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第一章 針師フェルトちゃんの一日③

「じゃあねー」

フェルトはそう言うと、教室を飛び出した。彼女の行き先は四年生教室だ。

「あれっ? フェルトちゃん。何か御用?」

教室の前の女子生徒にフェルトは呼び止められる。確か彼女はキルトの親友であった。

「すいませーん。お姉ちゃんお願いします」

「ええ、いいわよ」

そういって、女子生徒は教室へと消え、中から代わりにキルトが姿を現す。

「お姉ちゃん。迎えに来たよ」

「早いわね」

「えへへへへ。そりゃ、お姉ちゃんとの折角のデートだもん」

「嬉しいこと言ってくれるわね。じゃあ早速、行きましょうか」

「うん」

二人プラス二匹は目的の場所へと向かい歩き出した。

「今日ねー。スティングくんの女装見れちゃったんだ。可愛かったなぁ」

「そう。良かったわね」

フェルトは今日の学校であった話を姉へと伝え、キルトはその話をしっかりと聞いてやる。

これは日常的な風景であった。フェルトとキルトは学校の中でも仲の良い姉妹として有名である。

今日もそんな仲の良さが拝めそうである。

学校帰り二人が向かったのは駅前の商店街である。

道の左右にショッピングモールを抱えるこの通りは、

辺りじゃ有数のお買い物スポットとなっている。

二人と同じ考えを持った学生や、若者が歩道を埋め尽くしている。

「お姉ちゃん、今日は何をお買い物に来たの?」

「縫い針が折れちゃったから、それと、あとは刺繍糸ね」

「へぇー。私も何か買おうかなー」

フェルトはショーウィンド越しに店を眺める。店の中には様々な彩色の衣服が並べられている。

「ここも、私たちの学校出身の針師が経営してるのよね」

「そうなんだー」

その言葉を聞いてフェルトは一層熱心にその衣服を眺める。

将来、もし、自分の店を開いたら――自分の未来のヴィジョンを頭に描きながら、彼女は見つめるのだ。

「フェルトー。何してるの?」

「うん。今行くよー」

いぬくんの声に足早にその場所を離れた。

だがその頭の中では、ひたすら自分の未来予想図画が広げられていた。


一向は目的の店に着く。そこは商店街では一際大きい、針専門店であった。

ここは本職の針師も候補生も良く使う有名なお店である。

もちろんフェルトもキルトも針を折ってしまったり、無くしたらここに来るのだ。

「いらっしゃい」

扉を開くとカウンターのおばさんが挨拶をしてくる。

二人は会釈をして店のフロアへと入る。

店の中にはここぞと言わんばかりに様々な種類の針が置かれている。

黄金色に輝く縫い針や誰が使うか分からないほどの人差し指ほどある大きな針など。

あらゆるニーズの針がここには揃っている。

それをすべて作っているのが〝針職人〟である彼女だ。

〝針職人〟とはその名の通り、針を作る職人であり、針師を支える大切な役割を担っている。

職人は多種多様で〝糸職人″や〝グルーガン職人〟などもいる。

道具を揃えるならば、一流の職人が開く専門店で買うことが、針師としての暗黙の了解でもあるのだ。

店に入るとキルトは口を閉じてひたすらに自分に合う針を探す。

その様子をフェルトは固唾を呑んで見守った。

針といえば針師の命でもある道具。

その重要性をフェルトも十分に承知している。

だからちょっかいを出すことなく自分も店の中を見て回っていた。


そんな彼女の目にあるものが飛び込んできた。

それは店の奥の一際目立つショーケースに入った一本の針であった。

「すごーい。真っ黒な針だよ。いぬくん」

「見えないよ。フェルト」

「はい。これで見えるでしょ?」

「うん。大丈夫」

フェルトはいぬくんを抱え上げ、一緒にショーケースを見る。

「これって何の針だろ?」

「なんか不気味だよね」

失礼ながら、いぬくんはそんな台詞を漏らす。

しかしフェルトも先程からなんとも言えない感覚に落ちいっていた。

まるでこの店の、この周囲だけが寒いような、そんな感覚だ。

「お譲ちゃん。その針に興味があるのかい?」

いつの間にかフェルトの後ろには老いた男性が立っていた。

黒い長い髭を生やし、白髪交じりの髪の毛をしているが、

その腰はピンとして曲がっていない。

もしかしたらフェルトが思ったよりも歳が行っていないのかもしれない。

「えっと、この針って何なんですか?」

「それは呪いの待ち針だよ」

「呪い……ですか」

「そうだよ。見てみなさい」

老人はフェルトの横に来て、ショーケースの中を覗き、針を指差す。

「この針は実は白銀の色をしていたのだよ。けれどもある日、色を変えたのだよ」

