第二章 血染め兎の伝説③
四人(プラス四匹)はリビングルームに案内される。
「オレンジジュースでいいかしら?」
「あ、はーい」
「お構いなく」
ひとつのテーブルを囲み、みんな座る。
「ペン太くんは?」
「私の部屋で眠ってるわ。傷も大体治療したから大丈夫よ」
「そっか。良かった」
先程までの不安も吹き飛んだのかフェルトは機嫌良くジュースを口に運ぶ。
「フェルト、ボクも飲む」
「はい、しっかり持ってね」
それぞれのパートナーにも飲み物を与えることを忘れない。
彼らは針師にとって身体の一部のような存在なのだ。
パートナーを傷つけられたレースは内心、どのぐらい傷ついたのか分からない。
「レース……事件の話、聞きたい」
誰もが聞きたかった内容に切り込んだのはコマチであった。
「あー、でも委員長も疲れてるんじゃないかな?
昨日から事情聴取で同じこと言っているだろうし……」
スティングの言うことも、ごもっともだ。
レースの顔にはいつもは見えない疲れの色が浮かんでいる。
色々あって、心身ともに疲れているのだろ。
「いいのよ、スティング――待ってて、ペンギル連れてくるから」
「えっ、起こしていいの?」
「いいのよ。あの子も見舞いに来てくれたのに起こしてもらえないなんて可愛そうだから」
レースはそういうとその場を去る。
「ちょっと、コマチ。少しはレースの立場になって――」
「分かってる」
食って掛かるフリルをコマチは強い口調で止める。
「でも、聞かないと……これから事件は起こり続ける……かも」
「その口調ですと、何か心当たりがありそうですわね」
コクッと頷き、彼女はまた沈黙する。
「おまたせ」
レースがその場に戻ってくる。しかしペンギルの姿はそこにはない。
「ペンギル。大丈夫だから、出ていらっしゃい」
壁の方から何かがピョコッと出てきた。ペンギンの頭だ。
その瞳はフェルトたち一人一人をじっと観察するかのように動く。
「ペン太くーん!」
「ひゃっ!」
フェルトの声に彼は壁に吸い込まれるかのように頭を引っ込めてしまう。
ただでさえ臆病な彼をこのような状態にしてしまうほど、恐ろしいことをされたのだろう。
「ペンギル。大丈夫よ。クラスのみんなだから」
また彼の頭が壁から出る。今度はソロりと、身体もついてくる。
「お嬢様、お坊ちゃま、いらっしゃいませ……」
ペンギルはヨタヨタと歩いてくる。まあその足取りはいつものことだ。
ペンギンだから。けれど彼の身体のあちこちには痛々しい縫い跡が見える。
「ペン太くん。大丈夫? 痛くない?」
「はい……少し痛いですが大丈夫ですよ。フェルトお嬢様」
「よかったぁ……本当に心配したんだから」
「はい、心配お掛けしました」
ペコリと頭を下げるとペンギルはレースの膝の上に乗っかる。
「早速で悪いんだけど、事件のことをみんなに話してくれる?」
「はい、ご主人様……」
オホンと咳払いをし、彼は話を始める。
「あれは昨日の放課後のことでした。
ワタクシとご主人様は買い物のために大通りの商店街まで来ていました。
雨で調子が優れないワタクシを店の中のベンチに座らせると、
ご主人様は一人買い物をされていました」
「時間は昨日の五時前だったと思うわ」
「雨の中、ワタクシは何かが聞こえた気がして外を見ました。
どういうことでしょう……そこには小さなぬいぐるみが私のことを手招きしている様子が見えたのです」
「ぬいぐるみって、どんな?」
「さぁ、今思い出してみると、なんともぼやけた感じで……
そのぬいぐるみに誘われるようにワタクシは外に出ました。
幸い、ご主人様特性のレインコートがあったのでどうにか雨の中でも動くことができました」
「あのさ……もしかして、ホラーな展開になったりしない、これ?」
「フェルト……怖いなら、これ」
コマチからイアホンを渡される。
「だ、大丈夫。うん……だいじょうぶ?」
「着いて行った場所は裏路地の袋小路でした。
追っていた筈のぬいぐるみの姿はすでにありませんでした。
その時、初めて、ご主人様に心配をかけるという思いが
頭の中を巡りワタクシはその場を去ろうとしました」
「ドキドキ……」
「しかし、私の退路には数多のぬいぐるみたちが群れをなして待っていたのです!
その目には光などありません。彼らは私たちとは違う――そんなのすぐに分かりました。
どのぬいぐるみもボロボロで……
今にもワタクシを取って食べてしまいそうなほどのオーラを放っていました!」
「きゃあああああ!」
「そうです。ワタクシもそのように悲鳴をあげました。今のフェルトお嬢様と同じぐらいに!
けれども怪物たちは襲い掛かってきます!
