傷嘆・混濁
処刑人。悪人と呼ばれる人間・人外を狩る依頼を受け、それにより報酬を与えられる元罪人の総称。彼・彼女らに共通する事は一度死んでいる事。屍人でもなく屍鬼でもなく骸人でもなく、処刑人として二度目の仮初めの生を受けた救えない馬鹿ども。
悪人と処刑人。狩って狩られて殺し殺され、"彼"の思惑に気付くのはどちらが先か。
* * * * * * * * * *
夜の繁華街から遠く離れた人の気配の薄い路上。普段はしがないフリーターとして暮らしている俺は、今夜もまた小遣い稼ぎの"アルバイト"を行うために、この薄暗く生ゴミの臭いが漂う一本道を歩いている。
先程から目につく売春婦や浮浪者の視線が背に突きささるも気にしてる暇などない。その視線の意味も当の本人が承知の上なのだから、出来ればそっとしておいてほしいのだが。
長躯を黒のロングコートで身を包んで、左腰には強装弾を装填した黒塗りの散弾銃。背には1m50cm程の鉄塊地味た剣、ちなみに重量は8kgある。軽々と歩いてるようにも見えるが、正直重い。背負った剣に潰されそうだ。しかし……、相も変わらずというより、どこのファンタジーから出てきた狂戦士だと言いたい。自分に。
黒手袋をはめた片手で茶の癖っ毛を掻きながら軽く溜息を吐いた後、暫くして後ろに気配が生まれた。
気怠けに首だけ振り返ってみれば、己と同じくらいの背丈で背広を着込んだ筋肉質の大柄な男が立っていた。俺の身長が188cmだから、相手の方は190辺りはあるんじゃないんだろうか、多分。髪は短く刈り上げ染めていない、そこだけは感心する。そして、いつもの癖で適当に相手の容貌を観察する。両の手に持っている明らかに自分を間違えて切っちゃったー(はぁと)的な量ではない乾いて黒ずんだ血がスティレットに付着している事以外は至って普通かもしれない健全な男性である。多分。
「こんな夜更けにどうしたよ、御仁。そんな格好で」
不躾な質問である。それも芝居がかった。そう第一声を吐きだした男に俺は肩を竦めて、いかにも"困っている"ような表情を作ってみせる。
「食事処を探してるんだが、何処か知らないかな?」
「いいや。俺も此処の事はよくは知らないんだ。あまり来ないもんでな」
「そうかい、そりゃ残念。ところでその刃物は何て言うんだ? というか、何切ったんだ? 山羊でも屠殺して喰ったのかい」
そんな風に冗談めかす様に言ってみれば、きれいに目だけが笑わなくなった。口許は緩やかに歪んでいる。いや、まさかとは思うが。これだけで平静欠く程ナイーブなのか、こいつ。
「……ああ、これかい」
そう言って男は表情を変えぬまま、右手に持ったスティレットを持ち上げてみせた。
その極めて不自然な動作に予感めいたものを感じ、首を横に傾ける。
すると、視界で白銀が閃いて刃物状の何かが俺の頬の薄皮を裂いた。何のことはない、頭蓋狙いのスティレットの刺突だった。
男は俺が躱した事に一瞬驚いたような貌を浮かべたが、直ぐに憎たらしいにやけ面へと戻った。刺突を放った腕を突き伸ばしたまま。引っ込めろよ、腕掴むぞ。
「痛えじゃねぇか。アルフ」
特徴と獲物、体型の一致から男の名前を特定して名を呼び、へし折らんばかりに男の手首を鷲掴みにすると、男は痛がる様子もなしに苛立たしげに眉間に皺を寄せた。苛立ちの要因は手首をへし折らんばかりに掴んだ事ではなく、ほぼ初対面の男に自分の名を呼ばれた事だろう。なのに、口許のにやけは変わらないまま。巫山戯てんのか、この筋肉達磨。
「処刑人か、お前。ただのコスプレ野郎かと思ったら」
「普通の服を買いに行く服がねえんだよ、筋肉達磨。大人しく生首になって俺の生活費の糧になってくれたら嬉しいんだが、駄目か?」
「悪いな。まだこちとらも死にたくねえんだ」
交渉決裂。男の手首を掴んだ手に膂力を顕現させ、筋肉の繊維の千切れる音を耳にしながら、力任せに男の腕を肩ごと椀ぎ取る。邪魔なので、その右腕を放り捨てる。視線を上げ、目の前に黒血が派手に飛び散る光景を目の当たりにし、慣れたはずなのに肉が喰いたくなくなった。ニートに戻りたいな、ああ。
