2-05 仕事? 送ってやる、乗って行け(尻尾クイッ)
大家さんが食器を洗っている隙をついて、私はバッグを持ってコソコソと玄関に向かった。
後片付けを押し付けてすまない……。
しかし会社に行くには、食器洗いをおとりにするしかないんだ!
ちなみに、白玉が玄関まで着いてきてるけど、一緒には連れていけません。
「シノ、仕事に行くのか?」
「そうだよ。……大家さんには内緒ね?」
「分かっている。それに急いでるんだろ? シノはいつもちんたら歩いているからな。俺に乗ってけ。早いぞ?」
なにその、俺のバイクに乗っていけ、みたいな誘い文句。
しかも尻尾をくいっとしているので、セリフはカッコイイけど、態度がモフい!
「この世界には、フェンリルに乗って移動する人間なんていません!」
異世界にもいなかったけど!
そもそもフェンリル自体珍しかったし。
「大丈夫だ、問題ない! 認識阻害と偽装の魔法をかけておくからな! こっちの世界で爆速に早い乗り物として認識されるぞ!」
「一番ダメなやつじゃん! 道路交通法違反で捕まるので、絶対にダメ! って言うかふつうに事故るって!」
「ドーロコーツーホー?」
というか白玉、こっちでも魔法使えるの!?
あ、使えるから昨日私の部屋に瞬間移動してきたのかな?
「騒ぎになったら大変だから、白玉は大家さんちで大人しくしてるんだよ?」
「むう……仕方ない。だが、いつこっち世界の観光に連れて行ってくれるんだ?」
観光って言うか、お散歩になりそうだけど。
それにしても、白玉って観光に興味あったんだ?
「こっちには美味いものがいっぱいあるんだろう。楽しみだ!」
白玉が尻尾フリフリに加えて、ちゃっちゃっちゃっちゃっと音を鳴らしてスキップしている。
あーはいはい。食べ物が目当てね。安定の白玉でした。
「散歩……じゃなくて、観光の前に首輪とリード買わないと行けないから、次の休みの、そのまた次かなあ」
「忙しいって言ってたな? 次の休みっていつだ? その次っていつになるんだ!?」
「……………………いつ、だろう?」
「おい!」
いやほんと、いつだろう……。
そもそもこっちに白玉が来たのは、私が誘ったからじゃないんだけどな〜。
なんで私が案内するていになってるのかな〜。
まあ私と大家さんしか、案内役として選べる人がいないからなんだけども。
「というか、俺に首輪をはめるつもりか! 俺は犬じゃないんだ! いやだぞ!!」
「首輪してれば、迷子になったときに見つけやすくなるよ?」
「迷子になること前提なのは何でだ!」
美味しいものにホイホイつられて迷子になる図は想像出来ちゃうんだなあ、これが。
「あと散歩するならリードもしないと、他の人に怖がられるかも」
「ぐぬ……ぐぬぬ……!」
さすがに怖がられると聞いたら、怖がらせるつもりのない本人(人ではない)としては何も言えないらしい。
代わりにすごい睨んでくるので、蛇に睨まれた蛙ならぬ、狼に睨まれたうさぎのごとく、離脱! 脱兎!!
「じ、じゃあ、行ってきます!」
「シノ〜〜〜〜ッ!!」
白玉の遠吠えをバックに、私は駅にダッシュした。
「あ、これ、たぶん大家さんにバレたな……」
さすがに追ってまで引き止めたりはしないだろうけど、私の体調を気遣ってか頑なに休ませようとしていたから、罪悪感がじわじわ募っていく。
会社は、最寄りの鈴鳴駅から電車で乗り継いで一時間半くらいの場所にある。
すずらん荘から駅までは、歩くとそこそこ時間がかかる。
だけど、昼間のバスの本数は少ないし、住宅街に流しのタクシーはいないので、徒歩で向かうしかない。
すずらん荘を出て住宅街をてってけ歩いて行って、アーケード付きの商店街のど真ん中にあるのが鈴鳴駅。
気持ちに余裕があるときなら、商店街の商品を眺めながら駅に向かうけど、今は余裕がない。
なんなら、ゼーゼーと息をしながら走っている最中。
異世界での聖女生活で体力ついたと思ったんだけど、おかしいな?
「……ぜぇ……はぁ……。あっ、これ、違う……」
走って息切れしているんじゃなくて、変に動悸と息切れしてるみたい。
でも、そんな歳でもないんだけども!?
ちょっと落ち着くために足を止めてみれば、動悸が少し和らいだ。
「………………」
また一歩、歩き出そうとすると心臓がどきどきしてくる。
……なんとなく、分かってる。どうしてこんな風になってるのか。
行きたくない。
本当は、会社に行きたくない。
だけど、行かないと……。
無理に行こうという気が薄れてきて、でも行かざるを得なくて。
亀みたいな遅さでゆっくり歩くしかなくなってしまった。
まだ会社についてすらいないけど、ふと自然と言葉が零れた。
「……帰り、たいなあ……」
家に帰って、大家さんと一緒にのんびりしたいなぁ……。
「会社に……行きたく、ないなあ……」
ふと、大家さんからメッセージが送られてきた。
『いまどこ』
大家さんにしては珍しく簡潔なメッセージだけど、やっぱりバレたか。
そりゃ、家に居ないから気付くよね。
「会社に行くところだよ。朝ごはん、いやお昼ごはんかな? ありがとうね。美味しかったよ……っと」
既読が付いたので大家さんから返事来るかな? と思って立ち止まっていたけど、数分待っても来なかった。
まあ、そうだよね。いまの私は大家さんの彼女でもなんでもなくて、ただの同居人だからね。いや、同棲人っていうの?
……それにしても、私から分かれたくせに、大家さんからの返事を期待してる自分が恥ずかしいな。
「……もう、行こう」
でも、本当はどうしようもなく行きたくない。
気づいたら、私は商店街を通っていた。
「詩乃ちゃん、こんにちは。顔真っ青だけど大丈夫?」
「こんにちは、おばちゃん。そんなに青いですか?」
いつもお世話になっている魚屋さんのおばちゃんが、通りすがりに話しかけてくれた。
「そうよ。うちのベンチで少し休んで行ったら? 尚君もそんな詩乃ちゃんの顔見たら心配するわよ〜」
忘れそうになるけど、「尚君」って言うのは大家さんのことね。
実際のところ、心配はかけてしまっているので手遅れではあるし、心苦しい……。
「う……。でもこれから仕事に行かなくちゃいけないんです」
「そんな会社辞めちゃいなさいよ! ……って言いたいところだけど、詩乃ちゃん一人暮らしだから仕方ないわねえ。でも無理しちゃだめよ?」
「はい、ありがとうございます」
おばちゃんにお礼を言って、とぼとぼと歩みを再開する。
流れ的に、「実は大家さんとの同棲、再開しました」とは言えなかった。