その手に握られたのは刺繍道具。
いつも見てるはずの道具にワタクシ――ワタクシの身体はボロボロにされ……はあはあ……」
「ペンギル……そんなに興奮しないで」
なだめるようにレースは彼の背中を摩る。
「ここからは私が話すわ。ペンギルがいないことに気が付いた私は彼を探したわ。
その時、遠くから悲鳴を聞いたの。急いだわ」
「で、どうなりましたの?」
「そこには彼が言ったように大勢のぬいぐるみたちがいたわ。
私はペンギルがいることを確認すると、威嚇と共にグルーガンを撃ったわ。
そうすると彼らは一目散に逃げたの」
「委員長、さすがだね。咄嗟の判断だったのに」
「ええ、命中はしなかったけれどもね……そしてペンギルに駆け寄ったわ。
彼の傷の状態が酷かったので急いで、誰か針師に見せようかと思ったわ……
そんな時かしら背中越しに不気味な気配? を感じたのは」
「ま、また、ホラー展開? いぬくーん!」
「く、苦しい、フェルト……」
「振り向くと……そこには……」
レースは沈黙する。
「ん? どうしたの?」
スティングは顔色を窺うように彼女を覗き込む。
「これは私自身も信じられないんだけど……そこにはウサギがいたの。紅いウサギが」
「紅いウサギ……」
このワードを聞いて、フェルト以外の三人はハッとした顔をする。
「そう、私も血染め兎を連想したわ……」
「なにそれ? 血染め兎って?」
連想ゲーム失敗のフェルトからだけ疑問の声が上がる。
「一種の都市伝説ですわ。雨の日に現れる血に染まった紅いウサギ。
その姿を見たものは死ぬっていう」
「ええっ! じゃあ、委員長死んじゃうの?」
「馬鹿なこと言わないでよ。噂よ、噂」
「ウワサかぁ……よかった」
本気で安心しているフェルト。
「でも、火の無いところに、煙は立たない」
「コマチは私を殺したいの?」
「ううん。客観的考察」
こういうことを平然と述べるのは彼女らしい。少しコマチを睨んだあとレースは話を続けた。
「血染め兎の話もあったから、恐くて……私はグルーガンを構えることしかできなかったわ。
けれどウサギは消えるようにして、その場から居なくなったの」
「うわぁ……怖い。今日トイレ行けるかな?」
「警察にもその話をしたんだよね?」
「ええ。もちろん相手にはされなかったけどね……」
「レース。質問。襲ってきたぬいぐるみ……この子たち?」
コマチはどこからか一枚の写真を出す。
「コマチ、これ……どこから?」
「ビンゴ……これ、うちの慰霊堂……この子たち、つい最近、居なくなった」
ペンギルも身を乗り出してその写真を眺める。
「た、たしかに彼らですっ!」
「二人なら、確証」
「ど、どういうことですの?」
場についていっていないフリルは質問をする。
「つまり。コマチの家は神社でしょ?
その神社から、その供養されるべきぬいぐるみたちがいなくなった。
そしてそのぬいぐるみたちがペン太を襲ったということ。大方当たっているでしょ? オーケー?」
「オーケー」
グリズのまとめにコマチはグーサインを出す。
「おーけぃ……」
何とか理解できたのか弱々しく、フリルは頷く。
「おーいぇい! というかコマチちゃんの家って神社だったんだ。初めて知ったよ」
フェルトは変なハイテンションで聞く。
「うん。一応」
「およ? ということは、巫女さん? 巫女さんなの?」
「うん。一応」
「うわぁ、あとで写メ送って!」
「断る」
「えー、いいじゃん。十代のピチピチ巫女さん。
神聖な感じがいいんだよね。ああ、想像しただけでお腹一杯……」
「フェルトちゃん、大丈夫?」
「さ、さあ?」
レースとスティングは無駄にテンションが上がっている
フェルトを引きつった顔で眺めてそんなことを漏らす。
「ああ、フェルトってね。恐い話が続くと、ああやって自我を保とうとするんだよ」
いぬくんが補足。ほっとけば治る。その言葉を信じ、他三名は話を続ける。
「コマチ。ぬいぐるみが居なくなったって事件を詳しく教えてくれない?」
今度はレースが質問する番だ。
「分かった。これ先々週の話。ウチの慰霊堂、供養のために預かった、
ぬいぐるみいっぱい――供養の前日、ぬいぐるみ、数体居なくなっていた」
「単に見間違えとかいうオチじゃないですわよね?」
「警察もそう言った。私、そんなミスしない……鍵、内側から開けられていた」
「そのぬいぐるみって、普通のぬいぐるみ? それともペンギルのように魂を持ったもの?」
「大半は普通のぬいぐるみ……けれど、中には壊れたアーティファクトもあった」
「あーてぃふぁくと?」
冷静さを取り戻したフェルトは質問する。
「アーティファクトって言うのは物に人工的に魂を入れて意思を持たせた物のことを指した言葉だよ」
