きみの空
この作品は、奥華子さんの「きみの空」という曲の歌詞に感銘して物語にしてみました。
純粋な恋心を書いた作品です。
~きみの空~
~プロローグ~
海の遙か彼方に見える水平線。
鮮烈な夏の太陽が水平線から顔を出すと、朝空は明るくなり、真っ青な空が拡がっていく。
私は、時間が好きだった。
この力強い太陽と澄み渡る空。
そして、隣で私の左手をそっと握っている、その手の温もりが、私の心に安らぎを与えてくれる。
私にとって一番幸せな時間。
でも、この幸せな時間の記憶が、さらさらと砂時計のように流れ落ちて、そして、私の中から消えていってしまう。
私の左手から力が抜けていく、離さないで私の手を、握っていて、私の意識が遠のいていくのが怖いから、お願い、手を離さないで。
きっと、私の意識が戻った時には、この幸せな時間の記憶は残っていない。
私は、いつか大切な彼の事まで、忘れてしまわないように願うだけだった。
崩れ落ちていく私の耳に彼の声が波の音と共に聞こえる。
「ここちゃん、大丈夫、ねぇ」
彼の私を呼ぶ声が、遠くなっていく。
「どうして、ここちゃん」
彼が砂を強く握りしめている姿が、遠ざかっていく意識の中で私の脳裏に焼き付いた。
「ごめんね」
私は、心の中で、そう呟いた、そして、最後にもう一言だけ伝えておきたい。
「・・・・」
~第1章~出会い
水平線から昇っていく太陽に照らされた空は、夏の鮮やかなブルーに染まっていく、その様子を海岸の砂浜に立ち、一人で見つめている彼女、時より吹き抜ける強い海風に、今にも吹き飛ばされそうな弱々しい立姿、真っ直ぐと空を見つめる凛とした横顔、憂いに満ちた大きな瞳が印象的だった。
彼女は毎朝のように、その場所に立ち、空を眺めていた。
目を覚ました夏の太陽は、強大なエネルギーを放ち、空気を揺らし、陽炎となり力強く立ち昇っていく、彼女はその太陽の力強さを羨むかのように、その場所に立っていた。
僕は、何時しか、彼女に、心を惹かれた。
しかし、彼女には、他者を一切受け入れないような、そんな雰囲気を持っていた。
僕は、声を掛けられないまま、その姿を遠くから見ているしかなかった。
平行線のまま、時は過ぎていった、彼女もそれを望んでいたのかもしれない。
僕は、いつものように、彼女の姿を遠くから見ているだけだった。
彼女に自分の想いを伝えられないもどかしさに苛まれていた。
「なんで、また、ここに来たんだろう、話しかける事も出来ないのに」
自問自答していた、その時、僕の視界から彼女の姿が消えた。
僕はその瞬間、砂浜を全力で走っていた、砂に足を取られて転んでも、すぐに立ち上がり、とにかく走り続け彼女の元へ向かった。
「大丈夫!」
砂浜に倒れている彼女を抱きかかえた。
声を掛けても返事が無く、細い腕が抱きかかえた僕の腕からこぼれ落ちた。
早朝の砂浜に人の姿は無く、他に助けを求める事が出来ない。
僕は彼女を抱きかかえたまま立ち上がると、岸壁の階段を上り、海岸沿いの道路に出ると、海岸沿いの通りを走った。
診療所の看板が見えた。
「もう、大丈夫だよ」
僕は彼女にそう言った。
しかし、診療所の入り口のカギは閉まっていた、診療時間外だった。
「すみません、誰かいませんか!助けて下さい!」
そう、何度も叫んだ、抱えている腕が小刻みに震えていた。
最後の力を振り絞って叫んだ。
「助けてください!」
診療所のドアが開いた。
彼女の手は、白くて細い指先、触れると少し冷たかった。
僕は、隣でずっと、彼女の左手を握り続けていた。
目覚めた彼女は、驚いた様子で僕を見ると、左手を引っ込めた。
「誰?」
「あっ、ぼ、僕は・・・あの・・」
しどろもどろになっている所へ、診療所の先生が来てくれ説明してくれた。
「そう、ありがとう」
彼女は微笑みながら言うと、身体を起こした。