そんな事を考えていたからか、俺に千切られた腕とは逆の左腕が腰のケースに備えていたスティレットを掴み、俺の双眸を台無しにしようと横薙ぎに振るわれる。それを上体を反らして回避したのはいいが、避けられたのを知覚した男が素早く連動させるように動き、繰り出された当て身で宙に浮かされ、コンクリの地面へと大きくダイブする形となった。鼻を打った所為か、視界に一瞬赤に染まった。鼻骨折れたか。起き上がる前に鼻下に指を添える。鼻血は出てない。良かった、折れてはいないようだ。
続いて、最初の一撃ように閃いた白銀が視界に入ったので首を曲げて躱す。だが、首に少し痛みが走る。避けきれなかった。頬の薄皮と同じように、首の薄皮を一枚削いだ憎き白刃。殺す。よし殺す。
手を地に突き立て、上段の後ろ蹴りで男の顎を蹴り飛ばし、そのまま追撃せずに男から離れるように駆け、一旦距離を取る。背負った剣が重い、挫けそうだ。
顎を蹴り飛ばされ、ふらついていた男が体勢を立て直して口許をにやつかせた儘、苦笑地味たものを孕んだ黒瞳で俺を睨みつけてくる。筋肉達磨が、頬の首の薄皮裂いて、鼻骨折れかけさせやがって、腕千切ったぐらいなんだ。どうせ死ぬんだ。大目で見ろ。
「……腕千切られたんだぞ、手前。痛み感じねえのか」
「お前等と同じだよ、処刑人様様。本当に痛えし、状況が違えば跪いて泣き喚きたい気分だ。こちとら、夜の散歩ついでに人を殺せれば満足なんだ。お互い、これ以上傷付け合っても不利益だ。逃がしてくれねえかい、頼むよ」
「阿呆が。こちとら生活かかってんだよ、筋肉達磨。アルフで間違いないんだな、手前。手前の首一つで50000gpも貰えるんだよ、軽く4,5ヶ月分の食費が賄えんだよ。だから死ね。頼むから死ね」
「……思ったより無茶苦茶だな。処刑人様よ」
「お互い様だろうよ」
交渉の決裂の次は意見の、意志の合致か。殺意を孕んだ笑みを互いに浮かべて、己の敵対者へと向ける。
心の底から湧き上がる黒い激情を抑える気も起きず、左の手で腰から黒塗りの散弾銃を引き抜く。その儘、前方へと突き出すと射線上にいる男は口端を吊り上げ犬歯を剥いた。
散弾を躱すという無謀な思索を捨てた、一心不乱の突撃、左腕に持った白刃で俺の心臓へ突き立てる猛攻の為の前進。蛮勇といって差し支えのない程の、それは。立場が違えば、場所が違えば、一種の尊敬に値したかもしれないそれを。ふつふつと沸き立った激情は、散弾銃の撃鉄に指を掛けるという形でアルフという男を嘲笑った。
「来たれ、俺の生活費」
咄嗟に願望を言葉に出して紡ぎ、連続する轟音を唸らせた。俺が手に掛けた散弾銃は確かなリコイルと威力を持って、眼前の大男の身体が細切れになる程の穴を無数に穿孔させてゆく。
硝煙と空の薬莢が宙を舞って、大男の姿をしたものは頭が綺麗に無くなる程の銃弾を食らって後ろへと倒れ……、かけた。
何かが俺の左手を触れてきた。それは赤子をあやす母親のような、気持ち悪い、幽鬼が生者に縋りつく動きに似たような、そんな動作で、俺の左腕を指で添って。
「……ァ、…………ぎ、あがああああッ!?」
痛みは遅れてやってきた。幽鬼のような手に触れられてから数秒の内に、5指の爪が割れコンクリの上にぼたぼたと俺の薄汚れた血液が滴り落ちる。そりゃそうだ。一度死んでるんだから。血が腐って乾ききってないのが逆に不思議なくらいだ。強烈な痛みの弾みで地面に重い音を立てて転がる散弾銃を色んな意味で冷えた頭で観察できた。ああ、落したのか。何でこんなに冷静なんだろうな、しかし。まあ、二週間前に心臓に穴開けられた時よりかは精神的苦痛も軽い。あの時はショック死するかと思った。
「捕まえたぞ、処刑人」
濃い硝煙の臭いに視線を動かせば、俺に千切られた右腕・破壊された頭部・骨格・神経・血管・内臓・筋肉・脂肪層を徐々に自力で再構築させてゆくアルフの姿が間近に見えた。そして、奴の右手は確かに俺の左手を鷲掴みにしていた。勝利を確信してか、愉悦に歪んだ男の黒瞳が俺の双眸を覗き見る。