「えっと、何でですか?」

「この針は人を殺めているのだよ」

「あやめて……殺めて? えっ、えっ?」

予想も出来ない言葉にフェルトの頭はついていかない。

だが男はお構い無しに話を続ける。

「ある所に女の子が居た。その子はある男の子が好きでね。

だけど彼には付き合っている女の子が居た。

ある日それを嫉妬した女の子が彼の恋人を殺してしまったのさ。針で何回も何回も瞳を刺してね」

フェルトは何も出来ずに、その場で震え上がっている。

「その子の血で染まってこの針はこのような黒色に変色したのだよ。でも話には続きがあって――」

「やめてーっ!」

フェルトは耳を押さえ絶叫し、その場にうずくまってしまった。

彼女はこの手の話が極度に苦手なのだ。

最初の呪いと言う言葉を聞けただけでも耐えたほうである。

「ふぉふぉ。お譲ちゃんには恐かったようだな。悪いことをしてしまった」

男性はフェルトの頭を撫でると、掌に握られた何かを彼女へと差し出す。

それは虹色の包み紙に包まれた飴玉であった。

「あ、ありがと」

「なあに、怖がらせてしまった償いだ。それよりもお姉さんが呼んでいるぞ」

「えっ、あっ、本当だ」

遠くの方から、フェルトを呼ぶ声が聞こえてきている。

「じゃあね。おじいさん……って、あれ?」

先程まで居た男性はその場から姿を消していた。

奥の扉にでも入っていったのだろうか? 

大した疑問も覚えずにフェルトは呼ばれる声のするほうへと向うのであった。

「フェルト、おまたせ」

キルトに合流すると、その手にはラッピングされた針が握られていた。

フェルトが立ち話している間に清算を済ませてしまったみたいだ。

「次は糸屋に行くけど、いい?」

「うん」

キルトはフェルトの言葉を聞き、店の出口へと向う。

フェルトはもう一旦、店の奥を見る。そこには先程と同じようにショーケースがあるだけであった。


キルトの買い物に付き合い、ストリートを詮索する。

フェルトは刺繍糸セットを奢ってもらいご機嫌だ。

「フェルト、折角だし、コーヒーでも飲んでいく?」

「行きたいけど、お金あんましないよ」

「分かってるわよ。今月も新作コミックたくさん買ったでしょ?」

「うっ……バレてる」

「後期実習でお金も溜まったし、少しぐらい奢ってあげるわよ」

「本当? やったぁー!」

「その代わり、私にもあの漫画読ませてね」

「うん。もちろんだよ!」

ご機嫌に拍車がかかり、フェルト一行は通りにあるファミレスへと向う。

店員さんに案内され、テーブルに着くと、フェルトは早速、メニューを開く。

「うわぁ、春の新作デザート出てるよ! 美味しそうだね」

いぬくんにメニューの半分を見せながら、フェルトはそう漏らす。

「ウルフィーは何か食べないの?」

「いい。夕食のドッグフードが不味くなるからな」

「まったく。いつも遠慮がちね」

キルトはやせ我慢をしているウルフィーの頭を撫でてやる。

「おねーちゃん。これ頼んでいい? いぬくんと二人で食べるから」

彼女が指差したのはヨーグルトサンデー。少々小さいが値段的にはリーズナブルである。

「いいわよ。私はこっちのチョコレートパフェでも食べてみようかしら」

「じゃあ、押っしまーす!」

フェルトはボタンを全力でプッシュする。

店員さんにメニューを告げると、その後はしばしの雑談タイムだ。

「ねえ、お姉ちゃんってもう少しで本実習なんだよね?」

「ええ、そうよ」

本実習といいのは三年後期から四年後期まで半年ごと、

計三回行われる、借り店舗を使っての演習のことである。

「そっか、三年後期実習じゃ一位だもんね。次も絶対トップだよね?」

「どうかしらね。他のみんなもやる気を出してきているみたいだし」

キルトは冷静な目で物事を見ている。

そんなストックさも彼女に実力を与えた要因の一つであった。

「でも、四年の結果で就職先とか決まっちゃううんだよね」

四年の成績は本実習の売上金で実質決まる。

これの成績を見て各企業はその人をスカウトするのだ。

したがって成績の良い人はいくらでも自分の進みたい道を歩める仕組みになっている。

「だから、フェルトも頑張りなさいよ。

四年時の売り上げが大半を占めるからって勉強の成績を甘く見ていると、

三年後期の本実習で苦労するんだから」

「うう……べんきょーも頑張ってるって……」

そう言ったものの、彼女の口調は弱々しい。

「あなただってパパとママみたいなリッパな針師になるんだって、いつも言ってるじゃない」

「そ、そうだけど、勉強、苦手……」

「夢があるんだからしっかりと精進しなきゃ、掴み取れる夢も有耶無耶になるわよ」

(あー、お姉ちゃんの説教が始まっちゃった……)