博識なスティングは模範解答の答えをフェルトへと返してやる。
「じゃあ、いぬくんもアーティファクト?」
「うん。そう呼ぶのは間違いじゃないけど……
アーティファクトっていうのは今では一種の差別用語なんだ。
昔は魂の篭ったぬいぐるみのことも呼んでいたみたいだけど、
人形に人権が出来たときに、一般にパートナーとか呼ぶようになったんだ」
「へぇ、死語なんだ。〝あーてぃふぁくと″って。〝ナウい〟とかと同じで」
「ちょっと、違うかなぁ……」
理解できたのか定かではないフェルトを置いて、話は進む。
「警察、〝ぬいぐるみが動き出して、中から逃げ出し持ち主のところへ帰った〟……そう結論付けた」
「へぇ、世が世ならすごい〝サイコー″な見解ね」
捜査の怠慢を皮肉ったようにレースは言葉を吐き捨てた。
「ぬいぐるみの状態、この目で見た。酷くて動けるような状態じゃなかった。
俗に言う死。それでも誰かが動かした」
「誰かって……何者ですの?」
「血染め兎」
その言葉にその場に居たみんなは固まってしまう。
「そんな、ありえませんわ。いるか分からないようなウサギが動かないぬいぐるみを操り、
人を襲うなんて」
フリルはまったく持って信じていない口調だ。
「実際に、レース。襲われた」
「そ、それは、おそらくウサギの話を知っている愉快犯が話題作りのためにやったことですわ」
「ぬいぐるみに人を襲わせる。確かに可能。
けれど、その日は雨。ぬいぐるみたち自分の意思では動けない」
いぬくん、グリズ、その他のぬいぐるみがそうであるように
アーティファクトの力は雨によって弱まる
。それを考慮すれば普通の人間が自分のぬいぐるみを操り、人を襲わせる線は極端に白になる。
「じゃあウサギが犯人ならばそもそも、雨の日に動けないはずじゃなくて?
ウサギもぬいぐるみなんですから」
「確かに……けど、私思う。血染め兎。この世のものじゃない」
「幽霊とでも? 夢を見過ぎですわ!」
「神社の一族。霊魂信じている」
相入らない意見でフリルとコマチの意見は真っ向から分かれてしまう。
「スティングはどう思いますの?」
「えっ、僕は幽霊とかそういうものは少し信じられないかな。
ぬいぐるみが盗まれたことと事件はなんらかの関係があるとは思うけど」
理論派の彼らしい意見だ。
「私はコマチの意見に賛成だわ。この目であのウサギを見てしまったんだからね」
委員長はコマチの幽霊説を推す。
二対二。自然とみんなの目は意見が聞かれていないフェルトへと注がれる。
「私は……分からない。幽霊みたことないから、
コマチちゃんの意見にも納得できないことがいっぱいあるし、
だからといって人間が起こすには大掛かり過ぎると思うんだ……」
「はっきりしない意見ですわね」
「……けど、傷つけられたぬいぐるみも、
供養されるはずだったぬいぐるみも〝物〟じゃないんだよ。
なのに……道具みたいに……私は犯人を捜したい、
そしてそのことをしっかりと受け止めてもらいたい。そう思ったの」
いぬくんをしっかりと握り、フェルトは力強く答える。
「フェルトの言い分、正確。ここで推理していても、何も解決しない」
「そうですわね。犯人が人間でも幽霊でも、許しがたいことをした罰は背負っていただかないと」
割れていた意見はフェルトの言葉により一つになる。
彼女が思うように、みんな針師としてぬいぐるみを愛しているのだ。
「フェルトちゃん。いいこと言うね」
「ええ。いつもこのぐらいのことを言えればいいんだけどね」
スティングとレースはささやかにフェルトを褒め称える。
場の雰囲気は一転し、良くなり、フェルトは勢いよく叫んだ。
「ということで、ここに犯罪捜査機関、ウサ耳会を開設いたします!」
「ええーっ!」
そこに居た全員が綺麗にハミングし絶叫をあげた。
「もちろん会長は私、委員長が副会長、コマチちゃんは書記、スティングくんは会計」
「ちょ、ちょっと……私は?」
「フリルは――パシリ」
「ちょ、ちょっと、あんまりですわ! 断固、会長の辞任を要求しますわ!」
「えーっ! ヤダヤダー。私が会長ったら会長なの!」
駄々をこね始めるフェルト。その他の三人は呆れ顔だ。
「いつも唐突なのよね。フェルトってば」
「あはは……それがフェルトちゃんの良い所でもあるし……」
二人は日常茶飯事ということもあり冷静に見解を語っていた。
(書記……秘書みたいで格好いい……かも)
コマチは妄想に浸り、
「もうっ、会長の座を明け渡しなさい!」
「やだねー」
チビッコ二人は会長の座を奪い合う。
怪我人がいるというのにドンチャン騒ぎでレースがお開きの合図を出すまでそれが続くのであった。