第五章 ウサギと幻想⑦
埃と静寂が辺りを包む。
その中でフリルは身体に乗っかっていた重力が消えたことを感じ取っていた。
「フェルト!」
埃の向こうには、地面に座って茫然としている少女の姿があった。
「怪我はありませんの?」
「う、うん……でも……」
何を怯えたような顔をしているのだろう?
フリルは目線の先を追う。そこには先ほどまでは無かったごみの壁と、
それらとは明らかに異なる材質の壁。
フェルトを守るようにそのごみの流れをせき止めている。
「無事……?」
「う、うん……」
足元で、声を上げるのはウサギである。
しかしその声は先ほどまでと比べ酷く弱々しい。
それもそのはずだ。
何十キロ、下手したら百キロ以上もある瓦礫が彼女の下半身を埋め尽くしているのだから。
「どうして私を助けたの……?」
そんなウサギを前にフェルトはまた泣きそうになった。
それでも涙を抑え、真剣な眼差しで彼女を見るのだ。
「あの時、私が助けてれば……オリビアは……いま……思い出したわ。
あの子、オリビアはもう居ないのよね……」
「うん……」
火事の現場を見てしまったフェルトにそのことは既知の事実。
ラビエルの眼を見て、彼女はしっかりと頷いた。
「私は……何やってたんだろう……オリビアがあの時、家に戻らなければ、
他のアーティファクトが居なければ……そう思って……」
ラビエルはそう言いかけ、眼を伏せた。
その赤い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「もういいよ……オリビアさんは幸せだったと思うよ。
あなたみたいなパートナーさんに恵まれて」
手を伸ばし、ラビエルの頭を撫でてやる。
手のひらから伝わってくる温度は酷く冷たい。
それは彼女の命の灯火が後僅かであることを顕著に示していた。
「温かい……」
ラビエルは目を閉じ、残りの短い時間でその温もりを浴びるように、
フェルトの手へと頭を擦りつけた。
その時間の間、誰もが沈黙し、フェルトとラビエルを見守った。
それが途切れた時、暗かった空間に一筋の光が射したのだ。
「ラビエル……やっと見つけた……」
そこに居たのは男性だ。
「貴方、どなたですの?」
予期せぬ人物の登場にフリルは当然の質問をする。
しかし、そんな彼女を無視し、男はフェルト、いや、ラビエルの傍へと歩み寄る。
「ラビエル……探したよ。ずっと……ずっと……」
「あなたは……誰?」
「分からないのは仕方ないか。あれから五十年以上も経っているのだから」
男はライトを置き、ウサギの傍へとしゃがみこみ、その顔を見せる。
その様子をフェルトは固唾を呑んで見守った。
もしこの男が知らない男ならば彼女も警戒をしただろう。しかしフェルトは知っているのだ。
過去二度逢った髭を生やしたおじいさん。
そして彼はラビエルの過去にも登場している。
「あなた……ウォスカ……? おじいさんだけど」
「ああ。そうだ……君は変わってないな」
彼は苦笑し、ラビエルの頭を撫でた。フェルトを違い、天辺から後頭部に掛けて撫でる。
その手つきは独特だ。
「あっ……この撫で方……」
「オリビアに教えてもらってな。ずっと、練習してきた。前よりは上手くなったか?」
「うん……気持ちいい」
フェルトはその場を離れ、コマチの所へと駆け寄る。
彼女はすでに粘着地獄から脱出し、すでに動かなくなったぬいぐるみの傍で二人の様子を見ていた。
「あっ、フリル。怪我とか大丈夫?」
「ええ、大したことありませんわ」
そこにフリルも合流する。とりあえず三人共、無事らしい。
「あの人、誰ですの?」
「しーっ、静かに。今は二人だけにしてあげて」
騒ぎ出すといけないのでキツイ口調でフリルの口を塞ぐ。
釈然としない様子で彼女はそれに従った。
「ラビエル。オリビアがこれを……」
ウォスカは自分の懐から何かを取りだした。
それは色褪せた紅いリボンであった。
「これは少し早い誕生日プレゼントだとさ……
今となっては遅くなりすぎてしまったが……すまない」
「ううん……いいの。付けてくれない?」
「ああ」
ウォスカは彼女の耳元に結ぶ。色褪せた紅は彼女の赤と似ていた。
「私も、言ってなかったことがあったよ。
オリビアはずっと、ウォスカのことが好きだったの。だからあの日も……」
ラビエルは自分の懐から焼け爛れた刺繍ケースを取りだし、その中から、針を取りだした。
「何本か、無くしちゃったけど……オリビアはあなたが初めて作ったこの針を大事にしてたわ。
あなたが立派な針職人に成れるようにって」
「そうか……ありがとう。お陰でいっぱしの職人に成れたよ」
「そう……よかった。あっちに行ったらオリビアに伝えておくわ……
最期にあなた……に逢えて、良かった……」
彼女は目を瞑った。そして彼女の時は完全に止まった。