第二章 血染め兎の伝説①
雨、それは元来大地に恵みをもたらすもの。昔から重宝された自然の恩恵。
しかし、コンクリートで舗装された大地はその恵みを頑なに拒んでしまう。
人間の心もそうだ。服は濡れるし、歩きにくいし――詰まるところ、雨は嫌われ者なのである。
教室の中はどんよりとした空気に見舞われている。
今日の予報では降水確率三十%。しかし現に外では大粒の雨が降っている。
教室のガラス越しに聞こえる雨音は不協和音の如く、心を不快にさせる……
「あー、だるい……」
フェルトの隣でいぬくんは机に突っ伏した。
いつもならば「お弁当だ!」と、はしゃぐのに今日はその気力も無いらしい。
彼だけではない教室中のぬいぐるみたちが、まるで負のオーラを纏っているようだ。
食べて、寝れて、動ける、彼らだが、基本ぬいぐるみなのだ。湿気には弱い。
いつもなら休み時間に毛繕いをしているオシャレクマ、グリズでさえ、
今日は、ぐったりとフリルにもたれ掛かっている。
「ほら、いぬくん。お弁当食べよ」
「いい……要らない」
「そう……」
大好きなチョコレートを前にしても彼は元気な姿を見せない。
フェルトは流石に心配になる。とはいっても何もできないのだ。
せめて学校に除湿機でもあればいいのだが。そう思う。
「ふう、参ったね」
「あっ、スティングくん」
いつもならば一人どこかで食事をする彼も今日は教室に引きこもっているようだ。
その肩には七色のカメレオンがぐったりと垂れ下がっている。
「ルーシーも元気ないね」
「うん、こんな雨だと流石にね。隣いいかな?」
「あっ、うん」
(ラッキー。雨も結構いいことあるじゃん)
フェルトは心の中でガッツポーズ。もちろん彼には悟られないように。クールに。
それを知らずにスティングは隣の席に腰を下ろし、弁当箱を広げる。
今日も彩り豊かなお弁当だ。こんな状況を見たらすぐ飛び出してくるライバルもいない。
これでゆっくりと二人きりでお弁当が食べられる――という幻想。
「あっ、委員長、一緒に食べよう」
トイレか何かで教室に戻ってきた委員長をスティングは誘う。
「ええ、いいわよ」
当然の如く、委員長は肯定の返事を返す。断る理由など何も無いのだから。
レースはスティングの前の席に腰を下ろす。
フェルトの睨みも彼女には効いていないらしい。平然とお弁当を食べている。
「あれ? ペン太くんは?」
フェルトは疑問を投げかける。
ペン太くんというのはレースのパートナーでペンギンのぬいぐるみのペンギルのことだ。
フェルトは勝手にペン太くんと呼んでいる。
いつもオドオドしていて影が薄いが、レースの近くに居ないのは珍しい。
「ペンギル、今日は雨だからね。動きたくないって」
彼女が指差す方向には椅子の上でグテッとしている黒色のペンギンがいた。
あの様子じゃ、相当参っているらしい。
「はぁ、雨は嫌だよねー。梅雨時になったらどうなっちゃうんだろ?」
「僕の場合は乾燥剤を入れた袋にルーシーを入れておくことが多いかな」
「でも、いぬくんは狭いところ苦手なんだよね。
ロッカーに押し込めたりするとすぐに暴れだしちゃうもん」
「フェルト……パートナーをロッカーってちょっと酷い気がするんだけど」
湿気対策の話題で三人は盛り上がる。しかしその話題は突如終わりを告げる。
飛び出してきた小動物に〝水を差された〟のだ。
「ちょっと、貴方たち! 何故、私の居ない間にスティングを囲んでいますの?」
「あっ、うるさいのが来ちゃった」
「うるさいとは失礼ですわ! フェルト。貴方の方が騒がしいですわ!」
「なにをー!」
フェルトとフリルは火花を散らす。
「はいはい。ぬいぐるみたちも調子悪いんだから大声出さないの」
「ぐっ」
レースの一言で闘志という火は消し止められた。しかし、まだまだ一触即発ムード全開な二人。
「あっ、フリルちゃん。今日も購買のパン買えたんだね」
スティングの言う通り、フリルの腕には三種類のパンが抱えられている。
見たところ、ピーナッツパン。三色サンドイッチ。
そして驚くことに購買名物〝どらごんぱん″を彼女は手にしていた。
「うそぉ? 〝どらごんぱん″買えたの?」
「すごいガッツね……見直したわ」
フェルトもレースもそのパンを見た瞬間に態度を改める。
「当然ですわ。私に不可能などありませんもの」
誇らしげにパンを掲げ上げるフリル。
しかしその行為はこのパンを手に入れたものに相応しい。
この学園では昼時に食堂の人口密度が最高潮に達する。
その理由は食堂でパンを販売するからである。
そこは言うならば戦場、老若男女、先生、生徒、ぬいぐるみ関係無しでパンの争奪戦が始まるのだ。
