第二章 血染め兎の伝説②
教室に入るとなんだかクラスがざわついていた。
フェルトは直観的に何かが違うと感じた。
「おはよー」
「あっ、フェルトちゃん、おはよ……」
クラスメイトの挨拶もどこかぎこちない。
「どうかしたの?」
「ううん……なんでもないよ」
口でそう言っているものの彼女の表情は芳しくない。
だが、フェルトは無理に聞こうとはせずに席に座る。
今日は早く来たということもあって空席が目立っている。
丁度フェルトが席に着いたときにコマチが教室へと現れる。
「あっ、おはよ、コマチちゃん」
「おはよ……」
彼女は静かに席に着く。教室の異変に気が付いていないのか彼女は早速読書を始める。
「ねぇ、コマチちゃん。今日、何だか変じゃない?」
「変?」
「うん。教室が騒がしいっていうか……」
「……」
コマチはおもむろに辺りを見回す。
「どこが、変?」
彼女は疑問を顔に浮かべる。
どうやら本当に教室の異変に気がついていないらしい。
「どこがって言われると、分からないけれど……なんか余所余所しいっていうか……」
フェルトは曖昧な答えを出す。
それもその筈だ。フェルトさえも何がいつもと違うのか分からないのだから。
「いつもと変わらない」
「うーん……そうかなぁ……」
教室の中を眺める。談笑している生徒、予習に追われている生徒。
確かにいつもの風景だ。けれど、どこか違和感を感じる。
「おはようございますわ!」
息を切らせながらフリルが教室の扉を開く。
今日はチャイム五分前、彼女としては相当いいタイムである。
「あら、フェルト。今日は早いですこと」
「うん……まあね。ねえ、フリル。今日、変じゃない?」
「えっ? 髪型、崩れてますの?」
フリルは慌てて手鏡を取り出し、前髪を直す。
確かに彼女の髪型は崩れているが、今はそういう〝変″を求めているわけではない。
「そうじゃなくて、教室? どこかおかしくない?」
「別に何も感じませんけど?」
「そう……気のせいかな?」
フリルも先程のコマチと同じような困惑したリアクションを取る。
どうやらフェルトの勘違いの疑いが強まってきた。
思考をしている間にも時間は過ぎ、HRの開始のチャイムが鳴る。
そこで違和感の正体をフェルトは知ることとなる。
先生が入ってきても、号令が掛からない。
それもそのはずだ。
いつも号令をかけている委員長の席は空。
教室のそこだけが寂しげにポッカリと何も無い空間を作り出しているのだ。
「えーっ、一部の生徒は知っていると思うけれど、レースさんは訳あって欠席です。
副委員長、号令よろしくね」
「あっ、はい。キリーツ。レイ――」
ざわめく教室には聞きなれた声ではない号令が響く。着席したところで先生は会話を続ける。
「今日の一限目は急きょ全校集会になりました。欠席も取るのでみなさんサボらない様に――」
「いぬくん。なんだろうね? 全校集会なんて?」
「誰かが万引きでもしたんじゃないかな?」
「そうなのかな?」
朝方の体育館の内部はひんやりとしている。
そこへ全校生徒が押し込まれる。
いつもは針師のクラスしか見ていないので然程人数というものを感じなかったが、
こうして他の学課が集まると、全校生徒は随分と多く思える。
背の順に並ぶので、フェルトとフリルはクラスの最前列。
クラスごとに二列なので優劣はつかない。
ここに三人目のチビッコキャラがいたらこの場は修羅場と化しているだろう。世界は案外良くできているのだ。
生徒会長の挨拶で会が始まり、偉そうなハゲ頭がステージ上へと現れる。
言わずと知れた人物。校長先生だ
。一礼をしたときにどうしても頭の天辺に目が行くのはご愛嬌。
そんな様子にフェルトは慣れたものであった。なぜなら彼女の父親も同じ人類――
校長先生は話が長くなると踏んだのか、全校生徒を着席させる。
フェルトはいぬくんを足の間に挟み、体育座りを取る。
フェルトは気取って女の子座りでグリズを抱いている。
「えー、今朝、このように集まっていただいたのは他ではありません。
一部の生徒は知っているかと思いますが、ある事件に本校の生徒、
および、そのパートナーが巻き込まれたからです」
マイクで拡張された校長先生の声に館内は騒然とする。
「どういうこと……」
フェルトもフリルも目を丸くしてステージ上の人物を見る。
このおじさんはなに冗談を言っているのだろうか?