それからパフェが届くまでフェルトはキルトの説教を延々と聴かされるのであった。



「ただいまー」

二人は玄関を開け、家に転がり込む。

「こーら、フェルト。靴を揃えなさい」

「はーい。いぬくんやっといて」

「自分でやれよ、フェルト」

「いいの、主人命令!」

「もうっ……」

いぬくんは律儀にフェルトの脱ぎ捨てたスニーカーを揃える。

「おかえりなさい」

リビングに入ると、ソファーに男性が座っていた。

頭の天辺からおでこの辺りにかけて頭皮が広がる彼の名はブレンス。

キルトとフェルトの父親である。こんな、身なりではあるが彼は有名な一流針師である。

だがハゲである。

「パパ、ただいまー」「ただいま」

「二人ともお帰り。今日もキュートだな」

「もう、パパったら」「恥ずかしいからやめてよね」

姉妹が別々のリアクションを取る。ブレンスからすればキルトは反抗期に見られているに違いない。

「あらっ、フェルトちゃん、キルトちゃん。お帰りなさい」

台所からは茶色の髪を伸ばした、ほんわか系の女性が現れた。

その顔つきはキルトとフェルトそっくりでクリクリした目はフェルトそのものであった。

彼女の名前はリース。見た目の通り、フェルトたちの母親である。

「ママー。今日の晩御飯は?」

「うふふ。フェルトちゃんの大好きなハンバーグよ」

「やったぁ! いぬくん、聞いた? ハンバーグだよ! お肉の王様だよ」

「ボク的にはステーキが王様だと思うんだけど」

「えーっ! 絶対にハンバーグだもん!」

また不毛な争いが巻き起こった。これは〝第一次お肉王戦争〟と呼ばれたとか――

「ママ。晩御飯できるまで宿題やってるから」

「あら。キルトちゃんはおりこうさんね。フェルトちゃんは?」

「ご心配なく。居間でパパとテレビでも見てるよ」

「うふふ。そう。パパが野球観戦しているんだからチャンネル変えたりしちゃだめよ」

「はーい」

フェルトはいぬくんを膝に乗せブレンスの隣で一緒に野球を観戦する。

贔屓をしているチームは二点のビハインド。

熱狂的なファンのブレンスは険しい顔つきになっている。

いやテレビに食いついているのは彼だけではない。フェルトも真剣にテレビ画面を睨みつける。

「あっ!」

そんな彼女らの祈りが届いたのか、

ランナー、一,二塁のチャンスに六番バッターのフルスイングがボールに当たったのだ。

「入れ! 入れっ!」

ブレンスに釣られフェルトもソファーから立ち上がり握り拳を振り上げる。

ボールは伸び、レフトスタンドへと消えた。ホームランだ!

