はじまりの火花
「正直に言うわ。ひどかった。」
その一言で、姫野森麗菜の頭が真っ白になった。
「特にダンス。基礎ができてない。独学の限界ね。」
店長兼マネージャーの鷲塚愛梨は、感情を一切込めずに言い切った。怒鳴られるよりも、ずっと残酷な言い方だった。
(……やっぱり、私はダメなんだ)
この街では、努力したかどうかなんて誰も見ていない。結果を出せなければ、消えるだけだ。
⸻
―― 萌野原町――
駅前から中心街までメイドカフェがひしめく街。違うのは“生き残っているかどうか”だけだ。その中央、萌野原駅の近くの“激戦区”に《めいどなのにゃ》はあった。
コンセプトは「王道ねこみみメイドカフェ」。奇抜さで誤魔化せないぶん、実力だけが試される。
(……本当に、ここでやっていけるのかな)
姫野森麗菜は店内を見回し、小さく息を吐いた。他店は派手で個性的。それに比べて《めいどなのにゃ》は――無難。
(王道なんて、誰も見てくれない……)
それでも奇抜なことができない自分には、この道しかなかった。麗菜は短大に通いながら、この店で働いて一年。業務終了後、アイドル組は順番に店長室へ呼ばれた。
「……」
麗菜は視線を落とす。この一年間、動画を見て夜中まで練習したり、鏡の前で何度も振りを確認したり、努力はしたはずだ。
(マネージャーの言う通り、独学では限界なのかも……)
「安心しなさい。知り合いのトレーナーを紹介するわ。しばらく通ってもらう。」
「え……」
「講習料は給与天引きで処理するから。」
「……えぇっ?」
思わず声が裏返る。
愛梨はそれを咎めるでもなく、書類に視線を落としたまま言った。
「結果が出たら、センター起用も考える。……あなたにはまだ期待してるのよ。」
「……!」
「出なかったら……まあ、その時ね。」
その“その時”が何を意味するのか、説明はなかった。
(期待された時点で、もう負けてる)
胸の奥で、そんな声がした。足が少し震える。期待されると、裏切る未来ばかり想像してしまう。胸の奥がじわりと冷えていく。
「ルックスは悪くないのよ。本当に。でも、可愛いだけじゃ、この街では生き残れない。」
「……はい。」
返事はしたが、喉の奥がひりついていた。
「次は、ゆきにゃんを呼んで。」
解放されたように店長室を出て休憩室に行くと、五月桜友希が紅茶を飲んでいた。
「ゆきにゃん、マネージャーの面談だよ。」
「うん、行ってくる!」
元アイドル経験者の友希は、まだこの店では新人だ。接客やライブパフォーマンスには不安もあるが、麗菜からすれば、どこか遠い存在でもあった。
(私は、何をやってたんだろう)
――麗菜自身も、かつてはアイドルを目指していた。オーディションに落ち、行き場を失い、街を彷徨っていたときに声をかけられたのが、この店だった。オーディション帰りの雨の駅前で、立ち尽くした日のことを思い出す。
“ここなら、まだやり直せるかもしれない”
そう思った自分が、今では少し怖い。
「じゃあ、最後にもえみんを――」
「すみませーん! ラジオの生放送があるので!」
朝陽菜萌美は、軽やかな声だけ残して姿を消した。
この店では珍しい、外部の仕事をいくつも抱える人気メイドだ。
「……あの子は外部活動が多いの、忘れてたわ。」
愛梨はスケジュール管理の難しさに、ほんの少しだけ眉を寄せた。
(外部の仕事なんて、私には一生縁がない世界だ……)
萌美の背中を見送りながら、麗菜は胸の奥が少し痛んだ。
面談を終え、椅子に深く腰を下ろした愛梨の脳裏に、一人の顔が浮かぶ。
ゴスロリ系の有名店。そのリーダーであり、妹――鷲塚有菜。
(次こそ、予選突破しないと……)
《めいどなのにゃ》は、まだ一度も《萌野原ドリームライブ》の予選を突破したことがない。
――有菜にだけは負けたくない。言い訳は、もう許されなかった。店を守るためには、誰かを切ることも必要……愛梨はそう思っていた。誰かに弱音を吐ける立場なら、どれほど楽だっただろう。
⸻
その後。
麗菜と友希は、いつものクレープのキッチンカー《キャラメル・ドリーム》に来ていた。そこはメイドたちの“中立地帯”だった。パステルカラーのキッチンカーは、今日もデジタルサイネージの海に紛れている。店の外では競い合っていても、ここでは誰もが甘いものに癒やされる。
「いちごクレープと、バナナチョコクレープです。」
「わあ、美味しそう……!」
甘い香りに、少しだけ肩の力が抜ける。
「美味しいね。」
「うん……」
そのとき。
「あなたたち、またドリームライブに出るつもり?……あ、ごめん。“王道”って、うちが完成させたものだと思ってたから。」
声の主を見て、空気が変わった。
《本家 NEKOMIMI》――
グランドステラ――NEKOMIMIの象徴とされる三人のメイド。彼女らもまた、この《キャラメル・ドリーム》の常連だった。彼女たちが立つだけで、まるで舞台のスポットライトが自然と彼女たちに集まるように、周囲の空気が整うように感じた。
店員が一瞬だけ姿勢を正した。
(今日は運の悪い日みたいね。)
麗菜は内心うんざりしていた。
「続けるのは自由だけど……」
芹澤シャロンが、静かに言う。
「あなた、楽しそうじゃないよね。」
言葉が、麗菜の胸に突き刺さる。心の奥で、何かが小さくひび割れた。
「夢って、楽しい人のところに集まるの。私たち、楽しんでいるからね。見てる人も、つられて笑顔になっちゃうのよ。」
誰も、反論できなかった。
(言葉だけでライバルを蹴落とせるなんて、安いものだわ。)
シャロンは、まるで相手の弱点を見透かすような微笑みを浮かべた。その笑みが、どこか計算されたものに見えた。さらに、両脇にいた城木瑠南と藤堂琴葉と視線が交差した一瞬、空気がわずかに震えたように感じた。
三人は何事もなかったかのようにクレープを注文し、食べ終えると立ち去っていった。
「……そんなの、わかってるよ。だから、悔しいんじゃん。」
友希が呟く。それでも友希の瞳にはまだ光があり、彼女はまだ、夢を信じていた。しかし麗菜にはその光がない。友希の光が眩しくて、直視できなかった。逃げたいのに、逃げる場所がどこにもない。
「……正論よ。」
麗菜は、そう言うしかなかった。
「……行こ」
二人の足音だけが、夜の街に溶けていった。
友希は小さく息を吐き、麗菜の手をぎゅっと握った。街灯に映る二人の影は、ゆらゆらと地面に踊る。どこか非現実的で、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
見えない緊張が足元を締めつける。この街は、甘い夢を見せてくれる場所じゃない。
この街で生き残るには、誰か――隣に並ぶ仲間でさえも――を押しのけるしかない。
――その現実が、静かに息を潜めて、彼女たちの背後に忍び寄っていた。
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