爪が割れて未だに血が滲み出てきているが、痛みは大分楽になってきたので口を開き、軽口で男を煽る事にする。……あ、いや、まだ痛い。
「流石に身体中に孔を穿たれて頭部破壊されたら、取り敢えずは死んでおけよ」
「取り敢えずだな。お前は脅える事を知れ。次は左腕の骨を砕くぞ、処刑人」
「どうぞご自由に、悪人のアルフ。ところで俺の名を知りたくないか、俺はお前の名を知ってるが、お前は俺の名は知らない。不公平だろ」
「何故、左腕の骨を砕くと脅すと思う? そのつもりなら、宣告もなしに砕くのが普通だ。そうだろ?」
「会話が成立しないな、アルフ。まあ、いい。お前、まさか逃がしてくれとか言うつもりじゃないだろうな」
「そのまさかだが」
「お前、命のストックは」
「いいのか?」
「何が」
俺の苛立たしげな声色を悟ったのか、挑発なのか男は勿体ぶるように片眉を上げ口にすると、黒瞳に含ませた愉悦を消して、にやけ面のまま答える。
「先ほど減らされたのを考慮すれば、後は200前後だ。お前に殺し切れるか?」
「……成程。そりゃきつい。だが、一日も時間があれば手前を殺し切る事は出来る。試してみるか?」
「…………そうだな」
鈍い音を立てて、血液の脈動を失った肉塊がコンクリ上に落下する。つまり俺の左腕が。
一瞬、思考が、思索が? 何が起きたか理解できなかった。事象を知覚できたのは脳に駆け上がる死の一歩手前の痛さに近い、無くなりかけてる左肩辺りをじわじわ侵食していく刺激のおかげか。それとも俺の頭がこの男から逃げろと危険信号を先ほどから何度も何度も出している所為か。
「左腕の骨を砕くだけ、って言ったよな?」
「ああ。ところで痛くないのか。てっきり蹲って悲鳴でも上げるかと思ったよ、処刑人様」
「何か左腕が地面に落ちてるんだけど」
「そうなるようにしたからな。ところで、どうやって痛みを押えているんだ?」
「アドレナリンとエンドルフィンを操作してるんだよ。餓鬼の頃からこれが得意でね。まあ、そういうわけだから今から手前を殺すぞ」
身体が訴えかけてくる危険信号を全て無視して、眼前の敵を200回ぶち殺す事だけに全神経、全思考回路をフルで稼働させる。地に転がる散弾銃を拾いに行くのは自殺行為だろう、普通に考えて。後、奴に掴まれても駄目だ。爪は割れるし、左腕は何か知らんが落ちた。なら、どうするか。
左腕の再構築を始めながら、逆の右手首を横薙ぎに一閃する。硬質な解錠音と共に掌中に柄だけ収まった1m50cmの人斬り包丁の刃面が世間知らずな尻の青い糞野郎のにやけ面を映す。いい具合に殺意が湧いてきた。一日もいらないか。手順はどうする? ……まず頭は潰す、次に四肢切断は行わずに鉄塊地味た剣の先端が埋没するほど両手両足を滅茶苦茶に破壊して皮膚が破れて見当違いの方向に折れ曲がって潰れた赤黒い筋組織が顔を覗かせたそれを更に踏み躙って蹴り飛ばして腹に牛刀ぶっ刺して……再構築は当然するだろうから、……だから。
「横だ。避けろ、処刑人」
「あ?」
シュンッと、俺の真横で何かが啼いた。少し思考に没頭していたのは確かだが、それでも沸騰した殺意で研ぎ澄まされた神経が此方へと疾駆する気配に反応。すぐさま長刃が迎撃、……する筈だった。
振り下ろした長刃が硬質音を響かせて急停止。手甲らしきもので受け止められたのを視認。再構築を終えた左拳でその零距離まで距離を縮めてきた疾駆する体躯に孔を開けんとするより早く、鳩尾に衝撃。体躯が『へ』の字に折れ曲がって、そのまま後ろのコンクリ壁に背から衝突。明らかに肋骨の折れる音と内臓に突き刺さる何かが視界を赫に染め上げた。
耳に入るは後ろのコンクリ壁が崩落する音、ああ、またストックが減った。これでアルフを殺り逃がしたら大損だ。つうか、誰だ。俺の肋骨と内臓返せ。咳と共に黒血を吐き出しながら、視線を上げる。映るは赤茶のショートヘア。灰色のワイシャツに黒スラックス。そして両腕には長刃を受け止め、俺の腹部に思い切りめり込ませた鋼の手甲。一見、男かと思ったが胸がある。
