立ちション :約3000文字 :粗野
夜。おれは人けのない公園の端、木々が密に茂る陰に身を滑り込ませた。葉や幹の隙間から公園の外灯の光が細く差し込んでいるが、ほとんど闇に近い。ここなら気づかれないだろう。
おれは念のためにもう一度周囲を見回し、誰もいないことを確認してからズボンを下ろした。
もう尿意が限界だったのだ。膀胱は張りつめ、パンパンのパンパンパン。家までは歩いて十分ほど。我慢できなくもないし、そのつもりだったが、あたりに人影はなく、「もういいか」と思ったのだ。
立ちションなんて小学生のとき以来だ。どこか懐かしくありつつも、妙に新鮮な気分だ。胸の奥がそわそわして落ち着かず、少し高揚しながらおれは下着を下ろした。
おおう、どうも……。
ペニスを出した瞬間、おれは思わず小さく会釈した。『外で会うなんて、なんだか不思議な感じですね』と、まるで顔見知りの店員に店の外でばったり会ったような気分だ。
夜気に触れ、ひやりとした感覚に包まれる。それがまた背徳感と解放感を煽って、妙な興奮が込み上げてきた。
ちょうどいいので、おれは軽く勃起させた。服をめくり上げ、腰を少し前へ突き出した。終わり際にズボンや靴にかかったら、せっかくの解放感が台無しになる。気分が萎え、シナシナのシナだ。
体勢を整え、短く息を吸う。そして――おれは栓を解放した。
ああ~。
下腹部に溜まっていた圧が、一気に抜けていく……。細長い放物線が、外灯の淡い光に照らされてぼんやりと浮かび上がった。
よくもまあ、こんなにまっすぐ飛ぶものだと、妙な感心が湧いた。静まり返った公園に、じょぼじょぼと地面を打つ音がやけに大きく響く。
たまにはこういうのもいい――
「……えっ、え!」
おれは思わずぎょっとした。視界の端からいきなり手が伸びてきたのだ。
反射的に飛び退こうとしたが、下ろしたズボンに足を取られ、ぐらりと体勢を崩した。咄嗟に足に力を入れ、どうにか踏み止まる。
おれは息を詰めたまま手の先を目で追った。すると、そこにいたのは中年か、あるいは初老の男。痩せ細り、頬はこけ、髪はぼさぼさに乱れている。服は萎びたようにくたびれていた。ホームレスだろうか。夜気に混じって、酸えた臭いが漂ってきた。
男は両手で器を作り、おれのペニスの下へ差し出した。そして――嘘だろ。飲んだ。飲んだぞ。おれの小便を飲みやがった……!
「え? え……?」
状況が理解できず、言葉が出てこない。立ちションという後ろめたさと、それを見られた羞恥が一気に押し寄せ、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
だが小便だけは止まらない。意思とは無関係に流れ続けるそれを、男はまるで滝の水をすくうように両手で受けては飲み続けた。
「え、ちょ、ちょ! は!?」
次の瞬間、男がぴたりとおれの足にくっついてきた。そして顔をおれのペニスに近づけ――直接! 直接、飲み始めた……!
