2-02 肉球には優しさと夢が詰まっているッ!
「……ノ! シノッ!」
遠くの方から、白玉の声が聞こえる。
「シノ! 起きろ!」
ううん、違う。すぐ近くで白玉が吠えてるんだ。
「……んー……?」
なんかめちゃくちゃ慌ててるみたいだけど、私はとても眠い。
「…………しらたまあ? なーにー?」
目をつぶったまま返事をすると、ゆさゆさと腕を揺さぶられた。
「起きるんだ! 今すぐに!!」
「やだー。もうちょっと……眠らせて……」
なんなら眠すぎて目が開けられない。
「ダメだ! 今すぐ起きろ!!」
「ぐう……」
「シノ〜〜〜〜ッ!!」
白玉の遠吠えを環境音に再び夢の世界へ落ちて行こうとした瞬間、ほっぺたに何やら固いものがむにぃっと押し当てられた。
「シノ! ほら! 肉球だぞ!!」
「うー……?」
「シノがいつも触りたがっていた肉球だ! いくらでも触って良いから起きろ!!」
白玉がむにむにと私の柔肌ほっぺをつついてくる。
こ、これが肉球……?
あまりの衝撃に、私の眠気が一気に吹き飛んだ。
「う、そだ……」
あっちの世界にいたときに、白玉の肉球を触らせて欲しいとお願いしていたけど、頑なに触らせてくれなかったあの肉球が!!
「肉球がこんなに固いなんて、うそだああ~~!!」
私はガバッと起きて、白玉の前足をガシッと掴むと、その肉球をプニプニプニプニ優しく連打した。
厳密に言うと、プニプニしてないし、思ったより柔らかくない! 固いけどムチムチしてる。
「文句言う割には、やたらと堪能するじゃないか……」
「くっ、どうして……! 肉球には、柔らかさと優しさと夢が詰まっているって思っていたのに……!」
「柔らかさはともかく、優しさと夢なんてものは詰まってないぞ」
「ううう……そんなあ……」
およそ五年分抱えていた夢と希望が散ったことで絶望のあまりに無心で肉球をぷにっていると、部屋のドアからノック音が響いた。
「詩乃ちゃん? 白玉? 叫び声が聞こえましたけど、何かありましたか?」
そう言えば、昨晩は大家さん家にお泊りしたんだった。
入って良いよと言うと、大家さんがドアを開けて入ってくる。
心配そうな大家さんに、私は苦笑して答えた。
「大丈夫。白玉が起きろ起きろってうるさかっただけだから」
「それなら良かったです……。何かあったのかと思って……」
「起こしちゃってごめんね。まだ眠かったでしょう?」
「ちょうど喉が渇いて起きたところだったので、大丈夫ですよ」
遮光カーテンの掛かった窓を見ても、まだ外から光は漏れていない。
時計を見ると午前一時。仕事の日だと、帰宅直後な時間だった気がする。
「そもそも何でこんな時間に叫んで起こすかな、白玉?」
「シノが寝てる最中に、変な魔力が纏わりついていたぞ」
「変な魔力? なにそれ? こっちの世界に魔力なんてものはないと思うけど……」
「だが現に変な魔力を感じたんだ!」
白玉の肉球をむにむにしながら首を傾げると、私の腕の中で抱えられている白玉が大家さんを睨みつけたらしい。
大家さんがビクッと怯んでいる。
「オーヤ、お前もだ」
「え? 僕……ですか?」
「お前からも変な魔力を感じるぞ! シノに何をしたんだ!?」
「いや、大家さん魔力とかない一般人だし……」
おかしいな? 私も一般人のはずだったんだけど、何故か異世界で聖女やってたね?
相変わらず首を傾げ続けている私とは反対に、大家さんが真剣そうな表情でぼそっと呟いた。
「もしかして……」
「やはりオーヤには心当たりがあるんじゃないか!」
「詩乃ちゃん、アッシュアリアの夢を見ませんでしたか?」
「え? う、うん」
「僕もです。もしかしてそれが関係しているんじゃないでしょうか」
「アッシュアリア? なんだそれは」
不思議そうにする白玉に、私たちが見るアッシュアリアの説明をした。
「……夢で見る異世界か。知らない世界の話だな」
「白玉は他の世界のことって知ってるの?」
「俺は詳しくはないが、シノと仲良かったエルフが知っているんじゃないか?」
「あっ、あー……? ソウダネ、ウン。知ってソウダネ」
異世界で旅を共にした仲間のことを思い出して、私は思わず真顔で頷いた。
「なんでカタコトなんだ? 呼ぶか?」
「けっこうです!」
これ以上、愉快な仲間とエンゲル係数を増やしてたまるか!
と言うか、そんなホイホイ気軽に行き来が出来るんかい!
「詩乃ちゃん、異世界は楽しかったですか?」
「え? う、うん。最初は辛かったな。でも、白玉とか旅の仲間はこんな感じだったし、異世界での旅はすごく賑やかで……いつの間にか、楽しいと思うようになっていたかな」
「……そうですか」
大家さんがちょっぴり寂しそうにしているのは、どうしてなんだろう。
「でもね、一番頑張れた理由はね。大家さんなんだよ」
「え?」
「異世界が平和になったらこっちの世界に戻って、大家さんにまた会いたい。それを励みにしていたから、頑張れたんだ」
白玉の肉球をムチムチしながら微笑むと、大家さんが見開いた目を潤ませた。
「……めなくて……良かった……」
「え?」
「……詩乃ちゃんの帰る場所になれて、良かったです……」
「そ、そんな泣くほど?」
「泣いてないですよ」
いやでも泣きそうだし……なんてことは、大の男に言ってはいけない気がするので黙っておいた。
代わりに私は、こう答えた。
「いつもありがとう、大家さん」
「……っ!」
私はお礼を言っただけなのに、何故か大家さんがふいっと目を逸らした。
「え? 大家さん?」
私、変な事言っちゃった?
「い、いえ。今更気づいたんですが、詩乃ちゃん……パジャマですね……と……」
「そりゃまあ……寝起きですので……」
「…………」
「…………」
指摘された私も今更気付いたけど、恥ずかしいな?
このあたりで、空気を読めない白玉が「お前ら番だろ!」と強烈な一撃を放つはずだと思って「いまは付き合ってないよ!」と応戦する心の準備をしたけど、何も反応しない。
それどころかしばらく静かだなあ、どうしたんだろう。
ふと手元を見てみると、肉球をむにむにされてウトウトしている白銀の犬……じゃなくてフェンリルの姿があった。
大家さんもそれに気付いたのか、苦笑している。
「も、もう寝ましょうか」
「う、うん。そうだね」
「あっ、白玉は詩乃ちゃんと別の部屋にしましょう」
「え? 同じ部屋でもいいけど?」
「でも…………オスですし」
「オスって言っても、ペット枠のいぬ……じゃなくてフェンリルだけど?」
「……人語を喋りますし……」
……もしかして大家さん、嫉妬してる?
大家さんが可愛く思えてつい笑ってしまうと、ばつが悪そうにしていた。