「…………。そうだな」
……B86、W61、H91。……辺りか、大体。まあ、可もなく不可もなく、か。ああ、腹痛え。
ぎりぎりと歯を噛み締めながら、壁に背を預けたまま、アルフと乱入してきた女の動きを見定める。わざわざこのまま蹲って殺されてやる気は毛頭もないので此方に追撃を狙ってくれば、これを迎撃する。確かに動くのはきついが、それだけだ。動けないわけじゃない。剣を振るうのにも拳打を繰り出すのに何もそこまで支障はでない筈だ。
「……アルフさん」
俺を地に沈めて、少しの間沈黙を貫いていた女が漸く口を開く。その顔には疲れが見えた。……ここまで走ってきた所為か? というか、アルフの仲間か。この女。
「ん? どうした」
「どうした、じゃありません。勝手にちょっと人殺してくるとか、わけのわからない置き手紙残していなくならないで下さい、処刑人と一対一で交戦を行わないで下さい、死んだらどうするんですか、あと愛人を職場に呼ばないで下さい。そんなに部下を酷使するのがお好きですか、アルフさんは。そろそろ過労死しますよ、私」
「愛人? ……ああ、アネッテか。どうした、ちゃんと俺の部屋にお連れしたか? よし、帰るぞ。ドリス。ああ、そこの男は放っておけ」
「あ、いえ、私が責任を持って家にお送り致しましたが」
「……何やってんだ、この役立たず」
「そんなに私を泣かせたいんですか、アルフさんは」
そうドリスと呼ばれた女と言葉を何度か交わして、俺に背を向け歩き出した男に今からでも地に転がった散弾銃を手にして、その背に鉛玉をぶち込もうかとも考えたが、多分……あの男、アルフより先に、その横に溜息を吐きたげに付き添って共に歩いているドリスとかいう女が真っ先に反応するだろう。よってこの案は中止。
代わりに口内に溜まった血液を吐き捨てて、歩き去ろうとする男の背中を睥睨し、鼻を鳴らした。
「殺すなら今じゃないか。アルフさんよ」
どこかわざとらしい硬質な靴音が止まり、男は軽く首だけ振り返る。女の方は足を止めただけで、此方を見ようともしない。愛想のないこって。
「ケネスだろ。お前」
にぃっと男が笑った。いつからだろうか。散弾銃を引き抜いた時か。長剣を最小の動作で手にした時か。男の声色は絶対の自信を持って言い放たれて、俺の耳へと入ってきた。ああ憎たらしい。こいつは。
「……それが? 確かに俺はケネスだが、それと俺を殺さない事に何の関係がある」
「お前を殺すと後が厄介という事だ、素直に生かされてろ。処刑人様」
男はあっさりと動機を吐いた。言葉の意味は把握しかねる、が……。とにかく俺を殺せばアルフにとって不利益が生じる、らしい。何故? わけがわからない。
判断材料もない。面倒になって、それ以上アルフに問う事は止めて、疲れを癒すようにぐったりと壁に凭りかかり、身体の再構築が完了するまで息を静める。それを邪魔する者はいない。
アルフの方も此方が追及する意を持たない事を理解すれば、肩を竦めて、敵対者の俺に背を向けて歩き出し、ドリスとかいう女と共に路地を後にして繁華街の方へと歩き去って行った。
それからしばらくすると、それまで狩りに巻き込まれないように息を潜めていたこの裏路地の住人である売春婦や浮浪者の方々が不安げ顔を覗かせていやがったので、軽く一瞥をくれてやって退散させる。まあ、人体を軽く穿つ散弾銃や人斬り包丁なんて持ってる輩なんて普通はお近づきになりたくはないだろう。あまりにもわかり易い心理に思わず俺の喉から笑声が自然に吐き出された。
「……大損だな、クソったれめ」
……色々と仕方ないので、傷が治ったら三下の悪人を15人ほど狩って、今月の生活費を支部から貰おう。そういえば、寮費も払わないといけないのか。
口唇の粘着いた血痕を拭い、溜息を吐く。
どうやら三下共を狩る前にストレスを解消させなければならないようだ。