手で受けるのがまどろっこしいと思ったのか、蛇口から水を飲む子供のように根元からわずかに距離を取り、喉を鳴らす。
おれが反射的に体を反らすと、男はすぐさま追いすがってきた。流れを逃すまいと必死に口を寄せ、小便を飲み続けた。
「……あ、ああああああ!」
おれは思わず叫んだ。
男は苛立ったように鼻息を荒くし、両手でおれのシャツを掴むと――そのまま咥えたのだ。
「ごぼ、ぐっぽぽぽ、ぶごお!」
「あああああああああああっ!」
「びぼ、ぶぶぶぐぽ!」
「ああいいいいいいっ!」
「ぶぼ、ぐぱ、あうう、ごぼ!」
「ひ、ひひうううぅぅう」
口内の生暖かさに包まれ、ぞわりとした快感が背筋を駆け上がった。だが同時に、嫌悪と拒絶がそれ押し潰そうとした。
おれは必死に体を揺らし、男を振り払おうとした。だが離れたかと思えばすぐに追いつき、また咥え直してきた。
「あ、あ、う、う、うう……」
おれはなぜか泣きそうになっていた。ただの小便のはずなのに、それ以上のもっと大事な何かを吸い取られているような錯覚に襲われていた。おれの、男としての存在、力がぐじゅりと溶けて尿道から流れていく。そして、男の口内で何か別のものへと変容し、駆け上がってくるような感覚――いや、もう考えたくない。
おれは男を殴った。だが、男はびくともしなかった。皮膚は硬く、銅像を打ったような感触だった。そして、自分でも驚くことに、おれは平手で叩いていた。ぺちぺちと遠慮がちに。なぜかはわからない。
もう一度振り上げた瞬間、おれは「いやあ……」と声を漏らしそうになった。振り上げた手で慌てて口元を押さえた。
数十秒後か、あるいは数分後か。分からない。時間の感覚は曖昧だった。頭は喪失感でぼんやりとし、目元はじんわりと熱くなっていた。
膀胱の張りはすっかり消え失せ、それは重力に従ってだらりと垂れ下がっていた。男は口をもにょもにゅと動かし、尿道に残ったものまで吸い上げるようにしてから、ちゅぽん、と湿った音を立てて顔を離した。
おれはよたよたと後ずさりしながら、震える手で下着とズボンを引き上げた。ペニスの先端が妙にぬめついている気がして、パンツの内側に擦りつけた。
さらに数歩距離を取り、男を見やった。
男はその場に膝をついたまま、両手を天に掲げていた。手のひらは夜空を向き、まるで恵みの雨に感謝しているかのようだった。口はわずかに開き、細い息が漏れていた。
おれはそのままじりじりと後ずさりした。次はケツの穴を狙われるかもしれない――そんな想像がよぎり、ぞくりと皮膚が粟立ち、肛門をぎゅっと引き締めた。
「……ありがとう」
踵を返そうとした、その瞬間だった。男がまっすぐおれを見つめ、湿った声でそう言った。
そして直後、ばたりと倒れた。
「お、おい……あのー……」
おれはおそるおそる近づき、距離を保ったまま声をかけた。
改めて見ると、男は思っていた以上に痩せ細っていた。頬のこけや目の下の黒ずみは影ではなく、皮膚の下に浮き出た骨のようだった。
「しょ、小便なんか飲むからだ……」
震える声でぼそりと呟くと、男の唇がわずかに歪み、かすかな笑みが浮かんだ。
「私は……未来から来たんだ……」
「……え?」
「未来では……病気が広がり……水が貴重で……奪い合いに……」
「は……?」
「だから……こっちに来た瞬間……目の前で君が水を捨てるのを見て……体が勝手に動いた……」
「小便だけどな」
「とてもおいしかった……ありがとう……」
男は風船がしぼむように長く細い息を吐いた。その息は夜気に溶けるように消え、それきり繰り返されることはなかった。
おれはおそるおそる手を伸ばし、男の肩に触れた。軽く揺さぶったが、反応はない。目は見開かれたまま虚空を見つめていた。口はわずかに開いているが、呼吸の気配はなかった。
ただ口の周りだけが艶めいており、どこか満ち足りたような笑みが残っていた。
「おれが……殺した? 小便で……?」
背筋を冷たいものが駆け上がり、体がぶるっと震えた。
気づいたときには、おれはよろめくようにその場を離れ、走り出していた。
翌夜。おれは自宅のトイレの便器の前に立ち、あの男のことを思い浮かべていた。
あの男はいったい何者だったのか。
帰りに、気になってあの公園に寄ってみたら、規制線が張られていた。黄色いテープが風に揺れ、パトカーが一台停まっていた。誰かが死体を見つけて通報したのだろう。
あの男は本当に未来から来たのか。もしそうなら、身元不明の遺体として処理されるだろう。見た目もホームレスみたいだし、警察もそこまで熱心に捜査しないはずだ。それに、あの公園に防犯カメラはない。おれに疑いがかかることはないだろうし、状況的にもただの衰弱死に見えるだろう。せいぜい、自分の小便を飲んで死んだとでも考えるはずだ。
だから、何も心配することはない。
未来から来たなんて話もただの妄想だ。
だから、水が枯渇することもない。
だから、大丈夫だ。
おれは四リットルサイズのペットボトルを投げ捨てた。ペットボトルは軽い音を立てて転がり、壁に当たって止まった。
大丈夫、大丈夫だ――。
ぶるりと体が震えた。
だが、小便はどうしても出なかった。