それを制した者だけがパンという名のトロフィーを得られるのである。
中でも一番人気が〝どらごんぱん″一日限定五個しか出ないという、
最高クラスのレアアイテムである。このパンを得るために、日々、人々は戦い続けているのだ。
「ねえ、フリル、どらごんランキング何位?」
「トータル12個で127位ですわ」
どらごんランキングとはこのどらごんパンの購入数のトータルで争われるランキングのことである。
四年間の学生生活の中でこのランキングに名を残すことは最高の名誉であり、
殿堂入りした生徒は伝説の存在として崇められるのだ。
フリル以外にもこのランキングを目指し、日々戦う戦士たちは大勢居るのだ。
「ねえ……フリル……少しちょうだい?」
フェルトは態度を翻して、おねだりモードになる。その姿はプライドもへったくれも無い。
「ダメですわ! これを手に入れるためにどれだけ努力したか――」
「だってぇ……お願い!」
ライバルに頭を下げるフェルト。それだけどらごんぱんの魅力は凄まじい。
「頭を下げられたって無理ですわ!」
無慈悲にもフリルはどらごんぱんを口に運ぶ。
「美味しい。今日の中身はフカヒレですわ!」
どらごんぱんの中身は日替わりである。
一個100円だというのにその中身は豪華でフカヒレ、マツタケはおろか、
世界三大珍味までもが潜んでいるのだ。
そしてその味は美食家さえも唸らすほど。
「うわぁぁん……私のフカヒレがぁ……」
「ふふふ。いい眺めですわ」
今日の勝負には完全にフリルに軍配が上がっていた。
「ほら、グリズ。どらごんぱんですわ」
「んー? あら、美味しいわ」
最後の一口を自分の席のグリズへと食べさせる。
先程までぐったりとしていたグリズも少し元気を取り戻したみたいだ。さすがどらごんぱんである。
「何だかんだ言って、フリルちゃん優しいよね」
スティングはそう呟く。
(はうう……今日は完全にやられたよぉ)
フェルトは負けを認め、今日という日を大人しく過ごした。
「うぬぬぬぬぅ……プハァ……いいお天気だねぇ」
フェルトはそんな奇妙な声で背伸びをしながら隣の姉に話しかける。
「そうね。昨日の雨が嘘みたい」
今日の天気は予報通り、快晴。昨日できた水溜りはキャンパスとなり、空の青を映し出している。
「というか珍しいわね。フェルトが寝坊しなかったなんて」
「そりゃ、そんな日もありますよ」
「ふふ。今日もまた雨かしら」
「もーっ! 素直に起きれたことを褒めてよ」
「はい、はい。偉い、偉い」
「えへへへ――あっ、いぬくん水溜りあるよ」
いぬくんを抱え上げ、彼を水浸しから回避させる。
「フェルト、甘やかしすぎではないのか?」
隣のウルフィーは自分で水溜りを避けながらフェルトにそう忠告する。
「何? ウルフィーも抱っこされたいの?」
「誰が……」
ウルフィーは軽口を叩くフェルトにそっぽを向く。
「もうっ、ウルフィーは素直じゃないな――えいっ!」
フェルトは彼の尻に襲い掛かり、一気に抱きかかえる。
「何を! 降ろせ!」
「ほら、照れないの」
ジタバタと暴れるウルフィーをフェルトは、がっしりと押さえ、放さない。
「こらっ、フェルト。止めなさい。ウルフィー嫌がってるでしょ」
「えーっ! 嫌だよ。ウルフィーすごい、いい匂いするんだもん――ンフンフ」
フェルトは鼻をウルフィーの毛皮に当て、匂いを吸い込む。
「こらぁ! オレの匂いを嗅ぐな!」
「きゃぅ――!」
犬足の後ろ蹴りでフェルトは通路へと転び、ウルフィーは彼女の腕を飛び出し、
地面へと着地する。そしてすぐさまフェルトと距離を開ける。
「痛いなぁ……お尻ぶつけた……」
「自業自得だ……」
ツンとした態度でウルフィーは一人先へ行ってしまう。
でもその頬は紅く染まっている様に見えたのはフェルトの勘違いだろうか?
「ほら、フェルト、いつまで座ってるの。スカートの中の縞々が丸見えよ」
「もう、お姉ちゃんのえっち」
気にしてもいない癖にフェルトは思わせぶりにスカートを抑える。
「あっ、スティング君が見てるわよ」
「えっ!」
疾風迅雷。フェルトは立ち上がり、スカートを整える。
「スティングくん!」
キョロキョロと辺りを見渡すが、彼らしき人影はいない。
「あはは。冗談よ。じょーだん」
「お姉ちゃん!」
手を振り上げて突撃するフェルトを、キルトは鞄を盾にしてかわす。
「もうっ、逃げるなー!」
水溜りを避けながら二人は通学路を駆けて行く。
バシャ――
「あっ、濡れた……」
その後ろでいぬくんが一人、泥まみれになっていることを二人は後々気が付くのだった。