だが、校長の表情にはそのようなふざけた感情は一向に表れない。
それだけで彼の言ったことが真実だとフェルトは分かってしまった。
彼は騒ぐ生徒をなだめるかのように静かな口調で言葉を続けた。
だが、そんな言葉もフェルトの耳に入ってはこなかった。
詳しい話を知らされずに臨時の集会は幕を閉じる。
三十分ほどで終わってしまったので自動的にLHRとなる。
とはいっても先生の言おうとしたことは校長にほとんど説明されている。
なので担任も適当なことを言って、早々に職員室へと切り上げてしまった。
先程の騒ぎの余韻が抜け切れず、クラスはざわついていた。
まるで朝の違和感がこのことを暗示していたように感じる。
「ふう、大変なことになっちゃったね」
「あっ、スティングくん」
珍しくスティングからキルトへ会話をしてくる。
「針師クラスから三人も被害者が出ているなんて思わなかったよ」
「うん。私もびっくりした」
三人という数字は校長が示した数字だ。
プライバシーの関係でか詳しい名前は伏せられていたが。
「ねぇ、もしかして、その一人って委員長なのかな?」
フェルトは耳打ちをする。
「あれ、フェルトちゃん、知ってたんじゃ?」
意外なことにスティングは驚いた表情を見せた。
「えっ? やっぱりそうなの!」
「まあ、大声では言えないんだけどね――」
「委員長大丈夫なの? 怪我とかしてないよね? まさか死んじゃったとか――」
「フェルトちゃん、落ち着いて!」
「あっ……ごめん」
取り乱してスティングの顔先まで自分の顔を近づけてしまった。
いつもならばドキドキするところだが今は委員長が心配である。
「委員長に怪我はないよ……ただ、ペンギルが、少し怪我をしただけ」
「えっ、ペン太くんが? 大丈夫なの――」
フェルトが出てくる前にスティングはその肩を抑える。
「うん。とりあえず修復も可能だし、大丈夫だって、委員長は言ってたよ」
「良かった……」
フェルトは肩を撫で下ろす。ぬいぐるみといえど命は有限ではない。
一度壊されたぬいぐるみは元に戻す――とくに以前の記憶を呼び覚ませるのは難しいとされている。
彼の言葉のニュアンスからはその心配はないと読み取れるのだから。
「朝来たら大人しかったから、フェルトちゃん知ってるかと思ったよ」
「ああ、それは違和感っていうか、
今、思えばクラスメイトの何人かが余所余所しかったことがちょっと気にかかっていたみたいだ」
「へぇ……僕以外でこの話を知っていたのは数人だって言うのに、フェルトちゃんって案外鋭いんだね」
「あははは。案外……ね」
「あっ、いや、そういう意味じゃなくて――あっ、チャイムだ。次の時間の準備しなきゃ」
「あっ!」
スティングは面倒になるのを察したのか、その場から足早に立ち去った。
その日は授業に身も入らなく――あっという間に時間だけが過ぎていった。
周りのみんなも心ここに在らずというか、なんとなくボーっとしていた。
きっと事件について考えているのだろう。詳しいことは知らされていないが襲われたのは全員、
針師とそのパートナーなのだ。
次は自分が襲われるかもしれない。そんな不安もあったのかもしれない。
その日の放課後は晴れ。いつもならば校舎を駆け出して、
家まで一直線に走り、冷蔵庫を開け、ソーダを飲みながら、
ソファーで漫画を読むところなのだが……
「なんでこんなにいっぱい居るんですの?」
イライラ口調で呟くはフリル。
「なに文句言ってるの? 飛び込みはフリルのほうでしょ?」
渾身のフェルトの応対。
「まあまあ、お見舞いなんだし、ペンギルもこれだけ心配されていると思うと元気になるんじゃない?」
なだめるスティング。その顔はニコニコ、タジタジ。
「~~~~~(イアホンから漏れ出す、陽気なリズム)」
無表情で集団についてくる、コマチ。
「って、何で貴方までいるんですの?」
いつ来るかと思ったが、今来た。フリルのツッコミが。
「お見舞い」
ツッコミされるのを待っていたかの如く、コマチは胸元からお見舞い用の魚の干物を出す。
「どこからそんなものが出てくるんですの! それになんで魚ですの!」
「ペンギンは魚大好き……ちなみに百太郎のオヤツ」
コマチのパートナー、海亀の百太郎はフンフンと鼻息を荒立てながら、
オヤツであるはずの干物を睨みつけている。
「まあ、いいじゃん。コマチちゃん、根暗なんだからすごいレアイベントに参加していると思えば」
「フェルトちゃん。本人がいる前なんだけど……」
スティングは顔を引きつらせて、コマチの機嫌を伺う。彼女は無反応、
どうやらあまり気にしていないらしい。
「あーあ、せっかく、スティングと二人きりになれると思い、
わざわざレースのお見舞いに来ましたのに、とんだ邪魔が入りましたわ」
「何言ってるのフリル。襲われるのが恐くて、この集団に飛び入りしたくせに」
グリズはいつもの横槍。
「もうっ、グリズは一言余計なのですわ!」
お見舞いだというのにいつもと変わらぬ一行であった。
学校から徒歩十五分程度で目的地の場所にたどり着く。そこは市内のマンション街であった。
「ぴんぽーん!」
三階のある部屋でフェルトはインターホンを鳴らす。
「フェルト……呼び声、いらない」
「いいの。こっちの方が雰囲気出るでしょ」
「あはは。何の雰囲気だろ?」
チャイムを鳴らして、十数秒でレースが玄関へと現れる。当然ながら私服だ。
「あら、みんな来てくれたんだ」
「ごめんね。誘ったらこんなにたくさんになっちゃった」
スティングは後ろの三人を見て、苦笑する。
「いいのよ。ペンギルも喜ぶわ。さあ入って」
四人は玄関をくぐり、家の中へと案内される。
「ねえねえ、フリル」
「なんですの?」
「委員長って私服で見るとスタイルいいよね。知らなかった」
「ぐっ……確かに。特にあの胸……反則ですわ」
「そうだよねー。何食べてるんだろ?」
「同感」
「わっ、コマチちゃん!」
そんな二人の後ろからいきなりコマチが湧き出してくる。
「食生活……興味ある」
「だよねえ。コマチちゃんもそういう年頃だよねぇ」
「逆……バスト……邪魔」
フェルトはコマチの胸部を見上げる。そこには彼女らにはない膨らみが服の上からも確認できた。
「う、裏切り者ー!」「ですわーっ!」
二人は泣きながら奥の部屋へと敗走していった。