「うおおお! ナイススイングだ!」

「やったね、パパ」

二人は見合い、両手でハイタッチをする。


「フェルトちゃん。ご飯できたからキルトちゃんを呼んできてね」

「はーい」

フェルトはその場から立ち上がると、

リズミカルに階段を登っていく。この家は二階建てでフェルトとキルトの部屋が二階にある。

「おねーちゃん! ご飯だよっ!」

部屋をノックするフェルト。

「今行くから」

中からはキルトの声が聞こえた。すぐに彼女が姿を見せる。

「あれ? ウルフィーは?」

彼女の足元にいつものパートナーがいない。変だと思い、フェルトは尋ねる。

「ああ、バルコニーに居るって」

「ふーん。何してるんだろう?」

「私が勉強するから気を利かせてくれたのよ」

「へぇー。そうなんだ。あーあ、いぬくんもそのぐらい気が利けばなぁ……」

フェルトはパートナーの出来の良し悪しについそんなことを零してしまう。

「ウルフィー呼んでくるから、お姉ちゃんは下に行ってていいよ。

でも私のハンバーグ食べちゃいけないんだから!」

「分かってるって。フェルトじゃあるまいし」

彼女は微笑みながら下へと向う。

フェルトは廊下の先にあるバルコニーへと向う。

バルコニーは広くは無い。いつもは洗濯物を干すのに使っている。

そこで空を眺めているぬいぐるみが一匹居た。

「ウルフィー、ご飯だよ」

「ああ、すまない。つい見とれていた」

「ん?」

フェルトが見上げる先には大きな月が出ていた。しかし、月が放つ、その光はいつもと違う。

「うわぁ……すごい。真っ赤だよ」

フェルトは驚いて率直な感想を呟く。

いつもは綺麗な青白い光を放つ月、しかし今日は不気味な赤い光を放っている。

赤月(あかつき)、それは稀に観測される月の現象であった。

赤月が出る夜と満月の夜は何故か犯罪や自殺が急増するらしい。

ある研究者の話では人間の深層心理、つまり隠された欲望を掻き立てる効果が月にはあるらしい。

フェルトはテレビでそんなことを聞いた気がした。

真偽は知らないがこの月を眺めていると……なんだか吸い込まれそうになってくる。

まるで誰かに呼ばれているかのように……

「フェルト。ここは冷える。中に入ろう」

「あっ、うん……そうだよね」

ウルフィーの言葉に我に返り、フェルトはその場を後にした。



その夜のこと、フェルトは眠れずにベッドの上を転がり続けていた。

いつもならばお風呂上りにひんやりとした布団に入るだけで眠くなるというのに今日は眠れない。

彼女はうっかり昼間のおじいさんの話を思い出してしまったのだ。

最後のオチまで聞いていなかったにしろその話を想像したら怖くなってしまった。

もしかしたら、部屋の外から射す赤い光も恐怖を増幅させているのかもしれない。

(ううっ……トイレ行きたくなっちゃった……)

トイレは一階にある。二階のここからだとなかなかの距離がある。

十二時を過ぎ、家の中は静まり返っている。

この状況でトイレに行くこと、それは彼女にとっての試練であった。

「いぬくん。いぬくん……起きて……」

「むにゃむにゃ……ステーキはお肉の王様だぁ……」

「ちょっと、寝ぼけてないで起きて。それに王様はハンバーグだよっ」

「……」

それ以上の返答は望めなかった。

(どうしよう……)

この尿意じゃ朝まで持つかも分からない。

この歳でお漏らしをするのは流石に恥ずかしいというか……切腹レベルだ。

真夜中に自分でシーツを洗う姿を想像し、青ざめるフェルト。

(よ、よし……)

フェルトは勇気を振り絞り、部屋を出る。

廊下は暗闇と沈黙に包まれており、

彼女が一歩踏み出すごとにギシギシと不気味な泣き声を立てるのだ。

足の裏からは、ひんやりとした冷たさがこみ上げてくる。

フェルトは壁伝いに一歩一歩廊下を歩き、階段を下った。

長い道のりを歩き終え、彼女の前にはトイレの扉が見えてくる。

スイッチを入れて、電気をつける。個室というのは恐怖心を煽るものだ。

彼女はどうにか用を足し、帰路へと着く。

帰りもまた暗い道が待っていると思うと足取りは重くなるばかりだ。

そんな中、何か物音が聞こえる。すぐ近い……所からだ。

まるで何者かが何かを探しているような……そんな物音だ。

部屋の明かりは無い。フェルトの頭には泥棒という文字が浮かんだ。

いや最初に浮かんだのは幽霊という文字だったのだが、

その考えを無理やりに消したのだ。

とにかく何物か分からない物音がこうした今も続いているのだ。

フェルトは恐くて、部屋に戻りたかった。

しかし泥棒であったとしたらそれを見逃すわけには行かない。

ドキドキする心臓の高鳴りを押さえ、フェルトは音の方へと歩む。

音はダイニングの方からするらしい。

フェルトは静かに扉を開け、部屋の中を覗く。

しかしそこには誰も居ない。音はさらにその部屋の奥から聞こえてきている。

この先はキッチンで金目の物は何も無いはずだ……フェルトはキッチンの中をそっと覗き込む。


「っ!」

暗闇の中に誰かが居た……その人物は冷蔵庫の中身を執拗に弄り、中から食物を取り出している。


そして、その影は振り向く――


「見たなぁー!」

「~~~~~~~」

その声にフェルトは叫びも上げられずに、その場にへたり込んでしまう。


カチッ――


周りが明るくなった。いったいどういうことだろう? 

