を細める。その隙に、男は洋館に向かって駆け出していた。

 螺旋階段。

 螺旋階段を上る勇敢なるものを募集。確か募集要項はそうだった。そのことを鈴木はふと、思い出していた。


 そして時はアッという間に5日が過ぎた。その後は屋敷に行くことはなく、ただ自宅アパートで日曜が来るのを待ち続けただけである。

 火曜から土曜まで別の男がペットボトルを運んだはずだ。しかし誰の連絡先も知らない。なぜペットボトルを運ぶだけで5万もの大金を貰えるのか、不安が胸をくすぐる。と、同時に。

(所詮金持ちの遊びに付き合うだけさ。金を持ってるやつからくすねて何が悪い)

 と思う心もある。

 やがて日曜日がやって来る。それは美しく晴れ上がった秋の朝。

 出がけに見たテレビでは、美しいニュースキャスターが微笑んで鈴木を見ている。

「今夜は満月。ここ数年は雨続きの中秋の名月ですが、今年はそんな心配もなく、全国的に美しい月を楽しむ事ができそうですね。どうぞ皆様、今宵はお月見団子とススキをお忘れ無く」

 などと呑気にそう言っていた。


 車で運ばれた洋館。渡されたペットボトルは直径20センチはありそうな、太いものである。長さはちょうど40センチほど。

 情緒はないが、花瓶にもなりそうなサイズである。

 ペットボトルとともに受け取った残り3万円を後ろポケットにねじ込んで、鈴木は小走りに洋館へ向かう。中に入ると、むっと甘い香りに包まれた。

 バラの香りだ。百合の香りだ。季節が合っているのか鈴木には分からない。ただこの色彩豊かな庭には四季を問わない様々な花が咲いているようである。

 ねっとりと絡みつく濃厚な香りから逃れるように、急ぎ足で螺旋階段を上る。階段の左右には、様々な形のペットボトルが置かれていた。

(なんだ、鉢や花瓶にペットボトルを使っていたのか)

 それは今鈴木が運んでいるものと同じペットボットルである。

 形や大きさは様々だが、どのペットボトルにも土や水が詰められ花や草が植えられている。数は丁度5つ。大きな花もあれば、細い草もあり、螺旋階段のあちこちに飾られているのだ。

 螺旋階段を昇りきると、ちょうどそこに大きな丸窓がある。ツタの絡む丸窓は、まるでお伽話にでもでてくるようなしつらえだ。

 鈴木の到着を知ったのか、それが軋み音をたてて開いた。

「あら」

 顔を覗かせたのは美しい女である。長い黒髪を腰までたらし、白いロングドレス、その上からは柔らかそうな毛皮の羽織もの。

 肌の色は驚くほど白く、頬と唇だけが妙に赤い。瞳は漆黒、豊かな睫毛が白い肌に濃い影を落とす。

「あなたがさいごの配達人さんね。お名前はなんと仰るの?」

 若い娘に似合わない時代錯誤な物言いだ。女はペットボトルの鉢をひとつ、抱えている。それはまるで蛇のように絡み合う太い草である。

 それを優しく撫でていた女だが、ふと飽きたように窓の外に放り出した。ペットボトルは宙を舞い、鈴木の隣、螺旋階段に落下する。そして可哀想なほど滑稽に、階段を落ちていった。

「鈴木……です」

 しかし鈴木は見たのだ。

「鈴木と……申します……」

 ペットボトルの鉢に植えられた蛇のごとき草。それは人の手のようではなかったか。

 苦悶に歪む腕を切り取って植えれば、あのような形になるのではないか。まるで指のような茎の部分に、指輪がひとつ、はまっていた。

 それは一日目にこの螺旋階段を昇った勇敢な若者。その指にあったもの、それではないのか。

「鈴木さんって仰るのね! 何て好都合なのかしら」

 恐怖で髪の先がちりちりと音をたてるようだ。しかし鈴木はハエ取り草に吸い寄せられる虫のように、足を止められない。手のペットボトルを女に差し出す。女は美しく微笑んだ。

「今日は中秋の名月でしょう。ねえ、鈴木さん。あなたのお名前、まるでススキみたいね」

 女は細い指で鈴木の腕を掴む。ぎちり、と皮膚に女の指がくいこんだ。

「あら、素敵な腕……これなら、花瓶いっぱいに取れそう」

 うっとりと女が微笑む。その目を覗き込み、鈴木は意識が遠くなる。

 女の目はただ黒いのではない。六角形の個眼が無数に集まる、複眼である。それは獲物を狙う昆虫の目である。

「さ、窓は閉めてしまいましょうね」

 美しい女主人の手によって鈴木は巣に引きずり込まれた。女は微笑んで丸窓を閉める。

 後に残ったのは、螺旋階段に点々置かれた、ペットボトルの残骸だけである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 先に2作品ほど読ませて頂いておりますが、各話において雰囲気作りが見事であり、その話に於ける「世界」の構築により読む者を引きつけて放さない筆力を感じます。 [一言] 不条理の恐怖、とでも表現…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