「いや、そんな、それじゃ、僕は」
診療所を出ると夏の太陽の日差しがまぶしかった。
「何も、話せなかった、もっと、傍に居たかったけど」
僕はそのまま、家に帰った、彼女の微笑んだ顔が忘れられなかった。
翌日、海岸へ行ったが彼女の姿は無かった。
「まだ、具合が悪いのかな」
しかし、その翌日も彼女の姿を見ることが出来なかった、もしかしたら、もう二度と会えないのかもしれないと、あの時、何も言わずに診療所を出て来てしまった自分を悔やんだ。
「せめて、名前だけでも聞いておけば良かった・・・」
僕は、彼女の居ない砂浜で、毎日、彼女の見ていた空を見つめていた。
「綺麗な空、また、彼女と一緒に、この空を見たいな・・・」
「あの・・・」
僕は、どこか聞き覚えのある声に、振り向いた。
「あの時の・・・」
「あっ、は、はい、あ、あの、時」
彼女は、僕の慌てように、微笑んだ。
「ここに来れば、逢えると思って」
「あ、あの、ぼ、僕、ゆ、勇気って言います、あ、あの、な、名前」
「勇気さんっていうの、私は、こころ」
「こ、こころさん、っていうんですか、あ、あの、僕」
「ふふっ、どうしたの」
「あ、あの、ぼ、僕」
「なに?」
「す、好きです」
言った後に、自分で何を言っているんだろうと後悔した。
「えっ、私の事?そんな、急に言われても・・・困る」
「ごめんなさい」
なんだか、分からないけど、彼女を困らせてしまった事に謝った。
「なんだ、ちょっと、本気にしちゃったじゃない、いきなり変な冗談言わないでよ、私、ビックリしちゃったよ」
「ごめんなさい」
「そんな、謝らなくてもいいけど、でも、いきなり、そんな、冗談なんて」
「本気です、本気で好きです」
「えっ、なに言ってるの、だ、だって、まだ」
「僕は、ずっと前から、見てました、ここで、空を見ている、こころさんを、だから、あの時も、でも、それから、僕、毎日、ここに、来たけど、逢えなくて、だから、決めてました、もし、もう一度、逢えたら、絶対に僕の気持ちを伝えようって、決めてました」
彼女は困惑した様な表情をした。
「そんな事、言われても・・・困る」
僕は居たたまれない気持ちでいっぱいになった、せっかく逢えたのに、こんな事を言って、自分がバカだなと思った。
「さよなら」
僕は、彼女にそう伝え、砂浜を全速で走った、自然に涙が溢れてきて、前が滲んで見えなくなって、足がもつれて前にそのまま倒れた。
砂が口に入ったけど、そんな事はどうでも良かった、自分の気持ちを生まれて始めて伝えられたんだから、それで良かったんだ。
僕はゆっくり立ち上がり、そのまま歩きだした。
「ねぇ、大丈夫?」
振り返ると彼女が居た、息遣いが乱れている様子だった。
「さよならって、そんなのずるいよ、そんな事、言われたら、私、もっと、困る」
「ごめんなさい」
「さっきから、ずっと、謝ってる、謝るのは、本当に悪い事をした時だけだよ」
「ごめんなさい」
「ほら、また、謝った」
「ごめ、だけど」
他に言葉が見つからない。
「ねぇ、もう、さよならって言わないで、その言葉、どこかに、居なくなっちゃうみたいだから、私、嫌い」
「わかった、言わないよ」
~第2章~思い出
それから、僕と彼女は同じ時間を過ごした、そして、ずっとこのまま過ごしていけると信じていた。
彼女の屈託なの笑顔は、僕が僕らしく生きていく糧となった。
彼女と過ごした日々は、今でも、僕の中で忘れられない記憶として残っている。
彼女が始めてロールキャベツを作った時の事、僕が前にロールキャベツが好きだって言った事を覚えていてくれた事がとても嬉しかった。
料理が苦手な彼女が、朝から一生懸命僕のために作ってくれた。
でも、彼女とけんかした時に、あのロールキャベツは、本当はまずかったって言っちゃった時、彼女が本当に悲しそうな顔をしたから、僕が謝った。