いや、電気がついただけだ。

フェルトの前にはパジャマ姿のキルトがいた。彼女は手に夕飯のハンバーグの残りを持っている。

「フェルト、どうしたの? そんな格好して」

フェルトは女の子座りの様な格好で腰を抜かし、

壁にもたれ掛かっている。パクパクと口では何か言っているようだが何も聞こえてこない。

腹話術の人形のような彼女の姿を見てキルトは思わず笑ってしまう。

「あはは。変なの」

「お姉ちゃんが驚かすからでしょ!」

やっと出た言葉は怒り口調であった。

「ごめん、ごめん。勉強してたらお腹すいちゃって、夜食のつもりが、フェルトが来たから」

「もうっ! 先におトイレしてなかったら漏らしてたんだから!」

頬っぺたを膨らましフェルトは上機嫌な姉に食って掛かる。

「だからごめんって言ってるじゃない。ほら、あんたも何か飲む?」

「……ホットミルク……甘いやつ」

「はいはい。分かりました」

キルトは牛乳をレンジでチンし、そこに砂糖を加え、フェルトのほうへと渡した。

キルトの前には余りもののご飯とハンバーグが置かれている。

「はぁ、夜食ってどうしてこんなに美味しいのかしら」

美味しさに酔いしれる彼女とは対照的にフェルトは不機嫌だ。

「夜食は美容と健康に悪いってテレビで言ってたよ」

悪態を突く彼女の言葉を気にせずにキルトはハンバーグの欠片を口に運ぶ。

温まったデミグラスソースの匂いはフェルトの鼻まで届き、鼻腔だけでなく、胃までも刺激する。

(我慢だよ。私。最近太ってきちゃったんだから――)

「ああ、美味しいー」

(はうう……美味しそうだよ……)

姉の頬張る姿を食い入るような目。それは餌をねだる子犬のようだ。

だが無情にも姉はその目に気づかなく――ついに皿の肉の王様は無くなってしまうのだ。

そこに残ったのはデミグラスソースだけ。そのソースさえも今のフェルトには魅力的に思えた。

「ごちそうさま」

キルトはそんな思いを知ってか知らずか、皿に水をかけ、そして洗剤をつけて洗う。

この瞬間フェルトの期待していた展開も泡へと消えるのであった。

「ん? フェルト? 泣いてるの?」

「な、泣いてなんかいないもん! 目にゴミが入っただけだもん!」

「そう? ほらっ、忘れないうちに歯磨きする」

「はーい」

二人並んで歯を磨いた後、就寝の時間が近づく。

だが暗い廊下を目の当たりにしフェルトはあることを思い出してしまった。

食事のくだりですっかり忘れていたが恐くて寝付けなかったのだ。

このまま部屋に戻っても、どうなるか分かったものじゃない。

そこでフェルトの頭にはある解決策が思い浮かんだ。

「あの、お姉ちゃん」

「うん?」

「今日ね……一緒に寝てもいい?」

「えーっ? どうしてよ?」

「だって、昼間、恐い話を聞いちゃったんだもん。それに月が不気味だし」

「んー、どうしようかしら?」

「お願い。今日だけだから」

その動作は子供そのもの。もう十四になるというのにフェルトはまだまだ甘えん坊だ。

別に甘えられるのは嫌じゃない。

けれども自分が家を出るのはもう数年後の話だ。

妹にしっかり自立してもらいたい。そう思うのが姉の本音であった。

「ダメ……かな?」

だが、そんな本心とは裏腹にこんなに可愛い妹を大事にしたいと思うのだ。

〝今日も〟その心の葛藤は優しさに軍配が上がった。

「いいわ。枕を持ってきなさい」

その言葉でフェルトの顔はパッと明るくなる。

「うんっ!」

元気な返事をして彼女は自分の部屋へと足早に入っていく。



「お邪魔しまーす」

遠慮無しにフェルトは姉のベッドへと侵入する。

彼女が小さいお陰でベッドにはまだ余裕があるぐらいだ。

気温も肌寒いので暑苦しくもない。絶好の添い寝日和だ。

「ふふふ。お姉ちゃんのベッド。いい匂い」

「きゃっ! フェルト、どこ触ってるのよ!」

「お姉ちゃんのお胸フカフカ」

「やめなさいよ。あっ……」

「良いではないか。良いではないかー」

フェルトは一向に止める気配がない。

だがキルトも姉として負けてはいられない。隙をついて反撃を試みる。

「フェルトも少しは成長しなさい! おら、おら、おらっ!」

「あっ、お姉ちゃん、くすぐったいよ……」

ベッドの中の抗争はヒートアップする。

(うるさくて眠れん……)

その争いの被害者が部屋の床にいることに二人はまったく気が付いていなかった。


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