表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第1話

風が、止んでいた。

少女は、花の前にいた。

白いワンピースを着ていた。汚れひとつない。周囲の瓦礫や焦げた土の中で、そこだけが場違いなほど清潔だった。

手を伸ばす。淡い紫の花を、一輪、丁寧に摘む。迷いがなかった。摘んだあと、何事もなかったように手を下ろした。

――それを摘まれた人は、もう二度と、何も感じなくなる。


瓦礫の平原が地平まで続いている。焼けた土、崩れた壁、かつて何かだったものの残骸。その中に、その村だけが残っている。色のない世界で、そこだけが不自然なほど満ちていた。

花だ。

赤、白、青、名も知らない色が地面を覆い尽くしている。どれも枯れていない。どれも崩れていない。

その中に、淡い紫が目についた。小さな花が、寄り添うようにいくつも咲いている。風がなくても、わずかに揺れているように見えた。

少女は少しだけ立ち止まり、それを見たあと、歩き出した。


男は、花の中に座っていた。

膝を抱えて、うつむいている。年は若い。ただ、その若さが痛々しく見えた。

少女は少し離れたところで、男を見た。

それから、近づいた。

「……ねえ」

男が顔を上げる。少女を見て、少しだけ戸惑った顔をした。

「ここ、よく来るの?」

「……初めて」

「そっか」

少女はその隣に、自然に座った。距離が近い。けれど、男は何も言わなかった。

「誰かのこと、考えてた?」

男は黙った。否定しなかった。

「……好きな人がいた」

「いた?」

「向こうから、終わった」

風のない空気の中に、声だけが落ちた。

「でも、忘れられなくて」

「どのくらい?」

「一年くらい」

少女は淡い紫の花を見た。寄り添うように、いくつも並んでいる。

「それ、よくないって言われてる」

「……誰に」

「そのままだと苦しいままだって」

男は少女を見た。誰に、という問いには答えが返ってこなかった。

「……そうかもしれない」

「終わらせたほうがいいよ」

少女は言った。責めているのではなかった。怒っているのでもなかった。

「そうしたほうがいいって」


男はしばらく黙っていた。

「……どうすればいい」

「思い出して」

少女は前を向いたまま言った。

「どんな人だったか。何が好きだったか。どうして忘れられないのか」

「それを、全部見る」

「見たら、終わる?」

「終わると思う」

迷いがなかった。

「もう十分だって思えるまで、見ていいって言われてるから」

男は目を閉じた。

少女は何も言わなかった。ただ、隣にいた。膝を揃えて、前を向いて、待っていた。待っているというより、そうするように決まっていたような、そういう座り方で。

風が、わずかに動いた。


男の肩から、ゆっくりと力が抜けた。

「……あれ」

目を開ける。

「なんか、ぼーっとしてた」

首を傾ける。さっきまでの重さが、どこかへ行ったように見えた。

「……ここ、どこだっけ」

「花が咲いてるとこ」

少女が答えた。

「そっか」

男は周りを見た。不思議そうに。迷子になった子どものように。


風が強くなった。

淡い紫の花が、まとめて崩れた。ひとつではない。いくつも、いくつも、一斉に。寄り添っていたものが、形を失っていく。色が抜けて、崩れて、地に還る。あとには何も残らない。土の色だけが、そこにある。


男は立ち上がった。

「……帰るかな」

少女を見る。

「ありがとう、えっと」

名前を聞こうとして、やめた。

「うん」

少女は小さく頷いた。

男は歩いていく。少しだけ、足取りが軽かった。


少女は土になった場所を見た。

周囲の花は変わらず咲いている。紫だけが、もうない。

「これでよかった」

呟く。誰かに確認するのではなく、そうするように決まっていたから、そう言った。そういう声だった。

それから、立ち上がった。

次の花を、探すように、歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