「今度は美味しいの作るね」
そう言って、笑った。
それから、手作りの料理をいっぱい作ってくれた、彼女が楽しそうに作っている姿を見ていると幸せな気分になった。
水族館に一緒に行った時は、彼女は子どもみたいにはしゃいで、水槽の前にしがみつくように魚を観ては、普段、そんなに走った事がないのに館内を走り回ってた。
イルカのショーを観た時は、手を叩きながら。
「凄いね、凄いね、って、イルカって頭が良いね」
楽しそうに笑ってた。
帰りの電車の中では、はしゃぎすぎて、ぐっすり眠ってた。
子どもみたいな所も大好きだった。
そう、彼女の名前は、「心桜」それで「こころ」と読むと知った時、それじゃ、誕生日は4月なの?言ったら、10月生まれだった。
「なんで?」そう聞いたら「知らないよ」って言って、ふてくされてほっぺを膨らませていた。
心に桜、桜が綺麗に咲き乱れるのは、ほんの数週間、でも、毎年必ず、その綺麗な華を咲かせる。
彼女が再び、綺麗な華を咲かせる日を僕は信じていた。
僕が彼女の異変に気がついたのは、映画を観に行った時の事だった、彼女が先週二人で観た映画をまた観たいと言った。
僕はその映画、先週二人で観たよと言った時、彼女がとても慌てた様子を見せた後に、頭を抱えその場でうずくまってしまった。
僕は驚いて救急車を呼んた。
病院へ着く頃には症状は治まり家に帰った、その時は原因は分からなかった。
しかし、度々そんな事が起こり、その度に、彼女の言葉数が減り、黙っている時間が長くなった。
二人で病院へ行き、彼女は精密検査を受けた。
そして、医師は僕に言った。
彼女は難病である全身性エリテマトーデスを発症していると、始めて聞く病名で何の事だか分からない僕に、医師が症状は高次脳機能障害による記憶の消滅、原因不明の失語だと。
現在、有効な治療方法はなく、進行も個人差があるが、消滅するのは短期記憶が主だが、長期記憶が消滅する症例もある、と。
彼女とこれからどのように接すれば良いのか、僕は目の前が真っ暗になった、でも、僕がしっかりしなければならないと、今まで彼女のお陰で僕は僕らしく生きて来られた、だから、今度は僕が彼女に恩返しをする番なんだと。
でも、普段の生活には、殆ど支障はなかった、言葉が出て来ない時は、出てくるまで待った、過去の話はしないようにした。
それでも、僕は彼女と一緒に居られる事が嬉しかった、時より見せる彼女の笑顔、一緒に笑ったり、料理を作ったり、何でもないような事でも彼女と一緒なら楽しかった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
彼女が、激しい頭痛を訴えて、入院する事になった。
病院のベッドで意識が戻らない日が続いた、医師からは目覚めた時に記憶がどこまで残っているかわからないと言われた。
僕は、彼女の左手を握りしめた。
「心桜、僕を忘れないで」
それから、眠り続ける、心桜の左手を僕は離さなかった。
「ゆうくん、私」
「心桜!」
意識を取り戻した心桜が、僕の名前を呼んでいる。
「僕の事、憶えているんだね」
「当たり前じゃない」
笑いながらおどけてみせる表情に物憂いさがあった。
「良かった、本当に良かった」
心桜の表情は徐々に悲しい表情へ変わっていった。
「ごめん」
「なんだよ、ごめんって、謝るのは本当に悪い事をした時だけでしょ」
「うん、そうだね」
心桜は入院前まで記憶を殆ど失っていた、僕はそれでもいい、心桜の傍に居られれば、一番辛いのは、楽しい思い出を全て失った心桜なんだから。
失った思い出は、また、作ればいい、たとえ忘れてしまっても、僕の中にいっぱい仕舞っておくから。
「ねぇ、退院したら海に連れて行って、あの空、もう一度見たいから」
「うん、そうしよう」
心桜は体力の回復も早く、予定よりも早く退院する事が出来た。
~第3章~別れ
退院後も退院前と変わらない生活を送った、心桜は毎日事細かに日記を書き、忘れすぎてしまう思い出を紙に書き留めていった。
そして、心桜が好きな海へ出かけた、透き通るような青空、彼方向こうの水平線まではっきりと見える。
「綺麗な空だね」
「うん」
僕はしっかり心桜の左手を握っていた、心桜の記憶から僕が居なくならないように、そう願っていた。
「また、来ようね」
「うん、また、来ようよ」
心桜の左手から力が抜けると、僕の手から抜け落ちていった。
「ここちゃん、大丈夫、ねぇ」
僕は崩れるように倒れ込んだ、心桜を抱きかかえた。
心桜が小さく声で僕に言った。
「ごめんね、・・・・、ゆうくん、さよなら」
でも、その声は、波の音に消され最後の声が聞き取れなかった。
「どうして、ここちゃん、さよなら、なんて言うのさ」
僕は、砂を握りしめた。
「僕もさよならは嫌いだよ、どこにも行かないでよ」
僕は、心桜の左手をずっと握りしめていた、また、目覚めた時に僕の事を憶えている事を願っていた。
「心桜、僕の事を忘れないでね、さよならなんて言わないでね」
翌朝、僕が握っていた心桜の左手は冷たくなっていた、でも、その顔はとても穏やかで微笑んでいるようにも見えた。
「心桜!もう一度、僕の名前を呼んでよ!心桜の声を聞かせてよ、さよならなんて言わないでよ!」
心桜の左手をぎゅっと握りしめ、その場で泣き崩れた。
~第4章~再会
あれから、ちょうど1年が過ぎた。
僕は、部屋の窓から、雲の切れ間をだた見つめていた。
心桜が僕に残したものは、あまりにも、温かすぎて、今もまだ、僕の心に溢れているよ。
今でも、心桜の事を想い出すと胸が張り裂けそうになる。
悔しくて、悲しくて、もう一度、心桜に逢い、せめて、夢の中でもいいから、心桜に逢いたい。
そして、僕はまた、心桜との思い出が一杯詰まった日記を、読み返している。
日常のありふれた事、普通なら忘れてしまうような事、でも、どれ一つ、忘れる事が出来ない心桜との思い出。
~ゆうくんが好きな、手作りドレッシングを作った、ちょっと、失敗しちゃったけど、美味しいって言ってくれた~
~二人で水族館に行った、いっぱいお魚がいて楽しかった、イルカのショーを観て面白かった、また、一緒に行きたいなと思った~
~今日は、朝から頭が痛かった、ゆうくんがずっと私の手を握っていてくれた、ゆうくんの手は温かくてとても安心する、早く元気にならないと~
~明日は、ゆうくんと一緒に海に行く予定、楽しみだな~
この先は、空欄になっていた。
これから先も書き続けて欲しかった、思い出をいっぱい作りたかったのに、さよならなんてずるいよ、さよならって言わないってあの時、約束したのに・・・。
気がつくと、心桜が好きだった浜辺に立って、空を眺めていた。
僕は、心の中で叫んだ。
「心桜が大好きだった空、僕はもう、見ることが出来ないよ、どうしても、涙が溢れて、空が滲んでしまうんだよ、もう、心桜と一緒に見た、綺麗な空が見えないんだ、僕は心桜が居ないと、やっぱり、生きて行けないみたいだ、忘れる事なんて出来る訳がないよ、僕はそんなに強くないんだ」
「もう一度、心桜の声を聞かせてよ、もう一度、僕の名前を呼んでよ」
「ねぇ、ここちゃん、僕の声が聞こえる、生まれ変わっても、僕は心桜の傍にずっといるよ、心桜の左手をずっと握っていたいから、僕も心桜の傍に行くね、少し、怖いけれど、心桜の左手を握っていられるなら、大丈夫、平気だよ」
「きみの空、今日も綺麗だね」
終わり
すこし、粗部分もあるかもしれませんでしたが、一日でザッと書き流した作品なので、逆に、あまり深く考え込まなかった分、シンプルな作品になったかと思います。